https://nakatorimochi.ti-da.net/e5036353.html 【立つ鳥跡を濁さず。~霊的世界の観点から~】より
昨日は、色々あったスケジュールの合間を縫って、これまでお世話になった家の退去立会いがありました。長閑なエリアにあるコンパクトな1軒家で、1Fがリビングとキッチン、
2Fが寝室と、多目的ルームという、とてもお気に入りだった旧我が家。
今は、それ以上に魅力的な家に巡り合えたので、引越しを終えて、空っぽになった旧自宅をしっかり掃除し、これまで快適に住まわせてもらえた感謝の気持ちを伝えて、この家をあとにしました。
やはり何事も、どんな時でも、立つ鳥跡を濁さず・・・という精神、心構え、生き方は大切だと思います。
退去立会い時、不動産会社の人も、「海外で生活していた時期があるとは言え、とても綺麗に使って下さったんですね。」とおっしゃって下さり、僕も嬉しかったです。
お子さんがいらっしゃる家庭の場合は、ここまで綺麗だと逆に不自然に感じられるほど
ある程度、汚れても仕方がないと思います。
僕も子供の頃は、家の壁や柱にこっそり落書きをしたり、カッターなどで柱に名前を刻印したり・・・とやりたい放題でその度に母に怒られていた記憶があるので、子供に「完璧に綺麗にしない。」と強要するのは無理な話。
ただ、大人になっても同じようなことを繰り返すのであれば、それは本人の問題、責任になります。
極端なたとえで言えば、ごみ屋敷と呼ばれてしまうほどガラクタや物で溢れかえっている家やそれに近い形の家、そこに住む人たちは僕の印象では、意外に多いような気がしています。
実際にこれまで数多くの土地・家屋のお祓いを担当させてもらう中でもこのような家を幾度となく見てきましたから。
物をため込んでしまうのは、おおよそ心の病気、何かしらの強い拘りを持ち過ぎているのが原因ですが、本人は、完全にその感覚がマヒしているので、散らかっているのか、綺麗なのか理解できない場合が多いのです。
まずは、心療内科などで心の治療が必要だと思いますし、そのアクションがない限り、
霊的世界の力を借りるお祓いでも、どうすることも出来ません。
物を片付ける・・・という行動、実践が伴わない限り、次のステップに進めないからです。
物が多いことで、家の中のエネルギーの流れも悪くなりますから、当然、そこに住んでいる人たちの心と身体、そして人生にも直接的にあまり良くないマイナスの影響が出始めてきます。
実はかくいう僕の亡くなった父も、亡くなる直前の様子は、まさに、この影響を受けていたのではないかな・・・と思われるほど物をため込み、大量のガラクタを遺して亡くなりました。
人生の最後で、「立つ鳥跡を濁さず」を実践できなかった・・・という点で、僕の反面教師でもあります。
人間誰でも良い部分とそうではない部分があるものです。優しさもあり、カリスマ性もあり、面倒見が良かった父ですが、唯一、心の弱さ、繊細さを自分なりに見つめる作業が足らず 自ら、色々な悪循環を生み出したのだろうな・・・と、冷静に分析しています。
きっと僕が霊的世界に戻って父に再会したら、再会を喜ぶ前に、まずは、そのような意味でメーゴーサー(げんこつ)決定です(笑)。
当時、実家とは別に、賃貸物件で20年ほど借りていた家があったのですが、父が入院して、その手つかずの状態の家を整理しようと他の家族たちと片付けに入ったのですが、もう出るわ、出るわ、昔のもの、必要でないもの、ガラクタの数々。とうとう自分たちの力だけでは無理・・・と判断し、業者を依頼したほど、後片付けが大変だった記憶があります。
僕は当時勤めていた琉球放送を休職して、病気で入院している父や、同時期に別の病気で倒れた母の看病を他の家族と一緒にやりながら、このような物質的な処理と、それに関連する厄介で様々な問題と対峙しなければなりませんでした。
家族の病気の看病がメインで休職したはずなのに、それ以外の作業があまりにも多くて
「あぁ、このために僕は強制的に戻されたのだな。」と瞬時にそのことを悟りました。
ただ、そのことを分かっていながらも正直なところ、家族という血の繋がりがあるというだけで、何故、ここまで自分とは関係がない、自分が起こしたことではない問題ばかりに
一方的に苦労をしなければいけないのだろう・・・と、それは、それは、トラブルメーカーであった父に対して怒っても怒っても怒り切れないくらい、やるせない気持ちで一杯だったのを覚えています。
こういう状態の時って、とことん悪い流れになるのか、折角、綺麗に片づけたごみ屋敷に近い状態の賃貸物件、今度は、その管理会社と弁護士を交えて争う形になり、(所謂、悪徳会社だったようです。)結局は無事、全面勝訴という形で何の損害もなかったのですが、
その労力も相当なものでした。
これ1つだけならまだしも、他にも父が関連した同じような裁判に近い形、トラブルが7~8件同時進行でありましたから、(一体、どんだけのことをやらかしたのやら・・・。)
それは、それは、今振り返ってみても、本当に大変な時期だったと思います。
それまで平々凡々に穏やかに、大好きな沖縄でサラリーマン生活を謳歌していた人間が、
いきなり何の前触れもなしに、何も関係がないドロドロの裁判やら交渉やら負の遺産の整理やらを、一気に同時期に引き受けることになったのですから。
そのような知識も全くないし、勿論、自分自身のことで経験したことすらなかったので、
本当に1つ1つ周囲の詳しい人、専門家に聞きながら、協力してもらいながらの淡々とした作業が半年ほど続きましたがそのお蔭で、その分野の知識、経験は大幅に増えたのは、
唯一、良かったことだと感じています。
まっ、今では家族同士でも「本当にあり得んくらい、大変だったよね。」と笑いながらそのことを語ることが出来るほど笑い話の1つになっているので、このような感情面は、時間が解決してくれるものなんだな・・・と改めて実感していますが、物質的なガラクタ、そうではないガラクタはなるべくだったら、生きているうちに、後世の人たちに迷惑がかからないように整理しておく必要があります。
ちなみに、「この世」だけの価値観で判断すれば、やりたい放題で負の遺産だけを遺して
「あの世」に旅立った人たちは、ある意味、逃げ勝ちというか、「何もしなくて不公平」と、「この世」側から見れば、そう思えます。
ところが、実際は、「あの世」は、もっともっと厳しい世界。
この世で積み重ねてきた経験は、そっくりそのまま良くも、悪くもあの世に移行する形で反映されますから、人に迷惑をかけて亡くなった場合、はたまた生前、そのような人生を送ってきた人は必ずそれと同等か、それ以上のペナルティが課せられます。
どんなペナルティなのかは、この世の人がいくら想像したところで、全ては理解できないものなので詳しくはご紹介しませんが、唯一、1つだけお伝えできることは、この世で逃げられたこと、隠せた悪事でも、あの世では全て曝け出され、全てその責任を負わなければいけない・・・ということです。
この世的な、逃げ勝ち、言い逃れなどは一切通用しませんから、そのような意味では、とても公平です。
また、その逆も然り。たとえ、この世で苦労ばかり重ねて何1つ報われない人生だった・・・と嘆くような場合があったとしても、あの世、もとい霊的世界は、その人の人生の足取りを全て理解しています。
誰にも理解されなかった人生、何も報われなかった人生であったとしても、霊的世界では「良く頑張りました。」と、心からの祝福と歓迎でその人の魂を受け入れてくれるのです。
少し前に上映された映画・「レ・ミゼラブル」は、まさに、この霊的世界の真理を見事に表現した映画だと思いました。
この世で不公平に思えること、理不尽に思えることなんて本当に沢山あり、そのことで心を痛めることは大なり小なり、誰だってあります。
この世では、それを誰にも理解してもらえなかったとしても、必ず霊的世界は、常にその真実を理解し、見守って下さっています。
立つ鳥跡を濁さず・・・という言葉は、どんな場面でも大切な、次の輝かしい未来に向かうためのステップ、幸せへの扉だと感じています。
これからも、この気持ちを忘れず、自分なりの旅立ち方、次のステップへの進み方を積み重ねていきたいものです
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お祓い・身体加持(浄霊・無病息災)|加持(かじ)とは、神仏の不思議なお力によって、心・身・魂を浄化すること。祝詞を唱え、手で印を結び、言霊を唱えます。|お祓い祈祷祈願
「とほかみ えみため ひふみよいむ なやここのたり ふるべ ゆらゆらと ふるべ」
神祗伯家秘伝 古神咒」
ト ホ カ ミ エ ミ タ メ
この八言は「五元の神」を拝し “ト”は水、“ホ”は火、“カミ”は木、“エミ”は金、“タメ”を土として、それぞれの働きを称えたものです。また、神道の最大関心事である「罪穢れを祓い清めたてまつる」ことへの秘法として伯家(はっけ)に秘伝として伝えられていました。ト・ホ・カ・ミ・エ・ミ・タ・メ で八音ですが、ト・ホ・カミ・エミ・タメ については五音となりうることが「大祓詞」の「天津祝詞の太祝詞事」に通じ、大祓詞の長い祝詞の秘詞に匹敵するものとされました。
「布瑠の言」
ひふみよいむなやここのたり ふるべ ゆらゆらとふるべ
物部氏の祖神「ニギハヤヒノミコト」が降臨する際に「タカミムスビノミコト」に授けたというのが「布瑠の言」です。この言霊には「十種神宝(とくさのかんたから)」を意味するものが含まれ、言霊の中で神宝を使うことで霊的な秘技を確立します。「旧事本紀」では「死者がよみがえる」とも記されています。
ヒフミの神歌」
ひふみよ いむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑにさりへて のます あせえほれけ
この神歌は天照大神が天の岩戸に隠れましたとき「天鈿女命」が岩戸の前で楽しげに神舞を舞うときに謡われた歌です。清音で謡われるように構成されており、「神霊を慰め万の災いをして幸いに返さずということなし」といわれるもので、宇宙創造の原理を要約したものとの説もあるようです。この神歌は47の音で構成されますが私たちが使用する言葉の基礎たるもので、清音47柱の神が宿る「言霊宇宙」を形成するものとされます。また「ヒフミ神歌」は鎮魂帰神法に使われたり、言霊の訓練にも使われました。
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