俳号


https://ameblo.jp/fufufu-mumble/entry-12403085911.html 【夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業 ♡】より

きょうも、「プレバト」のある日です。夏井いつき先生の添削は、本当に分かり易い。

まさに「プレバト」は、初心者にとっては、有難い俳句番組です。

番組のゲストが、?で (すみません)バラエティー番組化しているのは気になりますが、

バサッと大鉈を振るう添削ぶりは、何よりの魅力です。

そんな夏井先生の最新版の俳句の本、少し大げさなタイトルですが、本当に、世界一?わかりやすい俳句入門書でした。

1時間目 自分の俳号を考えよう     2時間目 俳句には二つの技がある

3時間目 「尻から俳句」で俳句デビュー  4時間目 「十二音日記」を書いてみよう

5時間目 完成した句をチェックしよう   6時間目 「切れ字」を使ってみよう

7時間目 季語を観察してみよう    8時間目 「一物仕立て」を仕分けしよう

最後の授業 句会に出てみよう

私にとっては、特に「尻から俳句」とか、「十二音日記」というのは確かに基礎トレーニングとしては大切な事だと感じました。

高浜虚子の本名は、「高浜清」。自分の俳号を作ると、そんな気分になるのも俳句マジックの一つかもしれません。

俳句における三種の神器は、ペンと、メモ用紙と、俳号なのだそうで、歳時記は、その後でもいいのだそうです。

指で〇(まる)作りてわらう星月夜  ―夏井いつき―という自らの句を挙げて、俳句には、ルールは一切なし、 ♪ や ♡ や ☆ などの記号、アルファベット 何でもあり 

という自由な考えも、魅力です。

・・・・・・・

素直であることが学びの近道この終わりの言葉は、全てに通じる大切な要素かもしれません。この入門書に続いて、中級、上級へとこの授業は続きそうです。難しくなっていくのでしょうが、楽しみです。


https://sectpoclit.com/kanshi-3/ 【男なのに、なぜ「虚子」「秋櫻子」「誓子」?】より

 予定通りなら、11月16日(水)22:00から、NHK「歴史探偵」で正岡子規が特集され、スタジオで私が解説をした映像が流されるはずである。司会は俳優の佐藤二朗さん。この連載で俳号の問題を考えているので、ふといい俳号を思いついてしまった。「二朧」。名前をもじるのは、俳号ではよくある手である。

 高浜清は「虚子」、山口新比古(ちかひこ)は「誓子」、そして高橋行雄は「鷹羽狩行」。俳はふざけ、ユーモアの意味だから、平凡な名前を逆手にとるのである。「「二つの朧」って何?」と聞かれれば、この名前、一見カッコイイが、実は二朗さん、目が細くって表情が「朧」だし、お酒好きなので頭の中も時々「朧」だから、という落ちがつくわけである。

 しかし、「虚子」「秋櫻子」「誓子」って、女性でもないのに、なんで「子」をつけるの?という、漢詩文の文化から遠ざかった現代人には当然の疑問が沸き起こってくる。実は漢文世界では、「子(シ)」は、学問・人格のすぐれた者の名に付ける敬称だった。「孔子」「老子」「朱子」と言った中国の影響力の大きかった学問を修めた人たちを想起すればよい。「虚子」以下の俳号は、これのパロディーなのである。

   姓名は何子が号は案山子哉   蕪村

 立派な学問などやらず、俳句の遊びに熱中している人間が、「子」を名乗る滑稽こそ俳句のセンスである。俳句雑誌『ホトトギス』に連載された『吾輩は猫である』の登場人物など、漱石自身を当て込んだ苦沙弥先生、美学者迷亭等々、主治医で哲学者の甘木先生は縦書きにすれば某先生と読める。権威のある号の世界を、反転した可笑しさに溢れるが、反転は反逆ではない。

 俳句仲間も、孔子の弟子たち同様、賢人サークルの匂いがする。子規の句会は、漢学書生風に参加者は平等に互選を行い、句と選について議論を行った。兄貴分の子規も「先生」とは呼ばず、「君」に近い感覚で「子規子」と呼んだ。はては『論語』のような真理の書物を、大学のゼミよろしく読んで議論する「会読」の方法まで俳句に持ち込み、「蕪村句集講義」という座談会を、「ホトトギス」で連載している。「子」は、漢詩文世界の同好の士の感覚を根底に持ちつつ戯れた呼び名だったのである。

 二三子や時雨るる心親しめり    虚子

 二三子や時雨るる心親しめりと   京極杞陽

「二三子」の出典は、『論語』述而の「子曰く、二三子我を以て隠せりと為すか。吾は隠す無きのみ。吾行うとして与(とも)にせざる者無し。是れ丘なり」によるのだろう。かいつまんで言えばこうである。孔子先生がおっしゃった、「あなたたちは私が(学問について)隠しごとをしているというのですか。私は隠すことなどない。私にはあなたたちと共に行わないことなどありません。それが私なのだ。――孔子も、子規子も、虚子も共に学ぶ仲間なのだ。

【執筆者プロフィール】

井上泰至(いのうえ・やすし)

1961年、京都市生まれ。上智大学文学部国文学科卒業。同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。現在、防衛大学校教授。著書に『子規の内なる江戸 俳句革新というドラマ』(角川学芸出版、2011年)、『近代俳句の誕生ーー子規から虚子へ』(日本伝統俳句協会、2015年)、『俳句のルール』(編著、笠間書院、2017年)、『正岡子規ーー俳句あり則ち日本文学あり』(ミネルヴァ書房、2020年)、『俳句がよくわかる文法講座: 詠む・読むためのヒント』(共著、文学通信、2022年)、『山本健吉ーー芸術の発達は不断の個性の消滅』(ミネルヴァ書房、2022年)など。


https://1000ya.isis.ne.jp/0517.html 【紀田順一郎 ペンネームの由来事典】より

東京堂出版 2001

 ぼくの俳号は「玄月」という。

 渋谷のブロックハウスで何人もと共同生活をしているころ、まりの・るうにいと謀って中井英夫・長新太・鎌田東二・楠田枝里子・山尾悠子・荒俣宏・南伸坊・羽良多平吉らと「ジャパン・ルナソサエティ」を満月の夜に催していたのだが、それがときどき趣向の句会になって、ある例会の夜に残念ながら小雨が降ったので、それならと、その見えない月に因んで玄月とつけた。玄とは黒よりも濃いという意味である。

 ぼくが玄月とつけたことで、その後、スタッフと句会を遊ぶときに「ぼくも、わたしも」ということになって、半ば冗談のように、陸続と月めいた俳号が生まれた。花月・半月・三月・六月・残月・楽月まではよかったが、そのうち餡月・さっき・でっき・疼というふうになってしまった。さっきは皐月をもじったもの、疼は卯月がこんな文字になってしまった。

 それから20年、「未詳倶楽部」を主宰することになって、ふと、この倶楽部に入ったメンバーには全員に俳号を贈ってみようということにした。切羽詰まってから行動をおこす大阪のプランナー荒木雪破、つねに仕事やりかけ先生の中川途中、破門をおそれずふるまいたい銀行家の山田破文、風に吹きとばされそうに痩せている柿本茶柱、日本の米を憂いているわりにいいかげんな経済同友会の太田滴稲、蕪村に憧れているが武張りすぎている久我武村、音響機器のパイオニアで音の研究開発ばかりしている橋本耳窓など、傑作も多いが、昏名・迷名も多い。なかにはやはり月に因みたいという会員がいて、そのうち四人一緒に申し込んできた「仲良し仔好し」そのまま仲月・良月・仔月・好月となった。

 筆名、画号、俳号、雅号、芸名には、何か人を誘いこむものがある。怪しいものもある。竹久夢二は茂次郎が本名だが、はたして竹久茂次郎であんなに人気が出たかどうか。夢枕獏はそのものずばりのものすごい名だが、本名は米山峰夫さんという。こうなると本名のほうがおかしく見える。

 夢のようなタカラヅカ式のペンネームばかりが採用されるわけではなく、しばしば自嘲気味につけられることも多い。正岡子規は血を吐くホトトギスから子規に至ったし、漱石は「石に枕し流れに漱がん」を「石に漱ぎ流れに枕す」と言いまちがえたミステイクの故事を採った。異様な響きや綴りによって人を寄せつけないということもある。長谷川辰之助こと二葉亭四迷はいかにも明治文人ふうではあるが、「くたばってしまえ」から採ったし、木下竜夫が本名の推理作家は筆名を考えつく日が暑すぎて大下宇陀児になった。北斎など二十をこえる画号を変遷させた。

 だいたい本名というもの、自分が好きでつけたわけではない。気がついたらこんな姓名をもっていた。どうも字面が気にいらないこともあるし、結婚して別の姓がついてみると、そぐわなくなったということもある。とくに文筆を志す者は文字を相手に仕事をするわけだから、作品のタイトルと自分の名前が一対になったときのことが気になる。俳号はもっと甚だしく、一句ずつに俳号がつくこともあるため(連歌連句の名残り)、大半が俳号をつける。

 ぼくが好きなのは鬼才長谷川海太郎が使い分けた3つのペンネームで、『丹下左膳』のときは林不忘、メリケンジャップもののときは谷譲次、女性ものや犯罪ノンフィクションは牧逸馬で通したというもので、これは本名を含めていずれも傑作だった。コンテンツとネームがぴったり合っていた。佐渡の相川に生まれた忘れ難い作家で(北一輝もそうだったが)、『一人三人全集』などというタイトルの全集が出たのは、この人くらいだろう。

 ぼく自身はペンネームはもっていない。もっていないのだが、ときにおうじて作ってきた。『遊』創刊号では高田又三郎、西山徳之助、尾ケ瀬孫一のいずれもがぼくのことで、尾ケ瀬孫一はまつおかせいごおのアナグラムだった。

 その後も『遊』ではときに北村孝四郎になったり、木谷三千子になったり丘魔伽奈になったりした。丘魔伽奈は中野美代子をして、このオカマカナっていうのはすごいと言わしめ、北村孝四郎にいたっては長きにわたって実在が信じられていた若者で、いくつもの雑誌や週刊誌の編集者から「これからは北村孝四郎の時代だ」と噂された。こうなると、正体をあかす機会がそびれるもので、数年前にそのことを『半巡通信』でつつましくリークするまで、ぼくもほったらかしにしておいた。

 ついでながら「松岡正剛」という名前は、どうみても堅すぎるとおもっている。だいたい「岡」がたった4文字のなかに二つも入っている。そこんとこ、両親は検討しなかったのかと文句を言いたくなるが、お察しのとおり、正剛は中野正剛から父が採った名で、妹は敬子といって、原敬から採った。中野正剛も原敬も暗殺された人物の名で、これはなんとひどい命名をするのかとおもったが、父の言い分としては「人から暗殺されるほどの宿命を背負ったほうがいい」ということらしい。きっと三人目が生まれていたら多喜二に、四人目は栄とか稲次郎になっていたにちがいない。

 本書は説明するまでもない。日本の近代作家たちがどのようにペンネームをつけたのかの由来だけを綴ったもので、こういう仕事を淡々と次々にこなすのが紀田順一郎さんの手腕なのである。

 紀田さんの仕事は、かつてはそれにふさわしい言葉がなかったほど多面的なのだが、いまならまさにマルチメディアライクなメディア領域に向けて何を書けばいいかという執筆活動を開拓した先陣の人というべきで、荒俣宏君を世にひっぱりだしたのも紀田さんの炯眼だった。慶応大学の経済学部の出身だが、専門は書物論やメディア論である。かつてならこういう仕事は寿岳文章が開拓していたものだったが、紀田さんが登場してからその領域が格段に広大になっていった。

 最近、ジャストシステム社からたてつづけに刊行された『日本博覧人物史』『日本語大博物館』『日本語発掘図鑑』『図鑑日本語の近代史』は、もっと注目され評判になってよかった。

 その紀田順一郎も実はペンネームなのである。本名は佐藤俊。学生時代に愛読したきだ・みのるから紀田を、やはり熱烈なファンであった谷崎潤一郎から順一郎をつくったという。諸兄諸姉は、自分をどう筆名するだろうか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000