芸術は長く、人生は短し。されど多くの俳人と俳句は、死後に忘れられてゆく。
評論の究極の使命は優れた俳人・作品を後世に伝えることである。
Facebok名言・格言・いい言葉 濱咲知徳 さん投稿記事さん ·
人の死は二度ある。
最初の死は肉体の死。でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続ける。
最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。 永 六輔
ご冥福をお祈りいたします 和み不具合中(・_・、)ナントカ…@nagomu_toki
別れはいつも突然で 悲しみで溢れ やり切れない
当たり前に居てくれると 思いこんでた 幼い日々からある 心の片隅の 数々のタカラモノ
思い起こす 笑うって幸せだ 同じ時代に 出逢った奇跡に感謝して 心からありがとう
誰もの心にも #だいじょうぶだぁ 永遠に心に生き続ける #志村けん #日本の宝
Facebok田中 宏明さん投稿記事
あっ! やめて、命くん!いつも急に話しだすの 迷惑なんだから!
あっ!あっ。あ〜っ。あかんわ〜。
○
美しいものを 探して世界を 旅する人がいる 理想的な 人生を求めて旅する人がいる
ただ心の平安を求めて旅する人がいる 何を求めるにせよ 全ての旅人は いつかそこに
辿り着くために歩き続けるわけだ
旅人には目的地が必要だからね 無目的な旅でさえ 無目的である事が 目的になる
旅人にとっては 歩き続けることが 全てなのだから
そこで とても素朴な 疑問がある もし旅人が 目的地に着いた時 彼らはどうする
のだろうか 究極の美しさを見つけて 理想的な人生を見つけて 心の平安を見つけた時
彼らはどこに行くの だろう? 何しろ 目的は果たされてしまったのだから
彼らはもうさすらうことは 出来ないし どこかに 向かって行く ことは出来ない
彼らの旅は終わった そうだろうか? おそらく彼らは 三日もすると 旅人に戻ってしまう
だろうね 何故かって? 美しさは変わらないし 理想的な環境も変わらない 心の平安も確かに感じた それなのに何故? 当然の質問だ
彼らは何故また 旅に出るのか それはとても 簡単な理由だ 彼ら自身が変化するからだ
彼ら自身の心が常に 動き続けているからだ だから時間と共に 全てに飽きてしまう
全てに慣れてしまう だからまた 目的地を探し始める ここではなかったと ここにはなかったと 言ってね だから どこまで行っても 彼らは永遠に満たされない 目的地というのは 幻だからだ ではリアリティは どこにあるのか 決して変わらない ものはどこにあるのか? 唯一のリアリティは 彼ら自身の 踏み出した その一歩の中にある
大地に触れた その瞬間の感覚の 中にある 額の汗を拭うときの 手が触れた感覚の中に
乾いた喉に染み込む 水の感覚の中にある
わかるかな? ただ立ち現れる その瞬間、瞬間だけが リアリティなんだよ
後のことは 全て幻だ 目的地も 変化する心も 辿り着こうとすることも 移ろっていくもの それらは全て幻だ そして それに気づいた時 それが 旅の終わりなんだよ
長い長い旅の本当の 目的地は 遠いどこかではなく 彼ら自身の 気づきの中に あったのだから わかるかな? 今この瞬間にいる時だけ 人は目的地を忘れる ことが出来る
人生で最も大切な ことは いつかどこかにいる 理想の自分を 探し求めること
それ、そのものが 苦しみの実態なのだと 気づけるか どうかなんだ
だから 深刻な人生の旅を 続けるのなら 決して足元に気づいては いけない
目線は遠い目的地という 未来に向けて いなければならない 決して今この瞬間を生きてはならない くれぐれも 今ここの一歩に 気づかないように しなければならない
それが旅を楽しむ唯一の秘訣なのだから わかるかな?それでも旅はいつか終わらなければ
ならないんだよ 足元を見つめてごらん はじまりと終わりは 同じ場所にあるのだよ
それに気づいた時 そこに過去から継続している あなたはいない 消えてしまう
そこにいるのは 過去にも未来にも 属していない 今この瞬間に 躍動している ただ純粋な命なのだよ そして今もまさに あなたはそれだ
あまりにも 近すぎて 見えないだけなんだよ 猫を見てごらん 自分を猫だなんて 思ってもいない 木を見てごらん 自分を木だなんて 思ってもいない
この世界で 自分という意識を 持って 自分を定義して いるのは 人間だけだ
そこには「自分」が生きているという強い感覚が生まれる そして他人が生まれて それがあなたを孤独にする
猫はただ生きている 全てに任せている 腹が減ったら食べて 眠くなれば寝る
木はただ生きている 天からの雨によって 太陽の光りによって どちらも起こることに
任せるだけで 何もしていない 食べものを 探すということも そう起こる感覚の ままに生きて いるだけだ それが地球に住む 人間以外の 全ての存在のやり方だ
わかるかな?苦しみが生まれる 余地はどこにもない 人間という 思い込みを外しなさい
命に戻りなさい 野原を駆けまわる 幼な子のように かつてのあなた自身に戻りなさい
○
いきなり 話し出して すいません なんか どうもそうらしいです(笑)
今日はちょっと語り口が 固いですね! いやーしかし 命くんも中々いい事 言ってますね^_^ えー、まー、 はい!以上です(笑) ご静聴ありがとうございました😁✨🌈
良いGWを🛥🪐
Facebok相田 公弘さん投稿記事
羽田発、沖縄行きの機内でポーンと軽快な音がして、シートベルト着用のサインが消えた。
窓側に座った妻・友里は、待ちかねたようにバッグの中から写真を二枚、取り出した。
光穂(みつほ)と真(しん)の写真だ。
「光穂、真ちゃん。ほら、もう雲の上まで来たよ。飛行機に乗ってるんだよ。見える?」
目に涙をいっぱいためた妻が、小さな声で二人に語りかける。
妻はあの日以来、全く笑わなくなってしまった。1年前の3月11日。
津波は、私と妻の大事なものばかり奪っていった。
家はもちろん、しっかり者の母、穏やかな祖母、そして二人のかわいい子どもたち。
私たち夫婦はあの日から抜け殻のようになってしまった。
たくさんのものがぽっかり抜け落ちた状態に耐え切れず、「みんなのところに行こう」と言い出したのはどちらだったか、覚えていない。
みんなのところへ行く前に、せめて子どもたちとの約束だけは果たそうと、私たちは沖縄行きを決めた…。
私たちは、海沿いの町から車で30分ほど走った商店街の一角でパン屋をしていた。
夫婦二人でもやっていけるほどの小さな店で、焼きたてのメロンパンと、妻が改良に改良を重ねたラスクが人気だった。
私と妻は毎朝、光穂や真が寝ている間に家を出ていた。母と祖母がいるから、安心して子どもたちを任せられたのだ。それに、朝は早いけれど、仕込みさえ終われば遅くない時間に帰ることができるから、子どもたちと触れ合う時間もちゃん取ることができる。
ある日、売れ残ったパンを手に玄関のドアを開けると、バタバタと子どもたちが走ってきた。
5歳の娘と3歳の息子がいつものように、「パパ、ママ、あのね…」と口々に話し始める。
私は光穂と一緒にリビングへ行った。「ね…、パパ。スカイタイムって知ってる?」
「スカイタイム?」私は首を捻った。「タイムっていうとハーブかな?」「ちがーう」
「ええ?なんだろうースカイだから…空に関係してる?」「ちょっとせいかーい」
「あのね、飲み物なんだよ。美味しいジュース!」「へえ、新しいジュースが出たのか。幼稚園で飲んだの?」ううん、と光穂は首を振った。
「スーパーとかには売ってないの。飛行機に乗ったら飲めるんだって、リオちゃんが」
リオちゃんというのは、光穂の一番仲のいい友だちだ。
「へえ。じゃあ、リオちゃん、飛行機に乗ったんだ?」
「うん、沖縄に行ったんだって。そのときに、飛行機の中で飲んだスカイタイムっていうジュースが、とっても美味しかったって言ってた。ね、パパ。光穂も飲んでみたい。飛行機、乗ろうよ」「ジュースを飲むために飛行機ねぇ」私が苦笑したとき、妻が真を連れて戻って来た。
「あら、何の話?」「よし、じゃあ、今年の夏休みは沖縄に行くか!」と大声で叫んだ。
毎年、お盆には店を休んで家族で旅行をしている。「本当?やったぁ」と光穂が飛び上がって喜んだ。そして、キョトンとしている弟に、「真、飛行機乗れるんだよ!スカイタイム、飲めるよ!」と言ってぎゅっと抱きしめた。
「え、飛行機?乗れるの?やったぁ!ぼくはね、コーラ、コーラがいいの!」息子は特別な日にしか飲ませてもらえないコーラが大好きだ。
「お客さま、お飲み物はいかがいたしましょうか」
そっと声をかけられ、私は妻の頭ごしに見ていた雲海から機内へ目を戻した。
窓に顔を貼り付けるようにしていた妻がポツリと「スカイタイム」と呟いた。「スカイタイムと…コーラを」きっと真ならそう頼んだだろうから。
益田という名札をつけたCAさんが、妻のテーブルにスカイタイムを、私のテーブルにコーラの入った紙コップを置いた。
そして、スカイタイムの入った紙コップを更に二つテーブルに置いた。
不思議に思い、顔を上げると、彼女は「お子さまの分もと思いまして…よろしければ、どうぞ」と微笑んだ。妻が手にしている二枚の写真が見えていたらしい。
初めて飲むスカイタイムは爽やかな、柑橘系の味だった。「スカイタイム、美味しかったです」「ありがとうございます」感じのいい笑顔に、私はつい、「娘が、幼稚園の友だちからスカイタイムというジュースがすごく美味しいって聞いてきましてね。飲みたがっていたものですから、じゃあ、夏休みに飲みに行こうねって約束してたんたんです」と言った。
過去形で話している自分に気付いて、私は口をつぐんだ。そうだ、子どもたちの話はもう、過去形でしか話せないのだ。
永遠に。
「二人とも、去年の震災で」ぽつんと呟くと、「それはざそかし…」と彼女は言葉を飲み込んだ。そして、通路にそっとしゃがむと、私と視線を合わせた。
「お子さんのお名前、なんとおっしゃるんですか?」「幼稚園っておっしゃっていましたけれど、光穂ちゃんが…?」「ええ、そうです、5歳の年中さんで」「じゃあ、真ちゃんは」
「3歳でした」気がつけば、私は益田さんに子どもたちの話をたくさんしていた。
思い出すと辛くて、眠れなくなるほど苦しくなる子どもたちのことを、こうして楽しそうに話す自分が不思議でたまらなかった。
益田さんに釣られたわけではないけれど、現在形で子どもたちのことを話すと、まだ二人が生きているようにも思えてくる。
そう言うと、益田さんは優しく微笑んだ。
「だって、光穂ちゃんも真ちゃんも、お父さんとお母さんの中で生きておられるから」
私はハッと彼女の顔を見つめた。いまのいままで、そんなふうに考えたことがなかった。
そんなふうに考えられる余裕がなかった。益田さんは、手にしていた小さな紙袋を私に手渡した。「これ、光穂ちゃんと真ちゃんに。どうぞ」中を覗くと、クリアファイルやシールやボールペン、そして、かわいらしくラッピングされたキャンディの袋が二人分、入っていた。
子供用のノベルティらしい。
「光穂ちゃんと真ちゃんのご搭乗記念です」と益田さんが微笑む。
「光穂。真。飛行機に乗れて、本当によかったね」妻は二人にそうささやくと、写真をそっと紙袋の中へ入れた。まるで光穂と真がグッズを嬉しそうに抱きしめているようだった。
一番最後に飛行機を降りた私は、見送りをしてくれている益田さんに両手を差し出した。
優しく握り返してくれた彼女に言う。
「ありがとうございました。子どもたちとの約束を果たすことができました」
「よかったですね」と頷いた益田さんは、労わるような目で私を見つめた。「次回のご搭乗をお待ちしております」
この旅行が済んだら二人の下へ行こうとしていた私は一瞬、躊躇したけれど、「ええ、是非」と頷いた。
この1年間、生きる気力を失い、自分の殻に閉じこもりがちだった妻が、涙をこぼしながら、それでも笑顔で益田さんとしっかり目を合わせていた。
沖縄は快晴だった。ホテルにチェックインした私は、「これで光穂と真との約束、果たせたね」と妻に笑いかけた。「それで…どうする?」
この旅行が終わったら、子どもたちとの約束を果たしたら、後を追うつもりだった。
久しぶりの旅行で疲労の見える妻は、それでも家を発ったときよりもはるかに生気に満ちた顔で、首をゆっくり横に振った。
「やめておきましょう。だって、私たちがいなくなったら、誰があの子たちの話をするの?」
妻は自分の胸に手を当てた。「ここに生きているあの子たちを、消すわけにはいかないもの」
【人の心に灯をともす】
https://www.facebook.com/hitonokokoroより
2万人以上の死者と行方不明者を出した東北大震災…いまだに、海岸沿いには大きな傷あとが残る。言葉に出せぬほど、悲しいできごとが多くあった。
だが、それらを乗り越え、歯を食いしばって、凛として生きている人たちがいる。
思いやり、温かさ、そして、生きる勇気…心に深く刻み付けたい。
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