日本の西の最果ての島

https://blog.goo.ne.jp/shinori61/e/a74a81436dc044cc412a47d71b106581 【浄土信仰】より

 美術史を学んだ時、「阿弥陀二十五菩薩来迎図」というのがあって、不思議な感じがしたのを覚えています。阿弥陀如来と観音勢至等二十五体の菩薩が雲に乗り、今往生しようとしている人のところへ降りていくという絵なのですが、まさにこの世のものとも思えない美しい光景でした。当時の阿弥陀信仰を具現化したものなのですが、死に瀕した時、阿弥陀様の浄土、つまり西方浄土(極楽浄土とも)へ迎えてくださるために阿弥陀様自らが来迎してくださるという夢のような風景です。

 誰しも極楽へ行きたい、地獄へ行きたいと思う人はいませんよね。もし阿弥陀様がその浄土へ迎えてくださるなら、死も怖くないのだという思いから生まれてきたのでしょう。浄土信仰は平安後期あたりから始まったようです。当時は末法思想が広まった時代ですから、貴族たちは死後の往生を願い、競って寺や仏像を造りました。宇治の平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)は極楽浄土を再現したものといわれています。

 阿弥陀様だけでなく、お釈迦様や大日如来、薬師如来、弥勒菩薩など、いろいろな仏様がそれぞれに浄土を持っておられるのですが、一般的に極楽浄土というと阿弥陀様の浄土になります。他に広く信仰された浄土としては観音様の補陀落山(ふだらくせん)があります。玄奘三蔵の『大唐西域記』によれば、南インドの海岸、マラヤ山の東にあるとされていますが、日本ではその浄土をめざす補陀落渡海が行われるようになりました。

 最も有名なのは那智勝浦の補陀落山寺から船出するもので、目の前に広がる熊野灘はインドの補陀落山に通じていると信じられていました。『熊野年代記』にも海上他界を遂げた人の記録が残されています。「補陀落」という言葉はサンスクリット語の「ポータラカ」に由来するそうですが、ここで船出して海上他界を遂げれば、観音浄土である補陀落山へ辿り着けると信じられていたんですね。井上靖先生の作品の中にも『補陀落渡海記』というのがあります。

 補陀落渡海ではありませんが、『平家物語』でも清盛の嫡孫維盛(これもり)が那智沖で入水しています。この方はたいそう美しい公達で女房たちの憧れの的でしたが、時代の趨勢には勝てず、敗軍の将になってしまいました。平家一門からも浮いた存在になり屋島の陣中を脱出、高野山で出家し、熊野三山に参詣したのち、27歳の若さで入水自殺を遂げるのです。同時代に生きた法然の影響もあるのでしょう。『平家物語』には浄土思想が色濃く反映しています。

 我が家は浄土宗ではありませんし、私自身どちらかというと無信心な方ですが、やはり死後は極楽へ行きたいと思っています。ですから浄土思想に惹かれるのも事実です。最近ではお坊さんが裏話をする番組などもあって、随分庶民的になりました。法要の時などに後生のことなどお尋ねしてみるのもいいかもしれません。


https://www.wastours.jp/contents/report_japan/136518/ 【日本最果ての島、五島列島を訪ねて】より

日本の西の最果ての島、五島列島。福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島の5つの大きな島を中心に約140の島で構成されています。この五島列島、ワールドの国内旅行のなかでもロングセラーを誇る人気訪問地でもあります。

今回は、そんな五島を改めて深堀したく、福岡空港から空路で、五島列島最大の島・福江島を訪問しました。そこには、美しい島の自然風景と古代から大陸との架け橋であったことを物語る史跡との出会いがありました。

福岡空港からわずか40分で福江空港に到着。低空飛行の為、窓からの景色はお勧めです。(窓から見る五島)

歴史感じる福江島 新ホテルもオープン

五島列島最大の島・福江島はかつて五島藩のお膝元として栄え、政治、経済、文化の中心でありました。それは現代にも受け継がれ、空港や港で福岡・長崎とつながる五島の玄関口であり、観光で訪問するにも中心となる存在です。

そんな福江の町並みを歩くと、武家屋敷通りや、江戸時代最後に築城された福江城に藩政時代の名残をいまでも感じることができます。ちなみに、福江城の門が五島高校の校門になっており、まさに現代の町並みに史跡が溶け込んでいるといえます。武家屋敷通りには、武家屋敷の松園邸を改修した山本二三美術館(ジブリのアニメーター)などの見所も。また、五島は壱岐・対馬とともに「国境の島 壱岐・対馬・五島」として日本遺産にも認定されており、大陸と日本を繋いだ空海ゆかりの地がその関連スポットとして紹介されています(詳しくは後程ご紹介いたします)。

福江城門(今では後藤高校の校門となっています)

福江武家屋敷通り

武家屋敷・松園邸を改装したジブリアニメーター・山本二三さんの美術館

さて、そんな福江島において嬉しいニュースが。今年2022年8月に、島内に新たなリゾートホテルがオープンいたします。元々ホテル数が少なく、さらにグループで宿泊可能な場所となるとかなり限られていた福江島。この度2軒のホテルがオープンするということは、今後のツアー造成においても大変喜ばしいことです。オープン前ということで残念ながら内部の視察はかないませんでしたが、外観写真とともに両ホテルをご紹介します。

1軒目は全26室のスモールラグジュアリーホテル「五島リトリートray」です。リトリートブランドを展開する温故知新が手がけており、離島唯一のミシュラン5パビリオンの「壱岐リトリート海里村上」に続き、2つ目の宿泊施設となります。世界ジオパークに認定された鐙瀬溶岩海岸を見下ろす高台に位置しており、全客室に五島の海を一望できる露天風呂が付いています。五島食材を使った食事を楽しむレストランやスパも完備されており、一度は泊まってみたいホテルとなることでしょう。

五島リトリートrayの外観

鐙瀬溶岩海岸を望む展望台から五島リトリートrayの遠望

世界ジオパーク認定された鐙瀬溶岩海岸

2軒目は福江島の南東にある大浜ビーチの目の前に建つリゾートホテル「カラリト五島」です。全室オーシャンフロントの抜群のロケーションで、五島の雄大な自然や文化を楽しめるアクティビティ体験も可能です。

カラリト五島がある大浜海水浴場

カラリト五島を遠望より

現在、ツアー化に向けて手配をすすめておりますので、どうぞご期待ください。

福江島の自然が魅せる絶景

これまで五島列島というと、世界遺産・潜伏キリシタン関連の教会をテーマとした旅をご紹介してきました。しかし、今回福江島の各地を巡ってみるとその自然の素晴らしさに心を奪われました。福江島の玉之浦にある「大瀬崎展望台」は、五島の代名詞ともいえる景勝地です。東シナ海に面した断崖絶壁は100ⅿ以上あり大迫力。紺碧の海原に白亜の灯台が建つ景色は必見です。島内の移動中は、潮風が香るコバルトブルーの美しい海を見ながら癒されました。

大瀬崎灯台展望台

海岸沿いを通るおれんじロード

エメラルドグリーンが美しい高浜ビーチ

福江島の日本遺産

先述した福江島の日本遺産について詳しくご紹介いたします。五島列島最大の島である福江島は、古くは遣唐使船の最終寄港地で、いわば日本と大陸を結ぶ「海の道の要所」でした。かつて唐(中国)の先進的な技術・文化を学ぶため、多くの遣唐使が日本から派遣されましたが、702年以降はこの五島から東シナ海を横断して唐を目指す最短ルートが主流となります。決して航海・造船技術が高くないこの時代、日本への生還率はわずか50%だったといわれます。まさに死と隣り合わせの航海に旅立つ遣唐使たちが“最後に見る日本の風景”がこの五島列島だったのです。万葉集には、“福江島の三井楽(みいらく)が異国(=あの世)へ繋がる島“と詠まれています。(三井楽とは福江島西部の地名)

三井楽にある高崎海岸

三井楽の空海像と「辞本涯」

三井楽の高崎海岸には、「日本最果ての地を去る」という空海が残した言葉を彫った石碑と空海像が建てられており、そこからの美しい東シナ海を眺めながら遣唐使たちが生きた時代に思いを馳せます。806年、弘法大使空海は唐からの帰路、福江島に立ち寄りました。その際、空海は五島最古の寺「明星院」に籠り、その名を付けたといわれています。明星院はその後、五島列島を治めた五島家代々の祈願寺として受け継がれ、本堂の格天井には五島藩絵師の狩野派・大坪玄能による121枚の花鳥画が描かれています。(残念ながら写真撮影は不可のため、ぜひ現地でご覧ください。)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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