https://miho.opera-noel.net/ 【Miho Haiku Note 俳人あらきみほの俳句Note】
https://miho.opera-noel.net/archives/4213 【第九百夜 松尾芭蕉の「夏草」の句】
今宵は、「千夜千句」の第九百夜である。「千夜千句」というタイトルは、じつは松岡正剛さんがご自身のブログ『千夜千冊』の中で、あらきみほ編著『子ども俳句歳時記』を取り上げてくださったことがきっかけである。タイトル「千夜千句」は『千夜千冊』を真似したものである。『子ども俳句歳時記』を褒めてくださりブログに書いてくださって、嬉しくなって、タイトルも追随してしまった。
松岡正剛さんの『千夜千冊』はつい最近第1800夜を迎え、千夜を遥かに越えてしまっている。
2019年12月の半ばにブログ「千夜千句」をスタートした時、私は、喜寿を迎える3年後の2022年11月10日までには、千夜まで到達できたらという目標を定めていた。2019年に転倒して骨折した直後、その頃にコロナ禍がはじまり、何かしていないとイライラする性分もあって、始めたのが「千夜千句」であるが、なんとかクリアできそうな日程となってきた。
その間に1回、第七百二夜から5日間の休みを入れた。今回も第九百夜を終え、明日から数日を休み、千夜まで残りの日々を楽しみながら綴っていきたいと思っている。
今宵は、「夏草」の作品を見てゆこう。
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夏草や兵どもが夢の跡 松尾芭蕉 『おくのほそ道』
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと) まつお・ばしょう
芭蕉がこの句を詠んだのは奥州の高館(たかだち)。衣川高館ともよばれ、源義経と義勇の臣が藤原泰衡に襲われて無惨に果てた場所である。義経が兄頼朝を逃れて奥州に下ったのは泰衡の父秀衡を頼ってのことであった。秀衡は義経を庇い死後の庇護を、子の泰衡に言い残したが、泰衡は頼朝を恐れ、父秀衡の遺志に背いて義経を討った。だが泰衡は頼朝勢に討たれ、ついに清衡、基衡、秀衡の三代の栄耀と「おくのほそ道」の中に記された奥州藤原氏の滅亡である。
掲句は、かつて悲運の武将たちが義臣たちとともに戦い果てた土地には、今は、何事もなかったかのように夏草だけが生い茂っているのですよ、という句意になろうか。
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夏草やベースボールの人遠し 正岡子規 『俳句稿』夏
(なつくさや ベースボールの ひととおし) まさおか・しき
明治28年に戦役従軍記者として赴いた中国からの帰途、海中にサメをみた正岡子規は、船中で2度目の大喀血をした。その後は脊椎カリエスを病み、闇汁句会などの会合に出かけることもあったが、ほぼ寝たきりとなっていた。
掲句は明治31年の作である。当時の上野は現在とは全く違っていたであろうから、たとえば上野の森で野球をしている声も、上野の森を下った根岸の家に横たわっていても聞こえていたかもしれない。また、気分のよい時などは、外歩きをし、ベースボールの光景に出合えば眺めていることもあったであろう。
明治19年、子規は東京大学予備門時代に覚えたベースボールに夢中になり、夏休みに松山へ帰郷の折には、バット1本とボール1個を持参しては碧梧桐に教え、松山の地にベースボールが広まるきっかけを作ったという。
幼い頃の子規は、母親の傍を離れず「この子は”泣き味噌でへぼ”で」などと母から言われるほどの、弱虫の子であった。さらに子規の後半生は寝たきりの8年間であったことを思うと、大学予備門時代に、ベースボールに夢中であった元気な時代があったことを知って、不思議なことに何故かしら嬉しくなってくる。
https://1000ya.isis.ne.jp/0362.html 【金子兜太・あらきみほ 小学生の俳句歳時記 】より
蝸牛新社 2001
昔、「がっがっが鬼のげんこつ汽車がいく」という小学生の俳句に腰を抜かしたことがある。教えてくれたのは初音中学の国語の藤原猛先生だった。難聴の藤原先生は「がっがっが」と大きな声でどなり、「どうや、こういうのが俳句なんや」と言った。
トンボを手づかみするように、桃をほおばるように、子供は言葉を五七五にしてしまうのだ。本書にもそういう句がいっぱいある。腰を抜かしたものもある。この本と同じ版元で同じ金子兜太監修の『子ども俳句歳時記』という有名な本があって、そこにもびっくりする句が多かったが、この本の句もすごい。あらきみほのナビゲーションも絶妙である。
ともかくも、以下の句をゆっくり味わってほしい。すぐに俳句をつくりたくなったらしめたものだが、おそらくそれは無理だろう。あまりの出来に降参するというより、しばし絶句するというか、放心するにちがいない。とくに理由はないが、季節の順や年齢の順をシャッフルしておいた。
あいうえおかきくけこであそんでる(小2女)
★最初からドカン! これはね、レイモン・クノーか井上ひさしですよ。
ぼんおどり大好きな子の後につく(小6女)
★トレンディドラマの青春ものなんて、これを超えてない。
まいおちる木の葉に風がまたあたる(小5男)
★とても素直だが、こういう詠み方にこそ斎藤茂吉が萌芽するんです。
ねこの耳ときどきうごく虫の夜(小4女)
★「ときどきうごく」と「虫の夜」がエントレインメントしています。
くりごはんおしゃべりまぜて食べている(小3女)
★ぼくのスタッフでこんな昼食の句をつくれる奴はいない。
あきばれやぼくのおりづるとびたがる(小1男)
★おい1年生、おまえは山村暮鳥か、それとも大手拓次なのか。
座禅会むねの中までせみの声(小6男)
★座禅もして、蝉しぐれを胸で受けるなんて、なんとまあ。胸中の山水だ。
かいすいよくすなやまかいがらすいかわり(小1女)
★単語だけのタンゴ。漢字にすると、海水浴砂山貝殻西瓜割。
風鈴に風がことばをおしえてる(小4女)
★あれっ、これは渋めの草田男か、日野草城にさえなっている。
ドングリや千年前は歩いてた(小5男)
★縄文学の小林達雄センセイに教えたくなるような悠久の名句でした。
海の夏ぼくのドラマはぼくが書く(小2男)
★おいおい、ミスチルやスマップよりずっと男らしいぞ。
ぶらんこを一人でこいでいる残暑(小6男)
★ふーっ、てっきり種田山頭火か黒澤明かとおもってしまった。
春風にやめた先生のかおりする(小4女)
★うーん、まいったなあ。中勘助あるいは川上弘美ですねえ、これは。
ガリバーのくつあとみたいななつのくも(小1女)
★雲を凹型で見ている。空に押し付けた雲だなんて、すごい。
なつみかんすっぱいあせをかいちゃった(小1男)
★「なっちゃん」なんて商品でごまかしている場合じゃないか。
なのはなが月のでんきをつけました(小1女)
★これは未来派のカルロ・カッラかイナガキタルホだ。今回の最高傑作。
せんぷうき兄と私に風分ける(小5女)
★扇風機は羽根のついたおじさんなのです。
転校の島に大きな天の川(小4男)
★まるでボグダノヴィッチや新藤兼人が撮りそうな風景でした。
つりばしがゆれてわたしはチョウになる(小3女)
★「あなたに抱かれて私は蝶になる」なんて歌、こうなるとはずかしい。
水まくらキュッキュッキュッとなる氷(小5女)
★知ってますね、「水枕ガバリと寒い海がある」西東三鬼。
そらをとぶバイクみたいなはちがくる(小1男)
★見立てもここまで音と速度が入ると、立派な編集術だ。
しかられたみたいにあさのバラがちる(小2女)
★朝の薔薇が散る。そこに着目するとは、利休? 中井英夫?
かっこうがないてどうわの森になる(小3女)
★「桃色吐息」なんて小学3年生でもつくれるんだねえ。
星を見る目から涼しくなってくる(小4男)
★マックス・エルンストが「星の涼風を目に入れる」と書いていた。
いなごとりだんだんねこになるわたし(小1女)
★「だんだんねこ」→「段々猫」→「だんだらねえ子」だね。
夏の日の国語辞典に指のあと(小5女)
★完璧です。推敲の余地なし。辞典も引かなくなった大人は反省しなさい。
墓まいり私のごせんぞセミのから(小4女)
★おお、虫姫様の戸川純だよ。まいった、参った、詣りたい。
あかとんぼいまとばないとさむくなる(小1男)
★飛ばない蜻蛉。小学校1年でウツロヒの哲人?
青りんご大人になるにはおこらなきゃ(小6女)
★よくも青りんごを持ち出した。大人になんかならなくていいよ。
あきまつりうまになまえがついていた(小2女)
★この句はかなりすごい。談林派の句風がこういうものなのだ。
あじさいの庭まで泣きにいきました(小6女)
★こういう子を引き取って、ぼくは育ててあげたいなあ。
天国はもう秋ですかお父さん(小5女)
★いやはや。何も言うことはありません。そう、もう秋ですよ。
台風が海をねじってやって来た(小6女)
★ちょっとちょっと、このスケール、この地球規模の捩率感覚!
話してる文字が出そうな白い息(小6男)
★はい、寺山修司でした。イシス編集部に雇いたいくらいだ。
えんぴつが短くならない夏休み(小6女)
★鉛筆も思索も短くならない夏休みを大人は送っています。
秋の風本のページがかわってる(小2女)
★石田波郷か、ピーター・グリーナウェイだ。風の書物の到来ですね。
どうだろう? そこいらの俳人や詩人も顔負けだ。われわれはときに小学1年生の感性に向かってバネに弾かれるごとく戻るべきだとさえ思わせられる。もっとも、大人も負けてばかりはいられない。ヘタうまには逃げず、その気になって子供のような句をあえて詠むときもある。
無邪気とはいいがたいけれど、たとえば「去年今年貫く棒のごときもの」(虚子)、「春の夜や都踊はよういやさ」(草城)、「買物のやたらかさばるみぞれかな」(万太郎)というふうに。なかには「さくらんぼ鬼が影曳くかくれんぼ」の坪内稔典のようなこの手の句の達人もいる。また、多田道太郎の『おひるね歳時記』(筑摩書房)がそうなのだが、軽い句を集成して遊んだ本もある。そもそも西脇順三郎にして、この手の名人芸を発揮した。「大人だって負けていられぬ季語遊び」。
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