https://ameblo.jp/nukunukumichi/entry-12733876443.html 【メメントモリと辞世の句】より
どんなに目を逸らしたくても、老化に逆らいたくても、人はいつか必ず死を迎えます
メメントモリ 死を忘れるなかれ 命に限りがあることを常に心に刻むからこそ、今が大切に思えてくる
武士は死に際して辞世の句を詠みました。自分の人生を振り返り、短い語句の中に自分の人生の全てを表現する。
辞世の句を初めて知ったのは小学校の修学旅行、会津の白虎隊のお墓を訪ねたのがきっかけです。あまり年の変わらない白虎隊士が、藩のために自ら命を絶ったことはもとより、辞世の句まで詠んでいることに衝撃を受けました。
ここ数年、各地に祈り歩くようになって、さまざまな武将の辞世の句を知りました。
大変印象に残り、折にふれ思い出す辞世の句があります。
うつものも 討たるる者も かはらけ(土器)よ くだけて後は もとのつちくれ (土塊)
討つ者も、討たれる者もかはらけ(土器)に過ぎず、砕けた後は、もとの土の塊になるだけ。
この句は、神奈川県三浦市の油壺に城を構えていた三浦義同(みうらよしあつ)公が詠みました。あなたの感情を掻き乱す誰かも、あなた自身も、わたしも、みんな 死んだらもとのつちくれに還る。ただ、それだけ。
この句を眺めれば眺めるほど、心の中のさまざまな気持ちが解け自分の身体も解け、大地と一体になり静けさに戻っていくような感覚を覚えます。
大地と一体の感覚を覚えれば覚えるほど、産業革命以降、人間がこの地球にばら撒いてきたさまざまなモノに対する違和感が湧いてきます。
その違和感も長い目で見れば、つちくれに還っていくわけですが、人間がばら撒いてきたモノのおかげで命を脅かされているたくさんの動植物がいます。
それゆえ、人間であることが嫌になることもあるわけですが、メメントモリ、人生の残りの時間で何が出来るのか、、、
地球全体の未来のために貢献したいなと思うばかりです。つちくれ意識を大事にしながら。
感情に呑まれそうになったら、いずれは大地に還っていく自分と目の前の人を想う。
大地に還ったところを思い浮かべた時に何か違和感が湧くならば、その違和感を解消するために今出来ることは何だろうかとよくよく考えて出来ることから行動する。
うつものも 討たるる者も かはらけ(土器)よ くだけて後は もとのつちくれ (土塊)
お読みくださりありがとうございましたお願い みちより
https://note.com/dera_k/n/n5d4222011ab9 【人生に強烈なメメント・モリを。】より
辞世の句にハマっている。
特に、戦国時代あたりの、まさに死と隣り合わせだった人たちが遺した「人生最後の句」に、なぜか異常に強く惹き寄せられている。
例えば、豊臣秀吉が遺した辞世の句なんか最高で、 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 豊臣秀吉
意味としては、「思えば、人生は露のように儚かった。大阪での栄華もまるで夢のようだった」と言ったところか。
どうだろう。これほど粋でセンスを感じさせる人生最後の言葉が他にあるだろうか。
しかし、その中身はいち百姓から一国の武将にまで成り上がり、天下を手に入れた偉人が遺した句にしては少し寂しく感じられる。
おそらく、秀吉にはやり遺したことがあったのだろう。乱世を突っ走って頂点にたどり着いたものの、そこで手にした豪華絢爛にあまり価値を見出していないのではないだろうか。私にはもっと他にやるべきことがあった、と悔やんでいるようにも見える辞世の句である。
秀吉のように、なにかしらの目標に向けて突っ走っる人生を歩んでいた人が自分の「死」を意識して振り返ってみた時に感じるのは、「他にするべきことがあったのかもしれない」という、ごくごく自然な後悔に対する侘しさみたいなものなのかもしれない。
それとは逆に、もうやり遺したことはない、なんて晴れ晴れした気分で死ねるのだろう、と詠った句もある。例えば、こちらも戦国武将、上杉謙信が遺した句。
極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし 上杉謙信
「死んだあとに行くのは天国か地獄か知らないが、私の心は雲のかかっていない月のように晴れ晴れとしている」まさに、潔し。自分のやり遺したことはなく、いつでも死ねる。
この覚悟からは男らしさを通り越して、もはや生物としてのすべてが詰まっているような句ではないか。
あれこれ今でもいろんな人が遺した句を探しているが、すべてに置いて言えるのは非常に言葉選びとリズムのセンスが良い。
自分の人生を31文字にギュッと濃縮し、それを短歌のリズムと粋な言葉に乗せ換え、詠んだ人の心に強くインパクトを残してくる。
そこからうかがえるのは、それぞれの人生、他の人では体験できないような、自分だけが見てきた景色そのもののようではないか。
彼らが遺したのは、31文字のプロジェクションマッピングなのだ。
僕も、歴代の偉人たちが遺した句に憧れて、この「辞世の句」を詠んでみようと試みてみるものの、これと言ってしっくりくる句は未だ完成していない。
多分、「死」に対する覚悟どころか、どこかで自分ら永遠に生きるのではないか、と勘違いしているのかもしれない。
それでも、なにか辞世の句を遺そうと自分の死についてあれこれ妄想していると、いろんなことが見えてきている。なにか、誰かの心を揺さぶるような句を詠もうと思ったら、それこそ強烈に自分の死を意識しないと無理なのだろう。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
細川ガラシャ
花も人も、散る時を知ってこそ美しく輝くのだ。
https://yeahscars.com/jisei/ 【俳人たちの辞世の句】より
今月の辞世の句(9月)
をととひのへちまの水も取らざりき 正岡子規
露草や赤のまんまもなつかしき 泉鏡花
たち出て芙蓉のしぼむ日に逢へり 加舎白雄
辞世の句とは何か?
辞世とは生きた時間の集積である
俳人の辞世句古事記における辞世のはじめは、倭建(ヤマトタケル)を助けようと走水の海に飛び込んだ弟橘比売(オトタチバナヒメ)の和歌「さねさし相摸の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも」である。則ち、「敵に仕掛けられた火中にあっても、問いかけて下さったあなたよ」と歌って、荒れ狂う海に身を躍らせると、波は鎮まり、七日後に姫の櫛が打ち上げられた。
以降、武士や文人たちによって、多くの辞世が残された。江戸時代になって俳諧が盛んになると、五七五の辞世句も増え、最後に詠んだ句(絶吟)を辞世の句として、その人となりを伝えることも多くなった。
辞世は、人生の到達点である。時代の変遷の中で、その場所が失せようとしていることを残念に思う。今こそ、辞世の句を見つめなおす時だ。
辞世句一覧
◆江戸時代以前の辞世の句 一覧
飯尾宗祇(1502年) ながむる月にたちぞうかるゝ
荒木田守武(1549年) 朝顔に今日は見ゆらんわが世かな
◆江戸時代の辞世の句 一覧
斎藤徳元(1647年) 今までは生たは事を月夜かな
野々口立圃(1669年) 月花の三句目を今しる世哉
神野忠知(1676年) 霜月やあるはなき身の影法師
山本西武(1682年) 夜の明けて花にひらくや浄土門
向井千子(1688年) もえやすく又消えやすき螢哉
小杉一笑(1688年) 心から雪うつくしや西の雲
岡村不卜(1691年) あさがほのはじめて散るも哀也
図司呂丸(1693年) 消安し都の土に春の雪
井原西鶴(1693年) 浮世の月見過しにけり末二年
松尾芭蕉(1694年) 旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる
藤谷貞兼(1701年) 月はみだぼさつや二十御来迎
萱野涓泉(1702年) 晴れゆくや日頃心の花曇り
大高子葉(1703年) 梅で呑む茶屋もあるべし死出の山
大淀三千風(1707年) 今日ぞはや見ぬ世の旅の衣がへ
宝井其角(1707年) 鶯の暁寒しきりぎりす
服部嵐雪(1707年) 一葉散る咄ひとはちる風の上
河合曾良(1710年) 春に我乞食やめてもつくしかな
北条団水(1711年) おぼろおぼろ引つぺぐ胸の月清し
岸本調和(1715年) この一句衆議判なし木がらし野
山口素堂(1716年) 初夢や通天のうきはし地主の花
志村無倫(1717年) すはさらば水より水へゆきの道
岩田涼菟(1717年) 合点じやそのあかつきの子規
秋の坊(1718年) 正月四日よろづ此の世を去るによし
立花北枝(1718年) 書て見たりけしたり果はけしの花
池西言水(1722年) 木枯の果はありけり海の音
菊后亭秋色(1725年) 見し夢のさめても色の杜若
柳川琴風(1726年) 一息にこの味はひぞ春の水
高野百里(1727年) 死んで置いて涼しき月を見るぞかし
杉山杉風(1732年) 瘠顔に団扇をかざし絶し息
桑岡貞佐(1734年) 中椀に白がゆ盈てり十三夜
上島鬼貫(1738年) 夢返せ烏の覚ます霧の月
志太野坡(1740年) 若水や冬は薬にむすびしを
加藤原松(1742年) 墓原や秋の蛍のふたつみつ
早野巴人(1742年) こしらへて有とはしらず西の奧
立羽不角(1753年) 空蝉はもとのすがたに返しけり
一世祇徳(1754年) 空さえてもと来し道を帰るなり
松木淡々(1761年) 朝霜や杖で画きし富士の山
白井鳥酔(1769年) 濃きうすき雲を待ち得てほとゝぎす
加賀千代女(1775年) 月も見て我はこの世をかしく哉
横井也有(1783年) 短夜や我にはながき夢さめぬ
与謝蕪村(1784年) しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
越谷吾山(1788年) 花と見し雪はきのうぞもとの水
横田柳几(1788年) 老いらくの寝こころもよく春の雨
中村敲石(1788年) 契りおく松やいくとせ若緑
柄井川柳(1790年) 木枯らしや跡で芽をふけ川柳
松岡青蘿(1791年) ふなばたや履ぬぎすつる水の月
加舎白雄(1791年) たち出て芙蓉のしぼむ日に逢へり
澤村訥子(1801年) あぢきなや浮世の人に別れ霜
陶官鼠(1803年) 果は我枕なるべし夏の富士
竹内玄々一(1804年) 牽牛花やしぼめば又の朝ぼらけ
府川志風(1805年) 法の旅花野や杖の曳ちから
市川團十郎(1806年) ありがたや弥陀の浄土に冬籠り
松村篁雨(1809年) 道ばたに盆かわらけの破れけり
竹塚東子(1815年) 冬川や瀬ぶみもしらず南無阿弥陀仏
倉田葛三(1818年) 六月や十日暮らせし一手柄
八木ほう水(1821年) 比ときと華野に心はなちやる
小林一茶(1828年) 盥から盥に移るちんぷんかん
大愚良寛(1831年) うらをみせおもてを見せてちるもみじ
遠藤曰人(1836年) 土金や息はたえても月日あり
麗々亭柳橋(1840年) ほととぎす明かしかねたる此世かな
柳亭種彦(1842年) われも秋六十帖の名残かな
辻嵐外(1845年) 富士の山見ながらしたき頓死かな
田川鳳朗(1845年) からになる無常もありて蝸牛
鶴田卓池(1846年) いざさらば迎え次第に月の宿
葛飾北斎(1849年) 悲と魂でゆくきさんじや夏の原
桜井梅室(1852年) ひとしづくけふのいのちぞ菊の露
市原多代女(1865年) 終に行く道はいづくぞ花の雲
高杉晋作(1867年) おもしろきこともなき世をおもしろく
沖田総司(1868年) 動かねば闇にへだつや花と水
◆明治時代の辞世の句 一覧
河井継之助(1868年) 八十里腰抜け武士の越す峠
井上井月(1887年) 闇き夜も花の明りや西の旅
大原其戎(1889年) 寝姿の司や花をまくらもと
藤野古白(1895年) 花の頃西行もせぬ朝寝かな
正岡子規(1902年) 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
尾崎紅葉(1903年) 死なば秋露の干ぬ間ぞ面白き
◆大正時代の辞世の句 一覧
夏目漱石(1916年) 秋立つや一巻の書の読み残し
野村朱鱗洞(1918年) いち早く枯れる草なれば実を結ぶ
大須賀乙字(1920年) 干足袋の日南に氷る寒さかな
内藤鳴雪(1926年) 只たのむ湯婆一つの寒さかな
◆昭和時代の辞世の句 一覧
芥川龍之介(1927年) 水涕や鼻の先だけ暮れ残る
芝不器男(1930年) 一片のパセリ掃かるる暖炉かな
長谷川春草(1934年) すずしさや命を聴ける指の先
竹久夢二(1934年) 死に隣る眠薬や蛙なく
松瀬青々(1937年) 月見して如来の月光三昧や
河東碧梧桐(1937年) 金爛帯かがやくをあやに解きつ巻き巻き解きつ
泉鏡花(1939年) 露草や赤のまんまもなつかしき
種田山頭火(1940年) もりもり盛りあがる雲へあゆむ
川端茅舎(1941年) 朴散華即ちしれぬ行方かな
徳田秋声(1943年) 生きのびてまた夏日の目にしみる
杉田久女(1946年) 鳥雲にわれは明日たつ筑紫かな
山本安三郎(1947年) 閼伽は是れ月澄む松の下雫
青木月斗(1949年) 臨終の庭に鶯鳴きにけり
原石鼎(1951年) 松朽ち葉かゝらぬ五百木無かりけり
日野草城(1956年) 風立ちぬ深き睡りの息づかひ
柳原極堂(1957年) 吾生はへちまのつるの行き処
高浜虚子(1959年) 春の山屍を埋めて空しかり
西東三鬼(1962年) 春を病み松の根つ子も見あきたり
飯田蛇笏(1962年) 誰彼もあらず一天自尊の秋
久保田万太郎(1963年) 囀りや己のみ知る死への道
石田波郷(1969年) 今生は病む生なりき烏頭
星野立子(1970年) 春寒し赤鉛筆は六角形
橋本夢道(1974年) 桃咲く藁家から七十年夢の秋
角川源義(1975年) 後の月雨に終るや足まくら
高野素十(1976年) わが星のいづくにあるや天の川
秋元不死男(1977年) 富士の根にわが眠る鳥わたりけり
富安風生(1979年) 九十五齢とは後生極楽春の風
水原秋桜子(1981年) 紫陽花や水辺の夕餉早きかな
大野林火(1982年) 萩明り師のふところにゐるごとし
中村草田男(1983年) 勇気こそ地の塩なれや梅真白
山本健吉(1988年) こぶし咲く昨日の今日となりしかな
中村汀女(1988年) 春暁や今はよはひをいとほしみ
山口青邨(1988年) 願ぎごとのあれもこれもと日は永し
◆平成時代の辞世の句 一覧
加藤楸邨(1993年) 梟となり天の川渡りけり
山口誓子(1994年) 一輪の花となりたる揚花火
江國滋酔郎(1997年) おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒
鈴木真砂女(2003年) 来てみれば花野の果ては海なりし
森澄雄(2010年) 行く年や妻亡き月日重ねたる
金子兜太(2018年) 陽の柔わら歩ききれない遠い家
辞世のかたち
俳人の辞世の句辞世句には、来世への思いを詠んだものと、今生を評価したものがある。死に臨んでは、眼前を見つめることなどできぬだろうから、この2つに区分されることは理解できる。あとは人生終盤の句を辞世の句とするものがあるが、これも故人の人生を顧みて、このどちらかの特徴を持った句が選ばれるようだ。
ただ、明治の巨人・正岡子規だけはどうにも当てはまらない。死を覚悟して自ら筆を取った「絶筆三句」というものがあるが、そこには、自ら主張した写生の心が貫かれている。死の瞬間まで、一瞬一瞬を生き抜いて、その一瞬一瞬を描写し続けたと見える。まさに辞世とは「生きざま」である。
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