https://rm-navi.com/search/item/220 【「津波てんでんこ」を正しく理解しよう~災害に強い組織づくりへの第一歩~】より
「津波てんでんこ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「津波てんでんこ」とは、「津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」(岩手県HPより)という津波襲来時の避難に関する三陸地方の言い伝えである。2011年3月に発生した東日本大震災にて、従来から津波防災教育を受けていた岩手県釜石市の小中学生が、この「津波てんでんこ」の教えを実践した。これにより、多くの命が助かった事例は「釜石の奇跡」として大々的にメディアに取り上げられた。その一方で、「津波てんでんこ」は、その注目度の高さ故、言葉がひとり歩きした結果、「自分だけが助かればよい」という意味で誤解され、「利己的で薄情である」と批判された事例も見受けられる。津波被害から身を守り、災害に強い組織づくりをするためにも、まず「津波てんでんこ」という言葉の意味を正しく理解する必要がある。
京都大学の矢守克也教授は、「津波てんでんこ」は4つの意味・機能を多面的に織り込んだ重層的な用語であることを述べている(2012年)。
1つ目は、「自助原則の強調」である。「自分の命は自分で守る」という考え方は重要だとされている。しかし、単純に津波避難における「自助」の重要性にとどまるものではなく、自己責任の原則だけを強調するものではないことに注意が必要である。
2つ目は、「他者避難の促進」である。避難する姿が目撃者にとっての避難のきっかけとなり、結果的に他者の避難行動を促す仕掛けとなる。
3つ目は、「相互信頼の事前醸成」である。「津波襲来時はお互いに"てんでんこ"する。」という行動を、事前に周囲の他者と約束する。この信頼関係が共有されていれば、「てんでんこ」の有効性が飛躍的に向上する。
4つ目は、「生存者の自責感の低減」である。被災時には、津波で命を落とした他者に対して自責的感情に苛まれやすい。しかし、事前に他者と「てんでんこ」を約束しておくことで、「亡くなった人も"てんでんこ"した(しようとした)にも関わらず、それも及ばず犠牲になった」と考え、生存者の自責的感情を低減する可能性がある。
この4つの意味・機能より、「津波てんでんこ」という言葉には、自助だけでなく、共助の重要性を強調する要素が含まれている。加えて、一刻を争う津波避難時の行動原則だけでなく、事前の社会のあり方や事後の人の心の回復等にも大きな意味を持つものである。
東洋大学の及川康教授は、「津波てんでんこ」という言葉に対する考えを認識度別に調査した。その結果、「津波てんでんこ」に対する真の理解を得るためには、一義的・表面的な原義を提示するのみでは不十分で、適切な解説・解釈がなされる必要があることを示唆した(2017年)。
「津波てんでんこ」という1つの言葉から学ぶべきことは非常に多い。災害に強い組織を作るためにも、東日本大震災をはじめとした過去の災害を振り返り、1つの言葉をテーマに皆さんで深い議論を重ねてみてはどうだろうか。
facebook玉井 昭彦さん投稿記事
「てんでんこ」親族が集まっている今だから、話し合いを。
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「南海トラフ地震」3震源域が時間差で動いたら…必要な“心のための備え”話し合いを
和歌山県で震度5弱の揺れを観測する大きな地震が昨年12月にありました。世間で危惧されている「南海トラフ巨大地震」の前触れではないかと心配になった人もいるのではないでしょうか。
この地震と南海トラフ巨大地震との関係性の分析は地震学者に任せることにして、筆者は心理学者の立場から、今心配されている南海トラフ巨大地震がどのようなパターンで起き得るのか、想定されているいくつかのパターンによって、私たちにどんな影響がありそうで、今何ができるかということを考えてみたいと思います。
「正月早々、地震の話か」といった声も聞こえてきそうですが、地震は当然ながら、時期を選びません。また、家族が集まりやすいこの時期だからこそ、知っておき、話し合っておいてほしいことがあるのです。
巨大地震は1回とは限らない
南海トラフ巨大地震は、東は駿河湾、西は四国沖までの区間の海洋プレートの沈み込みが作るゆがみに、日本列島が乗っている大陸プレートが耐えられなくなって跳ね返ることによって起こります。跳ね返る場所が海底なので、津波も起こります。
津波の範囲はとても広く、日本の人口密集地である太平洋南岸、つまり、大阪、名古屋などの大都市を含む地域で発生するので、甚大な被害が予測されています。海洋プレートはずっと動いているので、大地震は定期的に起こり、過去のサイクルを見ると、そろそろ、次が起きるのではないかと言われています。と、ここまでは多くの人がよく知ることかと思います。
しかし、南海トラフ巨大地震の震源域は実は1つではなく、大ざっぱに言って、「東海」「東南海」「南海」という3つのエリアに別れています。「大ざっぱ」と書いたのは、最近はさらに細分化する研究者も出てきているからですが、シンプルに考えるために、ここでは3つのまま、話を進めましょう。
これらの3つの震源域は一緒に動くのでしょうか。現代科学が出せる答えは「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という曖昧なものです。この地域では、100年から200年程度の周期で大きな地震が繰り返されていますので、過去の事例を見てみましょう。
直近の昭和では、1944年に東南海で、1946年に南海で、それぞれ地震が起きています。つまり、2つの地震の間には「2年の開き」がありました。その前の安政では12月23日に東海で、12月24日に南海で、それぞれ地震が起きています。つまり、2つの地震の間には「1日(正確には約30時間)の開き」がありました。
さらに、その前の宝永では、東海、東南海、南海で同時に地震が起きています。もっと前になると、記録も怪しくなってくるようなので、このくらいにしておきますが、過去3回の地震だけでも全然違う形で起きていることがわかります。
さて、東海、東南海、南海全部が同時に動いた場合、当然、地震の規模は最も大きくなります。範囲も広いので、一度に受ける被害も最大級のものになるでしょう。これはこれで困った事態で、起きないでくれれば、それに越したことはないのですが、地震の後のことを考えると、このパターンが実は、精神的には最も楽なのかもしれません。
どこか1カ所だけが動いた場合、そこだけ、プレートのストレスが開放されて、建物で言えば、柱の1本がなくなったような状態になります。そのため、近いうちに高い確率で、ほかのどこかでも地震が起きます。しかし、その「近いうち」が一体いつなのかは、あまり正確には予測できません。
安政のときのように次の日なのか、昭和のときのように2年後なのか、地球規模の時間の流れの中で見れば、こんなのは誤差の範囲ですが、われわれ人間に取っては大問題です。明日、確実に来るなら、次の日は学校も会社も全部休みにして、みんな、安全な場所で机の下にでも隠れていれば、被害を減らせるのは間違いありませんが、「明日かもしれないし、2年後かもしれない」と言われたらどうしたらよいのでしょうか。
「そのとき、どうする?」 家族で話し合いを
現在、コロナ禍が2年ほど続いていて、その実体験からも分かる通り、そんなに長く、学業や経済を止めるわけにはいきません。しかし、いつ来るとも知れない特大の地震の恐怖におびえながら生活し、経済活動を続けていくことは相当なストレスです。
前回の昭和の頃には、このような時間差のことは十分に知られていなかったので、1946年に被災した人たちはその瞬間までは、ストレスフリーに暮らせていたのではないかと思いますが今度はそうはいきません。それに、無事に2年が過ぎたら安心かというとそんなこともありません。過去のデータが少なすぎるので、「3年後」とか「5年後」のようなパターンもないとは言い切れません。
では、どうすればよいのかという答えは、実は私にもよく分かりません。ただし、全部の震源域が同時に動いた場合を除いては、これまでの一般的な地震に対する備えとは別の形の備え、とりわけ、「心のための備え」が必要なことは間違いなさそうです。例えば、「地震のときにどうするか」を家族で共有しておくことは、一般的な地震への備えとしても大切ですが、大津波が想定される大地震への備えとしては特に重要です。そして、「心のための備え」にもなり得ると思います。
東日本大震災で注目された「津波てんでんこ」という言葉があります。大きな地震が起きたら、取りあえず、人のことは気にせず、てんでんばらばらに逃げて、自分の身を守ろうという意味です。家族全員がこれを徹底して高台へ避難すれば、また生きて会える確率が高まります。
「津波てんでんこ」は東北地方の言い伝えですが、南海トラフ巨大地震が想定される地域にも共通することでしょう。正月、ご家族が集まっているのであれば、自分たちの家や学校の近くで避難できる場所はどこなのか、その後、どこで落ち合えるのか、話し合っておく格好の機会です。
これはほんの一例です。いつ、どんな形かは分かりませんが、間もなく、次の地震が確実にやってきます。今回は南海トラフ巨大地震について主に話してきましたが、内閣府が12月21日に発表したように、北海道から東北の太平洋沖でも再び、大地震が起きる恐れはあります。皆さんもぜひ、そのときに向けた備えを、そして、南海トラフの場合は全部がいっぺんに動かなかった場合、どうやって、ストレスから心を守るかも考えて、ご家族で話し合ってみてください。
(1月1日名古屋大学未来社会創造機構特任准教授 島崎敢)
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