大夕焼

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/10586097/ 【季語における「夕焼」についての考察 日本人の「夕焼」と和歌・俳句①】

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/11403112?categoryIds=3430400  【象の表現・自己表現としての俳句】

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/11757730?categoryIds=3430400  【【おくのほそ道」とつかず離れずで歩く東北地方】】


https://kigosai.sub.jp/001/archives/2048 【夕焼(ゆうやけ、ゆふやけ) 晩夏】より

ゆやけ、夕焼雲、梅雨夕焼

【解説】

夕方、日が西の空に沈んだ後もしばらくは空が茜色にそまり、なかなか日がくれない。夏の夕焼は大地を焼き尽くすごとく壮大である。

【例句】

大夕焼一天をおしひろげたる  長谷川素逝「暦日」

大夕焼消えなば夫の帰るべし  石橋秀野「桜濃く」


https://miho.opera-noel.net/archives/3039 【第五百九十三夜 一ノ木文子さんの「夕焼のおとしもの」の句】より

 「ゆうやけこやけで ひがくれて やまのおてらの かねがなる お―ててつないで みなかえろ からすといっしょに かえりましょう」と、歌っていた頃がなつかしい。 

 夕焼がこれほど好きになったのは、東京から利根川沿いにある茨城県南に越してきてからであろうか。父亡きあとに少しずつ認知症が出てきた母も、黒犬のオペラ(一代目)も、車に乗るのが好き、私は運転が好きということで、ほぼ毎日、一仕事終えた夕方になると、夕日の美しい場所へ、母と犬とミニドライブに出かけた。

 一番好きな光景は、牛久沼に夕日が沈むときの真っ赤な夕日影の帯が向う岸から迫るように伸びてくる坂の上である。

 今宵は「夕焼」の俳句を見てみよう。

■夕焼は四季を通じて見られる。壮大で荘厳なのが夏。

 1・海へ向く子は夕焼のおとしもの  一ノ木文子 『新版 俳句歳時記』雄山閣

 (うみへむく こはゆうやけの おとしもの) いちのき・ふみこ

 句意は、海を向いたままずっと波を眺めている子。そのぽつねんとした後姿を見ているうちに、我が子であるのだが、いつの間にか誰のものでもない、「夕焼のおとしもの」のように思えてきた、となろうか。

 小さな子が大きな砂浜に着くや波打ち際まで行って、波の動きを飽かずじっと見つめている。ザブーンと勢いよく寄せる波、その波に足をとられて転んでしまいそうな引く波のつよさ。

 やがて、太陽は傾きはじめ、水平線に沈みはじめている。夕焼がだんだん濃くなってゆくなかで、子の後姿の影がだんだん黒さを増してゆく。

 一ノ木さんは、我が子が「夕焼のおとしもの」かもしれないとふっと思った。

 たとえば、ブランコを勢いよく漕いでいる子が、風に攫われてしまうのではないかと、瞬間感じてしまうことがあるように。

 一ノ木文子さんは、「寒雷」「炎環」の同人。石寒太主宰の「炎環」の小句会が石神井公園で行われていたとき、ご一緒したことを思い出している。

 2・二十六聖人大夕焼に合掌す  能村登四郎 『現代俳句歳時記』角川春樹編

 (にじゅうろくせいじん おおゆうやけに がっしょうす) のむら・としろう

 日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、今から400年ほど昔、1597年2月5日(慶長元年12月19日)豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者のこと。豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって西坂の丘で磔にされた。26人のうち、日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名であり、すべて男性であった。

 26人が1862年6月8日列聖して100年目の1962年に、現在の日本二十六聖人記念碑は、この西台の丘(西台公園)に、大浦天主堂に向いて建てられた。

 私が長崎に住むようになったのは1967年(昭和42年)であったから、長崎駅近くの日本二十六聖人記念碑はよく覚えている。26人の足がみな、宙吊りに浮いていた。昇天を表しているのだろう、祈りの姿は厳かであった。

 能村登四郎氏が日本二十六聖人記念碑を訪れたのは夕方。長崎の日没は東京より40分ほど遅い。しかも長崎は暑い。遅い日没の夕焼は見事に赤々として荘厳であったと思われる。

■夕焼の空

 3・大夕焼一天をおしひろげたる  長谷川素逝 『ホトトギス 新歳時記』

 (おおゆやけ いってんをおし ひろげたる) はせがわ・そせい

 4・夕焼より頭上の夜に眼を移す 川崎展宏 『山本健吉 基本季語五〇〇選』講談社

 (ゆやけより ずじょうのよるに めをうつす) かわさき・てんこう

 3句目、夕焼の赤が西空いっぱいに広がっている。東から日は暮れてゆくが、しばらくは大夕焼の赤の力が強くて、天を押し広げようとしているように見える。

 4句目、「おしひろげた」赤い夕焼が、「頭上の夜」に押されはじめた一天の光景となったことに気づいた川崎展宏氏の作品である。

 この2句は、別々の歳時記から見つけたが、並べてみると夕焼から夜にいたる天空の姿が見えてくるようではないか。

 茨城県の空は、関東平野の真ん中にあって広々としている。仕事で東京からハイウェイで守谷まで戻るとき、冬至の頃だったと思う、天の赤い夕焼と黒の夜との鬩ぎ合いを眺めたことがあった。面白いと思った。


http://keigetu0024.livedoor.blog/archives/10596939.html【夕焼、ゆやけ、夕焼雲、大夕焼(おおゆやけ)】より

昨日(金曜日)関東地方の梅雨明けが発表されました。これからは真夏の太陽と付き合って行かなければなりません。でも昨日のように綺麗な夕焼けを見るとふと昼間の猛暑を忘れてほっとさせられますね。

夕焼は四季を通じてありますが、太陽の角度により色が一番美しいそうで夏の季語季題とされています。

昨年は秋夕焼で父の闘病時のことに触れましたが、小学校の時西側に田園が広がる田舎の家に住んでおり、その夕焼も思い出されます。

讃岐平野には三角形の小さな山がいくつもあります。その山の後ろの真っ赤な夕焼けを父と見ているシーンが一枚の絵のように脳裏に残っているのです。

夕焼の雲の中にも仏陀あり  虚子

吉野川火の帯となる夕焼かな 上崎暮湖

鳥葬の民亡びゆく大夕焼 渡部伸一郎

夕焼は長し麒麟を遠巻く柵 橋本美代子

大夕焼おむすび山のぽこぽこと 慶月


https://note.com/wind7/n/nf42e6d29081b 【俳句と言えるのか(大夕焼)】より

へなちょこな感傷捨てよ大夕焼  (へなちょこな|かんしょうすてよ|おおゆやけ) 

丘に登って壮麗な夕焼けをみた この空は遠く西の戦火の空にもつながっている 

祈るように浮かんだひどく感傷的な句 ”西方に浄土あれかし大夕焼” 

丘を下りてずっと考えていた 祈りとはなんだろう 

祈ることで自分の心を軽くしようとしてるんじゃないのかと省みる 

これほどまでのむごい運命に 私の祈りなんかは到底捧げられない 

一夜明けてこの句は捨てて 

”へなちょこ”なんて言葉が俳句と呼べるのかわからないけど 五七五を並べる 

白く洗い上げたシーツ 蛇口からほとばしる冷たい水 そんな時に感じる痛みのようなもの 

とりあえず安全なところに居る自分の感傷  俳句に向き合おうとすると へなちょこな自分を見ることになる 


https://ameblo.jp/yt-0101/entry-11899975664.html 【大夕焼】より

            サーファーが点描となる大夕焼   フーザンボー

 夕焼は一年中見られますが、特に夏に見られるということから夏の季語になっています。掲句は大夕焼(「おおゆやけ」と五音で読んでください。)としましたが、写真のものが大夕焼であるかどうかは分かりません。もっともっと色鮮やかな夕焼もあるのですが、そういうときに限って海に出ていないとか、カメラをもってきてなくて、少し後悔したりもします。

 「点描」と言いましたが、簡潔に墨絵で人物を描くようなイメージです。

               夕焼のはかなきことも美しく   稲畑汀子

               親子手をつなげば天地夕焼くる   都峰


コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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