Facebook福田純子さん投稿記事 ーいのちのまつりの巻ー
ご先祖様は父と母で2人そのまた父と母で4人、8人、16人......と数えていくと25代遡れば何と!33554432人となりそのまた次は6000万人を超える計算になります
しかし始まりはアダムとイブやイザナギとイザナミなど男女一組のはずなのにご先祖様
を遡れば遡るほど逆に多くなる?.......という事はどこかで私達は重なりあっていたはずなのです!まさに「人類みな兄弟」ではないでしょうか⁉︎そして何より誰1人欠けても今の「私」は存在しないのです💕
かつて草場一壽画伯が1冊の絵本を持って我が家をお訪ね下さいました。そこにはご先祖様の縁が楽しく描かれています。そして「この本を自費出版したのですがどのように広げたら良いでしょうか?」と尋ねられ「まずは心ある人に配られませんか」と申し上げた事があります
それがやがて出版社の目に留まり今では大ベストセラーとなった絵本「いのちの祭り」なのです今振り返ると懐かしい思い出ですが、きっと草場先生のご先祖様が喜ばれてこの世に広がったのではないでしょうか💕
明けて今日16日は送り火の日!手元にある自費出版の初版本を開きながら改めてご先祖さまに生かされている事の感謝を捧げ手を合わせました〜〜
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)投稿記事
縄文の女神 ここには一切がある。
はるか遠く西では神話の時代、この国では万象を神とする、人の祭りが行われた。
花が咲く。そこに神は宿り、鳥が渡る。そこにもまた神が現れ。人の知恵は万物をおそれながらつながりを深めること。
火焔はいのちのゆらぎであると、一切を宇宙に見たて、その文様ひとつひとつに宇宙を描く。
私たちを魅了してやまないのは、そこに息づくものがいまもなお私たちの奥底で熾火のように燃えているからです。
それはなんでしょう?答えは、自分の中に眠っています。揺り覚ますときを迎えました。
女神それが宇宙だ(あるいは懐) それが歴史だ(あるいは眼差し)
私の知っている いのちの叫びを 私の語り得ない いのちの叫びを
星々のすすりなき 大地のさんざめき ああ、人の深い悲しみを ああ、人の深い歓びを
産み出だす 豊穣なるかな 豊穣なるかな 母なるものの 女神たるゆえん
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)投稿記事
太陽
いまさらのことになりますが、この地上に生きるものはすべて、おなじ起源を持っています。人間をほかの生物と区別して上位に置いたり、動物とか植物という分類も、人間がしただけのこと。生き物は、みなおなじく星のかけらと言えます。
死とは、多細胞生物がいのちの生き残りをかけた戦略です。
心を持ち、文明を発達させ、文化を築き上げながら、この生物であるという一点で逃れようのない宿命となったのですね。
人もからだを組成的にみれば、炭素や水や窒素やカルシウムです。それが物を思い、意味を考え、喜び、悲しみ、慈しみしながら生きている・・・。生の不思議と、同事に物質とは次元の異なる途方もない生命エネルギーを感じます。
岡本太郎の「太陽の塔」は、人間が両手を広げたかたちです。天に向けていのちがスパークしているようです。昔にくらべて祭り(=いのちの高揚感)がしぼんでしまった現代に、プリミティブな熱いものをよみがえらせたかったのですね。
「頭」、「理性」ではなく、いきるものすべてにつながる、神々しいものへの敬意・・・でしょうか。無目的で、生産性とか効率とかに無縁なエネルギーの放射。
秋の個展に向けて準備をしています。
芸術は太陽と同じだ。太陽は、熱もエネルギーも光りも無限に与える・・・太郎の言葉を思いながら作品に取り組んでいます。
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)投稿記事 生命の思想
哲学者、梅原猛さんが93歳で亡くなられたとのニュース。その学問を支えたのが、既成概念への疑い、絶対的なもの(権力)への反骨精神だったと言われます。底にあるのは、戦争への反省です。
「(諏訪大社の)御柱や(伊勢神宮の)御遷宮の神事は縄文の昔にまでその伝統をさかのぼらせることができる。それは生命の死・復活を示す祭りなのである。古い生命は死ぬが、新しい生命は甦り、その魂は永久に循環する。近代主義が考えるように、生命はただ自我として自分一代で終わるのではなく、世代を超えて永遠に再生されるのである。個体の生命ではなく、永遠に再生し循環する生命を中心に文明を作り直さねばならないのである。」
生命の思想という視点から、現代社会への痛烈な批判があらわれます。
「日本は恥を失った社会ではないかと思う。国のためとは称するものの、実はもっぱら自己の権力欲や金銭欲のために行動し、法にさえ触れなければ潔白だとして恥じることのない有力政治家がいる。また原子力の安全確保に関する組織の責任者でありながら、国家、国民のことを考えず、もっぱら電力会社の意向に従って行動し、しかもまったく責任をとらずに恥じることのない著名な学者もいる。そしてまた、作品を売ることすなわち金を稼ぐことばかりに奔走し、自己の芸術観の安易さを反省しない大画家などもいた。
恥を忘れることによって、日本は自律的な道徳心を失った国家になったのではなかろうか。この忘れものを取り戻すことは容易ではない。しかしそれを取り戻さないかぎり、日本は亡国への道を進まざるを得ないと私は思う。」
私たちが作り直さねばならないもの、取り戻さねばならないもの・・・大きな課題ですが、「人間と言うのは誤る。でも間違ったら訂正すればいい」。そうですね。生きている限り、チャレンジできます。個体(私)のいのちが尽きてもなお、脈々と受け継がれるべき文化のかたちがなんであればよいのか、そういうことを真摯に考えねばなりませんね。
ご冥福をお祈りします。
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