共感の土台

Facebok藤井 隆英さん投稿記事【 わたしの幸せ 】

幸せは他者の承認によって決められるものではありません

エビデンスによってはかられるものではありません

誰かが作った幸せはあなたが制作者ではありません

いにしえの哲学者は幸せになる方法を記してません

記されているものは彼にとっての幸せの論じ方です

読者である私たちは見識を広げるために読み進める論じる幸せは論でしかなく幸せではない

わたしの幸せはわたしだけの幸せでありあなたが勧める幸せではありません

わたしの幸せは人生の目的とはなりえず正体を知っても幸せでいられません

わたしの幸せはわたしの心を満たさない

わたしだけでない心を満たすのです わたしを わたしでないわたしが

わたしとして振る舞うことが本当の幸せなわたしだと思わされるわたしでないわたしで

なければいけないと仕向けるわたしでない者がわたしを傷つける あなたはわたしの何を知っているのか わたしでさえしらないわたしの幸せを

あなたは知っているのとでもいうのか 段階の幸せは わたしだけが 幸せであることからはじまる 浸透の幸せは すべてが共に 幸せでないことからはじまる

幸せである存在として生きるために わたしにとっての幸せと あなたにとっての幸せが

世界にとっての幸せの基となる幸せ 段階などなく 浸透し幸せな営みのみが残る

わたしの幸せはわたしだけの幸せであるがゆえにすべてのものの幸せとなるのです

藤井隆英 著


https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/55017381 【虚空蔵菩薩(明星)と一体化する】

https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/54932974  【客観芸術と主観芸術】


https://www.1101.com/n/s/natsuiitsuki/2024-06-29.html 【共感の土台】より

夏井 俳句っていう文芸の一番大きな特徴は、作り手にも読み手にもなれることなんです。

アーティストや画家の場合は、受け取る人は一方的に見るばかりかもしれないけれど、俳句の場合は作ったり読んだりする。

人の俳句を読んで、感動して、自分でも作ってみて。作ることと読み解くこと、その両方をやれる文芸ってなかなかないと思います。

糸井いいですよねえ。楽しむことが一番の目的というか。

夏井 それはありますね。

糸井 ありますか。

夏井 やっぱり、句会が一番楽しいです。

糸井 永遠に、作ったり読んだりするわけですよね。

夏井 はい。そこで褒められたらうれしいし、どうしたんだよ、うっかりにもほどがある、なんて言われると、それはそれでネタになって大笑いできます。褒めもうっかりも、全部含めて楽しいんです。

糸井 そういうことを、先生は毎週おやりになっているじゃないですか。

夏井 たしかに考えてみたら、『プレバト‼』っていう場所は姿の違う句会ですね。

糸井 僕にはそう見えてます。番組のように教えることはお好きですか?

夏井 好きですね。人の句のいいところを見つけられただけで、私自身がしあわせな気持ちになりますし、表現しようとしていることには惹かれるけれど、なぜわかりにくいのか、原因を分析して、自分なりに究明して「ここを変えるといいかも」とニュアンスがわかったときは大よろこびです。

糸井 人の句だけれど。

夏井 自分ごとみたいにうれしい。それを句会で共有して、みんなで「おおー!」って共感してよろこぶのが楽しいです。

糸井 短い句だとしても、 どういう方向に転がるのかわからなくなっちゃうことがあるじゃないですか。そのときに夏井先生が「こうです」と言い切る姿を僕は何度も見てきたので。

夏井 言い切ってますよね。

糸井 あれがないと、たぶんジャイアンが勝っちゃいますよね。

夏井 そうですね。 声が大きい人が勝っちゃいますね。

糸井 そこで、夏井先生がバシッと出てきて、胸のすくような指導をされているのが気持ちいいです。

夏井 ありがとうございます。番組で言えば、特に平場などは俳句の技術的にまだまだの

言ってしまえば凡人の塊みたいな句が多いですから、迷わずに、伝わらないものは伝わらないと。

糸井 そういう瞬間がありますね。

夏井 「こんな句、山ほどある」って、収録で数え切れないくらい言いました。

糸井 よく、耳にしております(笑)。

夏井 作った人は「すごいものができた」と思っていることもあります。

その気持ちもわかるけれど、あなたと同じことを考えて俳句を作る人は「ごまんといる」という説明をすると、得してくださいますね。

糸井 あらゆる表現の世界である、「ごまんとある問題」ですね。

夏井 コピーでもありますか?

糸井 あります。基本的にいいか悪いかジャッジする前に、それ、みーんな思ってるよって、つっこまれてしまうことはあります。

夏井 どこもそうなんですね。

糸井 でも同時に、プロになると、「みんな思ってるよ」って言われて勝つ仕事があるんですよ。

夏井 ああ! それは、すごくわかります。

糸井 ありますよね、俳句でも。

夏井 誰もが思いつきそうな 凡人的発想から生まれた俳句のことを、類想類句(るいそう るいく)と言うんですが、ここを恐れていては俳句は作れないんですね。

最初は類想類句になってしまうことは避けられないし、別の視点からとらえれば「共感の土台」という意味にもなるんです。

糸井 ああ、共感の土台。

夏井共感の土台を自分のものにしておくと、ほんの一匙なにかを乗っけるだけで、この共感の土台がとんでもない味方になってくれる。

糸井 なってくれるんですよね。

夏井 一緒じゃないですか!

糸井 そこで大事なのは、 どちらも相手がいるっていうことだと思います。相手がいる中での表現の遊びですよね。

夏井 そうですね。ただ、読み手・受け手を強く意識するっていうのはとても大事なことだと思っているのですが、それは「おもねる」とは違う。

糸井 機嫌を取ることとは、違いますね。

夏井「きちんと伝える」っていう、そういう話なんだろうと思います。

糸井 手をつながなくても、手を出してる状態ですよね。まだ握ることはできていなかったとしても、両者がものすごく必死に手を出しているのは、それは芸術としてすばらしいと思います。

夏井 そうですね。

糸井 あの、先生が本のなかで例に出していた句があるじゃないですか。「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」(池田澄子)

夏井 池田澄子さんの句ですね。

糸井 あれはもう‥‥、たまんないです。

夏井 私も大好きな句ですけど、これを「たまんない」と言えるあなたは、もう俳句を作るしかないです。

糸井 そうですか。

夏井 私がたしかまだ教員をやっていたころに、 この句が国語の教科書に載ったんです。

糸井 この句が教科書に載るって、いいですね。

夏井 それを載せたいとおっしゃった 大学の先生から相談を受けていたときも、私は絶対載せるべきだと思うと伝えたんですが、教科書を使い始めた現場の先生たちがその句を読んで、

その‥‥どう教えたらいいかわからないと。

糸井 ああ、はい。

夏井 この句についてどう教えるのが正解なのか、わからないから苦労しているという声がありました。私はいまだに「こういう句が必要だ」と強く言いたいんですけれど。

糸井 わからない先生は正直に、「私にはわからないけれど、君たちはもう覚えちゃっただろう。忘れないでいたら、それでいいよ」と言うくらいでも、この句が教科書に載っている意味がありますよね。

夏井 まさしく、そうなんです。無意識のうちに覚えてしまうっていうのも、俳句の力なんですよね。

糸井 短いから覚えやすいですしね。

夏井 無意識のうちに覚えていて、人生を何十年と過ごしていくうちのどこかで、ふと句を思い出す瞬間があるかもしれない。そのときに、この句の力が発揮されます。

糸井 どこかで、言葉は完全だと思われているところがありますけど、「言い足りないことのほうが多いんだよ」っていうことは、俳句をやっている人は感じながら生きているんだろうなと思います。

夏井 また俳句へのハードルがあがったのでは(笑)。

糸井 だから、和歌だったり俳句だったり、言い足りないことのほうが多いことを感じながら

言い足りないことを読んでいこうとする力というのは、すばらしいことだと思います。

夏井 私の教員根性が出てきてしまうんですけど。

糸井 聞きましょう(笑)。

夏井 大きなことを言うようですけど、 日本語を使える人みんなが本気で俳句をしてくださるようになったら、日本語の心というものが、恐ろしい勢いで耕されていくと信じてるんです。

糸井 はい。

夏井 私が目指しているのは1億2000万人総俳人計画で、なんでみんな俳句をやらないだろうって、ずっと思っています。

だから、高みにある文芸に祭り上げるだけでは、俳句のほんとうの力を発揮できない。

俳句を作る、読むっていう日々のトレーニングをみんなにしてもらうことで、自ずと言葉を扱う技術と筋肉がついてきます。

糸井 なるほど。トレーニングですか。

夏井 俳句は才能ではなくて筋トレだっていつも言うんですけど、とにかく作るトレーニングをし続けると否応なく筋肉がつきます。真面目に、コツコツじゃなくてもいいんです。

コンテストに出して賞金をもらうことを目当てにしてもいい。モチベーションがあると勝手に歯車が回りだして、自然と季語を覚えて、語彙が増えて、作るだけじゃなくて読むと、もっと楽しい。

糸井 読むときは、先生はどんなことを考えていますか?

夏井 どんな句でもひとまずは謙虚に、「この句のいいところはどこだろう」っていう姿勢で読むようにしています。

糸井 なるほど。

夏井 決まった良さはありません。一人ひとり違って、みんないい。認めることを日々練習するような感覚です。

糸井 身近に、常に褒めるきっかけがあるのはいいですね。褒めるクセがつくと思いますから。

夏井 まさにそうですね。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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