https://note.com/kind_auklet161/n/n94bfbb4cd534 【宮沢賢治と宮崎駿から学ぶ日本の基層文化の再生】より
1.トトロと山猫、森の神や精霊の世界
宮崎駿が絵本「どんぐりと山猫」を読んで、山猫が小さかったことが気に入らず、自分なりの山猫のイメージ、大きさは2メートル以上でボーッと立っていて、足下でどんぐりたちがキイキイ言っている。その強烈なイメージからトトロは生まれたという。トトロ美術館の看板には、トトロの原型になったヤマネコの看板が掲げられている。
宮沢賢治の「どんぐりと山猫」の山猫は、どんぐりたちの見た目の争いに困り果てている裁判官として現れる。森の中の争いや秩序を守る存在。
「注文の多い料理店」は、猟に来る人間を逆に料理して食べてしまう森の神のような支配者でもある存在。現在日本に山猫は、ツシマヤマネコとイリオモテヤマネコしかいない。幻となりつつある動物。
かって北海道から鹿児島にかけての貝塚や洞穴からオオヤマネコの骨や歯の化石が発見されており、旧石器時代から縄文時代まで日本中に生息していたという。
宮沢賢治の童話は、この縄文時代の自然崇拝、自然のあらゆる万物に霊が宿るアニミズムの世界と通じる世界観がある。
引用:「どんぐりと山猫」宮沢賢治著 いもとようこ絵 金の星社
宮崎駿「となりのトトロ」の時代1960年代(昭和30年代)は、まだ日本の田舎に縄文時代からの自然崇拝やアニミズムの世界が残っていた世界。 そのため宮崎駿は、糸井重里(「となりのトトロ」お父さんの声)が書いた「となりのトトロ」のコピー、
「このへんないきものは、もう日本にいないのです、たぶん」という言葉を「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん」と変更した。
森の精霊や神である存在を信じる人がいる限り、森は守られ、人と森は共存できる。そんな宮沢賢治と宮崎駿の共通の願いを感じる。
2.人間と自然が一体になった日本の基層文化とその喪失
宮沢賢治と宮崎駿。二人の世界観のベースに縄文時代、自然と人間が共存していたアニミズムの世界があるように思う。そして二人の作品が、世界中の人々に支持されるのも、原初的なアニミズムの世界観が私達の普遍的な記憶を呼び覚ますからではないかと思う。
宮沢賢治の「狼森(おいのもり)と笊森(ざるもり)、盗森(ぬすっともり)」は、岩手山の麓の狼森、笊森、黒坂森、盗森と名付けられた四つの森とそこを開拓した四人の百姓と家族の物語だが、そこには森の精霊や神を信じ、森の神の許可を得て人間達が森に入り暮らす世界が描かれる。
童話の中では次のように書かれている。
四人の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃へて叫びました「ここへ畑起してもいいかあ。」「いいぞお。」森が一斉にこたへました。 みんなは又叫びました。「ここに家建ててもいいかあ。」「ようし。」森は一ぺんにこたへました。 みんなはまた声をそろへてたづねました。「ここで火たいてもいいかあ。」「いいぞお。」森は一ぺんにこたへました。 みんなはまた叫びました。「すこし木きい貰もらつてもいいかあ。」「ようし。」森は一斉にこたへました。
出典:「狼森と笊森、盗森」宮沢賢治著 青空文庫
四人の男は、いちいち森の許可を得て、丸太小屋を建て、栗の実を集め、薪を作る。
しかし、森は、時として恐ろしい存在と化す。森に住む狼は、子供たちを攫い、山に住む山男は、農機具を奪う。その度に農民は粟餅を森に供え農業の邪魔をしないよう祈る。単なる平和な予定調和の世界ではなく、常に不条理な災難と背中合わせの自然と人間の世界が描かれる。
引用:「狼森と笊森、盗森」宮沢賢治著 絵:三谷 靱彦 講談社
宮沢賢治の童話が単なる空想や幻想で作られたものではなく、鉱物採集から生まれた石や元素の科学や化学の知識、天文学や土壌学の農業に関する知識、文学や芸術の表現にいたる多くの知識の裏付けから生まれた物語。それゆえ読者は、賢治の童話に魅かれ、多方面から考察を試みる。
宮崎駿の「もののけ姫」は、宮沢賢治と共通する縄文時代のアニミズム文化が、なぜ現代失われつつあるのか、過去に遡って追求した物語。
宮崎駿もこの題材を、照葉樹林文化や蝦夷の歴史、森を伐採し、火を燃やし続ける日本古来の製鉄(タタラ場)と、鉄の文明などあらゆる角度から資料を集め、考察を深めながら作り上げる。
室町時代、元遊女であり倭寇でもあるタタラ場のエボシと謎の集団「師匠連」「唐笠連」たちが、シシ神の森に入り、常に火を燃やすタタラ場(砂鉄から鉄を取り出す製鉄場)の為に、森の木を伐採し、シシ神を殺す計画を立てる。
その森を守る神、シシ神、山犬に育てられた少女サンが、猪神である「乙事主」と共に、シシ神の首を狙う人間達と壮絶な戦いを繰り広げる。
その間に立ち、大和朝廷との戦いに敗れた縄文文化の背景を持つ蝦夷(エミシ)の末裔アシタカが、サンと共にシシ神の命を守ろうとする。
蝦夷(エミシ)の村は、盛岡、花巻、水沢、釜石を中心とする北上川周辺の東北地方の民族である。
蝦夷(エミシ)の起原は狩猟、採取を主軸とした縄文文化。宮沢賢治の童話の世界のルーツでもある人々の世界。
大和朝廷は、縄文文化は野蛮で遅れた文化と見なし、近畿以南の隼人(はやと)、九州の熊襲(くまそ)、東北の蝦夷(エミシ)などの諸民族の弾圧と滅亡へとつながった。
それはやがて北の蝦夷(エゾ)アイヌの地や琉球(沖縄)処分へとつながっていく。それにつれて縄文時代の自然崇拝と人間の自然が調和した世界は、破壊され失われていく。
なぜ1997年に、宮崎駿は大和政権に滅ぼされた蝦夷(エミシ)の末裔・アシタカと森の中の荒ぶる神々(山犬神、猪神等)に育てられたもののけ姫サンと、渡来人である鉄を作り社会的弱者である女性や病者を救うエボシ御前とシシ神の物語を描いたのか、そこに混沌とした現代を生き抜くヒントがあるからだと思う。
3.宮沢賢治と宮崎駿から学ぶ日本の基層文化の再生とSDGS
この世界の構図は、グローバル化が進む現代こそ、経済発展と環境保護の両立が必要になっている。
SDGS(持続可能な開発目標)を実現させるためには、まず私達一人一人の社会全体の意識改革が必要ではないかと思う。
私自身、高度資本主義社会の競争的、自己顕示的な自由な欲望主体の経済システムの中で育ち、社会のルールの中で決められた事はするが、それ以上地球環境の事を考え行動する事はない。どのような意識改革が必要か、宮崎駿が「もののけ姫」のパンフレットの「この映画の狙い」で言っている。
このような時代(「もののけ姫」の時代)人々の生き死にの輪郭ははっきりしていた。人は生き、人は愛し、憎み、働き、死んでいった。人生は曖昧ではなかったのだ。
21世紀の混沌の時代にむかって、この作品を作る意味はそこにある。世界全体の問題を解決しようというのではない。荒ぶる神々と人間との戦いにハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、憎悪と殺戮のさ中にあっても、生きるに値する事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る。
憎悪を描くが、それはもっと大切なものがある事を描くためである。
呪縛を描くのは解放の喜びを描くためである。
描くべきは、少年の少女への理解であり、少女が、少年の心を開いていく過程っである。
出典:「もののけ姫」パンプレット
あらゆる民族や人間、動植物、生き物、全ての地球で生きるモノに視線を向けて、それぞれの違いを認識し、理解し、互いに心を開き、「共に生きる」共存する世界を目指す事。
日本の基層文化と言えるアニミズムや森羅万象に神が宿る八百万の神の記憶を呼び覚まし、荒ぶる神である自然災害や異常気象の危機から生き抜く事。他にも、日本の基層文化には、季節や自然の移り変わりへの感受性を取り戻す事。日常の中にある伝統や工芸、芸術を大切にする事。自然への感謝や敬意を示すお祭りや行事をその意味を知り、心から楽しみ参加する事。なにより家族や家庭の絆を大切にして、地域社会とつながり、他者との心地良い関係を目指す事。
これらの日本本来の文化を自覚した上で、持続可能な開発目標であるSDGSを考え、一人一人が自分なりに行動する事が必要な時代だと思う。
https://eleminist.com/article/2869 【アニミズムとは? 日本や海外の例をもとに意味を解説】より
近年注目されている、「アニミズム」という言葉。自然界には霊魂のような存在があるとする自然信仰を意味する。本記事ではアニミズムとは何かを解説するとともに、さらに理解を深めるべく、日本そして海外における例を紹介する。アニミズムと現代の関わりや、環境保全意識への影響を考えていこう。
アニミズムとは
アニミズム(animism)とは、人間以外の生物を含む、木や石など、すべての物のなかに魂が宿っているという思想や信仰のこと。ラテン語で霊魂を意味する「アニマ(anima)」からつくられた用語で、世界各地のさまざまな民族の宗教や風習に見られる(※1)。
このアニミズムは、実際にアニミズムを信仰する人々が使用する用語ではなく、人類学研究において構築された概念である。
アニミズムの歴史 提唱者タイラーの存在
アニミズムという言葉を初めて提唱したのは、イギリスの文化人類学者であるエドワード・タイラー(1832-1917)。
タイラーがこの言葉を著書『原始文化』内で提唱した19世紀後半、人類には宗教を持たない社会もあるのでは、という議論がなされていた。しかしタイラーは、人間社会には必ず宗教があるということを主張し、宗教の原初的形態を「霊的存在への信仰」と考え、そのような「原初的宗教」の特徴をあらわすのに、「アニミズム」という言葉を使用した。つまりタイラーは、アニミズムが「何かを信じる信仰心の源である」と提案したといえるだろう。
日本とアニミズム
あまり耳馴染みがなく、日本とはかかわりの薄いもののように思えるアニミズム。しかし、日本にも似た面を持つ考えや信仰が存在している。ここでは2つの例を見ていこう。
八百万の神
アニミズムの概念を聞いて、どういうことかイメージできる日本人は多いはずだ。それは日本に古くから存在する、「八百万の神」の考え方と共通するものがあるからである。
この八百万の神の「八百万」とは「数がたくさんの」という意味。太陽や月、風のほか、あらゆる現象、さらには学問や商売など、世のなかに存在するすべてのものに神が宿っているという考え方である。そうした神々を神道では「八百万の神」として総称しており、アニミズムと似た面があるといえるだろう。
アイヌ民族の信仰
もうひとつ、日本にあるアニミズム的概念が、アイヌ民族の信仰だ。アイヌ民族は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民である。日本語と異なる「アイヌ語」を話すほか(現在話せる人はごくわずか)、祭りや行事などに踊る「古式舞踊」や、独特の「文様」による刺繍など固有の文化を発展させてきた。
そのなかのひとつに、自然界すべての物に魂が宿るとされている「精神文化」がある。これも八百万の神と同じく、アニミズムと共通する面があるといえるだろう(※2)。
神道との共通点
神道とは、日本特有の宗教で、万物には神が宿るという考えがベースで、古くから人々の暮らしに溶け込んできた。特定の神様が存在するのではなく、自然には神が宿ると考えられてきており、これは自然界に霊魂が宿るとするアニミズムの思想ととてもよく似ているだろう。
海外のアニミズムの事例
ケルト信仰
古代ケルトでは、キリスト教のような一神教ではなく、万物に神が宿るというアニミズムのような多神教的な考えを信仰していたそう。とくに、太陽や大地に宿る神々を崇め、あらゆるもののなかに霊的な存在を見出し、信じていたと考えられている。
イヌイット狩りの儀式
カナダ北部などの氷雪地帯に住む先住民族のエスキモー系諸民族の1つで、エスキモー最大の民族であるイヌイット 。
彼らは「イヌア」という、物質や生命の根源のような価値観を持っており、肉体以外の本質があると考えているそう。これは生物や植物だけでなく、鉱物などの無生物、さらには食事や睡眠などの行為にさえも宿っていると考えられており、アニミズムと似ている点があるといえるだろう。
このイヌアという価値観を持っているため、狩りの前には動物たちの魂を沈める特別な儀式をおこなうそうだ。
アフリカのバカ族のジェンギ信仰
アフリカのバカ族が信仰しているもののなかに、「ジェンギ」と呼ばれる精霊がいる。この「ジェンギ」は森林の精霊といわれており、これを信仰するということは、アニミズムに共通するものがあるといえるだろう。
彼らは、狩りがうまくいくと「ジェンキが与えてくれた」と考え、何かがうまく行かない時は「ジェンキのせいだ」と考えるそうだ。バカ族の人々にとって、生活の支えになっている、精神的に重要な存在であるといえる(※3)。
現代のアニミズム
古くから世界各地で、アニミズム同様の考え方が信仰されてきたにもかかわらず、現代では、自然を人間の生活を豊かにするための道具のように扱い、自然界の精神的価値を認めない傾向が強い。しかし近年、環境保全意識の高まりとともに、人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在する、というアニミズムが注目され始めている。
当たり前のことでありながら、便利さを追求することによって忘れてしまいがちな、「地球上に生きているのが人間だけではない」ということを改めて認識するきっかけとなる考え方がアニミズムであるといえるだろう。
アニミズムを理解して環境保全意識を高めよう
宗教や信仰と聞くと、難しそう……と、構えてしまう人も多いかもしれない。しかし、「八百万の神」のような耳なじみのある考え方に落とし込むと、アニミズムも少しは身近に感じることができるのではないだろうか。
アニミズムを理解することで、人間ひとりひとりが大切なように、動物や植物をはじめとするあらゆるものが大切であることをいま一度認識することができる。アニミズムへの理解を通じて、多くの人の環境保全意識が高まることに期待したい。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3618 【人知を超えた存在である神との一体化を示す「運の強さ」】より 日本文化を学び直す(3)日本的を自覚する
田口佳史田口佳史東洋思想研究家
概要・テキスト
古代の日本人には、人知を超えた自然の力と一体化する能力が備わっていた。圧倒的な力を持つ見えない存在・神を感じ、神との一体感を求めて祭祀を行ったのだ。見えざる自然、神の力をアニマ、霊力として認識する。これが神道の基本であり、縄文時代にその基本はすでにできあがっていた。大転換期の現代に、われわれはこうした日本的なるものを再度自覚する必要がある。(全11話中第3話)
キーワード:アニミズム アニマ 霊力 老荘思想 祭祀 縄文文化 日本文化
≪全文≫
●人知を超えた存在・神との一体化
そこで、森の奥底に人知を超えた力があって、それを神というわけですが、そういうすさまじい力との一体化ということが重要です。
一体化とはどういうことかというと、要するに人間としての人工性をなるべく排除することによって自分も自然の一員のように、自然と同一の呼吸、同一の息吹というものになっていくことによって、自然との一体化ということになってくる。それが人知を超えたものとの一体化ということです。まさに人知を超えた神なる存在とその力を駆使するということになってくるわけです。そういうものが日本のベースにあったから、老荘思想とか、禅とか、そういうものが高度に発展していったといってもいいと思うんですね。
そういう要素がなければ、あそこまでの発展はない。禅についても、老荘思想についても、この後十分に語ることになりますが、日本にはその淵源として、その土壌に人知を超えた力の存在というものを味方につけるだけの人間的な広がりというんでしょうか、あるいは自然との融合というもののコツといったらおかしいけれども、それはどうすればできるのかというような、そういうものが自然に備わっていたといっていいでしょう。
●非常に重要なのは、見えない存在であるということ
もう一つ、そこから出てくるのは、それをもって運の強さといってもいいんじゃないかと。人知を超えた存在である神と一体化することができたかどうか、そのことを運の強さといっていた。例えば「今日は恵まれて…」というとき、「運に恵まれて、獲物がたくさん取れてね…」ということとか、あるいは、これはもう命が危ないというような状況のときにスッと救われたということも神のおかげじゃないか。
そうやって一体化するというとき、神というものが必ず存在するようになってくる。その神とはどういうものかですが、まずここで非常に重要なのは、見えない存在であるということです。「これが神です」といえない存在であるというところがすごく重要で、ここから、見えないものを見るということになるのです。なにしろ見えない神をあたかもそこに存在しているかのように、要するに使う。これは直観、直覚という、それこそ鈴木大拙が言っている禅の奥義の基本です。日本の場合、そういうものを古代において、古代人がもう十二分に備わっていたといっていいと思うんで...
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2020/11_miura_ikeda/ 【日本人の精神の源流を辿る ~日本神話に学ぶ日本人の生き方~】より
いまから1300年以上前に成立したとされる日本最古の歴史書『古事記』には、「稲羽のシロウサギ」「オホクニヌシの国譲り」など日本人に親しまれてきた神話、物語が数多く収められている。しかしそれらに込められた寓意や成立事情には不明な点も多く、その実像はいまだ定まっていない。
日本神話の研究一筋に歩んできた千葉大学名誉教授の三浦佑之氏と、小泉八雲研究を通して日本人の生き方を見つめてきた早稲田大学名誉教授の池田雅之氏のお二人に、『古事記』の真実、そこから見えてくる豊かな世界を縦横に語っていただいた。
「人間は草である」という発想、生と死は循環するという死生観、人間とは何なのかという問題を考え直していけば、私たちの生き方も変わってくると思うんです
三浦佑之
千葉大学名誉教授
古代の人々にとって、語り部から神話を聴くという営みは、いまでいう歴史や道徳教育、哲学や文学まですべてを含んだものだったと思うのです。神話からいろんなものを受け入れ、生きる根を養い、それが人生の指針にもなっていった。
「人間は草である」という発想、生と死は循環するという死生観、人間とは何なのかという問題、そこのところを考え直していけば、私たちの生き方も変わってくると思うんです。
例えば、環境問題でも「自然と共生する」といいますけれど、人間も地球に根を生やした草だと考えれば、私たちもまた自然と一つであるという意識が出てくる。よりよい未来をつくっていくためにも、これからも日本神話、『古事記』の物語を多くの人に伝えていきたいですね。
いま格差や人種差別など、世界的に難しい時代を迎えていますが、『古事記』が教える日本人の自然観、発想からは、今日の世界の対立的な世界観を乗り越える知恵が汲み出せるような気がします
池田雅之
早稲田大学名誉教授
私たちの生まれ故郷の三重県は紀伊半島にありますが、熊野は文字通り「木の国」であり、草々の生い繁る「根の国」といえるかもしれませんね。いま格差や人種差別など、世界的に難しい時代を迎えていますが、『古事記』が教える日本人のアニミズム(霊的な存在に対する信仰)的な自然観、発想からは、今日の世界の対立的な世界観を乗り越える知恵が汲み出せるような気がします。
フランスの社会人類学者のレヴィ=ストロースは、「神話は人類最初の哲学である」という言葉を残しています。つまり、神話とは私たちの根っこ、私たちの世界観や生き方そのものであって、自分と世界がどう折り合い、調和を保ち、幸せに暮らしていくのか、そのヒント、エッセンスが詰まったものだと思うんです。
プロフィール
三浦佑之
みうら・すけゆき――1946年三重県生まれ。成城大学大学院博士課程単位取得修了。千葉大学文学部教授を経て、立正大学文学部教授。千葉大学名誉教授。専門は古代文学・伝承文学。2003年に『口語訳古事記』(文藝春秋)で第一回角川財団学芸賞受賞。著書に『古事記講義』(文藝春秋)『古事記のひみつ歴史書の成立』(吉川弘文館)『古事記を読みなおす』(ちくま新書)『NHK「100分de名著」ブックス 古事記』(NHK出版)『出雲神話論』(講談社)など著書多数。
池田雅之
いけだ・まさゆき――1946年三重県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒業。明治大学大学院博士課程修了。ロンドン大学大学院客員研究員。専門は比較文学、比較文化論。小泉八雲、T・S・エリオットなど数多くの訳書を手掛ける翻訳家。早稲田大学名誉教授。NPO法人「鎌倉てらこや」理事長を長らく務め、現在は顧問。文部科学大臣奨励賞、正力松太郎賞等を受賞。著書に『NHK「100分de名著」ブックス 小泉八雲 日本の面影』(NHK出版)、編著に『お伊勢参りと熊野詣』『古事記と小泉八雲』(共にかまくら春秋社)『熊野から読み解く記紀神話 』(扶桑社新書)など。
編集後記
日本最古の歴史書、神話である『古事記』。そこには日本人の原点、よりよく生きるヒントがぎっしり詰まっています。日本神話研究一筋に歩んできた千葉大学名誉教授の三浦佑之さんと、日本文化に深い見識を持つ早稲田大学名誉教授の池田雅之さんが、『古事記』から見えてくる心豊かな日本人の姿を解き明かします。
0コメント