https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/704c19fbb270589b5821c7c5afb637a3 【新古今和歌集の部屋 源氏物語 浮舟 宇治橋の長き契りは】より
源氏物語和歌
源氏物語 浮舟
薫大将
宇治橋の 長き契りは 朽ちせじを 危ぶ む方に 心 騒ぐな
よみ:うぢばしのながきちぎりはくちせじをあやぶむかたにこころさわぐな
意味:宇治橋のような長き契りは朽ちないものなので、危ぶむ恋の行方に心騒がないで。
備考:危ぶむと踏むの掛詞。朽ちる、踏むは橋の縁語。
※橋の契りと言う意味が不明で、榺、千切、杠を掛詞として考えてみたが、橋の部位で建築用語としては無かった。なお、宇治橋のを長きを導く枕詞と言う解説も有ったが、他に用例は無い。 浮舟 絶え間の み世には危ふき 宇治橋を 朽ちせぬ物と なほ頼め と や
よみ:たえまのみよにはあやふきうぢばしをくちせぬものとなほたのめとや
意味:板敷きの絶え間ばかりの危うい宇治橋の様にしか訪れてくれない貴方様の約束を、朽ちない物と頼めと言うのですか?
備考:本歌 忘らるる身を宇治橋の中絶えて人も通はぬ年ぞへにける(古今集 恋歌五 よみ人しらず)
Facebook田中 宏明さん投稿記事
今を生きるって頼りない感じがするでしょう^ ^
どれだけ「今を生きる」と言われても本当のところはつかみどころもないしただその言葉だけでは心から安心出来ないでしょう?
気持ちはよくわかります^ ^
でもね今を生きるって実はその幸せになろうとしている自分に気づくこと
安心したいって求めてるその自分に気づくこと
そしてその今立ち現れている不完全な自分を受け入れることなんです
そしたらね「今の自分」に対する抵抗が無くなっていくんです
こんな自分でもいいやって肩の力が抜けた時あなたは「今」を生きてるんです
そしてそこにあるのは自分でいいんだという安心です^ ^
今を生きるってそんなかんたんなことなんです😊今どんな自分でも大丈夫^ ^
自分にそう言ってあげてください安らぎは本当に
んなシンプルなもの^ ^
ワハハ🌈 らぶ💓
Facebook加藤隆行さん投稿記事【「問題」を無くす方法】
多くの人は「問題」が解決したら悩みがなくなる、と思っています。え?違うの?
そう違うのよ。まずアナタが「問題」だと思っていることは本当に「問題」なのでしょうか。
だってその「問題」、同じ「問題」を持っている人でも「問題」だと思っていない人も
いるはずです。
たとえばアナタが「太っている」という「問題」があって悩んでいるとする。
でも「太っている」を「問題視」していない人にはこれは悩みにならない。
女性だとそうは言っても的な想いはあるかもしれないけど男性だと「太ってる」はそこまで
問題視されないですわいね。
渡辺直美が「太ってる」を問題視してるかって言うとしてなさそうですよね。知らんけど。
ボクは運動神経がまったくもってゼロです。走るもの投げるもの打つのも全部カラッキシです。カクカクした怪しい動きをします(笑
でも、全然「問題視」していないので劣等感のカケラもないし悩みにもなりません。
とはいえ人によっては「自分は運動音痴でかっこわるい」と問題視して悩んでいる人もいるでしょう。
でも「運動が必要ない環境」にいれば、そんなにそれが問題になることはない、というのも分かると思います。人間関係の「問題」であってもそうです。それを「問題視」しない人には悩みにはならない。
夫が家事を手伝ってくれないんです。会社の上司がパワハラなんです。これひとつとってみても「問題視」する人としない人がいる。
「問題視」してない人はその「問題」をそもそも問題とは思わず、人生の中で当たり前にあらわれてくる【課題】と思っています。
「課題」とは自分に「課せられたお題」であって自分の一部として捉えています。
だから、それをことさらに大ゴトにせずどうやったら対処できるかな?と考えて前に進むことができます。課題なので、真正面から対処して解決に取り組んでもいいしとりあえず保留しといてもいい。危険度が高いときはそれから一時退避する必要もあるかもしれないけれど課題をクリアできれば自分がレベルアップすることもしってるので時間をかけて向き合っていこー
と思ってます。
一方「問題」とはもはや自分の一部ではありません。自分に課せられたものでなく自分とは別の分離した「悪」として捉えています。
だからそれをことさらに大ゴトにして対処ではなく「排除」を目指します。
これは解決に向けての行動ではなく、ただの争いです。
最近は病気のことばかりで恐縮ですが、ボクはこれを幼少期からかかえるさまざまな体調不良、そしてうつから学びました。
学んだというか、争って戦って疲弊してある日、「問題視」するのをあきらめました。
自分と分離して自分と別のものとして戦っていたから全く解決していかなかった。
戦えば戦うほど病気以外にも「問題」ばかりが増えていっていた。だから「問題視」するのをやめました。
人生の「課題」として自分のものとして、自らの人生の道程に組み込んだのです。
したら「問題」はなくなりました。
「課題」はたくさんありますが、まあ今世で解決できなくともしゃーないわなと向き合うべき「課題」に優先順位をつけながら取り組んでいます。
「課題」は統合。「問題」は分離。「課題」は当事者。「問題」は被害者。「課題」は理性。
「問題」は感情。「課題」は事象。「問題」は評価判断。
これは、先日もお話した「不便」と「不幸」の違いとも同じです。
自分の人生に責任を持って生きる時「問題」は「課題」となり、「モーマンタイ・無問題」
=「問題ない・大丈夫」となるのです(^ω^)
Facebook加藤隆行さん投稿記事【ちゃんと「欲しい」が伝わってる?】
先日、名古屋方面からお越しいただいたクライアントさんから「赤福」をお土産にいただきました。これで何度目だろう。ボク、「赤福」をもらうこと人生の中でめちゃたくさんあるんです。昔、SNSやリアルセミナーでもよく「赤福好き」「あんこ好き」を公言していました。
だからボクの周りの人たちはそれを知ってくれています。
毎年律儀にあんこ詰め合わせを贈ってくださる古くからのクライアントさんもいらっしゃいます。ありがたし。はたまたボクが、スキルや人脈も1mmもない中でカウンセラーとしてやって来られたのはこれも、周りの人がボクにチャンスをくださるからです。
「自己肯定感を知ってもらいたい」「ココロがラクになる方法があるよと伝えたい」と言っていたら声をかけてもらえるようになったのです。
「かとさん、本出してみませんか?」とご縁の中で編集さんが連絡してくださり出版ができました。「うちでお話してもらえませんか」と、あちこちで公演させてもらったてます。
「あの人に紹介したい」と勝手にご縁を持ってきてくださる人もいて、知らぬ間に仕事や交流へとつながっていきます。
今、ほんと不思議だな、と思って生きてます。
学生の時も会社員の時もいつも「あれもない」「これもない」と思って生きていたのに今はみなさんが自ら赤福もチャンスも持ってきてくださる。
でも、その仕組みがわかりました。これまでボクは「好き」とか「やりたい」とかまったく周りに表明して来なかったんです。
*
人って、「喜んでもらいたい生き物」なのです。「与えたい生き物」なんです。
だから楽しそうに、「これが好き」本心から「これしたい」と言ってる人がいたら、
タイミングがあれば「あげたい」「応援したい」と思う。
人は、自分が欲しいものを手に入れることも嬉しいけど他人が欲しいものを与えて喜んでもらえるのも同じぐらい嬉しいものなのです。
だから、「与えさせてあげる場」「役に立たせてあげる機会」を作ってあげるという考え方も
実は相手のためになるんです。クラファンとかNPOへの寄付とかもそうでしょ。
みんな役に立ちたいし喜んでもらいたい。そして、昔の「ないない」ばかり思っていた
ボクみたいに歯を食いしばって辛く難しい顔をして自分だけで「手に入れねば」と頑張ってる人には誰も与えてはくれないのです。
がんばってるんだけどね(涙だからもらえなくて余計拗ねてっちゃうんだけどね(涙
あなたが今「ない」と思っているのはちゃんと「好き」「やりたい」が伝わっていないからかもしれません。だから「これが好き」とか「これがしたい」とか普段から公言しとくといいですよ。エネルギーの循環が起こって不思議な流れがやってくるかもしれません。
そのためにも「自分は本当はどうしたいのか」知っとく必要がありすね。
そうしないと いらんもんが来るぞ。
さて、本日は私かとちゃんの記念すべき53歳のバースデーです。ということで、好きなものを表明しておきます。オジサン喜ぶと思います(^ω^)
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