『長谷川櫂 自選五〇〇句』

https://saku-pub.com/books/hasegawa.html 【『長谷川櫂 自選五〇〇句』】より

長谷川櫂論:青木亮人  装丁:水戸部功  本文デザイン:星野絢香/TSTJ

数多くの句集や俳論、エッセイ集を発表し、俳句界をリードし続ける長谷川櫂氏による、待望の自選句集!第一句集『古志』から、最新句集『太陽の門』まで、全17冊の句集からその俳句のエッセンスを凝縮した一冊。句歴50年の「変遷」と「現在地」が見えてくる。

◆収録句より

春の水とは濡れてゐるみづのこと        冬深し柱の中の濤の音      

目を入るるとき痛からん雛の顔         春の月大阪のこと京のこと

夢今もラグビーポール青の中          父母に愛されしこと柏餅

幾万の雛わだつみを漂へる           いくたびも揺るる大地に田植かな

大空はきのふの虹を記憶せず          魂の銀となるまで冷し酒

次の世は二人でやらん鯛焼屋          生淡々死又淡々冬木立

◆著者エッセー「封印」より

『古志』の帯文に「これから、このうちのどの方向に眼差しをむけ、どのように深めていくのだろう。私は氏の行方から、目を離さないつもりである」と書いた飯田龍太は、その後の私の俳句にどんな印をつけるだろうか。知りたいと思うものの、それを知るのはまさに恐ろしいことである。(長谷川 櫂)

◆長谷川櫂論「黒い獣と花」より

「毎日グラフ」(1989年)の頁を繰ると「精鋭18人」と題された若手俳人の紹介欄があり、冒頭の俳人に何気なく目を落とすと、次の文章が綴られていることに少なからず驚いた。

――小さいころから一頭の黒い獣を飼っている。初めて見たとき、まだ猫くらいの大きさだった。こわそうにしていると、その生きものは近づいてきて、「こわがらなくていい。私はおまえのものだ」と言った。それから、もっと時間がたって、私がおとなになると、その黒い獣は、たびたび私の前にあらわれて、私が大事に育てたものを、こわすようになった。私は怒り、泣いた。しかし、私の最良の句は、どれも、この獣のおかげでできたものであることも知っている。こんど現われたら、その黒い生きものに、こう言おう。「私はおまえのものだ」と。これには勇気がいる。――

著者は長谷川櫂氏で、<冬深し柱の中の濤の音><夏の闇鶴を抱へてゆくごとく>が掲げられている。両句から受ける印象と文章の感触は異なっており、しかも句と文が共鳴しあっていることに驚いたのだ。(青木亮人)

<著者略歴>

長谷川 櫂(はせがわ かい)

1954年、熊本県生まれ。中学時代から俳句をはじめ、平井照敏、飴山實に学ぶ。

東京大学法学部卒業、読売新聞記者を経て俳句に専念。

1993年、「古志」を創刊主宰。2000年より朝日俳壇選者。

2004年から読売新聞に連載の詩歌コラム「四季」は今年20年を迎えた。

『俳句の宇宙』でサントリー学芸賞(1990)、句集『虚空』で読売文学賞(2003)受賞。

現在、ネット歳時記「きごさい」代表、東海大学文芸創作学科特任教授、

神奈川近代文学館副館長、「奥の細道文学賞」「ドナルド・キーン大賞」選考委員等を務める。


https://gokoo.main.jp/ 【『自選500句』の感想、お送りください。】より

『長谷川櫂自選500句』の感想をサイト事務局へお送りください。お名前を明記してください。選考して掲載します。

『長谷川櫂自選500句』が4月10日(水)に発売されました。たくさんの事前予約をいただきました。サインをして版元の朔出版からお送りしますので、しばらくお待ちください。なお今後もお申し込みいただいた方にはサインをしてお送りします。

下の予約欄に①住所、郵便番号②氏名③電話番号を明記のうえ、お申し込みください。代金+送料は請求書に同封されます。お受け取り後に振り込んでください。

内容は句集『古志』から『太陽の門』までの自選500句、エッセイ「封印」、青木亮人さんによる解説、自筆年譜、索引など。装丁は水戸間功さん。送料を含めて2700円の予定です。


http://a-un.art.coocan.jp/za/essay/kh.html 【[俳句をめぐるコラム]長谷川櫂作品をめぐって】より

(『蓬莱』『虚空』)

■2 (句集『蓬莱』)

たちまちに春着を脱いで遊びをり  長谷川櫂      千年の始めの年の若菜粥

太箸に枝の俤ありにけり              大阪でひとつ歳とる雑煮かな

日が差して春の障子となりにけり          はくれんの花びら反れり石の上

新しき家の見取り図水仙花             初花や透けて平目の薄造り

雪折の枝の初花甕にさす              花守をやめてこの世に帰りこし

鯛焼の売れ残りゐる花の雨             花店のガラス戸のなか梅雨深し

住みつきし猫に子が生れ柿の花           涼しさに転がしておく木魚かな

桃の箱桃の畑の匂ひあり              桃食ふや冷たき水を浴びてきて

秋暑し茹でて売らるる豚の顔            近江より雲流れくる松手入

東京のいつもこのころ春の雪          こんにやくをくるりとねぢり梅の花

 長谷川櫂さんの句集『蓬莱』(花神社、2000年)から引きました。

 よき生活者の穏やかな日常、といった言い方は、単純すぎるかもしれませんが、ふとそんなフレーズが浮かびました。健やかさを喜ぶ、著者の心のありようが、いいなあ、と思うのです。そして著者は、時間や空間をたっぷり抱えた作品によって、それを具体にしているのだと思います。

長谷川櫂句集『蓬莱』(花神社) 長谷川櫂句集『蓬莱』(花神社)

■1 (句集『虚空』)

村ぢゆうの畦あらはるる雪解かな  長谷川櫂      合戦の跡を寺とし春田かな

妻入れて春の炬燵となりにけり

 先生亡き後、寂々と世を渡るに  高きよりこの世へ影し今年竹

地下鉄は街の腸秋暑し                道元のつむりに似たる梨一つ

その花の俤はあり柿の蔕               電球のまはり明るし秋の暮

着膨れて海豹の貌してゐたる             外套に荒ぶる魂を包みゆく

町ひとつ打ち捨ててある枯野かな          ふるさとに似たる在所や柿の花

ひやひやと日のさす秋の昼寝かな          箸つかふ月の光を浴びながら

家にゐて旅のごとしや秋の暮            秋の夜や煌と明るき通過駅

鎌倉の町を埋める落葉かな            風花とおもふ間もなく止みにけり

金屏や寒風描きあるごとく            きらきらと氷つてゐたり雪兎

 長谷川櫂さんの句集『虚空』(花神社、2002年)を読み返しながら、たとえばこうした20句を引きました。

 厚みということを思います。なんでもなくつくっているようで、けっしてそうではなく、かといって技術を屈指しているわけでもない、そんなありよう。それは、空間/時間の豊かさ。あるいは、自らの身体を空間的/時間的に豊かに広げている、ということかもしれません。

 「村ぢゆうの畦あらはるる雪解かな」。まず気づくのはリズムの重層性。五七五と七五五の2つのリズムが一句のなかにあり、しかしそれは五二五五というリズムによって架橋されていて、この架橋がやわらかさを生み出しています。畦。村にはたくさんの畦があり、それらがみな現れるのだという。複数のことがら─それぞれの畦が現れるという現象─が、ひとつのことがら─村中の畦が現れるという現象─に統合される美しさ。それは、見ているが見ていないこと。つまりそれは、心のなかに現れるので、より一層美しいのだと思います。この美しさとは、生の喜び、あるいは祝い。そしてこれは、一冊を貫く主題でもあるのだと思います。

 4句目の先生は飴山實さん。句集では、この句の前に、「飴山先生、ニュージーランドを旅されし折、とある町の川辺にて定家葛の花を見つけられたり。居合はせし人々、「かかるところにて定家葛とは先生の修羅垣間見し心地せり」と語り合ひけり。この話、心に残りて」の詞書のある「虚空より定家葛の花かをる」が置かれています。あとがきには、「天体もまた生命も虚空に遊ぶ塵に等しい」とあります。

長谷川櫂句集『虚空』(花神社) 長谷川櫂句集『虚空』(花神社)



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