人間は肉体(物質)ではないのです

Facebook篠崎 朗さん投稿記事【実は人間は肉体(物質)ではないのです⁉️】

(一)

人間というのはここに肉体があるけれども実はここにあるのではなく光が流れて来ているのです 純粋な無念無想の状態で光そのものになっているのです

肉体というのは 本当はあるのではない ただ見えているだけなのです 

みなさんはここに座っているけれど 実は ここに座っているわけではないんですよ

光の波が幾すじも幾すじも流れて来て ここに止まっているのです

光の波と業の波が混ざったものがここに来ているのです

そこへ太陽よりももっとすごい光明が言葉とともに拍手とともに流れてゆくと

業の波がきれいに洗われてゆくのです みなさんは肉体と思ってはいけません 人間は肉体である という観念から一日も早く脱却することです 人間は肉体ではないんです

霊なのです 光なのです 光線なのです

太陽が光り輝いているけれど 光線としては見えません 見えないけれど光線はある

それと同じように人間はみんな光の波で天から来ているのです

それなのに肉体というものに把われて肉体ばかりを見ているから太陽の光を否定し神さまから来ている自分の力を否定している否定しただけ汚れてしまうのです 

だから人間は勝手に苦しんでいる といわれてしまうのです

私は今までかつて生れてからこの方 悪いことをしたことがないという人がある

ちっとも悪いことをしていないのに私が不幸なのはどうしたわけか

神や仏があるのなら こんなに私を不幸にするわけがない

自分は悪いことをしたことがない といいます

悪いことをしたことがない というけれどいったい誰がそう決められるのでしょう

悪いことの一番の根本は何だろうそれは自分は神から来たものである神と自分とは一体である

ということを否定すること そして神と人間は別なのだ と思うことです

神から分かれた光線なのだ 分霊なのだとはっきり自覚しない以上は それだけ悪なのです

自分の真実の姿を否定して神も仏もあるものかという時その心は闇の想いです

そうした想いを持ちながら神さまに助けてもらおうとするのは お金を下さったり 一日の糧を下さったりしている人の悪口をいうのと同じです

人間は天の恵み 地の恵みで生きています 神さまは天にもいるし 地にもいます

天地縦横 宇宙一杯に光り輝いているのが神さまです

そこから人間は生きるすべての原料をもらっているのです

神さまなくして 人間は生きられません

【ここがポイント(二)】(これがわかれば悩みなく人生を悠々と生きていけます)

(二)

肉体人間というものより 霊的人間のほうが非常に感受性が強い

運命の危険な線も避けることが出来るようになる 守護霊や守護神の注意が速やかにわかるのです 自然に危機というものを避ける力が強くなる

たとえば放射能というものがある 放射能の波はやはり物質の波ですから 放射能を受けてもあまり感じなくなるということになるでしょう住んでいる次元が違ってくるわけです

肉体にいながらも自分の住んでいる世界は霊界になってしまうそういう人がたくさん出れば不幸がそれだけなくなるのです

人間は物質だ肉体だと思っているその意識はなかなか消えません

相当長い期間 つめこんで聞かされないと人間は肉体だと思っています

人間は物質だと思っています 頭が痛い ああ病気と思います

ところが私どもの世界では 頭が痛くても 腹が痛くても 別に病気だと思うことはありません 波がかかって来て 消える姿だと思っているんです

みんな波だと思っているんですよ 全部現われがすべて波だと思っている

科学でも今は波動説でしょう 私はすべて波動だと思っている 波にも汚れた波と 光の波とがある 光の波の中に自分が入っていれば 汚れた波に感染しないから 自分は病気にもならない たとえ病気になったとしてもすぐ消えてしまう すぐ治ってしまう

私は朝から晩まで拍手を叩いて浄めています 三百人やろうと五百人やろうと同じです

そんなに疲れはしません なぜ疲れないかというと 疲れるというのは物質の波動なんです

その波を超えていますからいくら物質の波が ぶつかって来てもスッと光の波の中に入る

降りちゃ上り 降りちゃ上りしている

ということは 物質の波 肉体の波の中にいながら いつでも光の波の中にいるのです

だから皆さんも人間というものは光なんだ 太陽と同じような光なんだということを

いつも頭の中に思わなければいけません

太陽のような光それは神さまなんだ と 光が小さいか大きいかは別として

自分は光の体なんだといつも思っていることです

だからお腹が痛もうと頭が痛もうと どこが痛もうと病んだということは 病気ということは

過去の因縁が消えてゆく姿なんです 自分の本体はいつも光なんです

ある人が 「まだ自分の心が足りないからこうこうなる」 とおっしゃるから

それは違う 自分が悪いからこうなった ああなったじゃないんだと説明しました

普通の宗教ではあなたが悪いからこうなった お母さんが悪いから子供がこうなった

良人が悪いから妻がこうなったということになるんだけれども それは嘘なんです

悪いものはみな消えてゆく姿 今のその人が悪いわけじゃないんです

今現われている不幸というものは 今現われている悪い想念 嫌な感情というのは 今つくったんじゃないのです

ここを間違えてはいけません たとえば今ご飯を食べているとすれば そのお米は去年作ったお米ですね 今作って 今食べるわけじゃない 人間の口に入る時には 自分の目の前に現われる時には 過去に作ったものが現われる

それと同じように人間の想いというものは 今現われている想いというものは今現われている環境というものはそれは今作ったもんじゃなくて過去世の因縁が過去世の想いの波が今ここに現われてその人の環境になっているんです

だから今現われている環境をとやかくいったって始まらないでしょう

食べちゃったものをお前こんなもの食べちゃって!といったってあとは出るだけの話です

食べたものは出るやったことは必ず自分に帰ってくる これは原則です

だから今の不幸とか今の喜びとか今の悲しみとか 今の想いというものは 今あるように見えるけれども それは消えてゆく姿としてこの世に現われただけであって 今作ったのではないのです いいですか それをよく頭にしみこませてください

今作ったんであればその人を責めることが出来ます ところが今作ったんじゃなくて

過去において行った想い お互いの想いが ぶつかって喧嘩になり争いになるのです

だから 争った場合 あるいはいじめられた場合 こちらが全然悪くなくて いじめられたり 悪口をいわれたりするならばそれは相手が悪口をいったように見えるけれども悪口をいわれているほうが過去世において相手をいじめた その波が向こうからうつって今 自分に帰って来ているところなのです それでいじめられているのです だから 今のその人が悪いわけじゃなく 今いじめられている自分が悪いわけじゃなく 神さまを離れたお互いの想いが

そこでぶつかって消えてゆく姿なんですよ

わかりますねそういうのが本当の宗教というんです 人間は神の子なんです みんな神さまなんです この世は神さまの世なのです 神代から初まっているのだから その神代のことを説くのが日本神道です

人間は神だ 神の子なんだ と日本では初めからそういっているわけなんです

それが今改めてハッキリ説かれているんです

私の話していることは 神道らしく話さないけれど神道なんです 法華経なんです 

法華経を超えて神道なんです それをやさしく説いているんです

人間は神の子なんだ 光明燦然としているものなんだ 悪はないんだ と説いたらば

もうお前の心が悪い そんな心の影だよ などという心の法則は一切いらないんです

それがあったら人間は神の子でなくなっちゃう

お前は神の子なんだ 仏の子なんだ 光明燦然としているんだ どの宗教でも教えていながら

お前が悪い とこういうのです それは悪をいつまでも抱えていることになる

お前が悪いというのは一切いらないんです お前が悪く見えるのも すべて みんな過去世の因縁が現われて消えてゆく姿で 今のその人は悪くないんだ こういう見方をしませんと

本当に人間の世界は幸福になりません  『大決意』 五井昌久著 白光出版


https://www.chichi.co.jp/web/20230518_sen_saionji/ 【五井昌久氏とのご縁、病の中で得た霊的な目覚め——千玄室×西園寺昌美】より

2023年4月で満100歳になられる茶道裏千家前家元の千玄室さんと、五井平和財団会長として世界各国で講演活動を続ける西園寺昌美さん。両氏には歩んだ道こそ違え、大きな共通点があります。それは世界の平和を願い、その志のために人生を捧げてきたことです。それぞれの歩みを振り返りながら、いまだ紛争が絶えない現代、私たち一人ひとりは平和のために何ができるのかを語り合っていただきました。

目には見えない力に導かれて

〈千〉 

きょうは久々に西園寺さんにお会いしましたが、あなたはお会いする度に何か不思議な使命を持っておられることを感じさせる方ですね。最初にお会いした時、まず思ったのもそのことでした。五井昌久先生が認められて「自分の後を頼む」と思いを託されたのが分かる気がします。五井先生の魂と西園寺さんの魂が一つになって世界の平和のために働いていることが私には分かるのです。

〈西園寺〉 

分かってくださる方がいらして、とても嬉しく思います。私は五井先生から真実のみを教えられました。人間は皆、神様の分霊(わけみたま)であって平等で神聖な存在だ。社会的地位や財産など関係がなく皆それぞれに使命があり、生命の尊厳がある。その教えが私の魂にストンと入ってきて、私の人生を貫く信念となりました。

〈千〉 

五井先生とはどういうご縁だったのですか。

〈西園寺〉 

琉球王国というのは1879年になくなったのですが、父の代までは王朝というものを背負って生きていました。父は若い頃に沖縄から東京に移り住んで銀行勤めなどをしていました。戦時中、戦地に行った父に代わって母が家の中を切り盛りしていたのですが、僅かな食料しかない中で、お手伝いさんと子供3人の6人で生活していたので、それは大変でした。

母は自分がほとんど食事をせずに食事を皆に分け与えておりました。ふと気がつくと、やんちゃだと思っていた兄が、自分の食べる分を紙に包んでお手伝いさんにあげ、妹は母に分けているのです。そういう生活を通して人間は皆平等ということを強く感じるようになりました。

私は陽気な、何の屈託もない女の子として育ちましたけれども、18歳の時、父に連れられて沖縄に行く機会がありました。ひめゆり部隊の墓前でお参りをしようとしたら、突然失神して倒れてしまったのです。

沖縄の病院では原因が分からず、東京の慈恵医大病院で診みてもらったところ、脳腫瘍であと1か月くらいの寿命しかないと。私はその会話をドア越しに聞いていて、「そうか、脳腫瘍で死ぬのか。それなら思いっきり自分のことをしよう」と思いました。

〈千〉 

大変な時期でしたね。

〈西園寺〉 

その頃、五井先生と既にご縁をいただいておりまして、私をご覧になった先生は「これは琉球王国からの因縁で肉体の病気ではない。逃げ出さずに一歩を踏み出しなさい」と話されました。

この時、私はどっちみち死ぬのなら五井先生に命を預けようと決意したのです。父は土下座して手術を受けるよう説得してきましたが、私は頑としてそれを拒みました。自分の中にある力を信じたのです。

病のような状態は3年間続きました。3か月間は飲まず食わずの状態が続き、目は見えなくなり、口もきけなくなりました。肉体の感覚が薄れていく半面、自分の中の霊性が目覚めてきます。

少し神秘的な体験をお話しさせていただくと、20歳になったある時、病室の窓から眺めていた太陽が突然近づいてきて私の中に飛び込んできたのです。と同時に私の守護霊様、守護神様が姿を現し、こうおっしゃいました。「おまえの命は20歳で終わった。おまえに改めて使命を授ける。誰にも守護霊様、守護神様がついていて、守っていることを人々に伝えなさい」と。そこから少しずつでしたけれども病は快方に向かい、物が食べられるようになったのです。

〈千〉 

奇跡的な出来事を体験されたのですね。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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