おもてなし

Facebook出口光さん投稿記事  【場を創る】

みなさん、おはようございます。

「一座建立」(いちざこんりゅう)という言葉を聴いたことがありますか。

私が知る限り、最初に出てくるのは、室町時代の世阿弥の一子相伝の書「風姿花伝」です。

「お祭り」「能楽」「お茶」を思い出してください。一言でいえば、皆で「場を創る」ということです。主も客も、実は一体であり、ひとつ。

しかも、一体となるのは、その場にいる人だけではなく、天(神)と共に「いる」ことが前提なのです。

主客と神、すべてが一体となる場を私たちは繰り返し創ってきました。

場を創ることで、人間の偉大な精神を現し、 一つのことが成し遂げられる。

これは人間を霊的存在に立ち返らせるための「場」を創ることです。

一座建立(いちざこんりゅう)による和の実現。

それは、繰り返し繰り返し人々によって創りだされてきた「型」であり、これが日本の大和の心の表現ではないでしょうか。あなたも「場」を創る達人になりませんか。


https://ameblo.jp/e-thera-nihongo/entry-11779459224.html 【おもてなしの源流となる「一期一会」と「一座建立」】より

茶道の心を表わす「一期一会」と「一座建立」。それぞれ、どのような意味を持っていたのでしょうか。

「一期一会」という言葉を作ったのが、利休の高弟・山川宗二です。「一期一会の参会のように」がその源流と言われています。この意味について井伊直弼が『茶湯一会集』の中で次のように解説しています。

<たとえ同じ顔ぶれで何回も茶会を開いたとしても、今日ただ今のこの茶会は決して繰り返すことのない茶会だと思えば、それはわが一生に一度の会である。そう思うと互いに粗略に扱うこともない。真剣な気持ちで、何事もなおざりにすることなく一服の茶をいただくことになる。 >(WEBサイト「井伊直弼と開国150年祭」より)

つまり「会ったその瞬間を、人生でたった一度の出会いと思い、その出会いを大切するために心を込めること」が「一期一会」の意味です。

それを別な言葉で表しているのが「一座建立」。茶道での主人と客の一体感を意味する言葉です。「たった一服のお茶のために主人は、さまざまな趣向、工夫を凝らして茶室をしつらえ、道具を組み合わせ、心を尽くした点前を出す」こと。

この2つの言葉を紐解いてみると、いずれも私たちがイメージしている「おもてなし」と通じるものがあるのではないでしょうか。

「たった一度の出会い、たった一杯のお茶を出すだけであっても、そのために最高の準備をする。その出会いは、提供される側も客という立場ではなく、お互い尊重しあい、その瞬間を大切なものとして尊重しあう」

だからこそ、「おもてなし」は外来語の「サービス」や「ホスピタリティ」では言い表すことのできない美しい日本語として残されているのです。


https://kyoto-seikatubunka.city.kyoto.lg.jp/column/01_chashitsu/ 【茶室から学ぶ「おもてなし」と「しつらい」の心】より

茶室の歴史と特徴

茶室は、茶事を行うことに特化した部屋や建物のこと。室町時代中期、寝殿造の建物内を屏風などで仕切った中で茶を喫したのが茶室の起源と言われています。

板張りまたは土間、天井のないがらんどうな構造の寝殿造の建物は、室町時代の後期にかけて、畳を敷き詰め、床の間を設けた書院造へと変化していきます。そして安土桃山時代を迎え、茶の湯の思想が深まってゆくと共に、最小で二畳のサイズ、身を小さく屈めないと入れない躙口などの今に繋がる茶室の要素が整います。

さまざまな「おもてなし」

茶道は「客をもてなすためのもの」と思われがちですが、そうではありません。主客双方の心のつながりを作ることこそが目的なのです。亭主は招いた客のために道具の組み合わせを考え、食事の用意をし、菓子を準備します。そして部屋を掃除し、床の間に花を入れます。そのすべての準備を整えて、ようやく客の目の前で茶を点てるのです。その過程すべてが客へのもてなしです。茶室内のものは、すべて亭主のもてなしの現れです。客はそれらの準備にかかる労力や背景を汲むことで、亭主の心を感じ取り、「もてなしを受けた」と感じるのです。

季節に合わせて変わる茶室の「しつらい」

「しつらい」とは、元は寝殿造の建物内を建具などで仕切り、調度品を配置することで、儀式などに必要な場を構成することを指す言葉ですが、茶道では室内の装飾や道具などの配置を指します。千利休の言葉と伝わる『利休七則(りきゅうしちそく)』のなかには「夏は涼しく、冬は暖かに」という言葉があり、茶室においても、季節に合わせてお客さまに心地よく過ごしていただくためのさまざまな工夫がされています。

その一つが釜の配置です。茶道では鉄の釜でお湯を沸かしますが、その位置は季節によって大きく2つに分かれます。5月から10月は「風炉」といって、客から遠い位置の畳に釜と熱源(炭火や電熱器)を置き、11月から4月は「炉」といって客の近くに寄った位置に畳を切ってつくった小さな囲炉裏の中に釜を置きます。これは火とお客さまの距離を考えたもので、暑い季節は少しでも遠くに、寒い季節は少しでも近くになるよう工夫された「しつらい」です。人間にとって大切な温度を、細やかな気配りで調整しているのです。

「日々是好日」という思いで生きる

一碗のお抹茶をおいしく飲んでいただくために心を尽くす茶道の心は、日々の暮らしにも通じています。それを教えてくれるのが、茶室の掛け軸でよく目にする「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」という禅語です。意味は「毎日がいい日」となりますが、解釈はさまざま。晴れの日もあれば雨の日もあり、色とりどりの花が咲く暖かい春の日もあれば、草木が枯れ果てる、凍てつく冬の日もある。しかし、今日のこの一日は二度とないかけがえのない日。この一日を全身全霊で生きることこそ、「日々是好日」となり得ることを教えてくれる言葉です。目の前に起きたことをどう捉えるかは自分次第。身近な人を思いやり、当たり前のことに感謝する気持ちを、茶道は教えてくれているのです。

https://www.nippon.com/ja/currents/d00462/ 【災厄をはらい、生きる力を授ける来訪神 : 古代より日本各地に伝わる民俗伝承】より

小川 直之 【Profile】

トシドン、ナマハゲなど10件の「来訪神」がユネスコの無形文化遺産に登録されることになった。実は、この10件以外にも、日本各地には多くの来訪神行事が存在している。地域によって見た目の違いはあるが、共通しているのは、大晦日などの年の代わり目や、夏から秋への季節の変り目に現れ、災厄をはらい、生きる力を与えてくれることだ。

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無形文化遺産代表一覧表への記載の意義

2018年11月29日のユネスコ無形文化遺産保護条約第13回政府間委員会で、日本が提案していた「来訪神:仮面・仮装の神々」の、無形文化遺産代表一覧表への記載が決定した。

2009年に登録された「甑(こしき)島のトシドン」に、国内で重要無形民俗文化財に指定されている民俗行事9件を加え、ユネスコに提案していたものである。条約にいう5分野の無形文化遺産のうち、「社会的慣習、儀式及び祭礼行事」に含まれる「年中行事(儀式rituals)」としての記載である。

ユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載された来訪神

甑島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市) 大晦日の夜 面、藁蓑(わらみの)、シュロとソテツの葉

吉浜のスネカ(岩手県大船渡市) 小正月(1月15日)夜 鬼・馬の面、藁蓑や毛皮、俵を背負う

男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市) 大晦日の夜(以前は小正月) 鬼面、藁蓑(ケデ)

遊佐のアマハゲ(山形県遊佐町) 正月の夜 鬼面、藁蓑(ケンダン)

米川の水かぶり(宮城県登米市) 2月の初午 顔に墨を塗る、頭に藁のオシメ、蓑

能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町) 正月・節分の夜 天狗・鼻ベチャなどの面、蓑

見島のカセドリ(佐賀県佐賀市) 旧暦正月の夜 笠、顔に手ぬぐいを巻く、藁蓑

薩摩硫黄島のメンドン(鹿児島県三島村) 旧暦8月1-2日 テゴ(籠)の面、蓑

悪石島のボゼ(鹿児島県十島村) 旧暦7月16日(盆の最終日) 赤土、墨を塗った面、身体にビロウの葉を巻く

宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市) 旧暦9月上旬、旧暦12月最後の丑の日 面、身体にツタ草を巻いて泥を塗る

筆者作成

代表一覧表に記載されている日本の無形文化遺産の件数は21件で、この件数は条約締結国178カ国(2018年10月現在)の中では中国に次いで多い。代表一覧表に記載されることで、「来訪神」行事は、「保護し将来に継承すべき無形文化」として国際的に位置づけられ、その継承や広報などを通じて世界各地の文化がもつ多様性と人類文化に内包されている創造性を尊重する活動が必要となる。

また、「来訪神」の行事は、広義には神祭りの一つであり、日本人の精神世界を表現しているが、少子高齢化が進む現代においては、この行事によって地域の人々の連携が深まり、地域コミュニティーの持続に重要な役割を担うことが期待される。

「来訪神」が訪れ来る日

「仮面・仮装の神々」という副題の通り、来訪神は、地域社会の行事として人間が仮面を着けたり、仮装したりして、外界から集落や家々に訪れ来る。宗教経典に記されているような神ではなく、いわば民俗信仰として伝承され、継承されている神で、神の出現は、1年のうちの特定の日に限られている。

大晦日のトシドン、小正月のスネカ、正月の決まった日や節分にやってくるアマメハギなど、「年の変わり目」であることが多い。「米川の水かぶり」は2月初午(はつうま)だが、この地方には水かぶりと同様の仮装でカセドリと呼ばれる来訪神行事を旧暦の小正月に行っているところがある。

悪石島のボゼは、正月と並んで1年の大きな節目であるお盆の時、メンドンは夏から秋へと移る節目、パーントゥも12月最後の丑の日と9月上旬で、それぞれ新年の直前と夏から秋への季節の節目である。

能登のアマメハギ 写真提供 : 芳賀ライブラリー

吉田兼好の『徒然草』(1330年頃)第19段には、京都で大晦日の夜、暗闇の中で松明(たいまつ)をともして夜中過ぎまで家々の門をたたき回る行事があるとの記述がある。何のために家々を回るのかは記されていないが、その内容は来訪神の行事であったといえる。

奈良時代初期に編さんされた『常陸国風土記』の「筑波郡」の項には、祖神(みおやのかみ)が秋の収穫祭である新嘗の晩に福慈の岳(富士山)と筑波岳を訪れた物語が記されている。福慈の神は祖神の宿泊を断り、筑波の神は快くもてなしたため、福慈岳には雪霜を降らせて人が登れなくなり、筑波岳は多くの人が登って歌い舞い、飲み食いする山にしたという。

『常陸国風土記』の祖神も外界からの来訪神であり、来訪神信仰が古代から存在していたことを示している。さらに、来訪する神を歓待することが重要であることを示唆しており、トシドンやナマハゲなど現代の来訪神も家々でもてなされている。

そして『徒然草』や『常陸国風土記』からは、神の来訪は古くから、秋の収穫祭の時や年の変わり目であったことが読み取れる。

日本各地に現れる「来訪神」

日本の来訪神行事は、ユネスコに登録された10件以外にも、現在行われているものがいくつもあるし、過去のものも含めると数多くあり、日本の民俗行事としては一般的だった。北海道のアイヌ文化にはこうした行事が確認できないので、北海道を除くと図のようにほぼ全国的に確認できる。特に、東北や九州、沖縄には来訪神の伝承とその祭りが多く残っている。

東北地方北部から北陸地方には「ナマハゲ」「アマハゲ」「アマメハギ」「ナモミ」系の名称の来訪神が多い。東北地方南部から関東、さらに九州には「カセドリ」系の名称、来訪時に戸をたたく音がもとになった「ホトホト」「コトコト」「パタパタ」などの名称が近畿地方西部から九州北部と関東の一部に見られる。

この中には仮面・仮装はしないが、訪れた家の人に見られないようにして木製の農具のミニチュアを家の中に放り込み、縁側などに置かれた餅やお金を貰って帰るという行事もあった。

カセドリ(佐賀県) 写真提供 : 芳賀ライブラリー

福を授け災厄をはらう

大晦日の晩にやってくる甑島のトシドンは、訪れた家の子どもの普段の生活態度を尋ね、子どもをほめたり、叱って諭したりし、最後にその子の背中に「歳餅」と呼ぶ大きな丸餅を載せる。子どもはこの餅をもらって1つ歳をとるという。これは、いわゆる「お年玉」であり、餅によって新しい年を生きる力が授けられるのである。

ナマハゲやアマメハギ、アマハギは、手に包丁(模型)を持って訪れ、いろりに当たりすぎて手足にできるナモミなどと呼ぶ火斑をはぎ取ると考えられている。子どもたちの怠惰を戒め、諭す意味を持つ。カセドリの「かせ」は、「かさ(瘡)」とか「(漆に)かせる」などのように、湿疹や皮膚病の意味にも解釈できる。このことからは、来訪神は新年にあたって病気などをはらいに来るともいえる。

宮古島のパーントゥは、からだ中に塗った聖なる泉・ンマガリの泥を集落の人々や家の壁などになすり付ける。泥を付けられると、災厄がはらわれ、福がもたらされるという。薩摩硫黄島のメンドンは、手にスッベと呼ぶ枝葉を持ち、これで叩かれると魔がはらわれる。悪石島のボゼが持つ棒(ボゼマラ)の先で赤泥を付けられると悪魔ばらいになるとか、女性は子宝に恵まれるという。

メンドン(硫黄島) 写真提供 : 芳賀ライブラリー

石垣島「マユンガナシ」は、家々を訪ね、農作物の作り方や家の寿ぎを詞章のようにした神口(カンフツ)を唱える。

マユンガナシ(石垣島) 写真提供 : 芳賀ライブラリー

来訪神は地域ごとに様々なバリエーションがあるが、いずれにも共通しているのは、行為や言葉などによって人々に生きる力や知恵を授けたり、災厄をはらったりしているということだ。これによって人々は、豊かで健やかな生活が続くことを信じたのである。

「去来神」と「常世」

「来訪神」とは、期日を定めて集落や家々に訪れ来る神である。日本人の神信仰からいえば、「来訪神」は「去来神」の一つの姿である。「去来神」は、祭りが行われる日に神々の世界から人間界に訪れ、祭りが終わると神々の世界に帰っていく。

お盆に迎え火を炊いて迎える先祖や、正月に門松を飾って招き入れる歳神は「招来神」と呼び、姿かたちが無い。一方、神々が自ら訪ね来る「来訪神」は、目に見えるかたちで現れる実体的な存在である。

「来訪神」の仮面・仮装は、いうまでもなく日本人が考える神のイメージであり、笠や蓑を着けるのは遠方から旅をして訪れ来る姿、鬼などの面は神としての異形性―人間とは異なる存在の表現である。

「来訪神」も「招来神」も、『万葉集』など日本の古典にある言葉でいえば「常世」から訪れ来ると考えられていた。「常世」は、海の彼方にあるとか、山に、または森の中に、さらには天にあるなど、その場所はいくつもが想定され、一方ではこの場所は、死者の霊魂が行き着く他界でもあった。

最後に「来訪神」について2点付け加えておくと、民俗学・国文学者であり、歌人でもあった折口信夫(1887-1953、歌人としての号は釋迢空)は、来訪神を「まれびと」と名付け、「まれびと」が発する呪詞・寿詞が後に文学に、その動作が芸能へと昇華するという壮大な文化理論を提示している。

また、オーストリアのミッテルドルフには12月5日に出現するクランプス、スイスのウルネシュ村の大晦日のクロイセ、中国南部の広西壮族自治区には春節にやってくるマンガオという神が伝えられている。仮想・仮面の神々は、日本に限らず、実は、世界各地に見ることができるのである。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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