https://www.youtube.com/watch?v=lw--FH3uP70
http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//waraitaisou.html 【笑い体操】
Facebook相田 公弘さん投稿記事 「笑いは最強の力」というお話です。
神様を呼び出すには電話番号がいる。それがマントラ、真言だ。
お地蔵さんのご真言は「オン カカカビサンマエイ ソワカ」サンスクリット語だと、とても分かりやすい。
「Om ha ha ha vismaye svaha」オーン ハ ハ ハ ヴィスマーイェー スヴァーハー。
ha-ha-ha・・・笑っている。
笑う音が神様を呼び出す呪文になっているのだ。
お地蔵さんはある意味、最高の菩薩である。 仏教ではお地蔵さんとは地の蔵、地下に住んでいる神様だ。
浮かばれずに黄泉の国にいるすべての者のために闇の世界に住まわれて、 地獄のいちばん下のところにいる人を救ってくれる。すべてのネガティビティーや魑魅魍魎(ちみもうりょう)からも救ってくれる。日本の古神道には「笑いの行法」という技がある。
何分間も笑いつづけて健康や福を呼び込む方法だ。神道の神様というのは基本的には笑っている神様なのだ。
笑いは不幸をはね飛ばす。笑って邪悪なものを外に出す。
鬼があなたにやってきたら、「ハッハッハッ!」と大きな声で笑う。これだけでなんとかなる行である。
アイブル・アイベスフェルトという動物行動学者が『プログラムされた人間』という本を著わしていて、 その中に盲目の人の笑顔の写真がいくつか掲載されている。
驚くことは、その人たちすべてが生まれつき目の不自由な人たちだということ。
彼らは人が笑っている顔を見たことはないはずなのに、他人の笑顔となんら違いがない。
彼らが盲目であるということさえ意識できない。人は学習で笑いを獲得するのではない。
ほかの動物は笑わないし、人間にいちばん近い哺乳類、サルでさえも笑わない。
笑える生物は人間だけなのだ。
これは人間の本能には笑うことが組み込まれていることを意味している。
※この素晴らしき「気」の世界 清水義久 (語り)山崎佐弓 (聞き書き) 風雲舎
ものすごーく怒っているときに、嘘でもいいから笑ってみてください。
怒りの感情は静まるでしょう。
怒りの感情を長引かせることは、精神的にも人間関係においてもあまり良い結果を生みません。
人は、生まれたての赤ちゃんの頃、「いないいないばあっ!」だけでも結構笑います(笑)
おそらく、神様から「笑う」ということをプレゼントされたのが人間です。
だから「笑いは最強の力」となるのでしょう。 職場の仲間もチームメイトも家族も、笑いがないギクシャクした組織は、心の温度が低下していきます。
笑うとは、相手を承認することにもつながるのです。
だから笑い合う組織は、お互いに尊重し合っているとも言え、家族に笑顔が溢れているというのは、 ただ仲がいいというのではなく、それぞれを認め合っているから自然と笑顔がこぼれるのです。
だって、嫌いな人がどんなに面白いことを言ったとしても、絶対笑わないでしょ?
大事なポイントは、嘘でもいいから「自分から率先して笑う」ことです。
人と会うときは、笑う前提で会うのです。 「笑いは最強の力」ですから、共に働く仲間も、お客様も、業者様も、 たくさん笑顔にしていったら、間違いなく繁盛するでしょう。 よく笑ってくれる人は、それだけで愛されます。
最近愛されてないな~と感じたなら、箸が転がっただけでも笑ってみてください。
愛されますよ♪
※魂が震える話より
https://www.megabe-0.com/archives/info/konosubarashi_ki 【この素晴らしき「気」の世界シリーズ(清水義久)に助けられた】より
ゴッホの星月夜
ども、しゃしゃ。絵が見せる毒々しい気高さに惚れ、立ち読みして金運他のコツが面白いと感じ、この素晴らしき「気」の世界を購入してしまった。
ゴッホ「星月夜」を鑑賞する
絵はゴッホが描いた「星月夜」であり、初め、黄色い三日月に目が向いた。
次にゴッホが描いた一つ一つの線が川の流れのように、ある方向に「ゆらゆら」動いている。気持ち悪い動きだ。
「ゆらゆら」を清水義久さんらが「気」と同一化しているように、私は考えた。
大欲と無欲、そして我欲の悩み
初めから私にとって「欲していた問題」の答えを知った。
大欲と無欲の話だ。詳しい内容は本文を読んでいただくとして、私があることに対し、大欲を抱いても……「我欲」についてどう処理をしたらいいのか?
我欲が邪魔をして、大欲を邪魔している。大欲をかなえようとすると、我欲がどうしても邪魔をする。その答えを32ページの内容で知った。
3回も声に出して読んでしまったよ。このやり方でいいのだ。これで我欲も小欲も大欲に向かうのだと、心がうれしくなった。
宝くじに当たる秘訣がをかし
本を購入しようと抱いたきっかけの一つに、「宝くじが当たる人たちの法則」について、簡潔ながら書いているところだ。
運気などを勉強している人にとって「当たり前すぎる」内容らしいけれど、私は斬新だった。中でも「宝くじを買う場所、店員」が大きなカギを握っている。
店員部分を読んだとき、
「店員が福の神でなければ、避けるべきなのだな」強く考えてしまった。そして態度を今すぐ改めようと欲した。
宝くじに当たりたいなら読んでおくといいし、別にあたらなくてもいいやと思っても、店員としてどういう態度が良いか。
とても参考になるので、155ページから読んでおくべき。知らないより、知ったほうが「福の神に近づく自分」になれる。福の神は他人や自分にも幸運(不運ですら幸運とみなす力)をもたらす。これはね、かなり強いよ。体でつかんでいないと、貧乏神に好かれるだろうね。
千万円の言挙げ
困ったことがあり、切羽詰まった出来事が生まれた。3週間まで1戦万を集めねばならぬ。
やるべきことをやったがもうお手上げ……そのとき「月末までに1千万円を返す」期日を定めて決意したんだね。喜びのイメージも沸き上がり……結果、返せたんだ。
(略)
https://soulseekers.jp/interview_24/01.html 【第24回 清水 義久 氏しみず よしひさ】より
第24回 清水 義久 氏しみず よしひさ 1962年生まれ。
気功家。矢山利彦氏の気功をはじめ、中国気功、古神道などを学び、実践と知識から気を追及すること30年。さらに真言密教、修験道、陰陽道、仙道、道教、レイキ、九星気学、ユダヤ秘教、西洋占星術、タロット、宿曜占星術、バッチ・レメディほか心理学、哲学など幅広い分野に精通し、独自のスタイルのセミナーを30年以上開催。著書に『だから未来は変えられる! 包み込みの幸福論』(徳間書店)、『あなたは私 私はあなた』『この素晴らしき「気」の世界』(ともに風雲舎)、『出雲の神さまにまかせなさい』『住吉の神さまにまかせなさい』(ともに大和出版)などがある
ここ最近、私が注目している気功家のおひとり、清水義久先生。これまでに何度かセミナーに参加させていただいています。初めてお聴きしたのがバッチのフラワーレメディのお話だったので、レメディを使ったセラピーをされている方かと思っていたら気功の先生だと知ってびっくり。どのセミナーも幅広い知識や奥義がふんだんに詰め込まれた密度の濃い講義で、先生のご著書もやはり消化しきれないくらいの膨大な情報量。こんな内容を30年以上も提供し続けていらっしゃる先生の頭の中は一体どうなっているんだろう?と清水ワールドへの興味はますます深まるばかりです。そこで今回は、普段の講座ではあまりお話にならない清水先生ご自身についてお聴きしたく、インタビューをお願いすることとなりました。
清水先生 ──
セミナーにご参加くださっているんですね。ありがとうございます。でも、こうして直接お話をさせていただくのは初めてですよね。今いただいた名刺を拝見したところ……。光田さんはとても知的で、サイエンティストのような人。眉間の第6チャクラが開いている「第3の目」タイプで、人生を独立独歩で歩まれている。名刺には、可愛い猫(*光田の愛猫)や紫の服をまとったロングヘアーの光田さんのイラストが描かれていて、一見すると不思議ちゃんという感じ。そして、実際のご本人は女性らしい雰囲気をお持ちです。でも実は……。光田さんは外見と中身が全然違う人。極めて男性的というか、一言でいうと研究好きのおじさんですね(笑)。名前が発しているエネルギーから読ませていただきました。ミツダ名刺のイラスト(光田さんとニコフク)
テンプル ──
のっけから言われてしまいました(笑。同行スタッフも苦笑)。名刺をお渡しするときに、エネルギーを読まれてしまうなと覚悟しましたが、ものの1分で中身がおじさんだとバレてしまいました(笑) 。私は「第3の目タイプ」だということですが、清水先生のセミナーに来られる生徒さんは第三の目タイプが多いのではないですか?
清水先生 ──
いえ、ほとんどいないです。セミナー会場に一人いるかどうか。しかも、光田さんのようなタイプの人はだいたい男性が多く、女性では珍しい。
テンプル ──
だとすると、他にはどういったタイプがあるんですか?
清水先生 ──
一般的に大きく分けると3パターンあります。潜在意識のパターンが、気功でいうと上丹田、中丹田、下丹田の3つのチャンネルのどこに自分が精度を高めているのか。中丹田のアーティストタイプの人はセンスや愛、情の世界を好んでいて、ハートの感覚を大事にした自己表現をするんですね。たとえば女性なら「恋愛」に、男性なら音楽、文学、ダンスといった「芸術」に昇華していきます。下丹田の実務家タイプは物質やお金、成功に関心が強く、どんな話を聞いても、結局それにどんなメリットがあるの?というところに着地します。
首から上の上丹田の人は浮世離れしています。さらに女性型と男性型がある。気功で表現すると、光田さんは上丹田の男性型というわけです。光田さんのようなタイプの人は、自分の興味のあることをひたすら追いかけていくことが心地いいし、そういう生き方=自己表現をするのが特徴です。これは、研究者が顕微鏡をのぞいてキノコの細胞を調べているのと同じ現象なんですよ。家庭よりも愛よりも、顕微鏡のほうが大事だという感じ。そういう意味で、光田さんは浮世離れした男性型の人だといえますね。
テンプル ──
これでもここ数年かなり女性的になったと友人たちには評判なんですが……(キッパリ!)。そして、愛ももちろん追い求めてますよ。
清水先生 ──
いや、今生はそういったテーマでは生きていらっしゃらないと思います。どうでもいいわけではないけど、優先順位が低い。光田さんタイプの人は、顕微鏡でキノコを見て発見したことを世間に発表しなければならないし、そうして自己表現することが人生のなかでいちばん重要なパートである、という感覚で生きていらっしゃると思います(同行スタッフは大きく頷く)。
テンプル ──
う~ん。すっかり名刺一枚からリーディングされてしまっておりますが(笑)。でもまあ考えてみれば、私がずっとケイシーのことを仕事にしていられるのも、そういうことなのかもしれないですね。こういった人間の性質というか生き方、運命や宿命といってもいいかもしれませんが……、それは変えようがないんでしょうか。私も、これからの人生、多少なりとも愛や家庭も人生のテーマに組み入れたいんですが(苦笑)。
清水先生 ──
一生変わらないというものではありません。というよりも、むしろ変えることはできます。たとえば今回、科学者になるような宿命を持ってこの世に生まれてきた人がいるとしましょう。その人には、『頭脳明晰で思う存分に好きな研究に没頭し、やがてはその道で成功していくような生きがいのある人生を送る』というシナリオが用意されていると仮定します。そして、家庭環境が安定している裕福な家族のもとに生まれ、お金をかけて十分な教育を受けることができれば、その人には科学者への道が容易に開けるかもしれません。
ところがもし貧乏な家に生まれていたとしたらどうでしょう? いくら個人の宿命ではサイエンティストとしての成功を目標にすべき人生であったとしても、過酷な家庭環境に生まれ育っていたら? その人の宿命と環境とのマッチングが悪いと言わざるを得ません。生まれた場所が砂漠の中か、都会のど真ん中なのか。また時代も江戸時代か未来なのか、ということでも人生が変わってきますよね。この外から与えられた状況や環境が「運命」であり、サイエンティストのセンスのように、自分が過去生から引き継いで持ってきたものが「宿命」であるというわけです。私たちはこの2つをブレンドしながら、人生の物語を紡いでいきます。
清水先生 ──
ただし、サイエンティストのセンスを持ちながら貧乏な家に生まれ、社会的な成功をせずに一生が終わったとしても、それが本人にとって幸か不幸かというのはまた別の話になるわけです。また実際に、ノーベル賞をとったり事業で成功したりという人を後に占術で調べてみると、もとの宿命がひどいケースであったことのほうが多いんですよ。下手をすると、その人のシナリオにはノーベル賞をとるセンスと運命がなかったということさえある。
テンプル ──
そういう人たちは努力で運命や宿命を変えたということですか。
清水先生 ──
そうなんです。つまり、いい環境と宿命があらかじめ用意されていたら、今世で外界を変える努力も人生をハンドルする自由も必要なくなるでしょう。何の努力をせずとも家族は愛してくれて、仕事は思い通りになり、お金が入ってくる。何の苦労をせずとも素敵な人生を送ることができる。これは一見とても幸せなことのようですが、多くの場合、ボケ老人化した人間を生む原因になってしまいます。努力の必要がない、外の世界の環境要素に変更点を作る必要もない、そうすると、いい星のもとに生まれ、いい環境だったけど、人生に揺れ幅もなく人生は平凡って感じのまま一生が終わってしまうんです。
テンプル ──
でも、たとえ平凡な人生でも、その人が幸せを感じているなら幸せな人生ですよね。
清水先生 ──
そこなんですよ。安心と幸せはほとんどの人にとって人生の目標ですし、もちろんそれでいいんです。ただし、個人のカルマと運命から見ると、不満足の人生なんです。その人は自分の能力と状況を無駄にしたわけです。だから、向こう側に行ったときに「あれ? チャンスだったのに私は何をやっていたんだろう?」ということになります。ベストコンディションとベストな状況を与えられていたのに、眠っているうちに一生が終わっていたことに気づき「すみません、もう一回行ってもいいですか」となるんです。
テンプル ──
ケイシーによると、何も問題なく平穏無事で幸せに一生を過ごすという、いわゆる「一休みのご褒美人生」があるそうです。普通の人は、そういった人生をうらやましいと思いますけど、確かに、魂の観点からすると何の成長もしなかった人生ってことなんでしょうね。
一方、不本意に思えるような環境に生まれてハンディがあったとしても、自分の魂の成長にとっては最適な環境なのかもしれないととらえると、その不幸や困難に対する意識が変わりますよね。とはいえ、現実的に困難な問題に直面していると、なかなか素直にそれを受け入れられないとは思います。そんなとき、運命や宿命ですら、努力によって変えられると知っていれば、生きる意欲が沸きますよね。その努力は無駄なく来世に引き継がれるわけですし。
清水先生 ──
そうですね。ケイシーだって、かなり大きな揺れ幅のある人生を送っていたでしょう? ひと儲けしようと思って石油を掘りにいったけど、結局見つからなかったとか、経営していた写真館が火事で燃えちゃうとか。普通の人はそんな体験をしないでしょう(笑)。しかし、そういう困難な人生のなかで、ケイシーは自分の類稀な能力を磨いていけたのだと思います。
本人はいろんなことを分かっていながら、センシティブで正しさに戻っていけた。そこがケイシーの一番面白い、深いところだと思います。あれだけ無欲無私な人はありえない。そもそもリーディングで言ったことを一言も覚えていないというんですから、我欲になりようもない。このスタイルは非常に特殊なケースだと思います。面白いですよね。ケイシーのセンスは100%、百会の能力ですね。まるきりセルフを存在させない、純粋培養サハスラーラタイプです。 ケイシー
テンプル ──
清水先生、お仲間じゃないですか。
清水先生 ──
とんでもございません(笑)。たいていの場合、我(われ)が残っています。そこが普通の能力者とケイシーの違いです。普通はチャネリングにしろリーディングにしろ、情報をセルフが知っています。どんな深い瞑想状態でも。でもケイシーは自己催眠状態になり、情報のやり取りをフラットな真っ白い状態でやっています。
テンプル ──
ケイシーは100%自分自身を明け渡し、超意識の世界にジャンプしたようなんです。それができたら、誰でも皆、自分と同じようにリーディングを取れると言っています。
清水先生 ──
いや、できない、できない。生きているから(笑)。100%自分を捨てるときにはみんな死んだときです(笑)。
テンプル ──
生きているときには無理なんですか?
清水先生 ──
ムリムリ。だから、いつまでもケイシーは僕たちにとってのモデルであり理想なんです。リーディングが多岐にわたるという面白さもありますが、ケイシー個人としての凄さはもはや普遍的です。能力者はケイシーを通らないと濁ると思う。僕はケイシーの本をそれほど深く読んでいるわけではありませんが、彼の生涯と業績を能力者は知らないといけないと思っています。ケイシーリーディングの中身に100%依存する必要はないし、間違っていることを言っていることもあります。たとえば日本は沈んでないですしね。でも、そこは突っ込むところではなくて、ケイシーの純粋性と先見性、個人を明け渡す意味はもっと評価されていいと思います。キリストやブッダだと遠すぎるけど、生身のケイシー、そして彼の生き方そのものがお手本となります。僕はケイシーを知らなかったら、もっと嫌な奴になっていたと思いますよ(笑)。
ケイシーがいたからこそ、その川の流れに向かっていこうと思える清涼剤のような存在なんです。ケイシーは憧れの存在なんですよ。ケイシーほどの能力を持っていたら、絶対に石油の採掘場所は見つけられたと思うんですよ
テンプル ──
ケイシーがテキサスに土地を購入し、石油採掘にいったエピソード※1に関しては、名誉挽回といいますか、少し補足をさせてください(笑)。外れたリーディングの1つにカウントされてしまうとちょっと悲しいので…。あれは本来、ケイシーが受けたリーディングの内容をそのまま実践できる病院を設立しよう、そのための資金作りをしようという目的のもとにリーディングがとられ、行われたことでした。でも、石油の掘削に関わる人々の気持ちや理想が一致していなかった。具体的にいうと、純粋に「人々のために」と思っていた人が大半を占めるいっぽうで、やはりちょっとくらい自分たちもいい思いをしたい、利益を得たいという気持の人がいたんですね。
ケイシーはリーディングで何度も「ここに関与している人々が目的において、また理想において1つにならない限り石油は出ない」と警告しています。でも、関わる人々の理想が一致していなかった。その証拠に、彼らが掘削をやめた直後に同じ場所を買った人が、石油を掘り当てているんです。しかもリーディングが指定した場所だけあって、豊富な石油が今も出続けているという。ケイシー達がどれだけ掘っても石油が出てこなかったのに、掘る人が変わったら、あっさり掘削できたという。これって一体どういうこと?と、理不尽さすら感じてしまいます。そのプロジェクトに高邁な目的があればあるほど、関わる全員の理想の一致という高いハードルを求められて結局実現できず、一方、単なる利潤追求の人にはそれを求めないというのは、神様の厳しさを感じてしまいます。
1 http://nmitsuda2.com/2009/05/08/0288/
cayce4
清水先生 ──
う~ん。それについて僕は少し違う見解を持っていて。石油を掘ることができなかったのは、神様の裁きというよりは、ケイシーの顕在意識に原因があったのではないかと思っているんです。ケイシーは敬虔なクリスチャンであったので、リーディングを使って個人の我欲の成功を満たす、ということに対してリミッターをかけていたのではないかと。
もちろん石油を掘ろうとしたのは、単にお金儲けをしたいがためではなくて、そこに高邁な目的と正しさがあったからです。だからこそ彼は、その計画が失敗した後に悩むわけです。自分のリーディングは当たらない。そもそも自分がリーディングをすること自体が間違っているんじゃないか、と。それで一度はリーディングすることをやめてしまいますよね。本当は、ケイシーほどの能力を持っていたら、石油など簡単に掘り当てることができたはずです。でも、そこを掘らなかったケイシーが素敵なんですよ。
もし掘っていたら、いま皆が知るケイシーとは全く違う存在になっていたのではないかと思うんです。表面的な世界では「ケイシー、やったね!」と評価されることになったでしょうが、その後に彼が行うリーディングの内容はもっと濁ったものになっていたかもしれません。つまりケイシーは、石油を掘らなかったことで永遠の存在になったんです。
そういう単に当たるとか当たらないとかいう部分に注目する人もいますが、僕としては、リーディングをしていないときの謙虚で純粋なケイシーの在り方にも目を向けるべきだと思いますね。とくに能力者なら、誰もが一度はケイシーの能力や彼の生涯について勉強しておくべきじゃないかな。僕なんて、ケイシーを知らなかったらもっと嫌な奴になっていたかもしれません(笑)。
テンプル ──
ケイシーをよく理解してくださってありがとうございます。確かに、石油王ケイシーになっていたら、色んなことが変わっていたかもしれませんね(笑)。
清水先生 ──
顕在意識はセルフだから、もし石油を掘りあてていたら、表面的な世界ではもっと評価されたかもしれない。でも100年後はどうなったでしょう?
テンプル ──
そのような視点から石油掘削の失敗をとらえたことがなかったので、新鮮な驚きを感じますね。
さて、この辺でそろそろ話の主題を清水先生のほうにもっていきたいのですが(笑)。 清水先生は気功術にはじまり、神仏のパワーを得る方法、方位学にタロット、フラワーエッセンスetc.……、あらゆるジャンルにわたってセミナーを開催されていますが、驚くことに、そのセミナーでの講義内容をいつも登壇したあと決められる、つまりぶっつけ本番でお話されているというのは本当ですか?
清水先生 ──
そうですね。もう30年ほど教えていますから、テーマは繰り返しのものになりますけれど、具体的な内容については毎回ノープラン。ですから、スタッフが一番驚いていると思います。彼らに「今日のテーマは何だっけ?」と始まる10分前くらいになって聞いたりしているから(笑)。講義内容についてたたき台を作ることもあるんですが、これまで一度も使ったことはないですね。講座風景
テンプル ──
ということは、壇上に登ると内容が「降りて」くるんですか。
清水先生 ──
降りてくるというか、正確にはリーディングをしているという感覚に近いかな。どういうことかというと、まず参加者の皆さんを「場」というプールに浮かぶ複数の「浮き輪」であるとイメージするんです。すると、それぞれの浮き輪が、波の振動で沈んだり高いところに持ち上げられたりしているのが見えてくる。そして、気のエネルギーでもってそのプールの水に触れると、参加者一人一人が今日のテーマでどういう内容を求めているのかということが、全体意識の総合計として感じられるんです。そこに自分の意識をチューニングすると必要な情報がやってくるので、あとはもうイタコ状態になって話しているという。大喜利でお題を与えられた落語家が、その都度、当意即妙に答えていくようなものだといえるでしょうか。もちろんそういうことができるのは、過去から蓄積してきた情報のストックがあるからなのかもしれませんが、話している内容に「ここ、メモを取りたかった」と自分が一番面白がっているということもよくあります(笑)。
テンプル ──
参加者のエネルギーを読まれているんですか。その情報は、清水先生が過去学んで溜めていた泉から湧き出しているものもあれば、宇宙のクラウドからダウンロードしてくるものも一部混じっている感じでしょうか?
清水先生 ──
ええ、そうです。たとえば僕が授業で話したいテーマがあるけれど、その内容に皆さんが興味を示していないということが事前に分かってしまったとします。それでも僕が言いたいからと、用意していた内容をそのままぶちまけて共有ファイルに流し込んだとしたらどうでしょう。これは参加者への洗脳になってしまいます。そして、もともとその情報を必要としていた人や同調できる人には喜ばれ、教える講師はその人たちにとってカリスマ的存在になることができます。いっぽうその他の参加者は物足りないので次回からは来なくなり、セミナーはますます他の人が入り込めないような閉鎖的なムードになっていく……。
そういう事態に陥らないよう、僕の講座では自分が伝えたいことというよりも、参加者の皆さんが必要としているエネルギーに合わせてお話するようにしているんです。今日、お出しする料理は和食かイタリアンかということは決まっているけれど、具体的なメニューはあくまでも全員が美味しいと思えるようなものを提供しようと。そんな風に努めています。
テンプル ──
なにか確信のようなものがあるんですか? この内容で大丈夫だという。
清水先生 ──
僕らの能力の大前提で、セルフを消すというのがありまして。筋力テストとフーチやダウジングで100%に近いくらいの精度でできないといけない。それは条件が、脳波がシータ波以下になり、その集中して安定している状態を何分間か持続できるという前提があります。
テンプル ──
今回のインタビューの予習に文殊菩薩がテーマのセミナーDVDを拝見していました。そのなかで、『南総里見八犬伝』を書いた滝沢馬琴が本文の中に仕掛けた謎を数年かかって考え、ようやく答えにいきついたと、その謎解きについてもお話されていらっしゃいました。古今東西、地球のアチコチに秘されている仕掛けや謎解きを清水先生はいくつも探求されていて、その謎解きの探求過程で分かった宇宙の秘密のようなものがフォルダーに溜まっていて、そこにアクセスして必要に応じて取り出して来られるのかなと、いま想像したんですが。
清水先生 ──
それはそうですね。だからチャネリングとリーディングは違うと思っていて。ケイシーはリーディングであって、チャネリングではないんですよ。そこがまたケイシーの素敵なところです。深さは彼の方がはるかに深くて、船井先生の仰る「本質生命体」、いわば創造主につながっていくという突き抜けた感覚とレベルがあります。ケイシーは100%自分がいないのに、中間層の存在に憑依されて語っているわけではなく、自分で読みに行っているわけですよね。だからリーディングってうまい用語です。
テンプル ──
ときどき、参加者さんの質問のおかげで、初めて浮上してくる重要なトピックもありますよね。ケイシーのリーディングでも誰がどのような質問をするかがとても大事でした。
清水先生 ──
そうなんです。その質問が出ない限り、出ないことも沢山あります。分岐点がいっぱいあるんですよ。
テンプル ──
清水先生はセミナーを行っている最中は「我」のスイッチをオフにして、その場の流れにまかせている感じですね。
清水先生 ──
実はそういうやり方もケイシーからヒントを得ているんですよ。というのも、僕が授業で行っているのは、あくまでケイシーが行っているような「リーディング」であって、チャネリングではないからです。チャネリングというのは、守護霊さんや宇宙人、神仏などの存在に憑依され、自動的に語らされるという受け身の状態で行われること。そこにはこちらから読み取ろうとする「主体」はないんですよね。でもリーディングというのは、まずこちらから先に質問を投げかけて答えを求める、という能動的な状態で行うことです。それでいて、リーディングの最中に自分が何を話したのか全く覚えていないというケイシーの「我=セルフ」を100%手放す能力と、その器用なスタイルに大きく影響を受けていますね。祈祷する清水先生
ケイシーに影響を受けたことといえばもう一つあって。それは、「人間は内なる部分に神を宿していて、誰でも直接そこに繋がることができるんだ」というケイシーのアイデア。これを知ったときには衝撃を受けましたね。そういう提言をしているところが、ほかのさまざまな預言者とケイシーの大きな違いであり、学ばなければいけない点だと思います。そこが分からないと、ただの傲慢で嫌な超能力者や神様使いになってしまう。後年になって、その内なる神のことを船井幸雄先生が「本質生命体」という言葉で表現されていましたが、それについては「ケイシーの本を読みなさい」とよく仰っていましたね。
テンプル ──
そうでしたか。……と、またケイシーの話に戻ってしまいました(笑)。ところで、いま内なる神=本質生命体のお話がありました。誰もがそこに直接アクセスできるということを知ってはいても、実際に繋がるのは難しいという人のほうが大半だと思います。清水先生のセミナーではその方法を教えてくださっていると思いますが、もしよろしければ、ここで特別にシェアしていただけないでしょうか?
清水先生 ──
そうですね。それでは、誰もが神様に近付いて、簡単に願い事を叶えられるようなノウハウをお教えしましょう。
まず、自分が叶えてほしいことを一つだけ選び、命題として紙に書いてみるんです。たとえば「ダイエットしたい」とかね。でも、ダイエットくらい神様に頼まなくても自分で努力すればできますよね(笑)。「恋人が欲しい」。これには相手が必要だから、叶えるのに少し難易度が高くなります。では「ビジネスサクセス」はどうか。これは頑張れば何とかなることなのかもしれない……という具合に、「頑張れば何とかなる」ものなのか、「頑張っても届きそうにない」ものなのか、「絶対に無理」なものなのか。神様に叶えてほしい願いがこの3つのうちどれにあたるのかを見極めてみてください。
そして、その願いが「自分が頑張ればなんとかなる」ようなものだったら、神仏に頼んではダメですよ。それを「神様、ひとつダイエットを成功させてください」と願ってしまうと、「それは君が頑張る話だろう」と、その時点で神様とのコンタクトが終わってしまうんです。これではご利益も何もないのは当たり前。とはいえ、それでもあなたがダイエットをしたいとしますよね。本来は自分の努力でやれる範囲のことだけれども、根性が無くてどうしてもできない。そういう場合には、「私が頑張れるように応援してください。私に頑張れるような力をください」と願うといいんです。これが第一ステージ。
第二ステージは、相手がいる場合の願いごとを叶えるとき。これには相手の同意や宿命と運命、タイミングが関わってきます。だから、自分が頑張ってもどうにもならないかもしれませんよね。こういうときには、「神様、私には好きな男性がいます。彼も私のことを好きになるようにしてください」と祈っても無駄です。というのは、相手の尊厳や自由を踏みにじって、こっちに来いとやるわけですから。神様としては「そういうわけにはいかないよ」となるじゃないですか。だから、「〇〇さんが私を好きになりますように」というのも「私に彼を振り向かせる力をください」というのもダメ。ではどうすればいいのか。それは、いま望んでいる願いのカテゴリーをもう一段階上げることなんです。
テンプル ──
自分にとって都合のいい結果になるようにと相手や状況をコントロールしてはいけない、ということですね。具体的にはどうすればいいんでしょうか?
清水先生 ──
「理想の彼氏ができますように」と願うんです。先に話したように、「〇〇さんが私を好きになりますように」と誰か特定の人について願うのは「我欲」になりますよね。でも、「理想の彼氏ができますように」というのは「我」のみではなく、誰にとっても最良の結果が得られるという、我と世界=「ワールド」に属する願いになるんです。そうしてはじめて神様が介入してくださいます。最高のものが用意される世界というのは、神様にしか作れないですから。理想値以下の彼氏なら自分の努力で何とかなる範囲ですよ(笑)。ところが「理想の彼氏」となると、「それは私がやらないと無理ですね。ではサポートしましょう」と神様が手助けしてくださるようになる。これが神様使いのアイデアなんです。
テンプル ──
我欲からの願いではなく、大願にするといいんですね。
清水先生 ──
ええ。そして最後が第三ステージの話。この人はもう助からないだろうとか、こんなことはできっこないとかいうような、「絶対に無理だろう」という願いを叶えたいときにどうするか? 結論からいうと、「願わないこと」です。
たとえば「自分のガンを治したい」というのがテーマだとします。このときに、「自分の努力によってなんとか治癒力を高めていけば治せるだろう」というのが1番目。そして、「自力では難しいから神様に助けてほしい」という場合は2番目。「もう駄目だ。私も努力できないし神様の助けも間に合わないだろう。でも本当は治してほしい」というのは3番目です。この「絶対に無理」だという3番目のケースで、どう起死回生をするのか。
テンプル ──
その願いを叶える方法が「願わないこと」なんですか?
清水先生 ──
どういうことなのか説明しますね。その方法というのは、いま自分が持っているものに一つ一つお礼を言っていくということなんです。「私には元気に動く腕があります」、「モノをつかむ手があります」、「買いたいと思っていたステレオを持っています」、「欲しかったエルメスのバッグを持っています」「聴きたかったこのCDを持っています」、「食べようと思っていた納豆が冷蔵庫にあります」etc.……。体のパーツや身のまわりのものなど目に見えるものから、思いや意識といった目に見えないものまで、すべてに「ありがとう」と言い続けていく。すると、いつしか「実は自分は数えきれないほど沢山のものを持っていた。願ったことはみんな叶っていたんだ」ということに気付くようになる。そして、神様にお礼を言いたくなる「フィール」が生まれ、「神様ありがとう」と自然に言えるようになります。このとき「自分がガンを治したい」ということについては、一切何も触れずに、ただ感謝を述べていくこと。ここがポイントです。
すると、そのうちに願っていることと叶っていることのバランスがくずれだし、ついに神様が「でも、君が一番欲しいものを頼んでいないじゃないか」と、「ガンを治したい」という願いに介入してくる。その結果、一番叶えたかった願いが実現する、というしくみです。
もちろん、自分が極限にいる状況で、最初から感謝などできっこないというのは分かります。でもエネルギーの観点でいうと、マイナスの部分を見ている限りはマイナスなことしか起きません。だから、「このガンを消してください」というマイナスな願いをしたところで無駄なんです。絶望や不安から生まれた願いをしているときというのは、「いま願っていることは到底無理な願いだから叶えられない」ということにフォーカスが当たってしまっているから。そうではなくて、自分のエネルギーをプラスに替えていかなくてはいけない。「一つ一つに感謝していくこと」はそのための作業なんです。ただし、願いごとを叶えるために感謝するのではなく、感謝することがあるから感謝をするというのが大事。そこを間違えてはいけないんですけどね。
テンプル ──
なるほど、そういうことなんですね。清水先生はご自分のことについて神様にお願いされているんですか?
清水先生 ──
誰か他の人に関するお願いをすることはありますが、僕自身についてお願いをすることはもうあまりないですね。なぜかというと、頼まなくても叶ってしまうから。出雲大社にて
テンプル ──
おおー! 頼まなくても叶うとは、どういうことなんでしょうか?
清水先生 ──
念力やイメージ、超能力を使えば、放っておいてもそのうち実現してしまいますから。別に神様にお願いする必要がないんです。それに、いま何が欲しいかといえばせいぜい読みたいジャンルの古本くらいですし。それは神様に頼まなくても、欲しいと思えばそのうちに手に入ると知っていますし。
テンプル ──
先日、青汁一杯で暮らしていらっしゃる森美智代さんにお目にかかったんですが、森先生も「口に出して言えば叶う。だから迂闊に言わないようにしている」と仰っていました。
清水先生 ──
そうなんですよね。多分、欲しいと言えばそれはやってきますよ。僕は森先生より悪い奴なので、欲しかったら欲しいと言います(笑)。ただ、想像の理というか、「こう願ったら実現するんだ」というノウハウを持っているから、いざとなったらそれを使えばいいだけ。カフェでコーヒーを注文したら少し後で出てきますよね。それと同じで、何か必要になったらその都度注文すればいい。「いま頼んでおかないと無くなるかもしれないから、沢山頼んでおかなきゃ」とガツガツしなくてすみますよ。
結局、物事を実現させるときのキーというのは「神様=外の力」か「念力(思い)の力=我の力」なんですが、そのどちらかを使えたら人生で困ることはなくなるでしょう。
僕の講座では、皆さんが今抱えている心配や不安、怒り、我欲などをフラットにしてから「どうなりたいかを創造する」というアイデアやノウハウを提供しています。面白いのは、心配事を消してしまうと「どうなりたいか」というのも同時になくなってしまうこと。借金がたくさんあるとなるとお金が欲しくなるけれど、その心配がフラットになってしまえば「まあいいか」となりますからね。
テンプル ──
清水先生はいつも迷いなく、「願ったら叶う」と断言されていますよね。「できないわけがない」と。普通は「叶うかもしれないし、叶わないかもしれない」と、どこかに「できなくても仕方ない」という余地を残してしまうものなのに(笑)。だから、清水先生はすごいなあと思います。揺るぎない自信を持っていらっしゃるんだなと。それだけ積み重ねてこられた経験と実績がおありだからなんでしょうね。
どのセミナーの時だったか忘れてしまいましたが、清水先生が「僕は君たちが思っているよりも凄いんだよ」と仰っていたことがあって、どう凄いんだろう、と(笑)。全く想像がつかないので。
清水先生 ──
まあ、そんなことを言う奴は大したことはないんですよ(笑)。
テンプル ──
いや、そういうふうに言えるというのは、長年の積み重ねとそれに伴う確信があるからですよね。ご自身に対する絶対の自信みたいなもの。
清水先生 ──
まあ「確信を持って行う」ということ自体がいつもの技ですから。居合いに似ているんですよね。一太刀のみで二太刀(にのたち)はなし。刀を一回抜いたらもうそれで全てが決まり、失敗したら死んでしまうというような。僕はそういうセンスで願望実現や病気治しというのをやっています。
その時には、限りなく一瞬の瞬間に全てを没入できる能力を作っていきます。アナログの時計の秒針がカチッカチッと動いているのをずっと見ながら変性意識にすーっと入ると、時計が止まった感覚になります。でも、意識では、あれ? 何で時計が止まっているんだろう?と普通の脳の速度で思っています。具体的にいうと、自分の脳波をシータ波以下=いわゆる空とかサマーディ状態にもっていき、限りなく「一瞬」の間に没入するということをやる。つまり一秒を永遠のように感じていくわけですが、その状況というのは、過去から現在、未来の時間を一瞬、この一部だけ切り取り、この一秒の間にたとえば「病気が治った」と確信し、いま目撃したかのようにフィールしてシンキングする。そしてエネルギーを出します。※2
後で治るだろうとか、このエネルギーによって数十秒後からこの人が治っていきつつあるとか、そういう感じではない。「治れ」、「治った」、というもっとダイレクトな世界なんです。能力の使い方自体が、「できるに決まっている」と最初から確信するというスタイルなんですよ。だから自信ではないんです。セミナーや動画で自信満々に語っているところだけを切り取られると、「こいつは傲慢でプライドが高くて嫌な奴」だと思われるかもしれない(笑)。でもそれはその人が僕の「我」の部分を見ているからで、実は逆なんですよ。むしろ「我」をすべて消し、成功した出来事を客観視しているから、「できた」という結果に繋げることができるんです。
たとえばがん患者さんを目の前にしたときには、先のサマーディ状態に入って「我」を完全に消してしまいます。そして、その人への心配や助からないという恐れ、神様も誰も助けてくれないという不安、さらにはその人がガンだという状況さえも消します。そうやって何もなくなったところにイメージ上で白いボードを出し、「元気になってよかったね」とだけ書く。あれ、何だっけ?この人が元気なのか。良かったですね、とエネルギーを出して終わり。目を開けると、「ところで何がよかったの? あなたはガンだったんだっけ。でも、もう治っていますよ。僕は何があったのか知らないけど」と。するとこの現実世界でも本当にその人のガンはなくなっている。そういう感じなんですよ。ケイシーがリーディングをするときに自分を消したように、無我になることで客観的世界だけを際立たせるやり方。だから、これはケイシーの感覚に近いというか、ケイシーのパクリから生まれたアイデアなんです(笑)。
2 エネルギー……清水先生のセミナーで伝授される気のエネルギー。
テンプル ──
そのような境地になるために、私たちはケイシーが遺した『神の探求』という霊性向上のテキストブックを使って神のうちに自分自身を捨てる、ということを徹底的に練習していくんですが、清水先生はすでにそのような境地に入られている気がします。
ところで、願いを叶えるといえば、清水先生のご著書によく出てくるフレーズに「良い人間になります。ありがとうございました」という言葉がありますよね。たとえば「出雲の神さまにまかせなさい」の本では、このフレーズを言った後にお願い事を言うということが、究極の神頼みの方法だと書かれていました。でも「良い悪い」というのは人間の決める価値基準であって、神さまの意図する良し悪しとは違うんじゃないのかな?と思ってしまうんですが。
清水先生 ──
確かにそうですね。でもそこは悩むことなく、ただその文言を言えばいいのです。たとえば戦争でやむなく敵を殺めなければいけないという事態になったときに、「良い人間になりましょう」と言ったって、まったく説得力がないではないか。そう言われたら確かにそうです。多くの人は、親切で善良で模範的であることを「良い行為」とイメージしている。でもその基準も人によって違うわけですよ。しかし、このノウハウを行うときには、あえてそれを哲学的、倫理的、文化的価値観のなかで議論することもないし、実際の出来事と結び付ける必要もない。つまり具体的に「何を良い行為」とするかを考えずに、ただ「祈り」として切り離すことが必要なんですよ。そうして文言を唱えて祈っているうちに、その言葉を通して開けていく上位構造があり、そこから気づきが「降りて」くるようになります。そして、何が良いことでどういう風に行動していくとよいのか、といったようなことが分かるようになる。その文言の祈りによって、自分の潜在意識とそれを超えた内なる神との対話が始まるようになるんです。一人一人にケイシーの行っていたようなリーディングが始まるんですね。
テンプル ──
なるほど。まずは深く考えずに口に出せばいいと。そのうちに自然と気づきのプロセスが起こってくるということですね。
清水先生 ──
そうです。文言の祈りを続けているうちに、ふと「良いとはどういうことなのか?」という問いかけが起きてきたら、それを自分の心に返してみる。すると顕在意識が「こういうことじゃないかな?」と思いつくかもしれない。そうしたら、そのことについてまた自分の心に戻してみるんです。
たとえば、「南無妙法蓮華経」や」「南無阿弥陀仏」etc.……を唱える東洋のマントラ行は、芸術や音楽の世界に近いもの。木魚や太鼓を叩いたりしながら、ビートとリズムを刻んで繰り返すということを技の本質としています。音の響きが肝になる瞑想のやり方で、非常にフィジカル的なメソッドですよね。もちろん、それはそれでとても意味のある方法です。
それに対して、僕がいま言っているのは「キリスト教的な祈り」。「『良い人間になります』とはどういうことなのかな?」と、その意味を頭で考えながら、文章そのものをハートで感じるようなやり方です。東洋的なドラミングとフィールではなく、ゆっくりと「良い人間になります。ありがとうございました」と感じる。そして思う。ひとつのセンテンスを黙想し、繰り返しそのフレーズについて思いを巡らせるというのが「祈り」という行為の真髄。それによって本質生命体との回路が開けていき、志や誠の道、神様との繋がりといったものが生まれてくるんです。そうなると心の安定を得られるばかりか、願い事も叶いだすから一石三鳥、四鳥の世界になるでしょうね。だから僕自身はこのやり方を、ケイシーリーディングの出力系だと思っています。
テンプル ──
またしてもケイシーのことに触れていただいてありがとうございます(笑)。今日は、どのようにして清水少年が今の清水先生になったのかお聞きしたかったのですが、残念ながら、そろそろ時間が来てしまいました(涙)。
まだまだお伺いしたいことは沢山ありますが、最後にテンプルの読者に向けて、清水先生とっておきの秘儀を教えていただけないでしょうか?
清水先生 ──
それでは先ほど話題にのぼった「良い人間になります。ありがとうございました」という文言をはじめ、著書やセミナーのなかでも紹介しているマントラと、手足のツボを組み合わせた方法をお教えしましょう。
この「良い人間になります。ありがとうございました」という文言は、すべての神さまに通用するようなマントラの一つだと先にお伝えしました。これは、実は口から発するだけで頭頂のチャクラが開き、神さまに繋がりやすくなるという秘密の呪文なんです。このマントラを唱えるときに、手の“大陵(だいりょう)※3”というツボのところを中指で触りながら言います。
次に、過去を立て直す「あれはあれでよかったのだ」というマントラを口に出しながら、人差し指で“太淵(たいえん)※4”というツボを触る。最後に、未来を立て直す「これからきっとうまくいく」というマントラを言いながら、“神門(しんもん)※5”というツボを中指で触る。これを各3回ずつ繰り返します。これによって潜在意識や雑念が浄化され、すべての世界に道が開くようになっていきます。ただ文言を唱えるよりもツボを押しながら口に出すことで、より効果が出やすくなります。
ついでに、「自分のセルフイメージを書き換えることができる」ツボもお教えしますね。“列欠(れっけつ)※6”というツボを人差し指で触りながら、「痩せたい」、「彼氏ができますように」etc.……、「自分がどうなりたいか」という理想像をコールしてください。これによって顕在意識の書き換えができるようになります。
テンプル ──
もしかして、「超意識の書き換え」ができるツボもありますか?
清水先生 ──
出ましたね(笑)。これが実はあるんですよ。足の内側にある“公孫(こうそん)※7”というツボに人差し指と中指を当てて、両親や先祖に「ありがとうございます」と素直な気持ちで呼びかける。そして、足の甲にある“臨泣(りんきゅう)※8”という「セルフの過去の業が溜まっている」ツボにエネルギーを入れて「あれはあれで良かったのだ」と3回繰り返す。するとセルフの業と宿命の業がきれいになり、そのうちに本質生命体が目覚めていく……ということさえ起きてきます。
3 大陵(だいりょう)……手のひらを上にして、手首を手前に曲げたときにできる横ジワの中央にあるツボ。大陵(だいりょう)
4 太淵(たいえん)……手のひら(親指側)の膨らみの下にある凹み部分にある。太淵(たいえん)
5 神門(しんもん)……手首(小指側)の横じわ上の少しくぼんだ場所にある。神門(しんもん)
6 列欠(れっけつ)……手首(親指側)の内側の動脈に、もう片方の手の指を甲から回したときに、薬指のあたる場所。列欠(れっけつ)
7 公孫(こうそん)……足の土踏まずのアーチ中央付近にあるツボ。公孫(こうそん)
8 臨泣(りんきゅう)……足の小指と薬指の骨が合流するあたり。
テンプル ──
これは簡単ですから早速できますね、ありがとうございます。超意識のツボに入れるというエネルギーについては、清水先生のセミナーに参加して伝授していただく必要がありますが、それ以外は誰にでもできる方法ですよね。ぜひ皆さんもお試し下さい。
短い時間ではありましたが、清水先生にいろいろなことを教えていただきました。今年は修練の1年を過ごされるそうで、講座の回数がぐっと減ると聞いています。その分、あらたな洞察が加わることと思いますので、ご著書やセミナーを通じて、目から鱗の学びをたくさんシェアしていただけることを楽しみにしています。
清水先生 ──
ありがとうございます。今年は「修練の年」として、僕自身、より多くのことを学びたいと思っています。今は師匠もなく、一人で鍛錬しています。具体的には瞑想と気功です。ケイシーもフィジカルとスピリチュアルの両方を均一に要求しているところがバランスが取れていると思いますね。
フィジカルのリーディングなんて、ほとんどの人はしないでしょう。逆に医学的なリーディングをしている人は、スピリチュアルなことが不得意だったりします。ケイシーだけだと思います。両方に対し精度の高いリーディングができたのは。
テンプル ──
ケイシーは、お肌の悩みであろうと、重篤な病気であろうと、霊的なアドバイスであろうと、全て質問に対しては同じように真摯にアドバイスをしています。
清水先生 ──
そういう美容の問題も、例えばガンなどの重篤な病気などと同系列でとらえて、すべて重要な問題として扱っている。そういう点がケイシーの大好きなところですね。
テンプル ──
最終的に清水先生が目指しておられるところというのはもう分かっていらっしゃるんですか?
清水先生 ──
個人的にはいろいろあります。今はまだ開演前の準備をしているような段階だと思っています。
テンプル ──
ええ~!? 清水先生が準備中だったら、私は一体どこにいるんでしょう!(笑)
清水先生 ──
そろそろようやく第一幕の本番が始まるような気がしています。これからの活動をどうぞ楽しみにしていてください。出雲大社にて
今日は興味深いお話しをお聞かせいただき、ありがとうございました。
インタビュー、構成:河野真理子、光田菜央子
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