Facebook山平 喜一郎さん投稿記事
もちろん、あなたがたには、自分ではなくなることなどできない。あなたがたはもともと、神の子供、「純粋な、創造的ないのち」なのだから。そこで、あなたがたは次善の方法をとった。自分がほんとうは何者であるかを忘れたのだ。
物質的な宇宙に入ったとき、あなたがたは記憶を捨てた。忘れることで、単に王国の城で目覚めるのではなく、自分が何者であるかを選べるようになった。
あなたは神の一部であると聞かされるのではなく、神の一部としての生き方を自分で選びとる。そうすればすべての選択肢を与えられたうえで、自らを体験することができる。すべての選択肢、それが神である。だが、選択肢のすべてであれば、選択の余地はない。あなたがたはどんなに努力しても、わたしの子供でなくなることはできない。だが、忘れることはできる。
あなたがたは、これまでも、そしてこれからもつねに、神聖なる全体のなかの部分、身体の一部、手足、メンバーだ。だからこそ、全体に戻ること、神に戻ることは思い出すこと(リメンバランス:remembrance)と呼ばれる。あなたがたは自分が何者であるかを思い出す。あるいは自分の各部を寄せ集めて自分のすべてを、すなわちわたしのすべてを体験する。
したがって、地上でのあなたがたの仕事は、自分が何者であるかを学ぶことではなく(すでに知っているのだから)、思い出すことだ。そして、ほかのみんなが、何者であるかを思い出すことだ。だから、ほかのひとにもそれを気づかせること、思い出すようにしむけることも大きな仕事のひとつだ。
いのちの真実を知っているすばらしい教師はみんな、そうしてきた。それが、ただひとつの目的だから。魂の目的だから。
「神との対話」、ニール・ドナルド・ウォルシュ、吉田利子(訳)、サンマーク出版
第1章p46
Facebook津留晃一の世界 投稿記事 神のシナリオ
多くの人が、自分には「何かしなければならない事がある」と考えているようです。
自分には何か成すべき使命があると考えます。
あなたに成すべきことが何かあるとしたら、それは「今を100%生きる」ということであり、それ以外にあなたの成すべき事はありません。
将来のいつかあるときあなたが光るために今があるわけではなく、何か達成されたときに輝くように今が用意されているわけでもありません。
今、輝くためにあなたは存在しています。あなたがするべきことは今光輝くこと、
あなたの命を今生き生きと発揮させることです。
なのにどうして今輝こうとせず、これが出来ないとダメだと決めているのでしょうか。
あれがない限り不可能だとか、これさえあれば出来るのだが・・・と。
「これがあれば輝けるのに」と決めているのは誰でしょう。そう決めているのはあなたです。
「いや親に言われるから」とあなたは言うかもしれません。
しかし親のその意見を受け入れているのはあなたであり、あなたは親のその意見を受け入れないこともできるのです。他人の意見を受け入れ、自分を縛っているのは自分以外にはいないのだ、と気付くべきでしょう。
人は元々完全に自由です。神があなたに望んでいるたった一つの願いは「あなたが100%自由であってほしい」という事であると伝えられました。
「何かしなければならないことがある」と考えただけで、人はその自分の考えから束縛を受け始めることになります。「ねばならない」ことはあなたを縛ります。
あなたを不自由にしているのは、この「ねばならない」という考え方です。
あなたにしなければならないことなどなにもありません。
元々神そのものであるあなたに何かしなければならないことなどあろうはずがありません。
神は、したいからするのであり、しなければならないからするのではないはずです。
「こんな自分を何とかしよう」、「この気持ちを何とかしなければ」、「あいつはこのままではいかん、何とかしなければ」、とこんな気持ちから行動をとっている人のなんと多いことでしょうか。
これらはいずれもあなたの自我から出てくる行動であり、あなたの本質である神のなすワザではないようです。
これまで人は神のごとき人間になりたいと、多くの理想をかかげて行動してきましたが、人はこの「理想」を心に抱いたその瞬間から、実は、何とかしなければならなくなってくるのです。
理想とかけ離れた自分を何とかしなければならなくなってくるわけです。
人が理想を思い描くのは今が理想的でないと感じているときであり、そのあなたの無意識下に秘められた、今を否定する「このままではダメだ」という思いが、このままではいけない困った現実を呼び寄せることとなってきます。
それがあなたがこれまで体験し続けてきたあなたの現実です。
あなたがこれから還りゆくあなたの根源には、「何とかしなければならない」ことなど何もないと伝えられました。
あなたは自分の根源であるハートの中心に意識を置いておきさえすれば、「どうにかしよう」という思いは瞬時に消えてしまいます。
どんな時も、あなたの成すべきことは一つです。あなたは自分自身にただ命じます。
自分を意識の中心点に置くように・・・。
意識の中心点とは、あなたという宇宙の特異点のことです。
そこは常に創造の始まりの場であり、あなたの全てのスタートポイントです。
そしてそこがあなたのゴールでもあります。
歓びは、今、ここにあります。今この瞬間には無限の歓びがあります。
あなたが頑張って達成したところにも、もちろん歓びはあるのですが、それは限られた歓びにすぎません。限定付きの歓びを追い求めるゲームはそろそろ終わりにして、これからは、この瞬間の無限の歓びの発見にこそ努めていただきたいと思うのです。
黙って静かに目を閉じ、あなたの心を悦びで満たし、こう言って下さい。
「私は今、完全に満たされている」と、ゆっくり2、3回この言葉を自分の内に向かってささやいていると、あなたはかたよりのないニュートラルなポイントへおのずと導かれていきます。あなたのまわりに向こうから現実がやって来るといった感覚を味わえるようになるでしょう。あなたにとってその瞬間に必要な情報があなたの内側からやってきます。
それだけが今あなたにとって一番必要な情報であるのです。必要以上の情報が来ることはありません。本当は、今、この瞬間に、全ての情報があなたのまわりに充満しているのですが、
その全てを受け取ってしまった時には、あなたの人生ゲームはそこで終わりを告げることになっているようです。今、そこにある情報で、今、そこを遊んで下さい。
あなたのハートの中心は、常にどんな時もたえず悦びを表現しようと待機しています。
必要なことは本当はそれだけです。その瞬間に悦びを表現することです。
その瞬間に美しさを表現することです。その時は、今を除いてはありません。
そこを除いて他の場所ではありません。今自分が何を表現しているのかに気付いて下さい。
自己弁護をしている自分に気付くことです。人を批判している自分に気付くことです。
自分を責め、落ち込んでいる自分に気付くことです。
人によく思われようとしている自分に気付いて下さい。欲求不満の中でストレスを発散していませんか? そんなつまらないことに今というこの大切な瞬間を浪費しないでください。
あなたの大切な今という瞬間に、自分の悦びを表現していますか?
「自分は自分の悦びを表現しようと思っている。しかしそれにはこれが必要だ。だから自分は今これを手に入れようとしているのだ。イヤだけどこれが必要なのだからしかたがない」と、
今この瞬間に我慢をしてはいませんか。「仕方がないではないか」と人は言います。
「事実は事実ではないか」と・・・。そうですね。
そう思っているあなたがいることは事実ですから、あなたのまわりにそんな宇宙空間が事実として作られています。
あなたが創造主なのですから。「だってみんなもそう思っているではないか」とあなたは続けます。もちろんその通り、あなたの創った世界ですから、あなたのまわりにあなたと同じ考えの人が集まっていて当然です。
あなたがその思いを手放したとき、あなたのまわりの現実が変わり始めます。
何度もいうようですが、あなたは今、あなたの歓びを表現して下さい。今この瞬間のあなたの歓びの思いが、次の瞬間のあなたの輝く未来を創造します。
その歓びの瞬間が、又その次なる歓びの瞬間を産み出し、こうして永遠に歓びが途切れることなく続くことになります。
あなたは自分の手でシナリオを書いてこの地球へやってきました。
しかしその自分で書いたシナリオのことはもうすっかり忘れさっています。
あなたが自分で書いたシナリオを生きたかったら、じたばたしないことです。
今、あなたが頭で考えて何かを強く望んだとしても、もちろんそれは実現することでしょう。それもなかなかおもしろいゲームです。
でもこれまで、さんざんその遊びをやってきたのですから、このあたりで自分が神であったときに書いた自分のシナリオに戻ってみてはいかがでしょうか。
今この瞬間を100%遊び、起きてくることに身を委ねてみてはいかがでしょう。
そして、今、やりたいことをやって下さい。先のことを考えた上で、計算ずくで行動するのではなく、常識に捕らわれた行動をするのでもなく、今、本当にやりたいことをやって下さい。
未来の自分をではなく、今の自分を100%愛し、自分を甘やかせてあげて下さい。
「でもこれはしてはいけないのではないかしら」という思いがわいてきたとしたら、その思いをただ単に大切にし、その思いと闘うことなく、どうしてこれをしてはいけないという考えが起きてきたのかを眺めてみて下さい。
「私はどうしてこれをしてはいけないと考えているのかしら」と自分に向かって問いかけてみて下さい。
その考えが、良い事とか、悪い事とかの判断を加えることなしに。そうすれば必ずいつか
その答えがやってくるものなのです。
もしどうしても比較の習慣がぬけないのでしたら、自分の根源と比較してみて下さい。
あなたはあなたの神の部分が考えたシナリオと、制限だらけの自我が考えたシナリオと、
どちらが自分にとって有意義なことであるかを比較してみて下さい。
あなたが自分を使わなくなった時、神があなたに変わって本来の仕事をし始めます。
あなたという神のシナリオが働き始めます。
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