斎藤 信義氏

https://ameblo.jp/masanori819/entry-12226011200.html 【フェースブックの俳句大学で 斎藤 信義 一句鑑賞に取り上げられた】より

斎藤 信義一句鑑賞

    文 京 区 大 名 庭 園 冬 支 度   正則

俳句は「漢字」と「かな」書きという日本独特の詩歌(文芸)なのだが、時折り<かな>や<漢字>だけのものを見受ける。

短歌(和歌)はかな書きが多いが、俳句は両方使いが多いのが特徴のように思う。

掲句は、漢詩紛いの漢字だけの叙景表記だが、内容は俳句そのものの情感が彷彿としている。「冬支度」と言う地味な季語が効いている。

この庭園はおそらく「六義園」であろうと即断したのは、ご承知の通り大名庭園の中でも一級品だと徳川綱吉が頻繁にお成りの柳沢吉保の下屋敷だからである。(文京区駒込)以後(明治)岩崎弥太郎の所有となり東京都に寄贈され一般公開されている。

当時は各大名が庭園造りを競った江戸(下屋敷)時代で、その頃の名園は数多くある。

名園の冬支度と言えば金沢の「兼六園」の雪吊りが目に浮かぶが、この園でもそれなりの冬支度がなされるのだろうが、一度しか行ったことがない私にはその様子は分からない。

こういう句作りは生半可な腕では難しく、年季の入った著者に違いない。


https://miyukibare.exblog.jp/19909775/ 【斎藤信義句集「天景」「氷塵」】より

斎藤信義さんから第2句集「天景」(俳人協会)を頂いた。斎藤さんはわが家から100kmほどのところにある旭川の方で、Facebook では馴染みである。「天景」は昭和60年(1985年)発行で、俳人協会新人賞を争ったとのこと。ネットで調べてみたら、昭和60年度の新人賞は、植田操氏(句集は「直面」)だった(残念ながら存じ上げないが)。

この句集には上田五千石が序文を寄せている。

斎藤信義の俳句は現代の饒舌の時代に、ことさらに象徴黙示の文字十三個を以って立たんとするアナクロニズムの颯爽がある。  上田五千石

うーん、カッコイイ!

私は古書店で斎藤さんの第3句集「氷塵」(2012年・ウェップ)を購入して読んでいたので、氏が「十三文字」を信念としていることは知っていたが、第2句集の頃からもう実践していたことには少し驚いた。この、すべての俳句を十三文字で書くという信条には賛否両論あることは想像に難くないが、少なくとも不自然な句はひとつもない。それはひとつの達成だろうと思う。

ただ、表現の工夫として、すべて漢字の句、またはすべて平仮名の句などを作ることは私にもあるが、「十三文字」ではそのような選択肢は初めから断たれている。それゆえに、そのような表記上のレトリックに頼らない、俳句そのものの純度を上げていくストイックな態度を持ち続けなければならない。それがどれほど成功しているのか私には判断がつきかねるが、そのチャレンジ精神には敬意を表したい。

集中から好きな句を挙げる。

忌はいつも北への旅の桜かな

作者は北海道日本海岸の増毛で生まれ、長じて本州で働いた。親や親類はみな北海道にいたのだろう。誰かが亡くなるたびに北へ帰る。そんなときに故郷で見る桜。本州ではとうに散っている桜が咲いているのを、鎮魂の象徴のように感じていたのだろう。

冬天のまさびしかりし休火山

休火山とは、有史以来噴火の記録はあるものの現在は噴煙をあげていない火山のこと(現在は、このような分類はしなくなったらしいが)。「地球は生きている」などとよく言われるが、火山はそれが現実として現れたものだろう。生きているのか死んでいるのかはっきりしない休火山。その上の冬空も、地上の生を映すわけでもなく森閑とたださびしそうに広がるのみだ。

極寒や光りを棘とちりばめて           たましひの華やぎもなき桜狩

吾亦紅しんじつ赤き夕日かな           いわし雲疑へば耳とがりだす

深秋の日差しの中の帰心かな           山の端の水の岐れも去年今年

たましひの睡らざるまま大旦           磨かれし如く灯りし零下かな

郭公や身ほとりに水流れゐて           くるぶしの尖る百人大暑くる

蜻蛉のつがひの音の挽歌かな           眠りたる山よ約束ごとも無く

「氷塵」からもひいてみたい。

帰道以後の風土詠にいたく共感するところがあった。

篩ふかに雪ふる無風盆地かな

「篩ふかに」が、北国に降る粉雪の雰囲気を余すところなく伝えている。「無風盆地」という過不足ない表現も素晴らしい。

けあらしの勢(きほ)いさなかや旭橋

旭橋は石狩川にかかる大きな橋で、旭川市のシンボルとなっている。私も学生時代を旭川で過ごしたので、旭橋は何度渡ったことか。「けあらし」とは川霧のことだが、旭橋の緑色がけあらしの中に浮かんでいる景を今でも思い出す。

大雪山(だいせつ)は翼ひらきて冬に入る       生きものの匂ひへ雪の殺到す

紗のごとく雪降り何もかも昔             雪堅く踏めばむかしの唄浮ぶ

あかげらの赫が飛び散る雪林             人影の絶えし坂より凍り出す

盆地にて奔流となる吹雪かな

冬の句ばかりになってしまった。やはり北海道の風土といえば冬ということなのだと改めて思う。

https://saku-pub.com/books/yukiharashi.html 【斎藤信義句集『雪晴風』(ゆきはらし)】より

第33回北海道新聞 俳句賞 受賞! 発行:2018年5月15日 帯文:仲 寒蟬

「ゆきはらし」が吹くころ、北国に春が訪れる。

雪または吹雪が止んだ後、からりと晴れて太陽が照っていながら強い風が吹くことがあり、それを「雪晴風」という。早春近くにみられる北方季語である。

北海道の長く厳しい冬に耐えた大地に、春、雪解けとともに一斉に花が開く。

北国の四季と、そこに暮らす人々の営みを鮮やかに切り取った秀作。

◆帯文より

うつすらと昼の月ある雪晴風

帰り着いたのは一年の半分が雪で覆われる北の大地、旭川。ひとしきり雪が降れば小さな日が顔を出し風が吹く。それを「雪晴風」と言う。

斎藤さんの俳句は乾いた雪を舞い上がらせる雪晴風のごとく眼前の景の向こうに息づく生命までを見通して揺るがない。(仲 寒蟬)

◆作品抄15句

火と水のにほひがかはる大旦          明け方の天女が原の淑気かな

肝に沁むほどの眩しさ雪晴風          クリオネといふ流氷の雫かな

キリストの肋骨がごと冴返る          空のいろ水のいろ蝦夷延胡策

葉は翅のごとく添ふ蝦夷山櫻          星屑も花屑も浮くにはたづみ

くちなはが戦場のごと屯せる          平成の玉音もまた日のさかり

生身とは濡れてゐること露葎          色のなき風のなかなる淋派展

雪晴れやアイヌコタンの空舟

<著者略歴>

昭和11年、北海道増毛町生まれ。昭和40年「菜殻火」入会、野見山朱鳥に師事。

昭和57年上田五千石主宰「畦」同人。「松の花」を経て、現在「月の匣」同人、「俳句寺子屋」塾主宰。俳人協会会員。

光る雪 斎藤信義 (著)

この集の名を『光る雪』と思いついたのは、第三句集の『氷塵』は、ダイヤモンドダストのことで、第四句集の『雪晴風』は、ゆきはらしと読み、早春の北邦季語であったこととの関わりからである。

光る「雪」とは、零下十五度以下で大自然が生み出す宝石のような耀きのことなのだが、氷塵のように空気中の水蒸気が凍り耀く現象とは違い、降り積もった雪の肌が細かいダイヤモンドのように光り輝く情景であり、この反射光を『光る雪』とした。息を吸うと痛いほど寒い朝、窓からも見られるキラキラ光る雪の肌は、宝石を撒き散らしたように美しいが、写真に撮るのは難しい現象である。

北海道の「銀世界」の中で燦めく「氷塵」と、地上に積もった雪が燦めく不思議な現象を想像して頂ければ幸いである。



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