ヒヤシンス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B9 【ヒヤシンス】より

ヒヤシンス(風信子、飛信子、学名: Hyacinthus orientalis)は、キジカクシ科ツルボ亜科ヒヤシンス属の球根性多年草。ヒアシンスとも表記する[1][2]。耐寒性秋植え球根として扱われ、鉢植えや水栽培などで観賞される。

形態・生態

春先に香りのよい花を咲かせる。原種本来の花色は青紫色のみだが、園芸品種には暖色から寒色までさまざまな色彩が濃淡豊かに揃う。生育適温は20℃前後と、冷涼な気候を好む。

分布

地中海東部沿岸(トルコ、シリア、レバノン、イスラエル)からイラン、トルクメニスタン付近の原産。

人間との関わり

オスマン帝国で栽培され、園芸化された。スルタンムラト3世は1583年に山地から5万本のヒヤシンスをイスタンブールに集めさせたという。16世紀前半にはヨーロッパにもたらされ、イタリアで栽培されていた。16世紀末にはイギリスに伝来し、フローリスト(園芸愛好家)に注目され、18世紀から19世紀にかけて盛んに育種が行なわれ、数百の品種が作られた。しかし、イギリス系のヒヤシンスは20世紀初頭に衰退し、現在は品種もほとんど残っていない。これとは別に、現在普通に栽培されるのは地中海北東部原産のダッチヒヤシンスで、18世紀から主にオランダで改良され、2,000以上の栽培品種が作出された。これは、1本の茎に青、紅、白、淡黄色などの花を多数つける。また、ローマンヒヤシンス(H. o. var. albulus)と呼ばれる変種があり、耐寒性はあまり強くなく、やや小さい青や白の花をつける。

ヒヤシンスの名は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスに由来する。同性愛者であった彼は、愛する医学の神アポロン(彼は両性愛者であった)と一緒に円盤投げに興じていた(古代ギリシャでは同性愛は普通に行われ、むしろ美徳とされていた)。しかし、その楽しそうな様子を見ていた西風の神ゼピュロス(彼もヒュアキントスを愛していた)は、やきもちを焼いて、意地悪な風を起こした。その風によってアポロンが投げた円盤の軌道が変わり、ヒュアキントスの額を直撃してしまった。アポロンは医学の神の力をもって懸命に治療するが、その甲斐なくヒュアキントスは大量の血を流して死んでしまった。ヒヤシンスはこの時に流れた大量の血から生まれたとされる[3]。なお、ヒュアキントスが流した血から咲いた花は、実際はアイリスの一種であったと考えられている。このエピソードから、花言葉は「悲しみを超えた愛」となっている。

日本には1863年(文久3年)に渡来した。伊藤圭介の門下にあった田中芳男が「田中芳男君七六展覧会記念誌」において語ったところによると、「文久三年二月になりまして、フランスから一年生の花物の種子や球根植物その他いろいろのものが伝わりました。その花物の中には、ムギカラハナ、キンギョソウ、ヤグルマソウ、ヒエンソウなどが来ました。これがフランスから来て日本に出来た初めであります。球根の方はチューリップ、ヒヤシンス、その他水仙の珍奇なものなぞあって、それは日本人には珍しかった。」とある。また、渡辺規綱が著し、伊藤圭介の五女である小春が写本を描いた「新渡花葉図譜」の坤巻(第2巻)には「フシヤシントウ」の名で八重咲の紫花種と一重咲の橙花種の図があり、1867年(慶応3年)にオランダから新たに渡来したとの記述がある。


https://www.akatsuka.gr.jp/bosco/yamatouta02/ 【心に咲く花 2回 ヒヤシンス】より

ヒヤシンス 薄紫に 咲きにけり はじめて心 ふるひそめし日 ― 北原白秋

【現代訳】

薄紫色にヒヤシンスが咲きました。初めて誰かを好きになって、心がふるえ始めたあの日に。

心に咲く花 第2回 ヒヤシンス

早春を代表する香りのいいヒヤシンス。

ヒヤシンスの名前は、ギリシャ神話の美青年ヒヤキントスに由来するそうです。

ヒヤキントスが同性のアポロンと楽しそうに円盤投げをして遊んでいた際、二人に嫉妬をした別の神様が風を吹かせ、円盤がヒヤキントスの額に当たってしまいました。

ヒヤキントスはこれが致命傷となり、命を落としてしまいます。

この時、流した血から生まれた花がヒヤシンスだったと言われています。花言葉は「悲しみを超えた愛」なのだそうです。

そんな「ヒヤシンス」を詠んだ青年期の北原白秋。

歌人としてはもちろん、「ペチカ」「からたちの花」「この道」「ゆりかごのうた」などの童謡の作詩者としても知られています。

淡い「薄紫」のヒヤシンスが恋に揺れる歌人のこころに何かを感じさせてくれたのでしょうか。作家として名高い芥川龍之介も二十代前半に多くの和歌を詠み、「片恋の わが世さみしく ヒヤシンス うすむらさきに にほひそめけり」という作品を残しています。

ヒヤシンスの薄紫色は、どことなく片想いのせつなさを想起させるのでしょう。

白秋はあえて漢字で、龍之介はあえてひらがなで、「薄紫(うすむらさき)」と色彩を表記したヒヤシンス。

江戸時代末期に入ってきたヒヤシンスは、日本では「にしきゆり」とも呼ばれていました。

与謝野晶子に、「紫の ヒヤシンス泣く くれなゐの ヒヤシンス泣く 二人並びて」という作品もあります。

相聞歌(恋の歌)に多く詠まれたヒヤシンス。太い花茎に支えられたたくさんの小花は、なるほど、思いが溢れる青春期の恋心のようです。

植物でありながら、実は恋する誰かにとてもよく似ている花なのかもしれません。

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