私自身のための俳句入門 / 高橋 睦郎

https://uho360.hatenablog.com/entry/2021/03/25/000506 【高橋睦郎『私自身のための俳句入門』(新潮選書 1992)俳句界に参入するための心得書】より

日本の文芸の歴史の中で俳句形式がもつ意味合いを探る一冊。書き方講座というよりも読み方講座として重要性を持っている。

私たちがいま俳句とは何かを考えることは、俳句を生んだわが国文芸、とりわけ和歌の長い歴史、和歌の自覚を生んだ海外先進異国文芸としての漢詩、さらには和歌の定着を見て千数百年後にいわばもうひとつの漢詩として入って来て、その日本語土壌への移植態としての新体詩を産み、これを近代詩・現代詩に発展させるいっぽうで、俳諧の連歌を含む和歌の自覚を促し、なかんずく子規の俳句革新を齎した欧米詩を含めた広く大きな視野の中で考えることでなければなるまい。

(歴史篇 「視点 俳句は和歌である」p14 )

雅俗ともに歌い込められていた古代和歌の世界から、時代が下るにつれ和歌がもっぱら雅を歌うようになり、捨てられた俗の回復を俳句が志向していった歴史をたどり、さらに世界最短の詩形として成り立つための季と切れ字の扱いが洗練されていった次第を明らかにしていく。俳句一篇を書くにも、俳句とは何かを知り、俳句が出てきた素性を知る必要があると、著者は自分自身に向かって確認するように書き進めている。俳句、短歌、現代詩をともに能くし、さらには現代能の台本も書くという異能の人物にしてはじめて成った教養書である。

※いくら良書であっても新刊ではもう手に入らないという日本の出版状況は厳しい。

目次:

歴史篇

 視点 俳句は和歌である   起源 どこまで溯れるか    公私 相聞の二つの相

 接木 季感は大陸から    類型 季感から季題へ     闘戯 歌合は連歌の根

 唱和 上の句と下の句    熟期 連歌の生まれる基盤   遺産 本歌取りの知恵

 問答 発句は脇以下を予想する  本卦 俳諧こそ連歌の淵源

 変成 詩化のための永久運動   切断 そして俳句誕生

構造篇

 俳性 俳とは批評である   句質 俳詩・俳歌でなく俳句   定型 なぜ五・七・五か

 入切 なぜ切字なのか    再分 俳句にも上の句・下の句 

 合物 感慨は「物」化すること  即離 切字への愛憎こそ 約束 季は暗黙の了解事項

 季恋 恋とは美意識  重層 雅と俗の二重構造  写生 季の甦新のために

 真美 美は俳に変わりうるか  遊性 遊びはルールから

終わりに  作場 俳句は集団の詩

付録  私の俳句修業


https://allreviews.jp/review/1367 【『私自身のための俳句入門』(新潮社)】より

私自身のための俳句入門 / 高橋 睦郎

「俳句入門」の言葉にだまされてはいけない。てっとり早く俳句の作りかたを知りたい、と思っているような人には、この本はおすすめできない。

「私自身のための」である。その「私」とは、詩・短歌・俳句のすべてを、すでに自在にあやつる著者、高橋睦郎なのだ。

お手軽な入門書なら、まずこう書いてあるだろう。「俳句とは五七五の定型から成り、季語を含むことを約束とするものです」。もう少し丁寧な入門書なら、こう付け加えるかもしれない。「それは、俳諧連歌の発句が独立して生まれました」と。

なぜ、五七五なのか。季語とは何なのか。俳諧連歌はなぜ生まれたのか。そしてどうしてその発句が独立したのか。本書は、俳句の生まれでた背景と歴史とその必然を、執拗に追求している。

のっけから「俳句は和歌である」と著者は言い放つ。この言葉に象徴されるように、詩・短歌・俳句というセコイ垣根のない発想が、本書の魅力だ。というよりも、これらがいかに一つであり密接につながっているものであるかを、教えられる。

そういった自由な発想から、たとえば「俳句だけの共通財産とされる季語や切れ字も、歌の共通遺産としての本歌取りのきわめて俳句的に特殊化したかたちととることも可能ではあるまいか。」という新鮮な見方がもたらされる。

なかでもおもしろかったのは、「や」をはじめとする切れ字の働きについての見解だ。

五・七・五音律という有限の空間に切れ目を入れることで、その有限を無限にしようとするのが切れ字ではないか、と著者は言う。

「日当りの梅咲くころや屑牛房(ごぼう)」が「日当りの梅咲くころを屑牛房」だったらどうだろうか。前者の完結感に対して、後者は後続を予想させる感じ。つまり前者は、五七五のなかに切れ目を持つことで、そこに無限の宇宙を見出し、後者は続きを待つ姿勢で、いまだ発句の域を出ていない。

「神と人との相聞から季節感が生まれた」というところから出発する季への思いも、この著者独特のもの。俳句を俳句として生き残らせる道は、中心を季に置き、季の本質をさぐりつづけることにしかない、という意外なほど保守的な結論は、これまた意外なほど斬新な道筋を通って導かれる。ぜひあなたも、説得されてください。


https://plaza.rakuten.co.jp/operanotameiki/3024/【●高橋睦郎の俳句と『百人一句』】より

高橋睦郎氏は、句歌集『稽古飲食(おんじき)』のあとがきで、「詩人とは、詩というマグマの奔出のためのたまたまの噴火口、自分がその作品の出口に選ばれただけである」と述べている。多方面に活躍する著作から、高橋睦郎氏そのものがまさに、巨大な詩のマグマとして現れ、溢れるマグマは、あるときは現代詩となり、俳句となり、短歌となって流れ出す。詩型を使い分けるといことは、俳句においては、とりもなおさず「俳句とは何か」を真剣に問うことだろうか。

新作狂言を書いたりもする睦郎氏である。能楽堂などでよくお見かけする時は、着物姿である。また、雑誌などで氏のライフスタイルを見たり、文章から、生き方すべてにおいて、睦郎氏独特の美意識に一本筋が通っているのが感じられる。

 靖国神社の夜桜能を観た時のこと。篝火が灯されて、能楽堂にかかる桜の花が揺れている。鋭く能管の音が流れると、橋掛りからシテがゆっくりと登場する。まるで舞に合わせたかのように、いずこからともなく、風に乗って花吹雪が舞いはじめる。東京のど真ん中の闇に中世の世界が絵巻のように開かれる。そのとき思った。

能役者たちは能の型式で中世の世界を演じ、描き出し、私たち観客はその中世の世界に溶けこむことによって、真剣なる「遊び」を楽しんでいるのだと・・。

「遊び」には必ずルールがある。大きな意味で詩というジャンルの中の俳句という型式を選んだのであるからには、自分の詩心すべてを無理に十七文字に入れてしまおうとするのではなく、「俳句とは何か」を問い、ルールを学び、ルールに従って遊ぶことが本当の「俳」なのである。『私自身のための俳句入門』の中で氏は、「詩(ポエジー)を季 という契機において捉えようとしたものが俳句という詩(ポエム)だった。俳句が俳句として生き残る道は中心を季に置き、季の本質をさぐりつづけることしかない」と、述べている。

 第四句集『金沢百句 加賀百景』を読ませていただいた。1993年筑摩書房刊で、じつに素敵な本作りである。ケース入り、二冊分冊となっていて、一冊は一ページ一句立てという贅沢な空間である。まさに発句は独立した俳句であると、実感させられる思いで一句一句の世界に浸ることが出来る。

 もう一冊は、エッセイであり、俳句の説明という訳ではなくて、芭蕉における「おくのほそ道」のごとく、石川県を一か月置きに丸二年かけて訪れた旅人としての高橋睦郎の石川讃歌である。だが、当然、合わせて読めば句に拡がりが出てくる。

 好きな句をいくつか選ばせていただこう。

  はつ鼓少年の指紅潮す      たんぽぽ飛びぽゝゝと浮かみ春惜しむ

  茅芒安宅の嘘ぞうつくしき

加賀宝生の地ならではの句である。<たんぽぽ>は、鼓草の名から来ている幼児語であるという。 能「安宅」を嘘の世界だといい、勿論何も書かれていない真っ白な勧進帳が嘘なのであるが、その嘘の世界をうつくしいという。

  雪の夜の繭と灯りて麹室        荒櫂やあらうみを漕ぐ力もて

  秋五日つぶやきやまぬ醤(ひしを)蔵

寒冷な季候と豊かな水の土地柄から、石川県は酒処、醤油処である。昼夜分かたず働いている麹室を<繭と灯りて>と表現して、真冬の辛い作業もあたたかいファンタジーの世界の出来事のように思えてくる。季節労働者の多い蔵人が酒樽を大きな櫂で攪拌する作業を<あらうみを漕ぐ>と言い、醤油の発酵する様を<つぶやきやまぬ>と表現する。睦郎氏特有の詩的な措辞であろう。

  あさみどり卯月皐月ぞ山粧ふ  峯峯の秘すれば早き紅葉かな

  海に出て後の雨月ぞ只ならぬ

山粧ふ>は秋の季語であったはず・・、秘すれば紅葉>は<秘すれば花>に思い至ることが出来れば・・、<後の月>はあるけれ ど<後の雨月>とは・・。

睦郎氏は、季語の約束事を超え自由な発想で、変化球のように言葉を操ってしまう。約束事、型を熟知していればこそ出来る技である。能の名人が、ふと、型のずれることがあるという。そんな時、何とも言えず、独特な雰囲気が出るのだという。だが、決して未熟な人では出てこない自在の芸なのである。

この様な詩人・高橋睦郎氏の選んだ『百人一句』という本が中公 新書から出た。

『小倉百人一首』があるなら、「百人一句」があってもいいのでは、という思いから通時代的な形で、選んだ百人の句であるという。睦郎氏の選んだ基準は次のようである。

『百人一句』の句とは、俳諧の第一句、すなわち発句五七七音律のことである。さらに、俳諧時代に先立つ連歌時代の発句。さらに、前連歌時代があり、伝説の倭建命(やまとたけるのみこと)・火焼老人(ひたきのおきな)との応酬(掛合)にまで遡りうるとした。

 この、俳句五七五音律は日本文芸、日本詩歌の行き着いた究極のかたちであり、これを通時代的に見ることで、世界文芸の中の日本の文芸、日本の詩歌の存在理由も見えてくるのではないか。

高橋睦郎氏の選んだ百人の割り振りは次のとおり。男女の内訳は、 男85人、女15人である。いくつか抜粋させていただく。

前連歌時代 10人 倭建命から後深草院少将内侍まで

 新治(にいばり)筑波を過ぎて幾夜か寝つる 雑 倭建命

 浅みどり春のしほやの薄煙 春 後鳥羽院

連歌時代 10人 善阿法師から法眼紹巴まで

 露はいさ月こそ草にむすびけれ 秋 善阿法師

 あまびこか谷と峯とのほとゝぎす 夏救済法師

 あしづゝのうす雪こほるみぎはかな 冬 権大僧都心敬

俳諧時代 40人 宗鑑から一茶まで

 まんまるに出でても長き春日かな 春 宗鑑

 凩の果はありけり海の音 冬   言水

 そよりともせいで秋立つことかいの 秋  鬼貫

 鷹一つ見付てうれしいらご崎 冬 芭蕉

 蝶々や何を夢見て羽づかひ 春 千代尼

 やぶ入の寝るやひとりの親の側 新年  太祇

 月花や四十九年のむだ歩き 雑  一茶

俳句時代 40人  正岡子規から永田耕衣まで

 病床の我に露ちる思ひあり 秋  子規

 泣いて行くウエルテルに逢ふ朧かな 春 紅葉

 腸に春滴るや粥の味    春  漱石

 春風や闘志いだきて丘に立つ 春 虚子

 水洟や鼻の先だけ暮れ残る 冬 龍之介

 外套の裏は緋なりき明治の雪 冬 青邨

 月光にいのち死にゆくひとゝ寝る 秋 多佳子

 木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ 冬  楸邨

 枯草の大孤独居士此処に居る 冬 耕衣

短歌のこと、短歌を五七五と七七に分かれた連歌のこと、付句を外してしまった発句のこと、発句というのは常に脇句を求めているなど、「句」というものの幅の広さ、歴史的長さも初めて知った気がした。

やっと、江戸の俳諧時代俳人や子規以後の俳人になると理解できたが、一句となると、「えっ! この句を選んだの?」と、思ったりしたが、睦郎氏の考えは、「作者の一生、生き方や、俳句観が、その人らしい一句を選んだ」のであるという。

 最後に仁平勝氏との対談「希望としての俳句」もあり、楽しい一書であった。

                 (み)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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