実存的転換(変容)

https://ameblo.jp/gan-jiten/entry-12813762906.html 【実存的転換(変容)】より

黒丸先生の講演(7/15奈良)、杉浦貴之さんの新刊、リボーン洞戸のイベント(8/6天外伺朗×矢山利彦×船戸崇史)など、このところ「実存的転換(変容)」というキーワードの接触機会が多いので、短く記します。

実は僭越ながら、ガンの辞典テキスト(2014年初版から)にもずっとこのトピックは掲載しています。

『がんの自然退縮の研究』

中川俊二医師・池見酉次郎医師(九州大学医学部 日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者)

*論文は海外の医学誌に発表

自然退縮の事例にインタビューを行う(70例以上) 

(中川俊二著「ガンを生き抜く」1983 より)

「がんの自然退縮」とは、医学的に有効と認められている治療を一切使わずにがんが消失した状態です。

両医師は、自然退縮者に共通していたのは「実存的転換」であると結論づけています。

(*現代なら遺伝子の変異を調べたりできたでしょうね)

【実存的転換】

がんや死への恐怖がみられず、がんであることを自覚したのを機に一大転換がおこり、不安、恐怖を克服して、生活の是正とともに、新しい対象の発見や、満足感、生き甲斐の再発見、そして残された生涯をより有意義に、また感謝しながら前向きに行動するという姿。

この説明だけでは、「前向き」「ポジティブ」が鍵だと読み取られてしまうかもしれません。

僕は、今までの体験者の取材から以下のような解釈をしています。

「実存的転換(変容)」は、思考、行動、習慣レベルを超えた【存在(在り方)の変容】であり、そのレベルでの変化は実質(身体)への影響が大きい。

昨今、“being”“doing”というワードで医師、セラピスト、体験者さんが発信しています。

それは、【どんな人×どんな行動=現象】という公式になるかと思います。

「こころ」や「生き方」が重要で、それらを変えようとするがん患者さんが取り組むのは多くの場合“doing”です。まずそこから始め、コツコツ修正していくのもよいと思います。

しかし、「I am ○○」という前提は生き方を強力にドライブします。

あなたは、何者として生きますか?

(*注)自然退縮を目指しましょう、という記事ではありません


https://ichijyo-bookreview.com/2018/08/post-1555.html 【『人生はあなたに絶望していない』 永田勝太郎著(致知出版社)】より

 『人生はあなたに絶望していない』永田勝太郎著(致知出版社)をご紹介いたします。サブタイトルは「V・E・フランクル博士から学んだこと」です。著者は昭和23年千葉県生まれ。慶應義塾大学経済学部中退後、福島県立医科大学卒業。千葉大学、北九州市立小倉病院、東邦大学、浜松医科大学付属病院心療内科科長、日本薬科大学統合医療教育センター所長を歴任。公益財団法人国際全人医療研究所代表幹事。慢性疼痛などの全人的医療を研究。平成18年、ヴィクトール・フランクル大賞を受賞。

ヴィクトール・フランクルとは、この読書館でも紹介した『夜と霧』の著者であり、ナチスの強制収容所を生き抜いた精神科医です。著者はそのフランクル博士の薫陶を受け、心療内科医として自らの医療活動に役立ててきました。心療内科といえば、わたしの父は、かつて財団法人・日本心身医学協会の会長を務めていました。同協会の理事長だったのが、九州大学名誉教授で「日本の心身医学の父」と呼ばれた故・池見酉次郎氏でした。池見先生とタッグを組んだ父は、心身医学の普及に努めました。その池見氏こそは著者のもう1人の師です。その関係で、わたしは学生時代に著者にお会いしたことがあります。

本書のカバー表紙には、フランクル博士の顔写真とともに、彼の「人間、誰しもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。しかし、あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。あなたを待っている誰かや何かある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる」という言葉が紹介されています。また、「柳澤桂子さん推薦!」として、「一人の医師が、血の滲む苦しみの末、多くの患者のために難病から立ち直る感動の書」と書かれています。

カバー前そでには、以下のように書かれています。

「私は、五十歳を迎えようとしていた頃に、病に倒れた。主治医にも見放された。寝たきりになり、死に直面したとき、私には絶望という言葉しかなかった。唯一、私が生き延びるためには、自己超越せざるを得なかった。しかし、一介の医師でしかない私にそんな力は備わっていないと思われた。けれども、そうした力がなければ、私は死んでいただろう。私にその力を与えてくれたのが、フランクル博士の残した言葉であった―」

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「まえがき―禍福はあざなえる縄のごとし」

第一章 私の奇跡体験とフランクルの教え

第二章 ヴィクトール・フランクル先生と私

第三章 人生はあなたに絶望しない―ヴィクトール・フランクル講演録

第一章「私の奇跡体験とフランクルの教え」では、まず著者の第一の師である池見酉次郎氏のことが次のように書かれています。

「私は、池見酉次郎先生(1915~1999)の最後の弟子であった。先生は、我が国に最初の心療内科の講座を九州大学につくった方である。多くの仕事をなされ、九大を定年退職された後、名誉教授になられ、北九州市立小倉病院(現・北九州市立小倉医療センター)の院長に就任された。

私は、心療内科を学びたくて、千葉大・千葉労災病院での研修が終了した後、万難を排して、池見先生の元に馳せ参じた。それからまる5年、池見先生の下で、必死で心療内科を学んだ。池見先生が北九州市立小倉病院院長を退官されるまで、私も同病院に努めた」

著者が病に倒れて熱海の病院に入院していたとき、師である池見氏の訃報に接します。当時のことを、著者は以下のように書いています。

「ちょうど私が倒れた頃、先生も倒れられた。そして、1999年6月、先生は亡くなられた。私は訃報を熱海の病院のベッドで聞き、泣き濡れた。

『先生、葬儀にも行けない不肖の弟子をお許し下さい』

師匠の葬儀にも行けない自分が情けなく、ひたすら詫びた。しかし、どんなに詫びても、詫びきれるものではなかった」

その師の最晩年のテーマについて、著者はこう述べます。

「恩師である池見先生の最晩年のテーマは、死の受容であった。人間は自己の死を受け入れられるであろうか、先生にとっての最大のテーマであった。先生はこう結論づけた。『理想的な死の受容とは、生と死を相併せ飲むような死に様を言う。生きながら死に、死にながら生きる様な死に様、従容と死を受け入れる』。言わば、即身成仏のような死に様を理想とした。

私は臨床医として、多くの患者さんの最期を看取ってきた。しかし、池見先生の言われるような死に様を見たことは1回しかない。その1回とは、私が麻酔学やペインクリニック学を教わった村山良介先生である。先生は、若い日にガンを経験し、ガンが見つかった時にはすでに移転していた。手術を受けたが、他の療法は拒否された」

池見酉次郎氏と並ぶ、著者にとってのもう1人の氏がビクトール・フランクル博士でした。著者は以下のように述べます。

「フランクル先生は、自分も殺されるかもしれない過酷な煉獄の中で、実存分析という先生の開発した精神療法を実践し、人間の持つ可能性を信じることのできた方である。先生の著書は、いまだに世界の名著に挙げられている。多くの人たちが、先生の著書より勇気をもらい、人生に果敢に挑戦していった。ロシアのゴルバチョフ、ヒラリー・クリントン、ゴア副大統領など、先生の薫陶を受けた政治家は枚挙にいとまがない。実業家、哲学者、心理学者にも弟子が多い。私は、1990年に初めてフランクル先生の下を訪れ、以後、1993年にご夫妻を我が国に招聘した。医師としては、フランクる先生の死後の弟子であった」

そのフランクル博士は「実存的転換(自己超越)」というものを唱えました。著者は以下のように述べています。

「私の診てきた患者さんたちの中には、ガンの自然退縮例が何人かいる。こうした奇跡的な患者さんたちには、いくつかの共通点があった。彼らは、ガンになってしまった事実を医師によって突きつけられ、ガンを自覚せざるを得なかった。しかし、それにめげることなく『至高体験』を経験し、その結果、果敢に生き様を転換している。これを『実存的転換』(米国の精神医学者、ブースによる命名)という。フランクル先生は、『自己超越』と言った」

「至高体験」とは何でしょうか。一般には心理学者エイブラハム・マズローが説いたものとして知られていますが、著者は以下のように述べます。

「至高体験とは、豊かな自然や人との出会いにより、『ああ、私の人生って素晴らしい! 生きててよかった!』と、こころから喜べる体験である。こうした体験を通じて、人は、生きている実感(実存性)に打ち震える。

至高体験を経て、生き様が変わってくる。この生き様の転換を『実存的転換』という。その結果、ガンが自然退縮(自然に小さくなり、時に消失することもある)することもある。すなわち、至高体験は究極の緩和医療である」

さらに、著者は以下のように述べています。

「私の許を訪れてくる患者さんの中には、難病の方が多い。今まで、私が治療してきた多くの患者さんに、私自身、どう対処してきたか。思い起こせば、そうした場合、私はよく池見先生やフランクル先生に相談していた。彼らは、エビデンスがないから諦めるのではなく、哲学で解決していた。哲学とは医学思想であり、一貫した人間を理解する視点である」

著者は、フランクル博士について、「人類の危機ともいえる状況を救済できる哲学を持つ唯一の人」とまで言います。また、「20世紀最大の文明論者」とも呼ばれているフランクル博士について、以下のように述べます。

「フランクル先生の偉大さは、彼の強制収容所での極限状況での体験をただ悲惨な体験として記述するところに留めず、戦後、実存分析(logotherapy and existential analasis)として学問のレベルにまで昇華させたところにある。しかも、それは、抽象的な学問としてではなく、実践的で、具体的で、誰にも理解できる明瞭な科学としたところにある」

本書の第三章「人生はあなたに絶望していない」は、フランクル博士が1993年に来日した際の講演録です。ウィーン生まれのフランクル博士は、15歳から17才の頃、なんと「精神分析学の父」であるジークムンド・フロイトと文通していたそうです。当時、フランクルは2ページの原稿をフロイトに送ったことがあるそうです。「これを発表できるかもしれないというような野心も期待もないことを誓います」とそこに書き加えて送ったところ、3日後、フロイトから返事が届きました。そこには、「フランクル君、心のこもったお手紙をありがとう。原稿に関しては、国際精神分析ジャーナルの編集長に直接渡しました」と書かれていました。その2年後の1924年、フランクルが19歳のときに原稿は発表されました。1925年、別の原稿が発表されましたが、今度はフロイトの雑誌に彼の紹介で掲載されたのではありませんでした。「国際個人心理学ジャーナル」に、個人心理学の創設者アルフレッド・アドラーの紹介で掲載されたのです。

若くしてフロイトとアドラーという精神医学の2人のリーダーと交流があったフランクルの才気には驚くばかりですが、「私の人生の早期にこの2人と親しくすることができましたことはたいへん幸運なことでした」と前置きをした上で、フランクル博士は来日公演で以下のように述べたのでした。

「時代の変化に応じて、精神療法も常に最新のものへと書き換えられなくてはなりません。精神の病は、フロイト流の『快楽への意志』(will to pleasure)やアドラー流の『権力への意志』(will to power)といった根拠でのみ論じることはできなくなりました。たしかにそうです。

精神の病の主要原因は、もはや『快楽への意志』や『権力への意志』ではなく、より深いものへの欲求不満、つまり『意味への意志』(will to meaning)、人間の生きる意味の探究である、ということはよく知っておく必要があります」

この講演の後、質問の時間が取られました。ある患者が「私はガン患者です。私にも実存的態度変容はできるでしょうか」と質問したところ、フランクル博士は表情を変えないで「当然、できます。現にあなたは、今ここで生きています。その事実を同じように病気で苦しんでいる仲間に知らしむること、それがあなたの自由性であり、責任でしょう」と答えました。

このガン患者は、この日から変わりました。無為だった日常を改め、自伝(闘病記)を書き始めたのです。彼の病状は徐々に悪化していきましたが、彼はめげませんでした。余命わずかと考えられていましたが、その後、1年半生き延びました。そして、ついに『がんの再手術を拒否する時』(三省堂)という本を著しました。その出版が決まった日、彼はその報せを聞いて他界しました。大往生だったそうです。最後に、著者は「まさに、『人生はあなたに絶望してない』のである」と記して、本書を終えています。

ジークムンド・フロイト、アルフレッド・アドラーと親しく交流したヴィクトール・フランクル、そのヴィクトール・フランクルと池見酉次郎の2人に師事した永田勝太郎。偉大な師を持つことは人生最高の幸福の1つだと思います。そして、わたしにも2人の偉大な師がいることに気づきました。上智大学グリーフケア研究所の島薗進所長(東京大学名誉教授)と鎌田東二副所長(京都大学名誉教授)です。わたし自身も同研究所の客員教授となりましたが、日本宗教学のツートップである両先生から学ばせていただくことはあまりにも多いです。池見先生や著者が取り組んだ心身医学も、グリーフケアにとって非常に重要なジャンルであり、これから大いに学びたいです。



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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