Facebook岡部明美さん投稿記事
科学者がしなければならないのは、世界を愛することだ。
理解する前に自然界を愛することが最もたいせつなのだ。
もしもわたしが、すべての子供の成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子供に生涯消えることのない
「センス・オブ・ワンダー」=神秘さや不思議さに目を見はる感性を授けてほしいとたのむでしょう。 (レイチェル・カーソン)
自然法則の調和の完璧さに打たれた時、私は恍惚的感動ともいうべき一種の宗教的心情にひたる。その知性の崇高さに私はただただ感嘆するのみで、人間の系統だった思考だの行動だのが無意味な悪あがきのように思える。 (アインシュタイン)
「大好きな人々がいなかったら、宇宙なんて大したことはない」 (ホーキング博士)
現代物理学の基本原理であるニュートン力学はもう終わったと言われているけれど、
ニュートン力学は、実はニュートンが20代で完成させたもので、その後のニュートンが何を研究していたかは世間でほとんど知られていない。
ニュートンは、自分が発見した原理は、天体の運動法則の一部を説明しただけで、
人間を含めた生物の運動を考えた時に、どうしてもその原理だけでは説明がつかないものがたくさんあることに気づいていた。
ニュートンは、45歳から85歳までの40年間、神学や錬金術に関する多くの論文を書いた。それにも関わらず、周りの人たちは誰もその価値を認めなかった。
当時の世界的な科学者であるニュートンが、神の世界だの、目に見えない世界のことを研究していることがわかったら「不都合・困る」という人たちが、ニュートンの論文の多くを葬り去ったのだ。
高次元科学の関先生は、ご著書の中で、ニュートンの「光」という著書の最終章には
「宇宙のいたるところに神が遍在し、運動を支配しているのではないか」といった内容が述べられていると書いている。そして、ニュートンはこんな言葉も残しているのだ。
世界中の人々がわたくしをどうみるかわからないが、わたくしから見るとわたくしの生涯は海辺に遊んでいる少年のようなものだったに過ぎない。
ときたま、普通よりなめらかな小石や、もっと美しい貝殻を見つけてみずから楽しんでいただけで、真理の大海はまだ、全然発見の手がつけられないままに、わたくしの前に広がっていたのだ。
Facebook代替医療、自然治癒力医療講演会情報を共有する会 竹元 久了さん投稿記事
🌷「センス・オブ・ワンダーと生きて」💕
🔵自然文学のロングセラー「センス・オブ・ワンダー」。自然の営みやいのちの不思議さに目を見開くよろこびを、♦アメリカの生物学者・レイチェル・カーソンがつづったエッセイ集。その翻訳者である上遠恵子さんは、カーソンの繊細な感性に心をつかまれ、その著作の翻訳と研究をライフワークとしてきた。91歳となる今も、現役で活動を続ける上遠さんに、人生の歩み、センス・オブ・ワンダーという感性のエッセンスを伺う。
上遠恵子(カミトオ・ケイコ)
1929年生まれ。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会会長。東京大学農学部農芸化学科研究室、社団法人日本農芸化学会、植物科学調節学会勤務を経て、88年レイチェル・カーソン日本協会を設立。訳書にレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』、『潮風の下で』、『海辺』などがある。
🔵「センス・オブ・ワンダー」という“信念”
この本が社会に出たことで、ものすごく大きな影響を社会に与えました。それ(化学物質)を生産することによって利益を得てきた化学産業はもう、怒りくるって、「レイチェル・カーソンの言っていることはうそだ、非科学的だ、ヒステリーだ」と。それから、東西冷戦のさなかでしたから、「共産主義の、回し者だ」とか。「独身なのになんで遺伝のことを心配するのだ」などと発言をする議員までいていろいろな誹謗がありました。
♦そうした流れに終止符を打ち、カーソンが言っていることは正しいと言ってくれたのは、ちょうどそのころの大統領であるジョン・F・ケネディでした。
ケネディが諮問委員会を作らせて、彼女が言っていることは正しいし、もっと政府は市民に対して情報を与えなければいけないという発言に達したのです。
そのことに関しても、「彼女は原始時代に戻れと言っている」などと非難されたけれども、彼女は決してくじけなかった。声高に反論もしなかった。科学的な証拠に基づいて書いているから、自分が書いたことが正しいという自信があったのですね。
そしてもう一つ大切なことは、彼女にはセンス・オブ・ワンダーという感性があったということ。生命がどんなに大事なものかを小さい時から育んでいたことです。センス・オブ・ワンダーという感性に裏付けられた信念に支えられていたから、強烈な誹謗に対しても、くじけなかったのです。
🔵感性は蘇る
『センス・オブ・ワンダー』は、子どもたちといっしょに暮らすことのなかにある。
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。」
みなさんお子さん育ててらっしゃるから感じていらっしゃるでしょうけれど、子どもたちの世界は日々いきいきとして新鮮ですよね。ちっちゃいものでも驚いて。たとえばダンゴムシを見る子どもの目。すぐ飽きちゃう子どもでもじーっとみている時間があるでしょう、あのとき私は、子どもたちは本当に、全身全霊でいのちと向き合っていると感じます。
あの気持ちを、「やめなさい」とか言わずに、できたらいっしょに、楽しめたらいいと思います。なかなか楽しむまではいかないかな。でも、自分が面白いなって思わなくてもまず「わー、おもしろいー」とか、「つっついてみよう」とか、お母さんやお父さんがそういう風にすると、子どもの気持ちはすごくハッピーになると思います。
レイチェルは言っています、「すべての子どもの成長を見守る、善良な妖精に話しかける力を私が持っているとしたら、世界中の子どもに生涯消えることのないセンス・オブ・ワンダー、不思議さや神秘さに驚きを感じる感性を授けてくださいと頼むでしょう」と。
大人になってくると自然に対する感性が、だんだん鈍ってきます。暮らす世界が広がって行くのですからそれは自然な通り道かもしれません、子どもたちや孫たちを見ているとそうでした。本当に、天使のようにかわいい子が、ヤングエイジになってくるとまあにくたらしくなります(笑)。あんなに自然界や虫が好きだった子が、ピコピコピコとゲームに夢中になり、なんとかバトル、なんて言い出すのですから。
そのまま突っ走って、干からびた感性の大人にもなってしまうときもあるけれど、みんな、幼い時の感覚というのを持っているので大丈夫です。成長の段階ではそれが温存されて休火山になっているのです。「その感性はやがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になってしまうことに対する、変わらぬ解毒剤になります」、とレイチェルは言っています。
さらにレイチェルは、「わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませて親にとっても、『知る』ことは、『感じる』ことの半分も重要でないと固く信じています。」と言っています。「子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土です。幼い子ども時代は、この肥沃な土を耕すときです。」と。
今の社会はちょっと逆転していて、知識偏重のところがありますから、私はもっと感性を大事にした教育になればいいと思っています。
これは、とっても悲しかった経験なのですけれど、アフリカの、飢餓のなかにいる子どもたちが栄養失調で、おなかをすかせてしゃがみこんでいる子どもたちの写真を見ていたときのことです。それを見ていた小学校の高学年くらいの子どもが、「こういうのを自然淘汰っていうんだよね」って、言いました。
もう私、そのときは言葉を失いました。本当に、悲しいとも怒りともつかない、体がワナワナして、本当になんにも言えなくなりました
「自然淘汰」なんて言葉、知らなくたっていい、「この子たちかわいそうだね、どうすればいいの?なんとかならないの?」、っていう子どもに、なってほしかったですね。そういう発言をさせた教育に、ものすごく疑問を感じます。…(涙ぐむ)
…ちょっと感情移入が強すぎましたね、すみません。
そういう風だと戦争に対しても、平和であることの大切さに対しても鈍感になります。いのちというものに対して鈍感になります。センチメンタルだと批判されることもありますけれども、考え方の軸足をどこに置くか、経済に軸足を置くか、いのちに軸足を置くかと聞かれれば、私たちはぜったいにいのちに軸足を置かなければいけないと思います。『センス・オブ・ワンダー』のメインテーマはそういうことでしょう。
🔵今こそ〝べつの道″へ
この3・11の地震、そして原発の事故には、本当に言葉を失いました。
私は戦争体験者ですが、広島に原爆が落ちた話、長崎に原爆が落ちた話を聞いて、どうすれば、おそろしい新型爆弾から逃れられるか、ということを、私たちはまだ8月15日になる前、話し合いました。
マスコミでは言わないけれど、いろいろな情報がどこからか聞こえてくるのですね。真っ白いものを着ていたほうがよさそうだ、もの陰に隠れたほうがよさそうだ、とか。もし東京に原爆が落ちたらなんの役にもならないことですけれど、いろんな噂が流れていたことを思い出します。
その後、『原爆許すまじ』という歌を歌いながら、原爆反対と二度と戦争をしてはいけないと平和運動をしました。1986年にはチェルノブイリ原発事故があり、その前にはアメリカのスリーマイル島で原発事故がありました。私は、その事故の2ヶ月ぐらい後にスリーマイル島の上をたまたま飛行機で飛びました。そのとき、「あんな事故も起きるのだ」としか思わなかった自分、そしてチェルノブイリのときも、ひどい事故で原発は危険なのだと思いつつ、いつの間にか発言しなくなっていた自分。チェルノブイリの時はかなり深刻なことだと思い、子ども達への影響を心配してはいてもとくに発言することせず、デモに参加することもしなかった。かつてあんなに原爆は「ノー」と言っていたのになぜ自分はこんなに黙ってしまっていたのだろうか、原発はクリーンエネルギー、平和利用だという言説に、だまされてしまったのかと考えると、後悔というか慚愧の念を禁じ得ませんでした。
そしてもう一度、レイチェル・カーソンことを考えてみようと思い、1963年、亡くなる半年前に、病を押して行ったサンフランシスコでの講演記録を読みました。「環境の汚染」という題で話をしているのですがそのなかで化学物質による汚染のことも語っていますが、おなじぐらいの時間を割いて放射性物質による環境汚染について話しているのです。50年前に、そのことに警鐘を鳴らした先見性と科学者の良心に敬服します。
Facebooik能村 聡さん投稿記事
『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』の薦め
レイチェル・カーソンは、1962年に著書『沈黙の春』で農薬や化学物質による環境汚染や破壊の実体に、いち早く警笛を鳴らしたアメリカの海洋生物学者です。
『センス・オブ・ワンダー』は、レイチェルが幼い子どもと一緒に自然を探索した体験をもとに書かれたエッセイで、子どもたちと自然の中に出かけ、神秘さや不思議さに目をみはる感性を育み、分かち合うことの大切さを伝えています。
・・・大切なのは、まず「感じるこころ」を育み、輝かせること。 そのために、美しさ、神秘さにあふれる自然に入ってみよう・・・と。
レーチェルは「「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない」と語っています。
さらに「美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。」と続けています。
まさに今の教育に欠けていて、ほんとうに求められているエッセンスではないでしょうか?
*センス・オブ・ワンダー:レイチェル・カーソン 著/上遠恵子 訳/新潮社/1,400円(税別)
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