http://asahidake-n.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ea0f.html 【人いふ人のこころに】より
人といふ人のこころに 一人づつ囚人がゐて うめくかなしさ
作歌=1910年(明43)8月28日。初出『一握の砂』。作歌時の最初の形は「人といふ人の心に一人づゝ良平がゐて常にうめけり」で、それをのちに掲出歌の形(一行書き)に推敲した。
「囚人」は何を意味するのだろう。管見に入ったこれまでのどなたの解釈にも納得できない。
「それ」は誰の心の中にもあって、誰もが「それ」を押さえ込んでいて、押さえ込まれた「それ」は表に飛び出したくてうめいている。そういう「それ」は1つしか考えられない。利己心である。
「利己心」は自我に目ざめた盛岡中学校4年生あたりから、作歌時の今に至るまで啄木をほとほと困らせている。24ページ右、26ページ左にそれをうたう歌をすでに見た。「明治四十三年歌稿ノート」によると10月13日ころにもまた「何よりもおのれを愛し生くといふさびしきことにあきはてにけり」とうたっている。
利己心は自己保存という動物の本能に起源を持つので、人間という動物にあっても他のどんな心よりも本源的である。食欲も性欲も命欲しさも死の恐怖も金銭欲も名誉欲も自己保存の本能に発しないものはない。利己心はこの本能の人間的表現である。だから誰の心にもある。しかし人間社会では利己心は自制を求められる。誰もが自分の利己心を押さえ込んでいる。押さえ込まれた本能は表に飛び出したくてうめく。
<訳>およそ人間であるかぎり誰もが持っているエゴは、野放図に表面化しないよう社会と自分自身によって心の奥に押し込まれている。表に飛び出したいと、囚人のようにうめくエゴのどうしようもない切なさ。
岩城之徳氏はこの歌の最初の形にある「良平」に着目し、これは徳富蘆花の小説「寄生木」の主人公篠原良平であろうか、と言われた。一考に値する着眼である。そこで岩波文庫版の古本『寄生木』全3冊を注文した。これを読み終わると掲出歌の解釈はいっそう正確になるかも知れない。
68、69ページの見開き最初の2首は、居どころの無さをうたい、3首目は例の起承転結の「転」に相当する歌で日常の居どころからの脱出願望、4首目は利己の心の居どころの無さをうたう。
Facebook相田 公弘さん投稿記事
史上最年少の受賞となったパキスタン人のマララ・ユスフザイさん(17)のスピーチが心に響きましたので、一部をご紹介させて頂きます。
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親愛なる兄弟姉妹のみなさん。
いわゆる大人の世界であれば理解されているのかもしれませんが、私たち子供にはわかりません。
なぜ「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。
なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。
なぜ戦車をつくることはとても簡単で、学校を建てることはとても難しいのでしょうか。
現代に暮らす中で、私たちはみな、不可能なことはないと信じています。
45年前に人類は月に到達し、おそらく火星にもまもなく降り立つでしょう。
それならば、この21世紀には、全ての子供たちに質の高い教育を与えられなければなりません。親愛なる姉妹兄弟のみなさん、私たちは動くべきです。待っていてはいけない。
動くべきなんです。政治家や世界の指導者だけでなく、私たち全ての人が、貢献しなくてはなりません。私も、あなたたちも、私たちも。それが私たちの務めなのです。
みなさん、これで終わりにしようと決めた最初の世代になりましょう。
誰もいない教室も、失われた子供時代も、無駄にされた可能性も。
男の子や女の子が子供時代を工場で過ごすのも、もうこれで終わりにしましょう。
女の子が幼いうちに強制的に結婚させられることも、戦争で子供の命が失われることも、子供が学校に通えないことも、これで終わりにしましょう。私たちで終わらせましょう。
この「終わり」を始めましょう。今、ここから、ともに「終わり」を始めましょう。
ありがとうございました。
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マララさんは、2年前に銃撃されました。
女子にも教育を受ける権利があると声高に訴えていたのに対し、学校から女子を排除しようとするタリバーンのメンバーが、スクールバスを襲ってマララさんを銃撃。
マララさんは意識不明の重体となり、昏睡状態のままパキスタンから英国に搬送されて治療を受け、回復。
その後も命を狙われながら、女子が教育を受ける権利を訴え続けたのです。
マララさんは言います。「私の体を撃つことはできても、夢を撃つことはできない」
17歳の言葉とは思えない、なんと重みのある言葉でしょう!
平和が当たり前の国の、平和が当たり前の時代に育った僕らは、とてつもなく恵まれている。
70年前は、空から爆弾が降ってきて、150年前は、刀で斬り合って、
所変われば今も銃弾や戦車によって命を亡くす地域もある。
平和に過ごせる日々に感謝しつつ、平和な僕らにできる事は何だろう?
きっと、このことから目をそむけずに、平和を繋ぎ広げていく意志を持っていくことでしょう。
暴力や銃弾や爆撃で言うことを聞かせる時代は終わり!
お互いが尊敬し合い、良いところを尊重していき、助け合う関係が築けたら、暴力や戦争はいりませんね♪
今日の話が、皆様のお役に立てれば幸いですm(_ _)m
※魂が震える話より
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