止まれる畑の波や霜の嶺 五島高資

facebook玉井 昭彦さん投稿記事(ひととき)不意に出た言葉

 学生時代の気の置けない友人たちと時折、ラインで話している。元気そうな友とのたわいない会話に心が和む。

 その日は1994年に1泊旅行をしたときの話題。「あれから30年、楽しいことだらけだったね」。友の言葉に胸がうずいた。

 「何が楽しいことだらけ?」 思いがけずきつい言葉が口を突いて出た。

 翌年の95年1月17日の阪神淡路大震災で、自営の店も自宅も倒壊し、夫はけがを負って病院に担ぎ込まれた。ロビーには担架にのせられたままの多くのけが人。中には顔に白い布をかけられた人もいた。病院の7階の窓からは、阪神電車の赤い車体がおもちゃのように転がっているのが見えた。

 30年も過ぎたのに震災を持ち出した私に友らは戸惑っただろう。私も戸惑った。普段は震災を忘れたかのように暮らしているのに。

 生活を立て直すのに苦労した。しかし前を向いて歩んできたつもりだ。それなのに、あんなにきつい言葉が出るとは。心の奥底につらかった頃の恨みのような気持ちが残っていたのだろうか。冷静さを欠き、友の幸せを喜べなかった心の狭さが恥ずかしい。悟りはまだまだ開けそうもない。

(兵庫県西宮市 由良雅子 主婦 80歳)

朝日新聞1月15日

https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S16126313.html


facebookNakako Yamamotoさん投稿記事

そーいえば、思い出すだけで胸が詰まってしまうのが「助けられなかった」「なにもできなかった」という無力感、そして情けない思いである。

連日の震災のニュースを見ていると被災者にインタヴューなどするものだから涙が頬を伝ってしまう。「よく当事者にインタヴューするよなぁ」と「よく応えてくれるなぁ」という思いと一緒に。

ご存知、ベストセラー『パワーかフォースか』のホーキンズ博士によると、「恥」という概念は意識のレベルの最下位で、怒りや無力感よりも低い。「情けない」も似たようなものと思われるのでかなり低いことは確かである。私と同じようにニュースを見て、“情けない”の人数が増えることは好ましいことではないと分かる。

この「救えなかった」という思いは原罪のように誰の心の中にもあると聞いたことがあります。DNAに刻まれている思いだとすると相当に「情けない」は根深い。転生があるとして地球年齢が高ければ、みなあのアトランティスの悲劇を救えなかった想いを抱えているとか…。

かれこれ20年前、私はボディヒーリングをしながらトラウマを解消する内容のリーディングを受けた。そのベッドの上で、とある壮絶な感情が蘇り嗚咽していた。それは、ヨーロッパの風景かしらん、古いレンガ造りの建物…、大勢の大人たちが友人である少年を力づくで連れ行こうとしている光景だった。私(少年)は、泣き叫びながらそれを止めようとしていたがまったく歯が立たなかった。一人残された私は、いつまでも「赦して、赦して…」と地面に拳を叩きつけていた。

「“赦しますよ”とお友達が言ってますよ」

セラピストには同じ光景が見えていたようだ(さすが!)。でもその言葉を空々しく感じていた。きっと私をなぐさめるための常套トークだろうと。この痛みと苦しみが分かるわけがない…。そのときだった、耳元に

「もういいよ」「もういいよ」

少年の穏やかで優しい声がはっきりと聞こえた。(うわ、いまこれを書いた瞬間、携帯電話がびーーーーー!っと初めて聞く音で鳴り出した。電源を落とそうとしても落ちない。アチャーー!!あ、落ちた!気を取り直して)。私はありがとうの涙でまた嗚咽した。このセラピーのあとの帰り道の心の晴れやかだったこと印象的に覚えている。

それにいたしましても助けられなかったことがこんなに情けないということは、「助けたい」が大事な本能であるからだと思うのです。大好きな『神との対話』で、

「人の本質は保身ではありません、助けることです」

そんなことが書いてあってひどく感動した。このことは最近、ワンネスのそれなのではないかと感じるのです。私たちは分かちがたい、1つ、である。「身を切られる思い」という言葉がありますがまさに!です。でも「情けなさ」に沼っていてはそれこそ誰のことも救えない。この思いを「勇気」に変えて行こう! 

「勇気」がポジティブマインドの分岐の意識レベルというのはさすがホーキンズ博士だ。ただ、必死に勇気を出してもまだ分岐点、愛のレベルに行くにはまだまだまだまだ遠い道のりなのでございます。とりあえずは最寄りの愛を頼りにこの沼から脱出をはかりたいと思います。おーい、私の最寄りの「愛」やーい!

Have a wonderful day🥳

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阪神淡路大震災の思い出

阪神淡路大震災は1995年(平成7年)1月17日に 発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害 です。

阪神大震災は未明に起こりました。縦揺れの大激震に ガラスというガラスはみな割れ飛び、トイレに動こうにも 動きようがないという感じでした。

娘は「白い光が射した」などハイ状態になって叫び続けました。

動物は天災を予知できると言いますが 我が家のダックス・ジョイは震災後の異変に震えあがり 和太志に抱き付き離れません。

息子は成人式の祝いに友人宅に集まり 夜を徹している時に被災しました。

友人宅の隣家が倒壊したので 老婦人を助け出し 要約我が家に帰ってきました。

暫くは茫然自失の状態でしたが 電氣はいち早く 復旧しました。

知り合い同士の安否が氣になり 電話をかけあったりしましたが話の途中で「目の前で階段が落ちていくから」と急いで電話を切られたケースもありました。

家族はみな無事で、我が家は半壊で済みました。

息子は帰宅することを望みましたが 彼の下宿先まで 荷物整理も兼ねて行く必要がありました。

我が家は西宮、下宿先は東灘でしたので 芦屋を経由して移動しました。途中の地獄絵図は 凄まじいものでした。道路はあちらこちらでひび割れ 二階建ての家屋は押しつぶされ屋根が落ちた状態が軒並みに続きます。

もちろん彼の下宿先も倒壊状態でしたが 身の回りのものを何とか引き出すことができました。

息子は当時、神戸大学生で 塾講師のアルバイトもしていました。学友は数名亡くなり、被災した生徒の家を訪問し続け ノーローゼ症状を呈する程でした。

夜はお酒を飲んで明かりをつけたままでしか寝れない状況が 余震が治まるまで続きました。

我が家の復旧作業を始め 屋根瓦を皆降ろして ブルーシートで屋根を覆った時に 大雨に見舞われ 二階は水浸しの二次災害まで起きてしまいました。

当時東京に単身赴任していた夫が たまたま居合わせ 一か月余り休暇を取り 自宅で生活が可能になりました。

困窮の中の和多志たちを援助してくれたのは 信仰共同体としての教会ではなく営利目的の、企業でした。

その後東日本大震災、熊本大震災・・・

環太平洋火山帯で毎日起きる新しい噴火 : 5月1日から12日までに新たに噴火した火山の数は「24」に昇ると伝えられています。 http://earthreview.net/tag/%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E7%81%AB%E5%B1%B1%E5%B8%AF/(05月13日)

我が国は,その位置,地形,地質,気候等の自然的な条件から,暴風,竜巻,豪雨,豪雪,洪水,崖崩れ,土石流,高潮,地震,津波,噴火,地滑り等による災害が発生しやすい国土となっている。世界で発生するマグニチュード6以上の地震の約2割が我が国周辺で発生しているほか,分かっているだけでも約2,000の活断層が存在している。さらに,世界の活火山の約7%にあたる110の活火山が分布している。

http://editor.fem.jp/blog/?p=2051 ともいわれます。



https://www.youtube.com/watch?v=67hQj-6D0No

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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