俳句レッスン「取り合わせ」


https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_40.jsp 【詩を生む「取り合わせ」】より

 灰汁桶の雫やみけりきり〴〵す 凡兆

 凡兆は芭蕉の弟子で元禄時代に活躍。灰汁を採る桶の雫が止まった。きりぎりすが鳴いている。秋の夜の静けさが感じられます。灰汁の雫ときりぎりすとは特に関係はありません。関係のないものを並べることで詩情が生まれることがあります。このような作り方を、取り合わせといいます。

 百舌鳥なくや入日さし込女松原 凡兆

 鵙(もず)が鳴く。女松(アカマツ)の林に入日がさしこむ。景色(松)と音(鵙の声)を取り合わせたことで、日の暮の松原の様子が立体的に感じられます。

 郭公鳴や湖水のさゝにごり 丈草

 丈草も芭蕉の弟子。ホトトギスが鳴き、琵琶湖はうっすらと濁っている。微妙な季節感を漂わせた句で、前の句と同様、景色(湖の濁り)と音(ホトトギス)を取り合わせています。このように、取り合わせの発想を用いた句は、芭蕉の時代にも見られます。これに対し、一つのモノだけを詠んだ句を一物(いちぶつ)仕立てといいます。たとえば唐辛子だけを詠んだ

 青くても有べき物を唐辛子 芭蕉 

は典型的な一物の句です。一物と違い、取り合わせは二つの物事の組み合わせに変化がつけられるので、多様な作品を生みやすい手法です。今回は取り合わせに着目しながら、投稿句を見ていきたいと思います。

句形をスッキリさせる

夏ラムネビー玉遠く君思う

 立石千洋さん(兵庫県芦屋市、58歳)の作。遠く君を思うこととラムネの玉を取り合わせました。ラムネは夏の季語ですから「夏」は略せます。「夏」の二音を削り、さらにビー玉をラムネ玉と言い換えると句形がスッキリします。

ラムネ玉はるかに君を思うなり

読者の想像に委ねる

木蓮や指輪を捨てて歩き出す

 和気月香さん(東京都世田谷区、56歳)の作。「指輪を捨てて歩き出す」とは、もしかすると、結婚指輪を打ち捨てて新たな人生を歩み始めるという意味でしょうか? このことと木蓮の花との関係は、理屈では理解できません。ただ、何やら作者の決意めいた思いが木蓮に託されている、ということは何となく察せられます。取り合わせの句をどう読み、どう味わうかについては、読者の想像に委ねられている部分が大きいのです。

 意外な出合いの妙を味わう

虫のこえサンドイッチの中はハム

 丹野千鶴さん(秋田市、高清水小2年)の作。コオロギなどの「虫のこえ」が秋の季語です。「虫のこえ」が聞こえることと、サンドイッチの中身がハムであることとは何の関係もありません。しかし両者を取り合わせたことで、秋の野原でピクニックを楽しんでいる場面が想像されます。

B面のごとくに生きて蜆汁

 結城啓至さん(神戸市、83歳)の作。レコードのB面は、A面に比べて目立たない曲であることが多い。そのB面のような控えめな生き方をして、つつましく蜆汁を食す。「B面」と「蜆汁」とは何の関係もありませんが、両者を取り合わせたことで、人生に対する作者の思いが伝わってきます。

連れ添ひて共に米寿や心太

 石橋喜一さん(横手市、89歳)の作。長年連れ添った夫婦が仲よく米寿を迎えて心太を食べる。ちょっとたよりない感じもする「心太」ですが、気負わず飄々(ひょうひょう)とした風趣を感じます。


https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_41.jsp 【意外な出合いを楽しむ】

 前回(11月22日付)に引き続き、取り合わせについて見ていきましょう。

 木枕のあかや伊吹にのこる雪 丈草

 丈草は芭蕉の弟子。木枕に垢(あか)が残っている。まだ寒い残雪の頃ですから不潔感はさほど感じない。木枕の垢と取り合わせたのが伊吹山の残雪。枕の垢と山の残雪はものの表面に付着するという点で相通じます。そこにちょっとした俳諧味があります。

 一見無関係の物事を取り合わせたように見えるが、どことなく関係があるような、ないような。そんなところにも取り合わせの句を読む面白さがあります。

 さて、投稿を見ていきましょう。

連想を生かす

桜桃忌鏡見つめて変顔す

賢治忌や電車に遅れ仰ぐ星

 ともに外舘翔海さん(秋田大1年)の作。桜桃忌は太宰治の忌日で6月13日(19日とする歳時記もある)。宮沢賢治の忌日は9月21日。「鏡見つめて変顔す」は、自意識にとらわれながら道化を演じた太宰のイメージに通じます。「電車に遅れ仰ぐ星」は「銀河鉄道の夜」からの連想でしょうか。それぞれ「桜桃忌」と「鏡見つめて変顔す」、「賢治忌」と「電車に遅れ仰ぐ星」を取り合わせた句です。この取り合わせには、太宰と賢治のそれぞれの代表作のイメージが投影されています。

 石橋喜一さん(横手市、89歳)の作。長年連れ添った夫婦が仲よく米寿を迎えて心太を食べる。ちょっとたよりない感じもする「心太」ですが、気負わず飄々(ひょうひょう)とした風趣を感じます。

理屈にとらわれない

純愛など無し流氷のうすみどり

 鈴木総史さん(北海道旭川市、25歳)の作。「純愛など無し」と「流氷のうすみどり」とが、理屈とは別の次元で響き合っています。この句から私は「夏みかん酸つぱし今さら純潔など 鈴木しづ子」という句を思い出しました。夏みかんの酸っぱさと「今さら純潔など」という思いが俳句の中でぶつかりあっています。

初恋に梅があふれて前を向く

 渡部美音さん(湯沢高校2年)の作。「初恋」と「梅」を取り合わせました。「あふれて」は梅の様子ですが、そこには作者の気持ちが投影されています。「前を向く」のは作者ですが、ぱっちりと咲いた梅の花にも前を向いているような印象があります。

目め借かり時どきメトロノームの刻む時

 清水佳代子さん(さいたま市、72歳)の作。「蛙の目借時」とは「春の、眠くてたまらない時期。(中略)蛙が人の目を借りるからとしていう」(『広辞苑』)というもの。「目借時」の気分とメトロノームを取り合わせた巧(うま)い句です。「時」の繰り返しが心地よい。

素直に取り合わせる

春まだ来手踊りけいこ偽笑顔

 鈴木則子さん(鹿角市、75歳)の作。手踊りの稽古をしながら作り笑いをしていることと、春がまだ来ない薄ら寒い気分とがどこか通じ合っています。上五は「春まだ来ず」という意味でしょうから、次のようにされてはいかがでしょうか。

春未いまだ手踊りけいこ偽笑顔

蕗ふきの薹とう社の道を拓きけり

 工藤光一さん(秋田市、64歳)の作。ことさらな取り合わせではありませんが、「社の道」(参道でしょうか)と「蕗の薹」とを、素直に取り合わせた作品です。

冴え渡る夜は心も静かなり

 阿部妙子さん(鹿角市、80歳)の作。この句もまた、冬の「冴え渡る夜」と、静かな心とを、素直に取り合わせた句です。

 多くの俳句は、季語と季語以外の何かとの取り合わせで出来ているのです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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