http://hideki816.blog.fc2.com/blog-entry-138.html 【10 日本に来た契約の箱と三種の神器 2/5】より
アロンの杖
「アロンの杖」に関してはこう記されています。 レビのつえにはアロンの名を書きしるしなさい。 父祖の家のかしらは、おのおののつえ一本を出すのだからである。そして、これらのつえを、わたしがあなたがたに会う会見の幕屋の中の、あかしの箱の前に置きなさい。 (民数記 17:3-4) アロンの杖は、契約の箱に収められました。
アロンは、旧約聖書中の人物で、アムラムとヨケベテの息子、モーセの3歳年上の兄で(出エジプト 7:7)レビの部族です。(出エジプト 6:16-20)
モーセを助けてイスラエルの子らをエジプトから導き出すように、またモーセの代弁者となるように神から召されています。(出エジプト 4:10-16、27-31、5:1-12)
モーセはシナイ山で、アロンとその4人の息子を神の権能(アロン神権)に任ずることについて指示を受けました。(出エジプト 28:1-4)
アロンは民の求めに応じて、偶像礼拝の金の子牛を造ってしまう罪を犯しました。(出エジプト 32章) アロンは123歳まで生き長らえ、神の命によってホル山に登って死にました。(民数 20:22-29、33:38-39)
エジプトから開放されたイスラエルの人々は、モーセとその兄アロンの指導のもと荒野へ脱出を図りましたが、その旅は苦難に満ちていたため12部族の間で祭司アロンに対する不平不満が起こりました。
モーセは人々に神の言葉を与え、アロンの杖も含め部族ごとの杖を掟の幕屋の主の御前に置き神の判断を仰ぎました。
明くる日、レビ族のアロンの杖だけが芽を吹きつぼみを付け花を咲かせアーモンドの実を結んでいたことから、神がとくにアロンの杖を選び祝福したのだとして、ここに祭司は各部族より優位に立つことが示されました。
主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に告げて、彼らのうちから、おのおのの父祖の家にしたがって、つえ一本ずつを取りなさい。すなわち、そのすべてのつかさたちから、父祖の家にしたがって、つえ十二本を取り、その人々の名を、おのおのそのつえに書きしるし、レビのつえにはアロンの名を書きしるしなさい。父祖の家のかしらは、おのおののつえ一本を出すのだからである。そして、これらのつえを、わたしがあなたがたに会う会見の幕屋の中の、あかしの箱の前に置きなさい。 わたしの選んだ人のつえには、芽が出るであろう。 こうして、わたしはイスラエルの人々が、あなたがたにむかって、つぶやくのをやめさせるであろう」。
モーセが、このようにイスラエルの人々に語ったので、つかさたちはみな、その父祖の家にしたがって、おのおの、つえ一本ずつを彼に渡した。 そのつえは合わせて十二本。 アロンのつえも、そのつえのうちにあった。モーセは、それらのつえを、あかしの幕屋の中の、主の前に置いた。
その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどう(アーモンド)の実を結んでいた。
モーセがそれらのつえを、ことごとく主の前から、イスラエルのすべての人の所に持ち出したので、彼らは見て、おのおの自分のつえを取った。
主はモーセに言われた、「アロンのつえを、あかしの箱の前に持ち帰り、そこに保存して、そむく者どものために、しるしとしなさい。
こうして、彼らのわたしに対するつぶやきをやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」。
モーセはそのようにして、主が彼に命じられたとおりに行った。 (民数 17:1-11)
アーモンドの花は、桜によく似ています。 アーモンド、桜や梅は含めてバラ科で春になって一番先に芽吹く木です。 ヘブル語(ヘブライ語)で「見張る」「目覚める」という動詞を「サクダ」や「シャカッ」といい、アーモンドはそれと同根で「シェケディーム」といいます。 現代ヘブル語では「シャケド」といいます。
紀元3世紀末、日本の先住民である物部氏やニーファイ人などと争いがあるかもしれないので、先に神武は騎馬民族の機動力と鉄器、そしてスーパーウエポンでもある「契約の箱」とともに朝鮮から日本に渡来しました。
『サムエル記上』の中では、イスラエル人がペリシテ人との戦いの中で、契約の箱を兵器のようにして使おうとしています。
ペリシテびとはイスラエルびとにむかって陣備えをしたが、戦うに及んで、イスラエルびとはペリシテびとの前に敗れ、ペリシテびとは戦場において、おおよそ四千人を殺した。
民が陣営に退いた時、イスラエルの長老たちは言った、「なにゆえ、主はきょう、ペリシテびとの前にわれわれを敗られたのか。シロへ行って主の契約の箱をここへ携えてくることにしよう。そして主をわれわれのうちに迎えて、敵の手から救っていただこう」。 (サムエル上 4:2-3)
ヤハウェはレビ人に対して、契約の箱を前にしたときの注意をしています。
主はアロンに言われた、「あなたも、あなたの子たちも会見の幕屋にはいる時には、死ぬことのないように、ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。 これはあなたがたが代々永く守るべき定めとしなければならない。これはあなたがたが聖なるものと俗なるもの、汚れたものと清いものとの区別をすることができるため、 また主がモーセによって語られたすべての定めを、イスラエルの人々に教えることができるためである」。 (レビ 10:8-11)
もっと厳格な規定があり、それを破るとひどいことが起きました。
あるとき、アロンの子供が至聖所で祭祀を執り行ったとき、彼らは規定を破ってしまいました。さてアロンの子ナダブとアビフとは、おのおのその香炉を取って火をこれに入れ、薫香をその上に盛って、異火を主の前にささげた。 これは主の命令に反することであったので、
主の前から火が出て彼らを焼き滅ぼし、彼らは主の前に死んだ。
その時モーセはアロンに言った、「主は、こう仰せられた。すなわち『わたしは、わたしに近づく者のうちに、わたしの聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現すであろう』」。アロンは黙していた。 (レビ 10:1-3)
火とはありますが、描写からすると契約の箱の電撃は雷(プラズマ)のようなものだったと考えられます。
雷はプラズマ現象であり、物質には4つの状態があり、それぞれ気体、液体、固体、そしてプラズマとよびます。
物質をどんどん細かくしていくと、物理量の最小単位である量子になります。
原子核の周囲に存在するマイナスの電荷の電子も量子です。
物質がどのような性質をもつかは、陽子の数によって決まります。
たとえば、陽子が8個あれば酸素となり、26個あれば鉄になります。
酸素と鉄はまったく異質な物質のように思えますが、結局は陽子の数の違いにすぎません。
原子と電子は、どの物質も同じなのです。
どのような物質となるかは、すべて陽子(量子)の数が決めるのです。
宇宙のほぼ100%はプラズマで光です。
一般に、プラズマは高周波の電磁波が交差した空間に生じる火の玉で、物質の原子と電子がバラバラになった状態を指します。
プラズマは、固体・液体・気体に続く物質の第4の状態の名称であって、通常は「電離した気体」をイメージにもちます。
プラズマの場合、物質を構成する原子は、原子核の周りを電子が高速で公転しているので、そこでは原子核(+)と電子(-)がバラバラに電離した状態で、一種の伝導性の高いソリトン状態になっています。
ソリトンとは、高度に電離した状態のプラズマ状態をいいますが、そこではまさにプラス(原子核)とマイナス(電子)がバラバラになって自由に飛び交っています。
その状態が加速されればプラズマは自ら可視光線を放射するようになりますが、その状態のプラズマはとても高温で5000℃にもなり、理論上の温度は無限大といわれています。
プラズマは、可視光線はもちろん、赤外線や紫外線、X線などの電磁波を放射します。
この高温プラズマに人間が触れたら強力な電子レンジに入ったように、肉体は爆発、炎上し瞬く間に蒸発してしまいます。 聖文の被害の状況から、契約の箱から発せられた火とは超高熱のプラズマだったのでしょう。
契約の箱は、イスラエルの宝であるとともに非常に危険な存在であり、プラズマ兵器にもなりえる装置であったといえるのです。
主の契約の箱が陣営についた時、イスラエルびとはみな大声で叫んだので、地は鳴り響いた。
ペリシテびとは、その叫び声を聞いて言った、「ヘブルびとの陣営の、この大きな叫び声は何事か」。そして主の箱が、陣営に着いたことを知った時、ペリシテびとは恐れて言った、「神々が陣営にきたのだ」。彼らはまた言った、「ああ、われわれはわざわいである。このようなことは今までなかった。ああ、われわれはわざわいである。だれがわれわれをこれらの強い神々の手から救い出すことができようか。これらの神々は、もろもろの災をもってエジプトびとを荒野で撃ったのだ。 (サムエル上 4:5-8)
イスラエル人の強さは、まわりの民族の間でも広まっていたらしく、イスラエル人は契約の箱があれば負けないと恐れられていました。
しかし、いかに強いイスラエル人でも、ヤハウェと預言者モーセに反抗したときは無残にも負けてしまいました。
主はモーセとアロンに言われた、
「わたしにむかってつぶやくこの悪い会衆をいつまで忍ぶことができようか。わたしはイスラエルの人々が、わたしにむかってつぶやくのを聞いた。 あなたは彼らに言いなさい、『主は言われる、「わたしは生きている。あなたがたが、わたしの耳に語ったように、わたしはあなたがたにするであろう。 あなたがたは死体となって、この荒野に倒れるであろう。あなたがたのうち、わたしにむかってつぶやいた者、すなわち、すべて数えられた二十歳以上の者はみな倒れるであろう。
エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、わたしがかつて、あなたがたを住まわせようと、手をあげて誓った地に、はいることができないであろう。しかし、あなたがたが、えじきになるであろうと言ったあなたがたの子供は、わたしが導いて、はいるであろう。彼らはあなたがたが、いやしめた地を知るようになるであろう。しかしあなたがたは死体となってこの荒野に倒れるであろう。 あなたがたの子たちは、あなたがたの死体が荒野に朽ち果てるまで四十年のあいだ、荒野で羊飼となり、あなたがたの不信の罪を負うであろう。
あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう」。
主なるわたしがこれを言う。わたしは必ずわたしに逆らって集まったこの悪い会衆に、これをことごとく行うであろう。彼らはこの荒野に朽ち、ここで死ぬであろう』」。
こうして、モーセにつかわされ、かの地を探りに行き、帰ってきて、その地を悪く言い、全会衆を、モーセにむかって、つぶやかせた人々、すなわち、その地を悪く言いふらした人々は、疫病にかかって主の前に死んだが、その地を探りに行った人々のうち、ヌンの子ヨシュアと、エフンネの子カレブとは生き残った。
モーセが、これらのことを、イスラエルのすべての人々に告げたとき、民は非常に悲しみ、
朝早く起きて山の頂きに登って言った、「わたしたちはここにいる。さあ、主が約束された所へ上って行こう。わたしたちは罪を犯したのだから」。
モーセは言った、「あなたがたは、それをなし遂げることもできないのに、どうして、そのように主の命にそむくのか。
あなたがたは上って行ってはならない。主があなたがたのうちにおられないから、あなたがたは敵の前に、撃ち破られるであろう。
そこには、アマレクびとと、カナンびとがあなたがたの前にいるから、あなたがたは、つるぎに倒れるであろう。あなたがたがそむいて、主に従わなかったゆえ、主はあなたがたと共におられないからである」。
しかし、彼らは、ほしいままに山の頂に登った。ただし、主の契約の箱と、モーセとは、宿営の中から出なかった。
そこで、その山に住んでいたアマレクびとと、カナンびとが下ってきて、彼らを撃ち破り、ホルマまで追ってきた。 (民数 14:26-45)
つまり、契約の箱は常にヤハウェの意志と連動して、契約の箱の加護がないときはヤハウェの意向に逆らっているのです。
奇跡の力
40年間、荒れ野をさまよったイスラエル人が、ついに約束の地のカナンへ入ろうとしたときです。預言者モーセに代わって、イスラエル人を率いたのがヌンの子ヨシュアで、ヨシュアはヨルダン川を目の前にして、祭司に契約の箱を旦ぎ、ヨルダン川を渡るように命じました。
ヨシュアは朝早く起き、イスラエルの人々すべてとともにシッテムを出立して、ヨルダンに行き、それを渡らずに、そこに宿った。
三日の後、つかさたちは宿営の中を行き巡り、民に命じて言った、「レビびとである祭司たちが、あなたがたの神、主の契約の箱をかきあげるのを見るならば、あなたがたはその所を出立して、そのあとに従わなければならない。
そうすれば、あなたがたは行くべき道を知ることができるであろう。あなたがたは前にこの道をとおったことがないからである。しかし、あなたがたと箱との間には、おおよそ二千キュビトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない」。
ヨシュアはまた民に言った、「あなたがたは身を清めなさい。あす、主があなたがたのうちに不思議を行われるからである」。
ヨシュアは祭司たちに言った、「契約の箱をかき、民に先立って渡りなさい」。そこで彼らは契約の箱をかき、民に先立って進んだ。
主はヨシュアに言われた、「きょうからわたしはすべてのイスラエルの前にあなたを尊い者とするであろう。こうしてわたしがモーセと共にいたように、あなたとともにおることを彼らに知らせるであろう。
あなたは契約の箱をかく祭司たちに命じて言わなければならない、『あなたがたは、ヨルダンの水ぎわへ行くと、すぐ、ヨルダンの中に立ちとどまらなければならない』」。
ヨシュアはイスラエルの人々に言った、「あなたがたはここに近づいて、あなたがたの神、主の言葉を聞きなさい」。
そしてヨシュアは言った、「生ける神があなたがたのうちにおいでになり、あなたがたの前から、カナンびと、ヘテびと、ヒビびと、ペリジびと、ギルガシびと、アモリびと、エブスびとを、必ず追い払われることを、次のことによって、あなたがたは知るであろう。
ごらんなさい。全地の主の契約の箱は、あなたがたに先立ってヨルダンを渡ろうとしている。
それゆえ、今、イスラエルの部族のうちから、部族ごとにひとりずつ、合わせて十二人を選びなさい。
全地の主なる神の箱をかく祭司たちの足の裏が、ヨルダンの水の中に踏みとどまる時、ヨルダンの水は流れをせきとめられ、上から流れくだる水はとどまって、うず高くなるであろう」。
こうして民はヨルダンを渡ろうとして天幕をいで立ち、祭司たちは契約の箱をかき、民に先立って行ったが、
箱をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、――ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、――
上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。
すべてのイスラエルが、かわいた地を渡って行く間、主の契約の箱をかく祭司たちは、ヨルダンの中のかわいた地に立っていた。
そしてついに民はみなヨルダンを渡り終った。 (ヨシュア 3:1-17)
ヘテ人(参照)とはヒッタイト人の祖で、ノアの息子ハム系統に属する民族で、ハムの息子カナンから出ている、イスラエル周辺の国の民の1つです(創世 10章、歴上 1:8-13)。
紀元前18世紀中期、アナトリア半島に古王国を建て、紀元前16世紀にはアナトリア半島・メソポタミア・シリアの各一部を征服し、次いで新王国は紀元前14世紀中期に最盛期にたっし、エジプトやアッシリアと並ぶ大帝国となりました。
紀元前1200年ごろ西方からの民族の侵入で滅亡しましたが、鉄器と馬の使用で軍事的に優れており、文字も解読されています。
ヒビ人とは、古代のカナンの地に住んでいたノアの息子ハム系統に属する民族で、ハムの息子カナンから出ています。
フルリ人であるとも考えられています。 (参照)
ペリジ人とは、イスラエル人がカナンの地を占領する以前からそこに住んでいた部族の1つで、先祖は定かではありません。
ギルガシ人、アモリ人、エブス人もハムの息子カナンから出ています。
契約の箱を旦ぎヨルダン川を渡るときに川の水がせき止まりました。
強力な磁場は水に影響を与えることが実験で確認されており、契約の箱はプラズマを出すので紅海やヨルダン川の水もそうした磁場の影響の現象である可能性があります。
当時は金星の働きにより、天体規模の天変地異で磁気嵐が発生していました。
2 北イスラエル王国と南ユダ王国 1/3~3/3
ヨルダンの流れが堰き止まった奇跡は、堤防の一部が地震で崩れた影響が大きいと考えられます。
1267年12月8日の地震のときには、ヨルダン川は16時間せき止められました。
1927年の地震のときには、ダム近辺で崩れた堤防が河中に落ちその流れを21時間もせき止めました。
そのとき、人々は干上がった河床を踏んで川を横切りました。
そして、『旧約聖書』の中にはヨルダン川の奇跡をモーセの紅海割れの奇跡と対比している箇所もあるので、モーセのときと同じ電磁的な原因によるものと地震によるものと思われます。
イスラエル人たちはカナン征服の第一歩として城塞都市エリコへと 攻め込むため、ヨルダン川を渡ろうとしていました。
契約の箱を担いだ大祭司たちが民の先頭に立ちヨルダン川にたっしたとき、死海へ注ぐ川の水が流れを止めました。
こうしてイスラエル人は、干上がった川床を渡りヨルダンの西側にいけました。
神の助けられたイスラエル人たちは、勇んでエリコに進軍します。
しかし、行く手には堅く門を閉ざしたエリコの城砦がありました。
堅固な城壁をいかに攻略するかヨシュアは考え祈り啓示を受けました。
契約の箱を担いだ大祭司を民の先頭に立て、雄牛の角で作ったラッパを吹き鳴らしながら、7日間、全軍隊がエリコの城壁の周りを行進するという啓示です。
そして、最後の7日目に民が角笛の音を聞いて一斉に大声で叫ぶと城壁が崩れ落ち、民はその場から町に突入しこの町を占領しました。
そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。 民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。 そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。 (ヨシュア 6:20)
地軸はそのままで球体だけが転ぶ「ポーラーワンダリング」
ポーラーワンダリング(磁極の移動)が発生する前段階として、地球に接近した金星の潮汐力や磁気の影響によりエリコ近辺で大規模な地震が起きていました。
『旧約聖書』には、イスラエルの軍隊はエリコに攻め込む前に、7日間、町の周囲を行進したとあります。 その間、堅固な城壁を疲弊させる巨大地震が何度も起こっていたはずです。
最後の7日目、イスラエル全軍の規則的な行進により引き起こされた大地の震動と高く鳴り響いた民の声で、すでに当初の堅固さを喪失していたエリコの城壁は崩れ去りました。
イスラエルの民の信仰を神が助け、プラズマによってエリコの城壁は崩れ去りました。
ヨシュアの時代のポーラーワンダりングは、モーセの十災からカナン侵略までは40~50年に逆行していた太陽軌道、すなわち東に沈む太陽 再び正規の軌道に戻しました。 そののち、太陽が再び逆行することはありませんでした。
紀元前688年に金星は火星に接近し火星の軌道が大きく乱され、火星が地球へと大接近しました。
火星の接近によるポーラーワンダりングが発生しましたが、 この時は30度ほど傾いただけで地球の南北が完全に逆転することはありませんでした。
太陽の運行の異変は西から昇っただけではなく、途中で動かなくなったり途中で逆行したという記録も存在します。
『旧約聖書』に、太陽が数時間も天空で止まっていたと記されています。
イスラエルリ民がヨシュアの指揮のもとにヨルダン川を渡り「約束の地」へ入り、成功裏に要塞都市エリコとアイを落として進軍していたときでした。
アモリ人の王たちが結束して連合軍を作り、イスラエル人に対抗していました。
こうしてギブオンの街に近いアヤロノの谷で大きな戦いが始まりました。
日の出とともにカナン人の軍隊がベト・ホロンに再集結しました。
主は彼らを、イスラエルの前に、恐れあわてさせられたので、イスラエルはギベオンで彼らをおびただしく撃ち殺し、ベテホロンの上り坂をとおって逃げる彼らを、アゼカとマッケダまで追撃した。
彼らがイスラエルの前から逃げ走って、ベテホロンの下り坂をおりていた時、主は天から彼らの上に大石を降らし、アゼカにいたるまでもそうされたので、多くの人々が死んだ。イスラエルの人々がつるぎをもって殺したものよりも、雹に打たれて死んだもののほうが多かった。
主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。
これはヤシャルの書にしるされているではないか。
日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。
これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は一日もなかった。 主がイスラエルのために戦われたからである。 (ヨシュア 10:10-14)
太陽と月が両方が空にあるのは普通にある現象ですが、この場合は違います。 太陽と月が空に停止したように見えたので、ポーラーワンダりングが発生したのです。 つまり、ヨシュアがイスラエル全軍を率い夜通し進軍し、早朝にかけて夜襲をかけたのちのほぼ真昼ごろ、極移動が起こり地球の東西が入れ替わったのです。そして、ヨシュアのときに奇跡が起きたのち、地球の南北が入れ替わり、そのまま現在にいたっています。
12節から考えると、太陽や昼間に出ていた月が止まったのは「アモリびとをイスラエルの人々にわたされた日」と記されているので、10節にある「主は彼らを、イスラエルの前に、恐れあわてさせられた」のちであると考えられます。
つまり、ヨシュアがアモリ人に対しての攻撃が成功し、残ったアモリ人が逃げたのを見てヨシュアが神に向かってよばわったのちに、次のようなことが起こったと推測することができます。
1.隕石をともなう天体が接近し、数時間かけて地球の自転を止める、あるいは地軸を傾斜させて止まったかのように見せる。
2.ベテホロンからアゼカまでの地域に隕石を降らせた。
3.自転が変化したことによってできた気象変動により雹が局地的に降った。
4.天体が通過したことにより自転が回復、あるいは通過した天体の重力に引きずられるように傾斜した地軸が引き戻される。
金星がどのような公転軌道をとったのかは分かりませんが、モーセのときよりも短い期間で再び地球に接近し、隕石を運んできました。
そして、火星接近による潮汐力による気象異変で巨大な積乱雲が発生し、そこから大きな雹が多数落下したのです。
のちのイザヤのときにも、ポーラーワンダリング(磁極の移動)が起きています。 (参照)
偶像を破壊する
おそらくイスラエル人の中に背教者が続出し偶像礼拝をしたのが原因で、契約の箱は一度だけ異邦人に盗まれてしまったことがあります。
契約の箱を盗んだのはペリシテ人、現在のパレスチナ人です。 ペリシテ人らはイスラエル人の最高の宝物を手に入れたことで、かなり得意になっていました。
そして、噂に聞いてきたヤハウェの力を仰ぐことができるかもしれないと思ったペリシテ人は、契約の箱を自分たちの宗教の神殿へと運びます。
ペリシテ人の宗教はシュメール文明起源の多神教で、神殿には数多くの偶像が並んでいました。 ペリシテ人らは、ダゴンがイスラエルに対する勝利を彼らに与えたと信じたので、奪ってきたイスラエルの契約の箱をダゴンの神殿に運んで、戦利品としてダゴンにささげました。
そこで奇妙なことが起こりました。 ペリシテびとは神の箱をぶんどって、エベネゼルからアシドドに運んできた。 そしてペリシテびとはその神の箱を取ってダゴンの宮に運びこみ、ダゴンのかたわらに置いた。
アシドドの人々が、次の日、早く起きて見ると、ダゴンが主の箱の前に、うつむきに地に倒れていたので、彼らはダゴンを起して、それをもとの所に置いた。
その次の朝また早く起きて見ると、ダゴンはまた、主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。 そしてダゴンの頭と両手とは切れて離れ、しきいの上にあり、ダゴンはただ胴体だけとなっていた。 (サムエル上 5:1-4)
ヤハウェは、モーセに与えた十戒で偶像礼拝を禁じています。偶像と一緒に契約の箱が並べられ、偶像を破壊してしまったのです。 そして、こののちペリシテ人らには災難が降り注ぎます。
疫病の流行
契約の箱を安置したアシドドの町に異変が起こり、突如人々の間に疫病が発生し全身に腫れ物ができてしまい町中が混乱に陥りました。
アシドドの町は、ユダの王ウジヤがペリシテ人と戦って攻め取ったペリシテ人(パレスチナ)の町です
そして主の手はアシドドびとの上にきびしく臨み、主は腫物をもってアシドドとその領域の人々を恐れさせ、また悩まされた。 (サムエル上 5:6)
ペリシテ人の間に広がった恐ろしい腫物のために、多く人がひどい苦しみを味わいました。
古代歴史家フラウィウス・ヨセフスは、これを、「ひどい滅びをもたらす病気」、すなわち下痢や嘔吐、出血などをともなう病気であるといっています。 (『ユダヤ古代誌』 6巻 第1章 段落1)
また彼は病気を媒介するネズミの害についても述べています。
ネズミの害については聖書に直接述べられていませんが、ペリシテ人が契約の箱を戻すことで神の怒りを和らげようとしたときに、彼らは金の腫物5つと金のネズミ5つをイスラエルに送って、この災難から逃れようとしました。(サムエル上 6:4)
おそらく彼らは腺ペストと考えられる病気が、ネズミに関係していると判断したので、贈り物としてこれらのものを造ったのでしょう。
アシドド人は、疫病の原因が契約の箱にあると判断し、さっそく領主を集めて対策を協議して契約の箱をガテに移すと決定します。
しかし、やはりガテでも疫病が広がりました。
そこで彼らは人をつかわして、ペリシテびとの君たちを集めて言った、「イスラエルの神の箱をどうしましょう」。
彼らは言った、「イスラエルの神の箱はガテに移そう」。
人々はイスラエルの神の箱をそこに移した。
彼らがそれを移すと、主の手がその町に臨み、非常な騒ぎが起った。
そして老若を問わず町の人々を撃たれたので、彼らの身に腫物ができた。 (サムエル上 5:8-9)
そこで、今度は契約の箱をエクロンへと送りつけました。
そこで人々は神の箱をエクロンに送ったが、神の箱がエクロンに着いた時、エクロンの人々は叫んで言った、「彼らがイスラエルの神の箱をわれわれの所に移したのは、われわれと民を滅ぼすためである」。
そこで彼らは人をつかわして、ペリシテびとの君たちをみな集めて言った、「イスラエルの神の箱を送り出して、もとの所に返し、われわれと民を滅ぼすことのないようにしよう」。
恐ろしい騒ぎが町中に起っていたからである。
そこには神の手が非常にきびしく臨んでいたので、死なない人は腫物をもって撃たれ、町の叫びは天に達した。 (サムエル上 5:10-12)
勇壮なペリシテ人も、さすがにこれには参り、こんな物騒な契約の箱はイスラエル人に送り返さなければならないと考えました。
こうして7か月間、ペリシテにあった契約の箱はイスラエル人へと返還されます。
ペリシテ人は契約の契約の箱を雌牛の背に乗せて、イスラエルに続く一本道を歩かせました。
雌牛は真っ直ぐ歩き、ベテシメシの町へとやって来ました。
契約の箱を見た人々は狂喜乱舞し、契約の箱へと集まってきました。
イスラエル人らは契約の箱を大きな石の上に置き、担いできた雌牛をささげ物として焼き尽くしました。
ほかにも生け贄をささげ、大いに喜びました。
しかし、神聖な儀式であるはずなのに、はしゃぎすぎてしまったようでしてはいけないことをしてしまった者がいました。
ベテシメシの人々で主の箱の中を見たものがあったので、主はこれを撃たれた。
すなわち民のうち七十人を撃たれた。
主が民を撃って多くの者を殺されたので、民はなげき悲しんだ。 (サムエル上 6:19)
契約の箱は、レビ人以外の人間が扱ってはならないという掟がありますが破ってしまったのです。
そのために、契約の箱の中を覗いた70人もの人間が殺されてしまったのです。
事の重大さを知ったベテシメシの人々は、契約の箱をエルサレムの西北西約14kmの所にあるユダの領地の都市キルヤト・エアリムに住んでいたアビナダブの家に運びました。
以後、20年にわたって契約の箱はアビナダブの家に置かれるのです。
当時、宿営を移動させるために祭司たちが幕屋を解体するときには、その同じ仕切り幕で箱をおおい、その上にじゅごんの皮と青布をかけ、民が一瞬たりとも契約の箱を見て死なないようにしました。 (出エジプト 40:3、民数 4:4-6)
主はまた、モーセとアロンに言われた、
「あなたがたはコハテびとの一族を、レビびとのうちから絶えさせてはならない。
彼らがいと聖なる物に近づく時、死なないで、命を保つために、このようにしなさい、すなわち、アロンとその子たちが、まず、はいり、彼らをおのおのその働きにつかせ、そのになうべきものを取らせなさい。
しかし、彼らは、はいって、ひと目でも聖なる物を見てはならない。見るならば死ぬであろう」。 (民数 4:18-20)
もともと契約の箱に入っていたのは「十戒石板」だけで、残る2つの神器はその前に置いてありました。
「イスラエルの三種の神器」が全部入っていたのは、移動のときだけかは『旧約聖書』には記されていません。 いつしか2つの神器はほかの場所に移されたのです。
古代イスラエル王国の分裂
晩年、偶像礼拝や圧政を行っていたせいか、紀元前922年ごろにソロモン王が死ぬと古代イスラエル王国は急速に政情不安に陥ります。
後継者として息子のレハベアムが即位すると内乱が勃発し、エフライム族のヤラベアムが反旗を翻して一方的に独立を宣言します。
こうして古代イスラエル王国は分裂するのです。
ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、マナセ族の10部族とレビ族からなる「北イスラエル王国」が樹立します。
一方、残るユダ族とベニヤミン族の2部族とレビ族は「南ユダ王国」を形成します。
南ユダ王国は、聖地エルサレムを守り、ソロモン神殿と契約の箱と契約の箱に入っていた「十戒石板」を継承しました。
かつて、ダビデ王が契約の箱を10部族の家のガト族のオベデエドムの家に預けました。
事実、ガトの家に契約の箱を預けたのを最後に、三種の神器の内のマナの壼とアロンの杖が、聖書の記述の中から消え失せています。
北イスラエル王国にガド族はいました。
「アロンの杖」は、南ユダ王国のアロンの子孫が継承したのかもしれません。
イスラエル10族は、神器を持っていたからこそ、彼らは聖地エルサレムのソロモン第一神殿を放棄し、シケムに別な神殿を建立したのではないでしょうか。
契約の箱を継承した南ユダ王国でしたが、やはり長い月日の問に異教が入り込み人々はい背教し、ヤハウェの裁きが下ります。
紀元前586年、新バビロニアの攻撃によってエルサレムが陥落しソロモン神殿は粉々に破壊され宝物は奪い去られてしまいました。
南ユダ王国の国民もまたバビロンへ連行せれました。
これを「バビロン捕囚」といいます。
バビロン捕囚以前に、契約の箱はソロモン神殿から持ち出されました。
確実に契約の箱がなくなった記述があります。
主は言われる、あなたがたが地に増して多くなるとき、その日には、人々はかさねて「主の契約の箱」と言わず、これを思い出さず、これを覚えず、これを尋ねず、これを作らない。 (エレミヤ 3:16)
この1節は事件ではなく預言として述べられてはいますが、1つの預言が2つの時代の事柄を表している両義預言の場合は未来と当時の複合預言と受け取れます。
事実、それ以後はエレミヤの預言どおり契約の箱の話題はいっさいでません。
この記述は紀元前620年ごろに書かれたとされており、そのことから契約の箱がなくなったのは、マナセ王の在位から預言者エレミヤまでの紀元前740から紀元前620年の120年間の間となるのです。
紀元前721年、アッシリアが侵攻して北イスラエル王国を滅ぼしたとき、アッシリア軍は南ユダ王国にまで攻め上がってきましたが、奇跡的な神の助けによってアッシリア軍を防いだためエルサレムは陥落しませんでした。 (参照)
イザヤは、新バビロニアが紀元前586年に南ユダ王国を滅ぼしソロモン神殿が破壊されることを神から知らされていました。
そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「万軍の主の言葉を聞きなさい。
見よ、すべてあなたの家にある物およびあなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物がバビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはない、と主が言われます。 (イザヤ 39:5-6)
ヒゼキヤ王を継いだマナセ王のとき、背教がピークとなります。
そのためイザヤが最初に契約の箱をソロモン神殿から持ち出しました。
偶像礼拝で汚れる前に、イザヤはレビ族を使って組織的に契約の箱を持ち出しました。
イザヤと入れ替わるようにして預言者エレミヤが現れました。
エレミヤはイザヤの使命を継承し、エレミヤはソロモン神殿の外にあった契約の箱をはるか遠くへと運び去ったのです。
エレミヤには、『聖書外典』の『マカバイ記2』の中に別の契約の箱に関する記述が残されています。
預言者は啓示に従って、幕屋と契約の箱をたずさえてモーセが神から約束の地を示された山に出かけたと記されています。
そこに到着したエレミヤは、人の住むことのできる洞穴を見つけ、そこに幕屋と契約の箱と香壇を運び込み、入り口をふさいだ。
一行の中の何人かが、道標を作ろうと戻ってみたが、もはや洞穴を見つけることができなかった。
このことを知ったエレミヤは彼らを叱責してこう言った。
「神が民の集会を招集し、憐れみを下されるときまで、その場所は知られずにいるだろう。
そのときになれば、主はそこに運び入れたものを再び示してくださり、主の栄光が雲とともに現れるだろう」 (マカバイ 2 2:4-8)
モーセが約束の地を示された地とは、ネボ山です。
『マカバイ記2』では、契約の箱をさらに遠くへ運んだのはエレミヤだと伝えています。
そして、洞窟を「人の住むことのできる洞穴」と記して、契約の箱を扱うレビ人が一緒に洞窟に入ったのです。
ヤハウェは、契約の箱はレビの子孫が代々守り儀式を行うよう定めているのです。
主はまたシナイの荒野でモーセに言われた、
「あなたはレビの子たちを、その父祖の家により、その氏族によって数えなさい。すなわち、一か月以上の男子を数えなければならない」。
それでモーセは主の言葉にしたがって、命じられたとおりに、それを数えた。
レビの子たちの名は次のとおりである。すなわち、ゲルション、コハテ、メラリ。
ゲルションの子たちの名は、その氏族によれば次のとおりである。すなわち、リブニ、シメイ。
コハテの子たちは、その氏族によれば、アムラム、イヅハル、ヘブロン、ウジエル。
メラリの子たちは、その氏族によれば、マヘリ、ムシ。
これらはその父祖の家によるレビの氏族である。
ゲルションからリブニびとの氏族と、シメイびとの氏族とが出た。これらはゲルションびとの氏族である。
その数えられた者、すなわち、一か月以上の男子の数は合わせて七千五百人であった。
ゲルションびとの氏族は幕屋の後方、すなわち、西の方に宿営し、ラエルの子エリアサフが、ゲルションびとの父祖の家のつかさとなるであろう。
会見の幕屋の、ゲルションの子たちの務は、幕屋、天幕とそのおおい、会見の幕屋の入口のとばり、
庭のあげばり、幕屋と祭壇のまわりの庭の入口のとばり、そのひも、およびすべてそれに用いる物を守ることである。
また、コハテからアムラムびとの氏族、イヅハルびとの氏族、ヘブロンびとの氏族、ウジエルびとの氏族が出た。これらはコハテびとの氏族である。
一か月以上の男子の数は、合わせて八千六百人であって、聖所の務を守る者たちである。
コハテの子たちの氏族は、幕屋の南の方に宿営し、
ウジエルの子エリザパンが、コハテびとの氏族の父祖の家のつかさとなるであろう。
彼らの務は、契約の箱、机、燭台、二つの祭壇、聖所の務に用いる器、とばり、およびすべてそれに用いる物を守ることである。
祭司アロンの子エレアザルが、レビびとのつかさたちの長となり、聖所の務を守るものたちを監督するであろう。
メラリからマヘリびとの氏族と、ムシびとの氏族とが出た。これらはメラリの氏族である。
その数えられた者、すなわち、一か月以上の男子の数は、合わせて六千二百人であった。
アビハイルの子ツリエルが、メラリの氏族の父祖の家のつかさとなるであろう。彼らは幕屋の北の方に宿営しなければならない。
メラリの子たちが、その務として管理すべきものは、幕屋の枠、その横木、その柱、その座、そのすべての器、およびそれに用いるすべての物、
ならびに庭のまわりの柱とその座、その釘、およびそのひもである。
また幕屋の前、その東の方、すなわち、会見の幕屋の東の方に宿営する者は、モーセとアロン、およびアロンの子たちであって、イスラエルの人々の務に代って、聖所の務を守るものである。ほかの人で近づく者は殺されるであろう。 (民数記 3:14-38)
つまり幕屋を含め契約の箱と祭器のある所には、レビ族の祭司と大祭司がいなければならないのです。
この掟は契約の箱が異邦人に盗み取られたとき以外、どの時代でも聖約として厳密に守られました。
そして「入り口をふさいだ」とあるのは、エレミヤが塞いだのではなくヤハウェがおおい隠したことを暗示します。
だからこそ、残された者がいくら道標を作ろうとしても、再び洞穴が見つけからなかったのです。
そして、送り出した人々の大部分が幕屋と契約の箱とともに隠れたことも、「一行の中の何人か」の言葉で残された者たちを示しています。
さらに、洞穴を発見できずに戻ったのをエレミヤが怒ったのは洞穴が見付からなかったからではなく、道標を付けようとしたことに対して叱責したのです。
「神が民の集会を招集し、憐れみを下されるときまで、その場所は知られずにいるだろう。」とあるように契約の箱のある場所がこの地上のイスラエルに知られるには、憐れみの神である贖い主イエス・キリストの出現を待たねばならなかったことになります。
つまり、契約の箱はイエス・キリストがイエス・キリストの教会を設立し集会を招集し、贖罪を果たすまで現れなかったことになるのです。
紀元66年に第一次ユダヤ戦争が勃発する直前、エルサレム教団はエルサレムを放棄し東へ向かいました。
神の民であるエルサレム教団は、エルサレム脱出したのちに神の働きによって契約の箱を得て契約の箱をたずさえて東へ移動したのです。
ネボ山とに幕屋を広げレビ族が500年以上も儀式と生活ができるような洞穴や空間などが存在するとなれば、幕屋を広げる巨大な地下空間でなければならないし、そこには水も空気もあり捕食するための動植物も一緒にいなければなりません。
とくに儀式に使う資材、生け贄をささげるための牛や羊が不可欠となります。
しかし、ネボ山周辺にそのような条件を満たす洞窟がないのです。
あったら、すぐに発見されているはずなのです。
モーセたちがカナンの地に入る前の旧約聖書の記述に注目してみると、このネボ山という場所はモーセのときから奇妙な出来事が起きていました。
モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行った。
そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示し、ナフタリの全部、エフライムとマナセの地およびユダの全地を西の海まで示し、ネゲブと低地、すなわち、しゅろの町エリコの谷をゾアルまで示された。
そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。
わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。
こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。 (申命 34:1-6)
このようエレミヤが契約の箱を隠したと同様、その場所は当時から不明でモーセの墓は発見されていないのです。
実は「人の住むことのできる洞穴」とは、神だけが知り得る場所に通じる穴なのではないかという推測が生まれます。
また、「入り口を塞いだ」とあるのは、エレミヤがそうしたのではなくモーセの場合と同じく神が塞いだからこそ、道標をつけに戻っても再び洞穴が見つけられなかったのです。
これは、プラズマが関係しています。
神の力が働いた契約の箱のプラズマならば、亜空間を形成できるのです。
行方の知れない10部族と月の住人 1/3
人間の心理として、もしその穴を自分たちで塞いでいたらその作業の間を含めてその場所については記憶に残りやすいし、塞いだ部分は明らかに自然物とは異なります。
つまり、わざわざ道標を残す必要などなかったことになるのです。
まして、その場所に導いたのがエレミヤならエレミヤに聞けば分かったはずです。
それがそうではなかった点に、神の働きが大きくかかわったことを示唆するのです。
事実、モーセが葬られたとされるベテペオルの地区のモアブの地とは、エレミヤが契約の箱を隠したネボ山の麓に当たり、同じ場所である可能性は非常に高いです。
なぜなら、モーセの預言により契約の箱が作られ、中の十戒石板もモーセ自身がヤハウェの命令で刻んだ石板だったからです。
モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。 (申命 34:7)
モーセは、普通の人間が死ぬように死んだのではありません。
モーセは身を変えられ、死を味わうことなく天に取り上げられ、キリストの時代に変貌の山で使徒の前に現れています。
モーセが死んで、人に知られていない墓に主の手によって葬られたとされる『旧約聖書』の解釈は、間違っています。
「主は……葬られた」という表現が比喩的な表現で、モーセの身が変えられ、死すべき体が葬られたという意味であるならば、彼が主の手によって葬られたのです。
『モルモン書』には、アルマが『御霊によって取り上げられた』ことを記録するにときに、『聖文には主がモーセを御自分のもとに受け入れられたと述べられているので、わたしたちは主がアルマも霊にあって御自分のもとに受け入れられたと考えている』と書いています。
そして、アルマはこれを済ませると、ミレクの地へ向かうようにゼラヘムラの地を出て行った。
ところがそれ以降、彼の消息は絶えてしまった。彼の死や埋葬についてわたしたちは知らない。
見よ、わたしたちが知っているのは、彼が義人であったということである。
また、彼は御霊によって取り上げられた、すなわち、モーセのように主の手によって葬られたという説が教会員の間に広まった。
しかし見よ、聖文には主がモーセを御自分のもとに受け入れられたと述べられているので、わたしたちは主がアルマも霊にあって御自分のもとに受け入れられたと考えている。
このために、わたしたちは彼の死と埋葬について何も知らないのである。 (アルマ 45:18-19)
ジョセフ・スミスによると、「身を変えられるのは将来の使命のためである。」(歴史 4:425)とされます。
つまり、ある人々はその身に変化を受け、それにより主の大切な御業を遂行するために常人の寿命を超えて肉体のまま生き続けることができるのです。
モーセ、エリヤ、3人のニーファイ人や黙示者ヨハネなどがその例です。 (3ニフ 28章、教義 7章)
見よ、わたしたちが知っているのは、彼が義人であったということである。
また、彼は御霊によって取り上げられた、すなわち、モーセのように主の手によって葬られたという説が教会員の間に広まった。
しかし見よ、聖文には主がモーセを御自分のもとに受け入れられたと述べられているので、わたしたちは主がアルマも霊にあって御自分のもとに受け入れられたと考えている。
このために、わたしたちは彼の死と埋葬について何も知らないのである。 (アルマ 45:19)
六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。 もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。
一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。 (マタイ 17:1-4)
モーセは、イエス・キリストの復活されたときに、ほかの主の最も義人の々とともに復活しました。
のちに復活した人物としてモーセは、カートランド神殿でジョセフ・スミスとオリバー・カウドリを訪れました。
カートランド
この示現が閉じた後、天が再びわたしたちに開かれた。
そして、モーセがわたしたちの前に現れ、地の四方からのイスラエルの集合と北の地からの十部族の導きの鍵をわたしたちにゆだねた。
この後、エライアスが現れ、わたしたちと子孫によってわたしたちの後の時代のすべての者が祝福を受けるであろうと述べて、アブラハムの福音の神権時代をゆだねた。 (教義 110:11-12)
モーセは「イスラエルの集合の鍵」をもつとされ、モーセが全イスラエルの部族の集合にかかわることを意味します。
1 アブラハムの聖約
イスラエル10部族の行き先の預言を失われた契約の箱の行方とかかわるエレミヤが預言していることは重要で、エレミヤは契約の箱の行方とイスラエル10部族の行方をオーバーラップさせているかのようでもあります。
エレミヤがネボ山で見た洞穴も、実は物質的な洞穴ではなく、10部族の本隊が向かったプラズマ亜空間の地球内部天体アルザルに通じる、空間に開いたこの世界とプラズマ亜空間を結ぶ「プラズマ・トンネル」を指すと思われます。
契約の箱は、一時的ですがアルザルの行方の知れないイスラエルの10部族の世界にあったのです。
エレミヤが、エルサレムの陥落の寸前に人々と契約の箱を逃がしたように、原始キリスト教徒エルサレム教団も、ローマ軍との第一次ユダヤ戦争の直前にエルサレムを脱出しています。
そして、エルサレム教団は新約の民として伝道のために旧約の民のあとを追って移動しました。
イスラエルの集合が、秦人の移動だったのです。
かつて、ダビデ王が契約の箱を、イスラエル10部族の家のガト族のオベデエドムの家に預けました。
事実、ガトの家に契約の箱を預けたのを最後に、三種の神器の内のマナの壼とアロンの杖が、聖書の記述の中から消え失せています。
南ユダ王国は、聖地エルサレムを守り、ソロモン神殿と契約の箱と契約の箱に入っていた「十戒石板」を継承しました。
東方へと移動したイスラエル10部族の別動隊は、三種の神器の内のマナの壺とアロンの杖をたずさえて、ユーラシア大陸を移動して来る途中、天山山脈の一地方にとどまりました。
原始キリスト教徒のエルサレム教団は契約の箱とともに伝道のために、失われた羊(マタイ 10:6)である10部族を追って、ヤマトに来ました。
そして、朝鮮に来るまでにアルザルにあった契約の箱は、エルサレム教団の手に渡り、10部族とともに日本に渡来したと考えられるのです。 (参照)
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