知情意とシュタイナーの12感覚

Facebook石川 眞樹夫さん投稿記事

「言葉ではなく、行いにより、實(果実)により判断しなさい」(知情意とシュタイナーの12感覚)

久しぶりに「ひとりごと」のように書いてみます。以前、楽天ブログで「レメディ医者のひとりごと」を書いていた時の書き方です。

書いておくべき事が多いので随筆風のメモとして書いておきます。(ひとりごとですので本人以外には100%は理解出来ない事柄を書いています。暇な方だけにご一読をお勧めします。何かの参考になるかもしれません。)

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「言葉」は知で、「行い」は情で、「實」は世界、その人が作り上げた人間関係や結実のことです。

「行いが情」です。なぜなら、肉体を動かしているのがウニヒピリだからです。

私は子どものころからエンタープライズ号のバルカン星人(バルタン星人ではありません)「Mr.スポック」に憧れていました。

父親から「眞樹夫、お前は私の脳と知性を受け継いでいる。天才の子は天才だ。何も心配はない。」「せめて日本一の医者にはなりなさい。」と、事ある毎に言われていたからです。小さい頃から素直な子でしたし、父親を心から尊敬していましたので当然、天才として生きようと思いました。そうか、日本一の医者にならなれるんだ、と納得していました。ですから、中学の数学テストで、いきなり4点(40点でも64点でもなくただの4点でした)をとっても、高校3年間、虚数計算を専門とする担任の先生から、「眞樹夫は文系が得意なんだから国語の教師をめざせば確実なんだがなー」と言われ続けても、私の医者になる、当然なれるという気持ちはまったく揺らぎませんでした。(中学2年生の時には、白衣を着て仕事をしている未来の自分のビジョンも何度も見ていました) 

今でも父の存在と父の言葉には感謝しています。ただ、不思議だったのは、どんなに論理的に考えて物事を判断して計画を立てても、決してそれを実行に移すことが出来ない生活が、小さい頃からついてまわっていたことです。

私が私生児として生まれたことも、本当の天才の一人だった父からしても、計画外だったようです。父は、私の母に私を生ませる時に、「あなたが私の子どもを産んでくれたら、内縁の妻とは別れてあなたと一緒になる」と言って、当時既にお見合いをして、意中の人が居た母を口説き落としました。

父親は当時としてはめずらしいほど洗練された大正モダンの紳士でしたし、私が見ても「美しい」としか言えないほどの美形でしたので、その父にそこまで言われては、母も口説き落とされざるをえなかったのだと思います。

その上、父は本当に優しい人でした。私は父からは色々な機会に論理的な説明や説得は受けましたが、ただの1度も怒鳴られたことも、罵倒されたこともありません。私がいけないことをすると、父はだまってその行為を繰り返すことが出来ないように私の環境を変えてしまう人でした。

亀を裏返しにして遊んでいたら、数日後にはその亀がいなくなりました。父が哀れに思って亀さんを池に放したのだと後で聞きましたが、私としては「亀さん逃げちゃった」と思っていました。それから、犬を愛する人でした。本当にずーと犬を飼い続けていました。ただし、すべての犬の名前がコロでした。犬種がちがっても父にとってはすべての犬がコロでした。どうしてだったのかはいまだにわかりません。父には犬が集合魂による存在だとわかっていたのかもしれないと、今は思っています。

…中略…

人は口では色々な事を言いますが、人間を構成する知情意の中で、知性は今のところこの世界では、もっとも非力な構成要素です。これに対して、感情はかなり強力で、個人の内側ではほぼ絶対的な権力をふるいますし、しばしば半径10mから30m程度のエリアの人々に直接の影響を及ぼしていることが誰にでもみてとれます。(もっと言うなら喜びや激しい苦しみの感情が地球の裏側からでも届くことは多くの人が既に経験していることでもあります。テレビやラジオがなくてもです。)

さらに意思や意志、あるいは肉体、物理的世界は、もっと明確に固く重い存在です。本当に、地球の裏側で生じた、分子と分子の衝突が、力の連鎖によって、数万キロ離れた場所で大きな自然災害や事故を引き起こすことさえあるでしょう。

この状況、つまり物質>感情>知性、である状態が、私達が普段五感でとらえている世界での知情意の出現様式です。アストラル界より上の世界では、この状態が逆転します。

つまり思惟(意志力ではなく意識のほうです)がより現実的で、感情は次に現実的、物質世界は、この世界の人々が感じる想像や夢のようです。地上の世界と天上の世界が1つになる時代が来れば、人間の知情意は、その各々がようやく同じ重さを持ち、1つになるでしょう。ここにもこの世とあの世が逆であることが現れています。これが「胡蝶の夢」の真実です。

私達が感覚チャンネルに施した呪縛を解いて、12感覚を全域で使用した時には三千世界が見えるようになり、ついにはすべてが消えます。(境界が消えます)

シュタイナーは難しい言い方で説明していましたが、ひどく単純化して言うと、現在地球上で生きてゐるほとんどの人間はチャクラを7つまで数えれば充分な生活様式の中で生きています。つまり太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星に対応するチャクラです。

仏教でいう十界はこれに天王星、海王星、冥王星の生活領域を含んでいます。(その先にあるのがバルカン星です。さらにその先にあるのがアーカーシャ。これに太陽の中心の虚空間を加えた時に12感覚とついに全感覚が消える完全数13に対応する空である宇宙(超越神)が出現します。)

私は私の観念と記憶にある過去世で、エジプトで、ピラミッドと占星学を研究していた学者だったことがあります。(これはアロンアブラハムセンという透視能力者が私について語った事ですが、がすべて本当に「私が見た夢」だったと今は自分でわかっています。)

今生では、私は空の星ではなく人の肉体という名の宇宙で、惑星に相当する五臓六腑と六蔵、七臓を見つめてきました。シュタイナーが医者だったら、当然していたであろうことを、私なりにしています。

五臓+の二臟は、「脳」と「生殖器」です。合わせれば七臓になります。

脳の腑は、脳室と呼ばれ、男性の精巣と女性の卵巣にとっての腑は、子宮です。そして、人の肉体では、双子のような形の臓器が左右に離れているほど完成されている事がわかります。

つまり左右の腕、左右の脚、2つの眼球、などは極めて高度に発達した臓器で、一応左右別だけれども同じ袋の中でくっついている男性の精巣は、左右に距離を保って存在している女性の卵巣よりは不完全な臓器と言えます。

ただ、幸いにして、人間は男性と女性に、左と右に、別れていますので、この存在様式そのものは、かなり完成された形に近いのです。

同じように左右に分かれ目がありながら分かれていない肝臓は、左右が明瞭に別れている肺臓よりは未熟な臓器です。また、それぞれの臓器が、知情意に対応して3つに別れることが可能であり、それを最も明瞭に示しているのが脳です。

空間的には前頭葉、側頭葉、後頭葉、同時に時間的には皮質、間脳、脳幹と別れています。時間的な三層構造は人体のすべての組織で容易に見いだせますが、個別臓器についての三分節は、脳でもっとも明瞭です。

左右の肺では心臓の変異の影響もあって、右肺は上葉、中葉、下葉に分けられていますが、左肺ではこの三分節が不明瞭です。 何処かでこの話しを聞いたことのある人もいると思いますが、五臓はそれぞれが意識をもっています。

突き詰めて言えば、臓器1つ1つが神の神殿としての構造を有しています。精巣と脳を除いた五臓が重なった姿を象徴しているのが「五重塔」です。もちろん「五重塔」は世界中の経典と同じく、少なくとも三重以上の意味を同時に有していますので、五重塔が何なのかの解説は、解説する人とその解説を聞きたいと思う人の意識の共鳴と交叉の範囲で異なるものになります。

…中略… 医学の話しに聞こえるでしょうが、これは宇宙論の一部です。同時にとても具象的な医学の話しでもあります。

人の身体は神の神殿です。つまり神に形を与える偉大な宇宙空間そのものなのです。

ここで誤解せずに理解して欲しいのは、一人の人の身体だけが神殿なのではなく、私達人類や動物界、植物界、鉱物界、微細世界を含む全存在が神の身体を構成しているという事です。

いびつな身体や、欠けているようにみえる身体もそれと補いあうもう一つの身体とともに存在しています。個々人の身体内部の範囲に限定したとしても、これは少し訓練すれば認識できる構造です。

また、家族単位でも、社会単位でも、県や州の単位でも、国の単位でも、地上の五大陸の単位でも、全地球圏でも同じように言えます。

これをつきつめると、神様には限られた身体はなく、万物の中に神のすべてが宿っているというホログラフィーが理解され把握されるようになります。ホログラフィックメモリ(記憶)を使って描かれた神の自画像がこの宇宙だからです。

私達が空間と物体の境界と思い込んでいるものが、レンズの役目、あるいは鏡の役目を果たしています。つまりその境界面を境にして時間と空間が逆転し、物質界と霊界が入れ替わり、内と外が区別されますが、実は内側が外側であり、外側が内側だという聖なる催眠が効力を発揮する境界面、鏡面がこれです。(← シュタイナーはこれを説明するために私達の知性ともよばれている脳が鏡だと言いました。鏡は世界を映し出しながら、それ自身は変化せず、彼岸とこの世を分けます。

鏡の中では、左右が逆転し、光が入り込むことが出来ないという事もまた、鏡が靈界を象徴している事の物理的証左となっています。シュタイナーと同じ事を、私はここで説明しつつ述べています。

…中略…

私はアーノルドシュワルツネッガーが好きです。彼のボディビルダー時代のセミドキュメンタリー映画から最新の映画まで、ほぼすべての作品を見ています。彼はカリフォルニア州知事になってからまた俳優業にもどっていますが、彼が俳優業にもどったのは、政治で大きな事をする以上に、俳優業を通じて人々に勇気や笑顔を与える方が楽しかったからでしょう。

彼の意志力をもってすれば、彼が本当になりたかったならば、レーガン大統領よりもはるかに偉大な大統領になることも出来たはずです。言うまでもありませんがただ、彼がそれを望まなかっただけです。彼がどのように自分の若い日の肉体を作り上げたかをきちんと理解すれば、シュワルツネッガ−が、ただ先天的な体質だけによってミスターユニバースの座に君臨しつづけたのではないことがわかります。

言うまでもなく、世界一流のアスリートと同じく、かれは自分のイメージどおりに肉体をシェイプしたのです。彼のセミドキュメンタリー映画「アーノルド・シュワルツェネッガーの鋼鉄の男(パンピング・アイアン)」を観れば人が未来を作り上げるためのノウハウを学ぶ事が出来ます。

…中略…

シュワルツネッガ−を持ち出したのは、「この世界では形がすべて」だからです。「みたまんま」だということです。ただし、どのように見るかを、どう決めているかによって、一人一人が観ているものが異なります。同じ場所から同じ方向をみていても、見ないあるいは観ない、と決めたものは見えません。

私達が空としての自分を把握体感するには、12感覚に施した覆いを取り去る必要があります。何度でも言いますが、その覆いが「聖なる催眠」です。

私は子ども時代にMr.スポックに憧れたので、長い間、カーク船長の事を理解出来ませんでした。私にとってはスタートレックの主人公はカーク船長ではなくスポックでした。ドクは、医者仲間なのでとうてい主人公とは思えませんでした。もちろんキャスティング上もドクは脇役でした。

この世界で医学だ、医療だと言っている人も全体のストーリーの中では脇役に過ぎません。それを明瞭に示すためという隠された目的もあって、スタートレックでは、あんなキャスティングをしているのでしょう。

けれども、スポックが知で、カークが情、ドクが意志であるなら、結局、物質的なこの世界でもっとも現実的に効力を発揮するのはドクだということになります。(あくまで、この世界を物質的な存在だと誤解している人々にとっては、という限定的意味においてです。)

そして、地上を離れた宇宙船の中ではウニヒピリに相当するカークが船長になります。そして、宇宙船からも離脱した外宇宙では、ドクでもカークでもなく、意識の権化であるスポックでないと対応出来ない数多くの宇宙人が登場します。非常識に対応出来るのは変幻自在の意識だけだということも示唆されています。本当にエンタープライズの宇宙探査の物語は、良く出来た寓話です。

 人は無い物ねだりをしながら色々楽しみます。だからこそ、小さい時からウニヒピリととても仲良しで、木と話しをする少年だった私は、物理学や論理学、言語学、数学的な思考などと、医者という地上的な職業に同時に憧れたのです。

それらの特性、知にのみ依り頼む、あるいは即物的論理にだけ依存して世界を把握するという本質も、また現代のお医者さん達のように切ったり、何かを付け加えたり、投薬したりして人間の身体という宇宙に介入しようという意図も、本当は、私には最初から無かったのです。

人はなりたいものとして振る舞えばそれに成るという事、「行動心理学」の理論の一部を、私は中学生の時に心理学者の多湖輝先生の著作で学びました。その影響もあり、その時以後の私は、ともかく極力論理的に行動しようと心がけていました。今にして思えば、それも苦しみの原因でした。本当は人は自分以外の何者にもなる必要はないのですから。

私は私で、スポックはスポック、映画は映画、医者は医者だったのですが、テレビっ子だった私、父とともに暮らせなかったゆえに父に憧れていた私、は、子ども時代の木と話す少年のありかたを捨てて、頭を全開で使いながら、論理と模倣に基づいて医者になるという茨の道を進んでしまいました。(余談ですが色々な事や言葉で容易に深い催眠にかかる単純きわまりない私が暮らしている我が家には、この12年間テレビはありません。)

…中略…

ルドルフシュタイナーが述べた、

★12感覚★の解明:この輪が閉じる場所が13です。

●4つの肉体的感覚(「物理的」感覚/触覚・生命感覚・運動感覚・平衡感覚):物理的感覚は首から下の感覚。

1 触覚   :鉱物(仏界) :存在と非存在 ありてあるもの 

2 生命感覚:植物(菩薩界):意志 移動しないがすべてを創る

3 運動感覚 : 動物(縁覚界):感情 ゆっくり動くが力強い

4 平衡感覚 : 人間 (声聞界):知性 すばやくて弱い

●4つの魂的感覚(「感情的」感覚/嗅覚・味覚・熱感覚・視覚):魂的感覚は「地と天」、「陰と陽」、「アニマとアニムス」、「鬱と躁」

5 嗅覚 : 内側の熱                         これは「大地」 

6 味覚  : 光を受け入れる 「5と6が(天界):天は水と熱を与える」 これは「女性」

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7 視覚 : 光を放つ                       これは「男性」

8 熱感覚 : 外側の熱    「7と8が(人界):人は愛と光を求める] これは「天」

●4つの霊的感覚(「知的」感覚/自我感覚・思考感覚・言語感覚・聴覚):知的感覚は首から上の感覚。9 聴覚 : 理解と調和 (人間界出現):修羅は人間を食べる10 言語感覚 : 愛と憎しみ(動物界出現):畜生は動物を食べる11 思考感覚 : エーテル感覚(植物界出現):餓鬼は植物を食べる12 自我感覚 : 自他分離(鉱物界出現):地獄では鉱物を食べる★さらに全体の構造をみると、物理的感覚に対応して「天」があり、感情的感覚に対応して「人と地球」があり、知的感覚に対応して「地」があります。ここに3と4の神秘が終わります。極めて解説不足の殴り書き、思いついたことの備忘録のような書き方になりましたが、

まとめきれないので今夜はここまでとします。

OWAU NO KA "I"

https://higuchi08.exblog.jp/4626695/ 【12の感覚を学ぶ】より

12の感覚論・はじめに

 タイン・チェリー氏の12感覚論の授業が始まりました。シュタイナー教育では感覚を育てるということをとても大切にしていると聞きます。私は、保育の現場にいるとき感覚を育てるという意識がまったくありませんでした。

 「魂の扉・12感覚」の著者アルバート・ズスマン氏は生命を担う源泉は3つあるといいます。第一の源泉は食べ物です。第二の源泉は空気です。そして第三の源泉が感覚です。

ズスマン氏は、「私たちは第一と第二の生命源に大きな危惧を持ちながら暮らしています。大地も海も大気も、様々な廃棄物によってますます汚染されていきます。しかし、汚染されているのはそれだけではありません。第三の生命源である感覚も著しく汚染されています。にもかかわらず、私たちはそれをあまり意識していないのではないでしょうか?」と述べておられます。

 12の感覚を取り上げた治癒教育家養成講座のレジュメの中で、バーバラ氏も次のように述べておられます。

 「私たちの感覚は、近代的な生活のありようのために破壊されつつあるものです。私たち、現在のすべての人間が感覚の退化に苦しんでいます。」と述べておられました。そして、「大人だったら、芸術活動や話すこと、動くことで自分の感覚を再活性化させることができます。けれども子どもはできません。ですから、私たち大人がこの12感覚を理解することによって、私たちが経てきたと同じような感覚の退化を子どもたちの中で起きないように予防することが出来ます。又、すでに痛めつけられてしまった子どもたちの感覚を再教育したり、癒したりすることが出来きるのです。」と

 考えてみれば、感覚は人間の体や心と密接に結びついているのです。それにもかかわらず、感覚に対して今まであまりにも無関心であったように思います。自分自身や子どもたちの感覚が脅かされていることにも気がつきませんでした。現在、大人や子どもたちの中で様々な問題として現れてきているものの多くが、実は感覚に問題があったのですね。感覚のことを理解できていなければ心の教育もできません。私たちは子どもには感受性が豊かな子どもに育って欲しいと願っています。バーバラ氏は、「感受性の豊かさは、まさに感覚から始まるのです。」と言われていました。

 この感覚論を知ることで、保育を実践する上で、また、自分自身が生きていく上で大きな助けになると思っています。

                 タイン・チェリー氏による講座

                      12感覚論

 一般に皆が知っている五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)以外にも感覚があります。シュタイナーは12個の感覚があると述べています。この五感の他に、熱感覚、運動感覚、平衡感覚、生命感覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚があります。この中でも、言語感覚、思考感覚、自我感覚はシュタイナーがはじめて語った感覚です。

 私たちは生まれて成長していきます。成長するということは世界をだんだんと知っていくことだといわれます。世界とは、地球はもちろん、月や太陽、星々も含まれます。その中に自分自身も含まれます。まず私たちは、最初は感覚を通して世界を知り学んでいくのです。

 私たちは、目、耳、鼻、舌、などの器官を通して様々なことを知覚します。世界を知るために感覚を使うのです。どんなに高い哲学的な思考や知恵も感覚から始まっていると述べておられました。

12の感覚を3つに分類すると次のようになります。

1、下位感覚

 肉体感覚とも呼ばれています。下位感覚は、触覚、生命感覚、運動感覚、平衡感覚の4つです。この下位感覚は、肉体的な活動を知覚する感覚で、主に0歳~7歳に育つ感覚だといいます。

2、中位感覚

  感情の感覚とも呼ばれ、嗅覚、味覚、視覚、熱感覚の4つです。この中位感覚は、自然界(周囲)を知覚する感覚で、主に7歳~14歳に育つ感覚です。

3、上位感覚

  社会的、精神的な感覚と呼ばれています。聴覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚の4つです。他者を知覚する感覚で、主に14歳~21歳に育つ感覚です。

 私たちは一つだけの感覚に注意を払うことは困難です。すべての感覚が相互に作用しあい、共に働きあい、支えあっているからです。

実験

 目隠しをして部屋の中から廊下に出て行く実験をしました。目が見えなくなると、頼りになるのは他の感覚です。手で触って位置を確認します。耳をすまして人の気配を探ります。動きに対して敏感になります。一つの感覚を失うと他のあらゆる感覚を使って補おうとしていることがよく分かりました。

 すべての感覚は自分自身と他者について知覚します。

 又、一つ一つの感覚の発達は個人によって差があります。また、一人の人間の中にも優れている感覚と劣っている感覚があります。私たちは、自分自身の感覚の弱いところを育てたいと思います。子どもたちにはすべての感覚がバランスよく育ってほしいと思います。それには次の3つのことが必要だといわれます。

①それぞれの感覚を理解する

 それぞれの感覚はどういうものか。どういう機能があるのかを理解すること。

②感覚を育てるという意識を持つ

 たとえば、ロックミュージックのようなうるさい音楽が一日中聞こえてくる環境に育つと、子どもは聴覚にダメージを受けます。また、今日、味覚も科学調味料や添加物の食べ物によってダメージを受けています。このようにすべての感覚が今日の文明によってダメージを受けていることに気づく必要があります。

③感覚を育てる

 すべての感覚は未完成です。大人になっても育てて行く必要があります。しかし、ただ一つの感覚を発達させるとバランスが取れなくなってしまいます。3歳からバイオリンを一日何時間も弾かせたりすると、運動感覚が育たなくなってしまいます。テニスプレーヤーに育てようとして、テニスばかりさせているとその他の感覚が育ちません。タインさんは、現在では大人も子どもも感覚が一面的に偏っている傾向があると述べておられました。

   

(自我こそはすべての感覚の教育者)

 動物は感覚を使うことは出来ますが育てることは出来ません。動物は自我がないためできないのです。人間だけが自我によって感覚を育てることが出来るのです。感覚を害するものを食い止めることもできます。バーバラ氏は、自我こそはすべての感覚の教育者だと述べておられます。そして、自我は他の感覚によって教育されるのですと。

それでは一つ一つの感覚について詳しく見ていきましょう。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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