空海の人生を動かした道とは

【村上 保壽 天 平 特別対談】より

空海が少年の日に歩いた吉野山~高野山は、今もオリジナルな聖地性を感じる山深いエリア。

この地に感性で引き寄せられ、自然からインスピレーションを得て作曲活動を行うピアニスト天平と、さまざまな人生経験の後にこの地に移り、空海研究の第一人者として尽力する村上保壽。今回が初対面となる2人による異色のスペシャル対談が実現!

空海の人生を動かした道とは…?

01 空海の「原点」となった2泊3日の体験。

村上:

空海に対して、何か関心や思いはありますか?

天平:

知識は全然ないんですけれども、紀伊半島がすごく好きなんですよ、僕。ただ旅するのが好きで、その中で空海さんが紀伊半島のいろいろなところをめぐられたという話は知っています。

村上:

なるほどね。紀伊半島には、非常に古くから聖地があるんですね。例えば熊野なんかそうですよね?日本の他の地域とは違った紀伊半島の良さっていうのですかね?

天平さんは紀伊半島の良さっていうものをどういうふうに捉えていますか?

天平:

僕は作曲家ですから、割と感覚から入るんですけれども、このエリアでは何か違うものを感じるんですよ。

というのは、街なかはエネルギーが乱れていると思うんですね。それで、自分の体の周りをコーティングして、いろんな人のエネルギーと交わらないようにしている。だから街なかって疲れると思うんですね。

ところが、紀伊半島の山は、僕にとってすごく自然に受け入れられて、コーティングを取り払って、一体感を感じるんです。そこに僕は、感動というか気持ちよさを感じるんですよ。

村上:

なるほど、確かにね。空海は少年の時ですね、四国から出てきて、そして15歳くらいで、京都で勉強し始めるのですね。かなりきちっとした勉強をするのですけれども、18歳くらいで大学へ行って、その秋か冬にかけて、19歳前後の時に、吉野へ入っているのです。

天平:

はい。

村上:

そして、吉野から南へ1日、そして西へ2日で高野山へ入っていくのですよ。その2泊3日、吉野から山を越えた2泊3日の体験っていうのが、まったくこれまでと違った体験であって、何かに触れているんですよ。15歳から都にいて、都では感じなかったものを感じて、それが、以後の空海を作り出した。

天平:

それは感覚的に感じた?

村上:

そうなんです。感覚なんです。

天平:

じゃあ割と近いものを僕、感じたのかもしれないですね。

村上:

そうなんですよ。感性とか感覚なんです。実はそれが、空海の「原点」です。感性とか感覚ね、先ほど言われた、まさにコーティングしていた都とは違って、ほんとうに、その肌で、毛穴で…。

天平:

一体となる?

村上:

そうそう、一体となれるっていう感覚をもったのが、吉野から高野への、あの2泊3日の旅だったのだと思うのですね。

天平:

そうなんですね。

村上:

それで大学をやめて、そして都を離れて、いろんなところを歩いているんですね。


自然の中で五感で考え、表現するということ。

村上:

こういう環境の中だと、どんな教えが出てくると思いますか?

天平:

今朝考えていたんですよ。おこがましいですけれど、僕が仮に空海さんだったら、こんなに寒いところ、なんで修行場に選んだのかなと。寒いからこそ、修行の役に立つと思ったところがあったんですかね?

村上:

例えばね、都の人たちがコーティングしているということは、頭で考えているということだと思うんですよ。作らなきゃ、守らなきゃっていうことってあるでしょ。

天平:

そうですね。

村上:

理屈でもって、とにかく頑張らなきゃっていうのが。コーティングを取っちゃったら、どこで考えると思います?

天平:

ええ・・もう、感覚じゃないですか?

村上:

そうなんですよ。感覚で考えたら、どんな教えが出てくると思います?

天平:

教え・・・。

村上:

天平さんが作曲するじゃないですか?ピアノ弾くじゃないですか?それはどういうことですか?

天平:

ああ! 何もないところから物事を生みだすってことですね。

村上:

そうそうそう。

天平:

何もないところからだけれども、今までの自分の経験、思い出、体験、自分の心が揺り動かされた出来事をもとに、無から物事を作り出すってことが作曲ですね。

村上:

実はね、空海がやろうとしたのはそれなんですよ。

だって何もないでしょ。絶対的なものは何もないわけでしょ。だけれども、じゃあないのかって言われたらやっぱりありますよね? 無から有を作るというのは、頭で仕上げることじゃなくて、その時の自分が感じた、まさにいろんな体験。これが密教で言うと修行になるわけですね。密教の修行体験の中で、自分が五感で感じたこと、それをどう表現するかっていうことなのですよ。

天平さんもそうでしょ。感じたことを表現しようとするでしょ。

天平:

そうですね。それの最終的な行きつく先の境地が、悟りってことですか?

村上:

悟り、じゃだめなんですよ。悟って、仏になって、それでいいのか、っていう問題があるわけですよ。何のために仏になるのか。

仏陀は悟った時に、自分の悟った知恵はわからないだろうと、だから悟りは自分だけのものにしよう、と言った。そしたら、梵天はね、そんなこと言わないで、その仏陀の教えを聞いて、そして悟る人が出てくるかもしれない。だからどうかその教えを広めてくれ、ということを頼むわけですよ。それで仏陀は最後までね、八十何歳までですね、インドの各地を歩いていくわけでしょ。それが、実は、お大師さん(空海)にとっては大切だったんですね。

悟って、仏陀になって黄金に輝くのではなくて、動きましょう、仕事をしましょうっていうわけですよね。それこそが成仏なんだ、仏なんだと。人を助けることが仏なんだという、そういう考え方の根本は、若い時の経験なんですよね。一般の学僧となる勉強ではなくて、現実の姿を見ながら、仏教とは何かということを考えたのですよね。世間的にはドロップアウトして苦労をしているわけですから、そこで感性を磨いたんですよ。


手ごたえを感じるまであきらめない生き方。

村上:

天平さんはどうですか、そういう意味では。

天平:

若い時ですか? 僕は、人生って一回しかないと思いながら生きているんですね。

やっぱり後悔はしたくない、ほんとうにしたいことは何かとそのつどそのつど考えて、いろんなことにトライしてきたんですね。ピアノは小さい時にやってはいたんですけれども真剣にやっていなくて。高校もすぐやめて、肉体労働を転々としながら、16歳くらいの時に家の解体業をしながら、大阪で一人暮らししていたんです。その人生も楽しかったんですけれども、毎日同じサイクルなんですね。何か変えようと思わない限り、ずっと5年も10年も同じ人生だろうなと思ったんですよ。

一回しかないのに、これはちょっともったいない、何か新しいことにトライしてみたいなと思って、自分の中で人より何が優れているか、何がしたいのか、考えてみたんです。そうすると、フィジカルな面で人よりちょっとタフな部分があるっていうことと、子どものときに音楽をちょっと習ったことがあるっていうこの2つだけだったんです。

そこで、フィジカルな部分はずっと使ってきたし、もうひとつの音楽のほうにちょっと賭けてみようと思いまして、17歳くらいの時から、音楽専門学校に入ってバンド系の音楽をし始めたんですね。

それからすごく真剣にやり始めて、大学に行くにあたってクラシックを勉強したいって思い始めるんですよ。それで大学に入って2、3年したら、バンド音楽がちょっと物足りなくなってきたんですよね。ピアノ一本で、いろんなことを表現できるってだんだんわかったんですよ。大学の3回生くらいの時に、バンドマンじゃなくてピアニストになろうと思って、それからですね、もうずーっとピアノ一本でここまできたという人生なんです。

村上:

そうですか。いや、私もね、実は、大学ではヨーロッパ哲学をやっていたんですね。ルソーの研究ですけどね。それから山口大学へ行って、教授までしてるわけですよ。ところが、50前になってね、どうもヨーロッパの哲学だけでは限界を感じたんです。ヨーロッパの哲学はね、やっぱりキリスト教ですよ。根本がね。

天平:

はい。

村上:

「キリスト教、わからない」ってことがわかったんですよ。聖書を読んだって、キリスト教わかってないのです。宗教は、肌で感じるものだ。頭じゃなくて。肌なのですよ。五感で、毛穴で感じるんですよ。その時に何だろうと思ったら、仏教だったのです。仏教だったら何かね、わかるんじゃないかと。

それから内地留学しましてね、高野山大学に。それで、勉強していて、お大師様という人が面白そうだなと。そこで初めて、真言宗というものとお大師さんを知った。これは、知識ではない、行だと。ということがあって、3年後、加行をするためにまたここに来たのですよ。それで加行をやって、別に坊さんになるつもりはないのですが、加行をしないとわからない、と。やっているうちに、こちらへ来ないかというので来たのですよ。それで坊さんをやり始めたんです。

天平:

そうなんですね。感覚で感じたかったってことなんですよね。

村上:

そうそうそうそう。


空海の人生を変えた吉野~高野の道をたどる。

村上:

空海は大学を中退するのですね。当時、大学に入ると官僚の道を歩むので、一族もそれにすがっているのですが、それを捨てる、ある意味では親不孝者になるのですよ。

それでも、自分が衆徒僧となって何かつかみたい、仏教の教えの中で何かをつかみたいと、そういう気持ちでいくわけです。そういう気持ちにさせたのが、吉野から高野の道なのですけれども。古代の道っていうのは尾根道なんですね。稜線を歩くのですけれども、必ず案内人がいるんですよ。そして、神の山も通りますから、許された人しか入れないわけですよ。

天平:

はい。

村上:

そうすると、さっき言ったように、山は川の源流ですから汚しちゃいけないので、そこへ入っていくためには、源流を神としてまつっている部族と一緒に行くわけです。山を歩きますので、山人ですね、犬を連れた猟師。お大師さんが歩いた、紀の川沿いの神というのは丹生の神なんですよ。

天平:

丹生? 丹生川上神社の?

村上:

まさにそうなんです。丹生川上神社に関係する部族ですね。その山人に連れられて、吉野に入って、そして1日で南の大天井ヶ岳あたりに行っていますけれども、それから西へ2日かけて高野に入った。そして、天野の丹生明神ですね、そちらのほうへ下りて行ったのだろうと思うんですね。そのコースの分かれ目というのは、紀の川の分水嶺だと思っています。そこから南は熊野のほうへ流れていて神が違いますので、だから多分、南の方へは行かなかったのだろうと思うのですね。

天平:

部族によって通っていいところが決まっているんですね。

村上:

そうですね、山って言うのは、今でもそうですからね。

天平:

僕、天川村へよく行くんですが、大峰山も通ったんですか?

村上:

そうです、多分。大峯の山々が見えるのですよ。弥山とか山上ヶ岳が。多分、雪を少し頂いていた頃だと思うのですよ。獣が動かない時期が一番安全ですから。それは雪の頃でしょ。熊とか、蜂とかね。その頃だと大峯の高い所に雪が積もっていますから、実に神々しい感じだと思うのですね。

それから実際に金峯山の山、山上ヶ岳には確実に入っていると思います。ひょっとしたら弥山まで行っているかもしれないのですよ。後でね。そういう中で養われた、畏敬の念を持ったと思うのですよ。紀伊半島の雰囲気が大変な魅力になった…。

天平:

肌で感じて。

村上:

そうですね。だから、皆さんにもこれから歩いてほしいですね。

吉野から高野の道っていうのは、今でも歩ける峰々なんですけれども、ただ、街道ではないのです。尾根道だってことはまず間違いないですから。そのあと、高野山へ来た時には吉野と高野を往復している可能性があるので、その時は洞川も通っているだろうし、と思いますね。ところどころ伝説が残っていますので。

その道をいっぺん歩いてもらって、追体験をしてもらえればありがたいなと思います。追体験というか、要するに、自然と出会ってほしいということですね。

天平:

そうですね。

村上:

紀伊半島のね。

天平:

空海さんも肌で素晴らしさを感じた紀伊半島を、皆さんも肌で感じに来てほしいということですね。

村上:

そういうことです。心の浄化っていいますか、古い遺伝子の中にある自然に対する畏敬の念というものを持ってもらえればいいかなあというふうに思いますけれどもね。

天平:

そうですね。

https://www.youtube.com/watch?v=Xc2rP5RJ0ME

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