目をつむり全ての鴨を感じをり

https://note.com/badcatsweekly/n/n7108b1658975 【【エッセイ】鴨のいる風景】より

昼飯を買いにコンビニへ向かってとぼとぼ歩いていると、近所を流れる小さな川の土手の上に人だかりができていた。

私も思わず野次馬スイッチを押され、吸い寄せられるように人ごみに加わって、眼下を流れる川に目を向ける。

カルガモの親子がいた。つがいが二羽と、その子どもたちが六羽。優雅にすいすいと水面を進んでいく親鳥に遅れてはなるまいと、風呂に浮かべる黄色いオモチャみたいな子ガモたちが懸命に泳いでいた。

「かわいー」「萌える」「カモやばい」など、幅広い年齢層の見物人たちがそれぞれの語彙を用いて、己のなかに芽生えたカモ愛を口にしている。私も周囲の圧に押されるように「イケてる」とつぶやいた。

ぎらつく真夏の太陽の下、穏かな時間が流れていた。そして思った──けど、君ら食うよね。カモ。

きっと今目の前にカモ鍋を差し出されたら、「可愛い」と言ったその舌の根が乾かぬうちに「カモ美味い」って舌鼓を打つよね。

私は食えない。カモは。ひょっとすると何週間も飲まず食わずで餓死寸前の状態だったら、生きるために食うかもしれないが、少なくとも今は食えない。

ふと、子どもの頃に訪れた牧場のことを思い出す。みんな可愛らしい羊たちと触れ合って遊んだあと、併設のレストランでジンギスカンを頬張っていた。誰もが屈託なく笑っていた。

羊は「可愛い」けど「美味しい」んだ──。

あのとき人々の頭の中では、どういった“正当化”が行われていたのだろう。ひょっとして「可愛いすぎて食べちゃいたいー」みたいな気持ちで「可愛い」が咀嚼され、ジンギスカンを満喫していたのだろうか。可愛いからこそ食べたくなるのか、可愛いけれど食べたくなるのか。いったいどの時点で、あの牧場の羊は人々にとって愛玩の対象から、単なる食材に変わったのだろうか。

今カルガモの親子を眺めているこの人たちの言う「可愛い」は、どういう「可愛い」なのだろうか。

急に思考がぐるぐるしだした。隣の老夫婦に「カモ可愛いですけど、食いますか?」と訊いてみようか。「今夜は鴨南蛮ですか?」とか。それではダイレクトすぎるだろうか。だったらまずは「あの子、肉付きがいいですねー」と遠回しな発言で牽制してみようか。そんなことをしたら、ヤバい人だと思われるだろうか。

向こうからまた「カモ可愛いー!」の声が弾けた。


https://ameblo.jp/sotobo-isumi/entry-11959414830.html 【水面を走るカモ、数百羽の集団!!】より

12月1日(月) 雨  気温17℃~19℃  暖房不要・・・

今日から師走!!この言葉を聞くと、忙しい気持になりますね。我が家は年末の大掃除は不要ですが、年賀状に追われる日々です。

昨日、畑から野菜を運んで帰る途中、溜池の方に回ってみました。7~8羽のカモが遊んでいるのを撮っていると・・・・他の鳥が2羽出て来て・・・ペアで水中に頭を入れています。

これは一体何をしてるのでしょう!餌を探しているのでしょうか?

雑草の中にカメラを向けると・・・おぉ!たくさんいますよ~雑草の中から一斉に飛び出してきました。

水面を立って走るのを見るのは、はじめてです。しかも駿足!!一瞬の出来事で、上手く撮れなかったのですが・・・羽を広げ、羽ばたかずに立った状態で水面を走っています。

うわぁ~~カモさんたちが出てくるわ、出てくるわ、凄い数です・・・・

一体どのくらいの数がいるのでしょう・・・一面のカモに驚きました。

ロケット発射・・・昨日の夕方、窓から夕陽を撮っていると、なにこれ!外房でロケットの発射!!そんな計画(笑)、聞いたことありませんよ。今日のニュースでは、小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げは

12月3日(水)13時22分04秒に再設定されたとの放送でした。

カモが水面を走る様子、夕陽の方向から飛びだした飛行機雲!どちらもラッキーでしたけれど、私のカメラでは限度があるかもね。

今日のニュースで、元俳優の菅原文太さんの訃報を知りました。

任侠映画は見ていませんが、TVの「利家とまつ」の演技を見てからのファンでした。

また、農業されるようになった時期も、私たちが田舎暮らしを始めた

時期と同じだったので、とても印象に残っています。心よりご冥福をお祈りします。

今日も一日、ありがとうございました。明日も良い日になりますよう・・・では、おやすみなさい。

***

目を閉じると他の感覚が鋭敏になります。

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瞑想体験~暗闇の瞑想~

ある人の話に刺激され 暗闇の瞑想をしてみたくなりました。

第三道場は窓もなく 燈明も灯されてなく 暗闇そのものです。

朝のお掃除の後 5分くらいの積りで中に入って見ました。

黴臭い臭いがつんと鼻をつき すぐに消えました。

最初はエアコンの指示ランプだけが 見えていましたが あたりに金色に輝くプラウナが 見え始めました。

時計の時を刻む音が 異常に耳に付き 煩わしい感じになりました。

身体はリラックスし 眼を閉じると 瞼の裏に安らかな紫光が広がり続けました。

そのうち 後ろから光がさしているのに氣付き畳や自分の足が見えました。

振り向くと指示ランプが2つ、こうこうと輝いていました。

みぞれの降る朝でしたので 少し寒くなり、その日の予定も氣になり 外に出ると 30分の時が経過していました。

和多志たちの脳への刺激は 日常的には 視覚から入るものが圧倒的に多いと言われます。

視覚刺激を極度に減らすと 視覚、聴覚が敏感になるとともに 脳波が下がり 身体はリラックスし、時の感覚までなくなるといわれます。その実体験を味わったということでしょうか?

無刺激の体験をしてみたくなりました。しかし無刺激とは何でしょう?

母の胎に遊ぶということでしょうか?

ある人が お風呂にお酒とお酢とお塩を入れて入浴すると 浄化ができると教えてくれました。

もしかしたら 羊水に近いものができるのかと連想してしまいました。

幸か不幸か 風呂には窓がない故 今晩無刺激の実験をしてみたいです。

お風呂の実験結果は ただのお風呂でした。

お水に浮かぶとリラックスするというのに 不思議でたまりません。

道場の真っ暗闇で 雪の降る朝 暖房なしの実験が超リラックス体験になり 身体の感覚も

なくなりトランス状態になったのに 、、、!!

わざわざ内緒の料理酒を 買いに出かけての実験でした??

わざわざ超高価な竹塩を入れたのですよ。

羊水もどきに浮かぶのかな?と期待したのに 当て外れでした。

イスラエル旅行の時 死海に浮かんだことがあるのですが・・・

その後の身体の心地よさは抜群でした。そんな満ち足りた思いもできませんでした。

これから何を学べというのでしょうね?

ある人に以下のように尋ねました。「暗闇の瞑想の実験をしました。漆黒の道場での体験は至福の心地よさになったのに お風呂での暗闇体験が唯のお風呂の実感しかなかったことが解りません。」

返事は 「 そういった実践は、一時的な宗教体験をもたらす場合もありますが、 逆に妄想的な体験が生じて、良くない人もいるでしょう。

ですから いずれの場合にせよ、重要なのは、日常生活でいかに 健全な精神で生きるかだと思っています。」

違いについての回答はないままです。

人によって体験内容が違うから返事のしようがないという意味でしょうか?

それでも不思議な思いに引っかかり続けます。

道場とお風呂の違いは???

お風呂の方は「お風呂に入る」という目的がありました。

寒い冬の日なので 手探りで とにかく浴槽に入る必要があります。

ぬるま湯を温めるために お湯の蛇口を手探りで探しました。

ということは 丁度ブラインドウォークのように「自分の身の安全を 保つために エネルギーを外に向けなければならなかった。」ということになるのでしょうか?

現実適応を司る顕在意識に エネルギーが傾いたということなのでしょうか?

顕在意識に傾けば 全てとの一体感を失い 安全で安心、そしてくつろいだリラックスを失う

ことを示すのでしょうか?

両脳が目覚めているとは 覚醒シーター波になっている状態を言うのでしょうか?

皆様試して メッセージを頂けないでしょうか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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