Facebook北條 毅さん投稿記事
もし、これからの未来に何の希望もないとしたら 絶望しかないのだとしたら 生きている意味なんてないだろう 人は、希望があるから 生きていけるもの 希望を信じられるからこそ 未来へ歩んでいけるものなんだ
希望も絶望も どちらも間違いなんかじゃない 世界には、希望も絶望もどちらもある
ただ、そのどちらに光を当て 拾い上げるかだけなんだ
希望を拾い上げて世界に光と可能性を感じるのか 絶望を拾い上げて未来に闇と閉塞感を感じるのか あなたはどちらを選びたい?希望を否定する言葉に 耳を貸さなくていい
絶望ばかりを伝染させる者を 信じなくていい
世界に絶望はある けれど、希望もまた必ずあるんだ どんな時にも、どんなところにも
そして、世界にも あなたの未来にも 希望はあるんだよ、必ずね
希望を選び取ろう 光ある未来を信じ抜こう
未来はそうして開かれていくんだ
Facebook長岡 美妃さん投稿記事 一念往生。
浄土真宗の教えの根本をなすと言われている言葉である。
「阿弥陀如来の本願は、臨終目前の、最も短命の人を救うことに焦点をあてられている。もし3秒かかるような救いでは、1秒しか命のない人は助からない。一念の救いこそが、弥陀の本願の最も大事な特徴なのだ」と言う。
私は数年前まで緩和ケア医をしていた。臨終の瞬間に何度も立ち合い思っていたことがあった。それが上記のことであったのだと今になってやっと分かった。
人間(ホモ・サピエンス)には知るべきこと、やるべきこと、期待すべきことがある。それは唯一つ、「自分とは何者なのかを悟り知ること」である。人間の命はただそこに注がれていることを知っ今、分かったのだ。もし3秒の命があったのなら人間は悟ることができる。いや1秒、いや0.0001秒であったとしても、最期の最期まで人間にはチャンスがある。
もし命が五感覚を満たす為にあるのなら、五感覚を満たすことができなくなった命は消化試合と化す。残りの命をただただ苦痛の中で過ごすだけの地獄となる。「なぜこんな苦しみを与えるのだ!」「こんなになってもどうして生きなければならないのだ!」そんな叫びが出るのも最もだ。
しかし違うのだ。人間の命は最期の最期まで「知る」ことができる。どんなに極限状態に陥ったとしても、どんなに悲惨残酷な状況であったとしても、一筋の光は射している。
一念、、、これ信楽開発(しんぎょうかいほつ)の時尅の極促(じこくのごくそく)を顕す」、つまり瞬間の悟りである。「自分とは何者なのか」が分かった。完全に脳を手放した瞬間に訪れる境地。そこに時間はかからない。
分かった・・・命は最期の最期までこの一念を待ってくれていたのだ。肉体の苦しみもすべてはこの一念のための愛の斥力であったのだ。。。アモール・ファティ(運命愛)
Facebook相田 公弘さん投稿記事 「神様へお願いするときのポイント」のお話です。
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Q 神社などで神様にお願いをする時は過去形が良い、と言われました。
たとえば、「健康になったことを感謝します」「宝くじが当たったことを感謝します」など、願いがすでに叶った後であるかのように願うほうが良い、と。
ウソをついているような気がしますが・・・。
A 過去形で祈るのは良いことです。
心にしっかり確立できた願いは、自動的に形になりやすい=叶いやすいからです。
この場合は、「祈り」というよりは、「意宣り(いのり)」で、「心に願いをしっかり定着させましたので、もう大丈夫です!」と宣言していることになります。
とはいえ、そこまで信念の強い方はあまりいないでしょう。
過去形で祈りながら、「なんだか、ウソっぽいなあ」と半信半疑になってしまう人が大半でしょう。
そうすると、その願いは叶いません。
「こんなのウソじゃないか」という「本音」の想いのほうが形となるからです。
ジョセフ・マーフィーさん(1898年~1981年。潜在意識の法則の提唱者)やエミール・クーエさん(1857年~1926年。自己暗示法の創始者)は、“過去形は抵抗観念を誘発する場合が多いから、進行形(ing形)で祈るほうがいい”といったアドバイスをしています。
たとえば、「ドンドン健康になっていっています、ありがとうございます」という具合です。
宝くじのほうは、進行形にはしにくいお願いですね。
そうした場合は「ドンドン経済的に豊かになっていっています、ありがとうございます」と祈りましょう。
クーエさんは、こうした「自己暗示法」で、個別の願いを叶えるよう指導しておられましたが、「副作用もある」と気づかれ、晩年には、「一般暗示」という方法で祈るように指導されていたそうです。
それは、「これから毎日、あらゆる面で、いっそう良くなっていきます」と、抽象的に祈る方法です。
神様にも、「神様のおかげで、毎日あらゆる面で、いっそう良くなっていきつつあります。ありがとうございます」と祈るのはおすすめです。
開運!まいにち神様
立花大敬 著
KADOKAWA
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「神様のおかげで、毎日あらゆる面で、いっそう良くなっていきつつあります。ありがとうございます」
この言葉は実際にメモして神社に行った時や、寝る前の静かな時間、朝起きた一日の始まりに、心の中で唱えたら良いですね。
強い願望は、目標が高ければ高いほど「無理かもしれない」という本音も出やすいので、心から「いける!」と思える時にしか潜在意識の力は発動しないでしょう。
では、どうしたら「いける!」と思えるかというと、毎日そのことについて考えて、努力して、続けて、はじめて「いける!」と心から思えるのです。
毎日「祈る」ということが、自分の願望を忘れないための手段にもなります。
ほとんどの人が、いろんなことを願って、でもいろんな願ったことを忘れる。
子どもの頃願ったことも、18歳のときに願ったことも、去年願ったことも、ほとんど忘れているでしょ?
だから、毎日祈るだけで近づくのも納得です。
「自然寛解」(しぜんかんかい)という言葉があります。
これは、病気の症状が何の治療もしないのに、理由もわからないまま消えてしまったような状態の事です。
そして、アメリカでこんなアンケート調査が行われました。
ガンの「自然寛解」を経験した患者50人に、「なぜ回復したと思うか」と聞いたのです。
その結果は驚くべきものでした。
一番多かった答えは「祈る事」。
複数アンケートで、・祈り68%・瞑想や運動64%・ウオーキング52%・音楽50%という数字が報告されたようです。
祈る事に大きな効果があるという結果となりました。
そしてこれは何も、病気だけのお話ではないように思います。
何かについて祈るということは、常にそのことを考えて、意識していなければ祈ることはできません。
流れ星に願い事を3回言うと叶うという話も、常にその願い事を思っていなければとっさに言葉に出来ません。
また、自分以外の誰かや何かに対して祈るときは、神様からの応援がいつも以上にあるよです。 祈りの力は絶大ですね♪ ※魂がふるえる話より
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