伏見稲荷の暗号、秦氏の謎

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13293602818?query=%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF%E3%82%92%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E3%81%99%E3%82%8B%20%E7%A7%A6%E6%B2%B3%E5%8B%9D 【大化の改新で蘇我入鹿を殺害したのは中臣鎌足と中大兄であるが、本当の手柄は秦河勝にあったつまり秦河勝が蘇我入鹿の殺害の実行犯だったというのは俄かには信じ難いですが、そういう説もあるにはあるのですか?】より


こんばんはあるようです。こういことらしいです。

乙巳の変の大義名分は、山背大兄の上宮一家を滅ぼしたこととされていますが、そもそも聖徳太子も山背大兄王も架空の存在かもしれない。

山背大兄の墓はなく、平安時代まで法隆寺も本気で祀っていません。

入鹿悪人説をとるための創作ではないかと考えられています。

中大兄は親蘇我の大海人皇子に、皇位を奪われることを怖れていました。私利私欲のために先手を打ったのでしょう。二人の仲の悪さは知られていました。

鎌足は聖徳太子に寵愛されたという秦河勝をそそのかしました。

蘇我本宗家は、早くから渡来した秦氏の技術を重用して力をつけてきたのに、後から渡来した東漢氏の先進知識に乗り換えようとしていたのです。

事件の直後、現場にいた古人大兄皇子は、「韓人、鞍作臣を殺しつ」と叫びました。

入鹿殺害の実行犯は、秦河勝だったのです。

秦河勝を祀る播磨の大避神社では、秦河勝が入鹿の乱から逃れてきたと伝えています。

事実、河勝は逃げ込み、大和に帰ることなく恨みを残してこの地で没しました。

本来なら手柄を立てたとして、政界に躍り出るところですが、蘇我系の孝徳天皇のもとには戻れなかったのです。

というような説です。


https://kuramae-bioenergy.jp/2019/02/10/%E3%80%8C%E5%AF%BA%E7%A4%BE%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E7%A7%A6%E6%B0%8F%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93%E3%80%8D%E9%96%A2%E8%A3%95%E4%BA%8C%E8%91%97-2019%E5%B9%B42%E6%9C%889%E6%97%A5%E3%80%80%E5%90%89/ 【「寺社が語る秦氏の正体」関裕二著 2019年2月9日 吉澤有介】より

祥伝社2018年11月刊 著者は1959年千葉県生まれの歴史作家で、古代氏族の正体を巡る多くの著書で知られています。本書は、単行本「伏見稲荷の暗号、秦氏の謎」(講談社)を新書にしたものです。

伏見稲荷と秦氏は、古代史最後の謎でしょう。伏見稲荷を総本社とする稲荷信仰は全国に及び、神社の数は3万社もあって他を圧倒しています。さきにご紹介した八幡神と合わせると神社全体の過半数にも達します。なぜこれほど広まったのでしょうか。伏見稲荷を祀ったのは秦氏でした。八幡神もまた秦氏が絡んでいます。秦氏は渡来した新羅系の豪族でした。

著者はその謎を、太秦広隆寺の伝承を手がかりに探ってゆきます。秦河勝が創建した広隆寺は、聖徳太子を祀っていますが、なぜか歴代天皇は即位儀礼に用いた衣服を贈ってきました。何かを怖れているような、その慣習は今なお続いています。さらに広隆寺にはユダヤの痕跡があるというのです。秦氏のルーツは古代中国だったという、いくつかの根拠があり、また新羅から来日したというアメノヒボコ説話とも、深い関係がありそうなのです。

能の創始者世阿弥は「風姿花伝」のなかで、秦河勝の末裔であると述べています。秦氏は日本文化の基層をも築いていたのです。そこで著者は、大きく過激な発想を飛ばしました。

まず乙巳の変では、革新派の蘇我入鹿が律令改革を進めたことで、保守派の中大兄が危機感を持って起こしたとみます。唆したのは中臣鎌足ですが、これはどうみても百済王子のホウショウである。決定的な証拠は、入鹿殺害に中大兄が自ら立ち向かったのに、鎌足は後ろで弓を構えていただけでした。主従の行動ではありえないことです。直接手を下したら外交問題になるからでしょう。

乙巳の変の大義名分は、山背大兄の上宮一家を滅ぼしたこととされていますが、そもそも聖徳太子も山背大兄王も架空の存在かもしれない。山背大兄の墓はなく、平安時代まで法隆寺も本気で祀っていません。入鹿悪人説をとるための創作ではないか。中大兄は親蘇我の大海人皇子に、皇位を奪われることを怖れていました。私利私欲のために先手を打ったのでしょう。二人の仲の悪さは知られていました。鎌足はまた聖徳太子(入鹿?)に寵愛されたという秦河勝を唆しました。

蘇我本宗家は、早くから渡来した秦氏の技術を重用して力をつけてきたのに、後から渡来した東漢氏の先進知識に乗り換えようとしていたのです。事件の直後、現場にいた古人大兄皇子は、「韓人、鞍作臣を殺しつ」と叫びました。入鹿殺害の実行犯は、秦河勝だったのです。秦河勝を祀る播磨の大避神社では、秦河勝が入鹿の乱から逃れてきたと伝えています。事実、河勝は逃げ込み、大和に帰ることなく恨みを残してこの地で没しました。本来なら手柄を立てたとして、政界に躍り出るところですが、蘇我系の孝徳天皇のもとには戻れなかったのです。秦氏の悲劇の始まりでした。

しかし秦氏に好機が訪れます。桓武天皇は、長岡京遷都に際して地元の秦氏を頼み、母が秦氏の藤原種継を起用しました。ところが種継は暗殺されてしまいます。新羅系の復活を恐れた藤原氏本家の仕業で、早良親王や大伴家持までが巻き添えになりました。秦氏は巨大な勢力を持ったまま政界を離れ、最下層の人々と共に生きてゆきます。傀儡や白拍子、猿楽などの差別される民となって権力者を呪い、蔭で鬼を祀って稲荷信仰を広めたのです。「了」


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13233409868?__ysp=5LyP6KaL56iy6I2344Gu5pqX5Y%2B3IOOCreODquOCueODiOaVmQ%3D%3D

【稲荷神社はキリスト神社であるという主張をしている、〈イクスース〉というキリスト教のグループは、どこの教会ですか?日本の神社は聖書の神だと主張しています。神社は多神教なのでキリスト教とは大きく違う気がしますが。】

靺鞨さん

異端牧師:久保有政が主催するYoutubeの聖書解説チャンネルが「イクスース」です

有名な「日ユ同祖論者」です「イスラエル人の古代日本渡来説」を提唱してます

幾つかのデタラメはすでに露見してますが、メディアは好んで彼を使いますのでTV出演も多いです

日本のプロテスタント系の聖書解説家、単立・池袋キリスト教会初代牧師。レムナント出版、レムナント・ミニストリー代表。

「日本を愛するキリスト者の会」事務局長、「聖書と日本フォーラム」協力者、「日本民族総福音化運動協議会」理事を務めてます。

古代東方キリスト教徒(景教徒)も多く日本に渡来し、日本の伝統文化に影響を与えたと主張している。これについて、テレビバラエティー「みのもんたの日本ミステリー」(テレビ東京系列)などの番組にも出演。

死後の世界についても聖書から解説し、「死後のセカンドチャンス論」(未信者が死後に福音を聞いて救われるチャンスはあるとする立場)を提唱してます

ただ、世界の景教学者(ネストリウス派キリスト教学者)は、こぞって秦氏は景教徒であったと主張していて、秦氏の氏神である伏見稲荷大社は、キリストの罪状である「INRI」が「INARI」に転化したものだとして、キリストを祀る神社だとまで主張してます

その影響も強く受けていると思われます


▶『天皇家のルーツは古代イスラエル』久保有政講演

https://www.youtube.com/watch?v=5IVwaNOxHuc

▶伊勢神宮:驚愕の秘密 アマテラスとキリストの暗号(久保有政・解説)イクスース

https://www.youtube.com/watch?v=I1C--c4uWKM

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000