Facebook長岡 美妃さん投稿記事
言語によって脳は作られる。
昨晩令和哲学カフェでカタカムナの話を聞いた時、日本語の響きが数学者岡潔が言う情緒を司る後頭葉を活性化するのだなと思った。
響きの中にある振動波動が脳神経細胞に影響を与える。きっと、物質のさらに深淵なるエネルギー領域まで波及していく響きを持つのが日本語(あいうえお)なのだろう。しかし響きと言ってもそれは、耳に聞こえる音ではない。常に常に目を開けた瞬間に飛び込んでくる存在に対し、脳の中で放つ言語のことである。
日本語の響き、英語の響き、フランス語の響き、中国語の響き、、、それぞれが持つ響きは届く深さが違うという…。
人間は言語の海の中にいる存在である。もし宇宙の外に出たいという野望があるのなら、言語を超越することだ。言語を超越した瞬間、時空間の外に放り出される。すなわち存在の外に放り出される。
悟りを坐禅瞑想中の特別な心の経験ではなく、今ここで悟りの実践をするのなら「言語を超えよ!」なのだ。
争い戦争ばかりを起こす人類に必要なのは、言語革命である。言語が争いを生み戦争を生む。
世界共通で使う無概念出発の言語「デジタル言語」は完成している。後は広がるだけだ。
※ちなみに、宇宙の消滅はデジタルである。
Facebook近藤裕子さん投稿記事☘️人生を明るく☘️
「喜色動乾坤」 きしょくけんこんをうごかす
喜色 → 喜びに満ちた笑顔
動 → 動かす
乾坤 → 天地
「喜びに満ち溢れた人は、天地を動かすほどの力を持っている」という意味です。
笑顔は人を幸せな気持ちにさせます。
人はお互いに支え合いながら生きています。
楽しそうな顔をしている人のところには、自然と人が集まり、「希望」が生まれます。
希望は明日を生きる力になります。不安な気持ちは笑顔を失わせ、希望を遠ざけます。
春です。外に出かけましょう。花が咲く。鳥がさえずる。
♡♡♡♡♡
笑顔から明日は生まれます。
Facebok相田 公弘さん投稿記事【「うたしやき」な話】
小林正観さんの心に響く言葉より…
十年間、うつ病で苦しんでいた人がやってきました。少し話をしました。
うつ病で苦しんできたのはわかりますが、その人の口から出てくる言葉が、どれも暗い話です。愚痴、泣き言、つらい話ばかりです。
職場へ行くと、ある人間とうまくいかない、怒鳴ったり怒ったりする人がいる、イライラさせる人がいる。だから「もうやっていけない」と愚痴ばかりです。
「会社をもう、やめていいですか」と私に問いかけてきます。
「やめていいですか」という相談を受けると、私はいつも「やめれば…」と言います。
この人は半年ぐらいたつとまた別のところへ就職し、また私の顔を見て、「うまくいかなくて、もういやでいやでしょうがない。やめていいですか」と聞くのです。
私は「やめれば…」です。
結局彼は、自分の感性が非常に脆(もろ)く、弱いのです。
だから人間関係に耐えられない。
いやなことばかりが、神経に引っかかってくるから、あらゆることが、つらい、つらいとなります。
そこで私はこんな提案をしました。
今日から、口をついて出てくる言葉全部を「うたしやき」というものにしたらどうでしょうかと。
うれしい話・たのしい話・しあわせな話・やくに立つ話・きょうみぶかい話…それが「うたしやき」。
私は二十歳の頃から、「うたしやき」の話しかしないと決めてきました。
政治が悪いとか、経済が悪いとか、教育が悪いとか、環境問題がひどい…などと言って、頭のいい人はみんな世の中の不備をあげつらいます。
嬉しくて楽しい話の収集家である私は、自分にも他人にとっても楽しいので、旅先でお話をするにあたって、「うたしやき」の話だけをしてきました。
すると周りに人がだんだん集まってきて、もっと聞かせてもっと聞かせてということになりました。
そのほうが自分の人生が楽しいですよ、だからあなたも「うたしやき」だけを喋るようにしてみたらどうですか、とその人に言いました。
うつ病の人は、自らこう言いました。
「そういえばそうですね、私の発する言葉は、その八割が薬と病気とトラウマの話だった。口を開けばそういう話ばっかりだった。楽しい話なんかまったくしたことがなかった。これからは、うたしやきを心がけます」と。
その話をしてから一週間、その人は、一回も否定的な会話をしなかった。
話題を全部「うたしやき」にした。
その結果、食欲が出た、一人前食べられるようになった、買い物をするにもひとつ買うのに一時間かかっていたのに、一、二分で買えるようになったと言いました。
その人は自分ですこしわかった様子です。
暗い言葉ばかりだったと気がついた様子です。
もし家族関係、夫との関係、妻との関係、子どもとの関係、舅、姑の関係がよくないとか、職場で人間関係がうまくいかないという場合、今これから、この瞬間から「うたしやき」に切り替えると、その関係がガラッと変わります。
愚痴や泣き言ばかり言って言った人が、「午前中ちょっと散歩してきたんですけど、桜がすごくきれいでした」というような話になってくると、へえ、そんな話ができるようになったのだとその人の周りに明るい雰囲気が生まれます。
服の色も明るい色になります。
「うたしやき」の話題だけで、人生が変わります。
人生を楽に楽しく生きましょう。
『淡々と生きる』風雲舎
「うたしやき」の反対の言葉は、「悲しい・切ない」「苦しい・辛い」「不幸」「無駄・有害である」「つまらない」。
この手の話を好きな人がいるとするなら、よっぽどひねくれた人。
聞けば聞くほど暗くなってしまう。
人間であるなら、ほとんどの人は、「うたしやき」な話が大好き。
なぜなら、「うたしやき」の話を聞くと、明るくなって、元気が出て、みんな笑顔になるから。
毎日、「うたしやき」な話をしようと思うと、自然と潜在意識が「うたしやき」なことを探し始める。
「うたしやき」なことに焦点を当てると、人生もまた明るくなる。
まさに、アメリカで開発された「グッド・アンド・ニュー」と同じ手法だ。
「グッド・アンド・ニュー(Good & New)」とは、米国の教育学者ピーター・クライン氏が提唱した、組織活性化の手法。
直近24時間以内の「良かったこと」もしくは「新しいこと」を朝礼や会議の前に発表する。
校内暴力が多発し、無法地帯となったアメリカの学校でこの「Good & New」を使うことにより、短期間で安全な環境に変えたことで有名になった。
どんなときも、「うたしやき」な話をする人でありたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより❗
https://www.asj.or.jp/jp/activities/geppou/item/115-9_585.pdf 【俳句に見る宇宙】より
谷 口 義 明
俳句は十七音からなる,世界一短い文学形式として知られている.日常的に俳句を詠む人は少ないかもしれないが,日本人なら俳句を知らない人はいないだろう.その俳句には季語を入れることが慣しとなっている.私たちは夜空の星や星座を見て季節感を感じることが多い.さぞかし,天体は俳句に活かされているだろう.そう思って調べてみると,意外なことに気づく.天体として季語に登録されているのは「天の川」,「星月夜」,「流れ星」,そして「月」の四つの言葉だけなのだ.
そこで,本稿では,今まで詠まれてきた俳句でそれらがどのように活かされてきたか,概観してみることにしよう.
1. 楕円銀河ふたをあければ花一輪
天文月報に私が俳句関連の記事を書くのは,これで二回目である.最初は1987年の9月号に掲
載された記事であり[1],この章のタイトルになっている.楕円銀河ふたをあければ花一輪 谷口義明この楕円銀河の名前はNGC 3928(図1).なぜ,花一輪なのだろうか? その理由は,図1の説明をご覧いただきたい.ここで紹介した私の句は「自由律の不定形」という位置付けになる.まず自由律だが,私の句は五七五ではなく,六七六という変則的な文字列に
なっている.ただ,最後の言葉は「花一輪(ハナイチリン)」.撥音である「ン」が入っているので,雰囲気としては六七五に近い.それでも,厳密な定義に従えば俳句ではない.なぜなら,俳句の基本は十七音,五七五だからである.ただ,俳句には,字余りや字足らずの自由律もある.あまり気にしなくてもよいのかもしれない.現代を代表する俳人であった金子兜太(1919‒2018)によれば「三三三(九文字)から九九九(二十七文字)まで俳句として認める」とのことである[5].金子の基準を採用すれば,自由律ということで,特に問題はない.
ところで,俳句にはもう一つルールがある.それは季語を入れることである.紹介した私の句では,「花一輪」の「花」が季語になる(春[晩春]の季語).「銀河」という言葉があるので,こちらを季語だと思われた方もいるだろう.確かに銀河は秋(こちらは初秋)の季語である.しかし,その場合,銀河は「天の川」を意味していなければならない.楕円銀河は季語にならないことに注意されたい.
ところで,天の川は日本の天文学では銀河系と呼ばれる.では,銀河系は季語になるのだろう
か? 定義上は季語になる.しかし,実はケースバイケースである.例えば,次の句を見てみよう.銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋 閒かんせき石 橋閒石(1903‒1992)は石川県出身の俳人である.この句は,いきなり銀河系で始まる.読んだ瞬間,私はこれが季語だと思ってしまった.しかし,この句の季語はヒヤシンス(春[晩春]の季語)である.つまり,この句では銀河系は夜空に天球儀 見える天の川ではなく,「場所」としての銀河系なのである.私は宮城県の仙台市に住んでいる.例えば,「仙台のとある酒場のヒヤシンス」と詠
んでみる.この句の仙台に相当するのが,橋閒石の句における銀河系なのだ.俳句の世界はなかなか奥が深い.
2. 季語として活躍あるか天文に
では,本題に入ろう.天文に関わる言葉はどの程度,俳句に用いられているのか? この問題について考えてみたい.
晴れた夜,星空を眺めていると,私たちは季節感を感じる.夏なら天の川.南斗六星の「いて
座」.そして「さそり座」も見える.蠍の心臓は真っ赤なアンタレス.宮沢賢治が蠍の眼と呼んだ星だ.冬なら「オリオン座」.「おおいぬ座」のシリウスは冬の夜空に一際映える星だ.そして,春には春の,秋には秋の定番とも言える星や星座が思い浮かぶ.この感想が的を射たものならば,天文はおおいに俳句に活かされているとしても不思議ではない.ところが,である.答えは意外にも「ノー」である.星や星座は季語にならないのだ.実のところ,天文関係の季語を調べるために,歳時記を何冊か買い求め,調べてみた.すると,図1 (左)NGC 3928の全貌.白いコントア(等輝度線)が楕円銀河としての光佄.(右)NGC 3928の中心部で発見されたミニ渦巻構造.NGC 3928は楕円銀河と分類されてきた(ほぼ円形に見えるのでE0型).ところが,紫外光の超過があり,中心領域で星生成が活発に起きていることがわかった(スターバースト銀河).そして,中心領域にミニ渦巻が見つかった(直径わずか7000光年).これが花一輪である.結論として,楕円銀河にガスを含む矮小銀河が合体し,楕円銀河の中心領域で渦巻状の星生成領域を作ったと解釈した[2].ところで,もしNGC 3928が円盤銀河であれば,異様に大きなバルジを持つことになる.実は,そういう銀河がある.M104, ソンブレロ銀河である.エドウイン・ハッブルの時代(1920年代)からバルジが極端に大きなSa型銀河として知られてきた.そこで,論文では,「NGC 3928が合体銀河なら,M104もその可能性がある」と指摘した.そして,2012年,スピッツアー宇宙望遠鏡の観測で,M104は合体銀河であることが判明した[3].私と渡辺正明は四半世紀も前にそのことを予言していたことになる.当時,二人はそれぞれ東北大学と東京大学の大学院生だった.
(左)東京大学木曽観測所(撮影: 渡辺正明),(右)ハッブル宇宙望遠鏡[4]
成果はたった四つ. 天の川,星月夜,流れ星,月 たったこれだけなのだ.
星月夜は月夜ではない.夜空が澄んでいるので,星々の明かりだけで月夜のように見える状況
を意味する.星月夜は天体の名前ではない.そのため,星月夜を天文関係の季語とするか,やや悩んだ.しかし,天の川も銀河系という天体名として,俳句に詠まれているわけではない.夜空に見えるパターンとして用いられているのである.星月夜は天の川だけでなく,夜空に見える星全体の輝きだが,やはり天の川の輝きの影響が大きいだろう.その意味では,天の川と似た意味で用いられることになるので,本稿では天文関係の季語として採用した.さて,四つの季語が示す季節はいつだろうか? これまた驚く.みんな秋の季語なのだ.春は春霞,夏は水蒸気が多く,やはり空は霞みがちだ.星はやや滲んで見える.また冬は寒いので,夜空を眺めるには向いていない.結局,夜空が美しく見えるのは秋だけなのだ.
ところで,地球上に射す光で影ができる天体は三つだけだと思っていた.太陽,月,そして金星である.実は,もうひとつあるのだ.それは天の川である.このことは国立天文台の渡部潤一氏から伺った.実際,オーストラリアで実験して確かめたとのことである[6].空が澄んでいれば,天の川は星月夜を実現してくれるのだ.
3. アレンジを楽しんでこそ俳句なり
さて,“真の”天文関係の季語は,たった四つの言葉だけであった.しかし,実は,いろいろなアレンジがある.例えば,『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』[7]をみると,天文季語のさまざまなアレンジが紹介されていて参考になる.
天の川は「銀河」だけではなく,「銀漢」もある.流星も「流れ星」と「夜這星」のみならず,「星流る」や「星飛ぶ」のように形容される.月に至っては「無月」(陰暦8月15日の月が雲に隠れて見えないこと)すらある.また,季節を変えたければ,月を詠み込むとき,春の月,夏の月などとすればよい.冬の月なら,以下の使い方もある.寒月,寒三日月,月氷る,月凍つる,月沙ゆる.ここでの「寒」は冬を指すので,星座にも使える.「オリオン座」を詠
み込みたいときは寒オリオンにすればよい.天の川の場合は「冬銀河」にすればよい.いやはやという感じもするが,これが俳句におけるルールである.
“真の”天文関係の季語はわずかだが,状況に応じてアレンジを楽しむことができる.そうすれば,俳句の世界は思いもよらぬ拡がりを見せてくれそうだ.
4. 寅彦に学べや季語の分類法
歳時記を紐解いて,天文関係の季語がたった四つしかないことに気がついたわけだが,歳時記には別な意味で驚くべき発見があった.それは季語の分類のカテゴリーとして天文という項目があることだ.しかし,これがまた悩みの種を提供することになる.
この問題については,寺田寅彦の随筆「天文と俳句」で議論されているので紹介しよう[8].
俳句季題の分類は普通に時候,天文,地理,人事,動物,植物といふ風になつて居る.(178頁)季語の分類は歳時記ごとに微妙に異なっている.そこで,私の手元にある歳時記が採用している季語の分類を表1にまとめたので参照されたい.
表1を見てわかるように,カテゴリーの数としては六種類から八種類である.それほど多くはないが,そこに,天文が入り込んでいるのだ.天文には,真の天文季語はたった四個しかない.それにもかかわらず,この堂々ぶりには驚かざるを得ない.なぜ,こんなことになっているのだろう.
5. 気に入らぬ寅彦季語に物申す
実は,寺田は六種類の季語分類を紹介したあとで,この分類法について厳しい意見を述べてい
る[8](漢字は旧字体を新字体またはひらがなにした).
俳句季題の分類は普通に時候,天文,地理,人事,動物,植物といふ風になつている.此
等のうちで後の三つは別として,初めの三つの項目中に於ける各季題の分け方は現代の科
学知識から見ると,決して合理的であるとは思はれない.(178頁)つまり,人事,動物,植物については問題ないが,時候,天文,地理については一考の余地があると指摘しているのである.天文に関する論点は以下のようにまとめられている.
俳句季題の中で今日の意味での天文に関するものは月とか星月夜とか銀河とかいふ種類の
のが極めて少数にあるだけで,他の大部分は殆ど皆今日の所謂気象学的現象に関するものばかりである.(178頁)この寺田の指摘はまったく正しい.例えば,歳時記の天文の季語に含まれている春雨や菜種梅雨は明らかに気象用語である.これらの言葉を聞いて,天文用語だと思う人はいないだろう.ところが,このような気象に関する春に見られる現象は天文に分類されているのである.つまり,天文と気象は季語という意味では,区別されずに天文の項目にまとめられていることになるのだ.さらに,寺田はこの状況を以下のように説明している.
今日の天文学(アストロノミー)は天体,即,星の学問であつて気象学(メテオロジー)とは全然其分野を異にして居るにも拘らず,相当な教養ある人でさへ天文台と気象台との区別の分らないことがしばしばある.此れは俳諧に於てのみならず昔から支那日本で所謂天文と称したものが,昔のギリシャで「メテオロス」と云つたものと同樣「天と地との間に於けるあらゆる現象」といふ意味に相応していたから,その因習がどうしてもぬけ切らないせゐであらう.(178頁)
俳句の季語の世界では天文が「天と地との間に於けるあらゆる現象」であると定義されているのであれば,天文と気象がまとめて天文に包含されているのは止むを得ない.天文を「てんもん」と読んではいけないのである.「てんのあや」と読むべきなのだ.
6. 天文と気象を混ぜることなかれ
では,天文と気象の混在の様子は,現在ではどのようになっているのだろう.ここでは,『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』[7]に準拠して,天文カテゴリーの季語を調べてみることにしよう(この歳時記では,代表的な言葉を選び,類似語はそのくくりの中に入れられていることに注意してほしい.例えば,春の月と春月は1個と数えられている.結果をまとめると,表2のようになる).
表2で一番重要な数字は最後のコラムにある“真の天文率”である.これは天文カテゴリーに
含まれる季語(天文季語)の総数に対する,真の表1 さまざまな歳時記における季語の項目分
天文季語の割合である.季節によるばらつきはあるが,秋を除けばおおむね5%から10%に収まっている.秋は44%にもなるが,これは月のさまざまな名称が独立した季語として登録されているためである.
全シーズンで見れば真の天文率は約20%に近い数字になる.しかし,これは秋の統計(多種類の月の名前が貢献している)が大きく影響しているためである.つまり,平均的に見れば真の天文率は10%に満たない.なんと,天文カテゴリーに属する季語の9割以上は気象用語なのである.先に紹介した寺田寅彦の箴言に首肯せざるを得ない.ただ,文句を言うのは簡単だが,改善することはかなり難しいように思う.そもそも,季語は季題という名前のもと,江戸時代から整備されてきたものだ.当時は空を見上げれば「天文」の世界だったのである.そこには空気も風も含まれる.結局,天文と気象は区別されず,見上げた世界はすべて十把一絡げとして扱われていたのである.
7. 天体はぐるぐる周り季語ならず
ここで,天文季語についてまとめておこう.
(1)天の川,星月夜,流れ星,そして月の四つだけが季語に採用されている.
(2)いずれも,秋の澄んだ夜空に美しく見えるので,秋の季語とされる.
(3)他の季節で用いたい場合は,その季節を象徴する言葉と併せて用いる.
では,なぜ“真の”天文の季語は少ない状況になっているのだろうか? それは,星や星座が季
語としては原理的に使いにくいことにある.確かに私たちは夜空を眺めて季節感を感じるこ
とは多い.しかし,それは「時間帯を限れば」という条件が付いてのことである.普通,人が星空を眺めるのは夜の早い時間帯である.会社や学校の帰り道,あるいは,夕食後,庭やベランダに出て星空を眺める.実際,星座のガイドブックなどには,この時間帯に見える星座として(「春の星座」などとして)季節の星座が紹介されている.
国立天文台が提供している「星空情報」もその時期の午後8時頃の星空が紹介されている.[12]では,その時間帯に眺めた星空は,夜半過ぎ,あるいは明け方近くになっても眺めることはできるだろうか? それは無理である.地球の自転に伴い,見える星空は刻々と変わっていくからだ.夏の明け方近く,東の空から昇る「オリオン座」を見ることもできるのだ.これでは「オリオン座」を冬の季語にすることはできない.
『新歳時記 冬』[13]には次の記述がある.「初冬より,すばる,牡牛,馭者,双子,オリオンなどの目立つ星座が上るようになり,オリオンを中心にして,寒い光をきらめかせる.」俳人も星座に季節感を抱いてはいるようだ.しかし,『新歳時記 冬』の「冬の星」に登録されている季語は「寒かんせい星」,「荒あらぼし星」,「凍いてぼし星」,そして「星冴ゆる」の言葉だけであり,オリオン,天狼などは含まれていない.星空に抱いていた季節感は地球の公転運動によってもたらされる.しかし,地球は自転もしている.この自転が星や星座の季節感を亡き者にしているのである.
太陽系の惑星(水星,金星,火星,木星,および土星の五惑星)は普通の星に比べると,明るくて夜空に目立つが季語にはならない.理由は星や星座に対するものと同じだが,もうひとつ理由が表2 『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』[7]に準拠した,天文カテゴリーの季語の統計.
惑星は固有の複雑な動きをするため,ひとつの季節に対応づけることが難しいことである.
水星と金星は内惑星なので,宵の空と明け方の空に見える.金星は宵の明星,明けの明星として親しまれているが,地球との会合周期は1年7 ヵ月なので,季節感はない.また,火星の会合周期も2年2 ヵ月なので,赤く明るい星として目につくものの,やはり季節感はない.
結局,惑星を俳句に詠み込む場合,星や星座と同様に,他の季語を併用して季節を指定することになる.山口誓子の俳句の中に惑星を詠んだものがあるので見ておこう[14].
火星なほ燃えて春天明けゐたり(22頁) 冬の川金星うつす優しさよ(29頁)
天文俳句といえば,山口誓子(1901‒1994)の名前が挙げられる.京都府出身の俳人であり,高浜虚子に師事した人だ.野尻抱影と山口誓子『定本星戀』[14]は天文ファンにはお薦めの一冊である.
8. 天文の俳句割合いかほどか
さて,天文の季語として使われている用語は四つ(月,星,流れ星,そして天の川)しかないのだが,これらの真の天文季語はいろいろなバリエーションを含めて,どの程度,実際の俳句で使われているのだろうか? 天文学者のみならず,関心があるだろう.そこで,ここでは,三つの本に基づいて調べてみることにする.
(1)『365日で味わう美しい日本の季語』[15]
この本の趣向は面白い.金子兜太が4月1日から3月31日までの1年365日について,一日一句
で俳句を鑑賞していくのである.ただし,365日ではない.2月29日が入っているので,一年366日になっている.したがって,紹介されている俳句の総数は366句になる.そのため,季語の数も366語である.366句のうち,真の天文関係の季語が使われている俳句は10句である.
(2)『別冊NHK俳句 保存版』[16]
この本は,『NHK俳句』の「巻頭名句」の傑作グラビア(2017年4月号以降)をまとめた俳句
鑑賞アルバムである.紹介されている俳句の数は「名句編」97句,「鑑賞編」396句(名句編の97句を含む)である.このうち,真の天文関係の季語が使われている俳句は9句である.
(3)『定本 現代俳句』[17]
最後は山本健吉の『定本 現代俳句』である.正岡子規以降の48名の俳人を選び,彼らの俳句
を紹介していく趣向になっている.紹介されている俳句は808句にもおよぶ.そのため,現代俳句の全体像を見ることができる.真の天文関係の季語が使われている俳句は41句である.
この本では真の天文季語が用いられている俳句が41句もあるので,真の天文季語の統計を調べておこう(表3).やはり,月が圧倒的に多いことに気がつく.
(4)まとめ
さて,三冊の本に基づいて,真の天文俳句率を評価してみたので,結果をまとめておこう(表4).結果は,それぞれ3%,2%,そして5%であった.全体では4%程度になる.さまざまなバイアスは入っているものの,真の天文俳句は20句のうち1句に満たない頻度で詠まれていると考えてよいだろう.
9. 人はいつ俳句を詠んで過ごすのか
例えば,人のライフスタイルを考えると,起きて活動している時間帯は午前7時から午後11時
ぐらいまでであろう.これを昼(明るい時間帯)と夜(星空の見える暗い時間帯)に分けると,季節にもよるが,おおむね次のようになる.
昼: 午前7時から午後7時夜: 午後7時から午後11時比率としては昼:夜=12時間:4時間=3 : 1 となる.星空に感銘を受けて俳句を詠むのは,晴れた夜である.日本においては,晴天率は地域にもよるが,大体30%である.したがって,真の天文俳句が詠まれるのは,夜の時間帯の30%程度である.そのため,上記の比率は,実質的な関係としては,夜の時間帯に30%をかけて,昼:夜=3 : 0.3=10 : 1とされるべきだろう.
また,さらなる制約がある.夜,外に出かけたか?夜,庭やバルコニーに出て夜空を眺めたか?あるいは,夜,部屋の窓を開けて夜空を眺めたか?これらの確率も考慮する必要がある.週に一度か二度の頻度で夜空を眺めたとすれば,確率にはそれぞれ1/7か,2/7を掛けることになる.結局,最終的な関係としては,次のようになる.昼:夜=10 : 0.2‒0.3.
10. 本当の天文俳句何割か
ここまでの議論で,ひとつの結論が出た.昼でも夜でも,俳句を詠む確率に大きな差がないとすれば,真の天文俳句が詠まれる確率は2‒3%になるということである.
一人の俳人でもよいし,多数の俳人でもよいが,一年間にわたって,どのような俳句を詠むかモニターしたとしよう.各俳人がそれぞれ百句詠んだとすれば,そのうちの二句から三句が真の天文俳句と認定できるものになっている.そういう勘定になる.
先に調査した,三冊の本に基づく真の天文俳句率は5%に至っていなかったが,さまざまな誤差を考慮に入れると,矛盾はないと判断してよいだろう.結局のところ,俳句の詠まれ方は,金子兜太のいう通り,人々の一日24時間の過ごし方,つまり「生活実感,物,そして言葉」に支配されているのである[5].その結果,統計的には,2‒3%の確率で天文俳句が詠まれているのだ.この数字が多いとは思えない.しかし,0%ではない.多くの人が,ときには宙そらの風情に親しんでくれていると思えば,ありがたい数字である.
本稿では真の天文季語の少なさを嘆いてみた.だが,これは地球の自転のせいだ.「自転よ,止まれ!」というわけにはいかない.また,天文と気象が天の文あやでひとまとめにされていることにも驚いた.これは歳時記における定義と,天文学者が考える定義にずれがあるということだ.寺田寅彦の提言は約80年間,無視され続けている.俳諧の連歌の発句の400年の歴史の方が上手ということだろう.令和の時代,正岡子規がいれば,歳時記革新運動を起こすのだろうか.今度,愛媛の松山を訪れる機会があれば,久しぶりに正岡子規記念館を訪れてみよう.
謝 辞
私は俳人でもなければ,俳句に詳しい人間でもない.それにもかかわらず,この原稿を上梓させていただいたのには理由がある.少しだけ説明させていただきたい.
2019年4月13日,海部宣男氏(前国際天文学連合会長,元国立天文台長)が逝去された.多くの方々が海部さんのお世話になったので,みんなで相談し,『海部さんに感謝する会』を企画した.コロナ禍の影響で通常の形式での実施は困難と判断し,結局オンラインで開催した(2020年12月20日).海部さんは文学に造詣が深く,ご自身でも俳句や短歌を嗜まれていた.そこで,感謝する会では「海部さんと文学」というセッションを設けて『海部記念宇宙吟遊の会』を実施した.はからずも,このセッションの座長を私が引き受けることになった.そして,石黒正人氏の発案で句会が開催されることになったのである[18].そのおかげで,私も久々に俳句を勉強する機会を得て,本稿を書くことができた次第である.海部宣男氏に深く感謝し,本稿を氏に捧げさせていただきたい.
この句会では,企画から句集のサポートに至るまで,石黒正人氏と立松健一氏には大変お世話になった.また,句会に俳句と短歌をお寄せいただいた方々のおかげで,句会は大いに盛り上がった.皆様に深く感謝させていただく.
また,朝日新聞『論座』にもこの句会の紹介記事を書いたので,併せてご笑覧いただければ幸いである[19].『論座』での原稿掲載に関しては朝日新聞科学コミュニケーターの高橋真理子氏に大変お世話になった.末尾ながら,深く感謝させていただく.
ところで,本稿の投稿版は掲載版の2倍くらいの長さがあり,ポイントが不明瞭で冗長であっ
た.そもそも私が俳句に長けた人物ではないためである.また,俳句に関する原稿が本誌にマッチするかという問題もあった.しかしながら,編集部の皆さんからいただいた有益なコメントとご努力のおかげで,この原稿が日の目を見ることとなった.したがって,実質的には編集部の皆さんとの共著と言っても過言ではない.編集長の江草芙実氏をはじめとして編集委員の方々には大変助けられた.末尾で恐縮ではあるが,天文月報編集委員の皆さんに深く感謝申し上げる.
参考文献
[1] 谷口義明, 1987,「楕円銀河ふたをあければ花一輪」天文月報, 80, 264
[2] Taniguchi, Y., & Watanabe, M. 1987, ApJ, 313, 89
[3] http://www.spitzer.caltech.edu/images/1419-ssc2005‒11a-Spitzer-Spies-Spectacular-Sombrero(2022.7.15)
[4] http://hla.stsci.edu/hlaview.html(2022.7.15)
[5] 金子兜太, 2012, 金子兜太の俳句入門(KADOKAWA)
[6] 渡部潤一, 2021, 古代文明と星空の謎(筑摩書房)
[7] 辻桃子, 安部元気, 2016, 増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記(主婦の友社)
[8] 寺田寅彦, 2020, 科学と文学(KADOKAWA)
[9] 石寒太編, 2010, オールカラー よくわかる俳句歳時記(ナツメ社)
[10] 平井照敏編, 2015, 新歳時記 秋 復刻新版(河出書房新社)
[11] 角川学芸出版編, 2011, 今はじめる人のための俳句歳時記(KADOKAWA)
[12] https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2022/01.html(2022.7.15)
[13] 平井照敏編, 2015, 新歳時記 冬 復刻新版(河出書房新社)
[14] 野尻抱影, 山口誓子, 1986, 定本 星戀(深夜叢書社)
[15] 金子兜太監修, 2010, 365日で味わう美しい日本の季語(誠文堂新光社)
[16] 片山由美子選句・鑑賞, 2020, 別冊NHK俳句保存(NHK出版)
[17] 山本健吉, 1998, 定本 現代俳句(KADOKAWA)
[18] https://www.nro.nao.ac.jp/~kt/html/kaifu-ginyu/(2022.7.15)
[19] https://webronza.asahi.com/science/articles/2021021100001.html(2022.7.15)
Astronomy in Haiku Yoshiaki Taniguchi
e Open University of Japan, 2‒11 Wakaba,Mihama-ku, Chiba, Chiba 261‒8586, Japan
Haiku is the shortest verse form consisting of only 17
syllables with the 5-7-5 pattern. Actually, most Japanese people are fond of haiku in their lives. In addition
to the 5-7-5 pattern, it is necessary to include Kigo
(disambiguation)in each haiku. When we see bright
stars, and famous constellations(e.g., Orion)or asterisms(e.g., Summer Triangle consisting of Altair,
Deneb, and Vega)in the night, we feel their seasons.
is suggests that astronomy could be deeply related
to making haiku. However, only the following four astronomical words are used as a Kigo; the Milky Way
Galaxy, starry nights, meteors(shooting stars), and the Moon. Here we discuss how these words have beenused in actual haiku.
https://www.mishimaga.com/books/tokushu/001627.html 【鎌田東二先生にきく! 宇宙の遊び方(1)】より
2009年10月に 発刊した『超訳 古事記』。生老、病死、愛憎、諍い、霊など、全ての物語の要素が詰まった、日本最古の神話である『古事記』に、宗教学者であり、フリーランス神主、神道ソングライターでもある鎌田東二先生が、いまの言葉で息を吹き込んだ一冊です。発刊から10年経ったいま、鎌田先生はどのようなことに関心を持たれて、研究されているのだろう。気になったタブチが、鎌田先生へインタビューを敢行しました。宇宙との交信の仕方や神話のこと、そして気になるバク転の話など、盛りだくさんでお届けします!
(聞き手、構成:田渕洋二郎)
日常に「宇宙」をもてば
ーー 今の現代人が日々を生きる中で、宇宙を感じる瞬間が少なくなってしまったことを寂しく思います。結果的に「自分」というものが大きくなりすぎて、心の病など、さまざまな新しい問題に直面しているように感じるのですが、いかがでしょうか?
鎌田 それはとても重要な問いですね。ちなみに、私は毎日宇宙を感じて生きています。というのも日常には実は宇宙を感じられる瞬間というのはたくさんあって、たとえば本の中にも宇宙があるわけです。一冊一冊のなかに宇宙があると思うし、本が並んでいる本屋さんも宇宙です。いい本屋さんには、本の並びにリズムやハーモニーがあって、その空間に音楽を感じるんです。中に詰まっているのは言葉ですけれども、その言葉は楽譜のようなもので、たとえば弦楽四重奏や交響曲が聴こえてくるように感じて手にとってしまう。そうやって身近なところにある宇宙を感じられるかどうかがポイントですね。
ただ、同じ本屋さんでも売れ行き中心で並んでいるのは、コンビニに似ているというか、どうも落ち着かないですね。すごくノイジーで、本がざわざわしてしまっているのは苦手です。音がクリアーに聴こえてこないし。
ーー ほかにも宇宙を感じる瞬間はありますか?
鎌田 料理でも、音楽でも、コーヒーの飲み方でも、なんでもいいんです。身近なところに宇宙はたくさんある。食事ひとつとっても、食卓になにを並べるかということもひとつの宇宙の創造です。たとえば北大路魯山人であれば、料理に相応しいお皿やお箸、それからテーブル、といったように、全体のコンビネーションを感知してデザインするわけですよね。そういった秩序を自分で創造していくことが大切です。
―― なるほど。
鎌田 こんな感じで、宇宙に接続する回路をたくさん持っていたほうが、面白く生きやすいと思うんですね。私は身心変容技法という研究を長年してきていますが、これは人間のからだとこころをどうやって世界と調律するか、またどうのようにして理想の状態にしていくかという研究です。たとえば仏教の中でも密教では、大日如来と一体化するための「三密加持」という密教の修行があります。また曼荼羅をみる諸種の観想があり、いろいろな方法論があります。
神聖な宇宙と自分がどう近づいていくかということを、人類はいろいろなかたちで編みだしてきました。デザインにせよ、アートにせよ人間の文化というのはそういう身心変容技法の集積なんですよ。
「配線替え」という創造
宇宙を感じるためのもうひとつの手段は、神話です。日々の生活を忙しく過ごしていくなかで、どうしても宇宙や世界に通じていく「始原のとき」を忘れてしまうんですね。神話というのは、いつも「始原のとき」に立ち帰るためのひとつの方法なんです。
古事記上巻や旧約聖書の冒頭部もそうですし、世界中の神話もそうですけれども、始原の物語を自分のなかに生き生きともつことによって、いま自分がどこにいるのかということを確認できます。
―― おお!
そういえば先日京都大学の宇宙物理学・天文学の柴田一成先生たちと、「宇宙と古事記」というシンポジウムをやったんですよ。そこで、最新の科学による宇宙研究と古代の古事記とが結びつくことで、面白い観点を生み出すことが出来ました。このように、ポイントは小宇宙同士をぶつけあわせることで、新しいものが生まれるということなんです。たとえば、お寺という空間での小宇宙と、料理という小宇宙がぶつかったときに「精進料理」が生まれましたよね。
本来大学というのは、そういうことが自由にできる場所であるべきなんですけれども、今はひとつのアカデミックな学問分野を掘り下げるだけで、なかなか各宇宙同士のぶつかりがありません。それは寂しいですね。だから、いろいろな領域にあるものの配線替えをしてみることによって、撹乱というか、創造的に越境していく行為と環境が必要と感じています。
われわれの世界は、素材も人口も有限であるけど、組み合わせは無限です。また、仮に組み合わせが失敗したとしても、それを修理固成すればいいんだというのが、古事記の考え方です。そうやってものの見方や見え方を切り替えることができれば、世界は曼荼羅のように見えてきてとてもおもろいものです。
冥界へ行くということ
―― 古事記の国生みもそうですよね。
鎌田 そうですね。古事記のイザナギとイザナミもそうですが、世界の神話でもそうです。神話にはそういうパターンがいくつかあって、「冥界くだり」も世界の神話に共通してあります。古事記とともにオルフェウスもそう。大切な人の死など、耐え難い状況になったときに回復への旅をするというものです。再生できるかどうかはわからないけれども、とにかく旅にでてしまう。ある種のグリーフケア(悲嘆のケア)とも言えますし、つまりこれまでとは違った宇宙のあり方に、気づき、それを創造していく過程です。
―― 興味深いです。
鎌田 オルフェウスは妻のエウリディケーを毒蛇にかまれて亡くしてしまうのだけれども、あきらめきれずに冥界へいきます。それで冥界の番人の前で竪琴を弾いて心を動かし、冥界からエウリディケーを連れ戻せることになったんだけれども、「振り返ってはいけない」という約束を破ってしまって連れ戻すことができなかった。古事記でも、妻であるイザナミを失ったイザナギが冥界へ下って、これもまた「のぞき見してはいけない」という約束を破ってしまって現世に連れ戻すことはできません。
結果的には、元の形には戻らなかったけれども、冥界くだりを通して、また別の形で新たに宇宙を創造する一歩を踏み出しているわけです。新しい宇宙の創造というのは秩序を壊すことになるんですけれども、少し時間が経つとそれがまた宇宙になっていく。このような大きな悲劇ではないものの、生きていくなかで、秩序のある世界と秩序の破れという、両極をいききしていくのが人間の人生です。
https://www.mishimaga.com/books/tokushu/001633.html 【鎌田東二先生にきく! 宇宙の遊び方(2)】より
熊野詣をする理由
ーー 先生が京都にこられたときの印象はいかがでしたか?
鎌田 初めて京都に来たときは「窮屈だなあ」と感じて、あまり好きになれたかったのです。孫悟空が頭に「緊箍児(きんこじ)」という輪っかをしてるみたいな感じで。なので、初めのほうは埼玉に住んでいながら京都まで通っていました。でもあるとき、大学の講義の合間に3時間くらい空白の時間ができたとに、ふと裏に曼殊院山、瓜生山、比叡山があったので、登ってみようと思ったんですね。山のほうから校舎に入れるなと思った。そうして少し山に入ってみると、そこは深海のようでした。山の中に宇宙を発見したんですね。小さいときに感じた、夜の海や山の感覚といったような自分の中の縄文ソフトが起動してきたんです。こんな太平洋のような山並みがあるんだったら生きていける、と思ってそこから一気に京都が好きになって住み始めました。今は寝室に祭壇を設けて、毎朝石笛、横笛、篠笛とか楽器を30種類くらい比叡山にむかって演奏していますし、祝詞や般若心経や真言も唱えているんです。
ーー 埼玉はいかがでしたか?
鎌田 埼玉は南のほうは基本的には平野ですから、へそを丸出しにして寝ているみたいなイメージだったんですね。陰影がなくて、巨大なだだっぴろいなかでぽつんとしているような。蛍光灯に全部がてらされている感じで、くつろげる場所がなかったんです。平坦なところで心の宇宙の探索するよりかは、京都みたいな起伏があるところがいいと思うようになってきました。
逆に言うと、白河上皇の院政期からなぜ熊野詣でが流行ったかというと、京都のような暗い、深いところにいると、明るい場所に憧れるんですね。ドイツ人のゲーテなどがイタリア、地中海に憧れるように。田辺や那智や新宮はほとんど海ですからその煌々としたイメージが熊野ですよね。黒潮がカーンと開けている感じ。昔の人たちもその明るさに衝撃を受けたと思うんですよ。そうして命の洗濯をして、蘇ってまた京都に戻ってくる。まさに宇宙発見ですね。
火の楽器、水の楽器、土の楽器
ーー 先ほど30種類の楽器と仰いましたが、いつごろからやられていますか?
鎌田 もともと私は20歳のころからずっと龍笛をやっていたんですよ。雅楽の笛です。「日本雅楽界」にも所属して、国立劇場の小ホールで演奏もしたことがあるんです。でもやっているうちに、だんだんと創造性を感じられなくなってきてしまった。決まったメロディーを再現するのではなく、音楽のもっと根源にあるものを知りたくなった。つまり自然のままの音ですね。それで調べていくと、平田篤胤も石笛(石に穴が空いているだけの素朴な楽器)を吹いていたと知って。そこから 10数年探し求めて、30代の終わりに石笛にであえました。それ以来、人間がいろいろ手を加えた楽器よりも、自然にあるそのままのかたちの楽器のほうが、ダイレクトに身体にはいってくると思うようになりました。
ーー 演奏する楽器によって自分も変わっていったりしますか。
鎌田 毎朝比叡山へ向かって奉納演奏をするのですが、それぞれの楽器によって、奏でている自分が変容してきます。私は楽器には、火の楽器、水の楽器、土の楽器があると思っていて、それぞれの代表が石笛、横笛、法螺貝なんですよ。わが三種の神器と呼んでいます。
ーー と申しますと...?
鎌田 まず、石笛にはピーッという耳をつんざくような鋭い高い音が出るんですね。尾てい骨から体のなかを突き抜けて、天へ向かって音が出るイメージ。だから、これは火の楽器。それを感じた瞬間に、龍笛は流れる川のようだ、と思った。風のイメージにも近いですが、とにかく石笛が垂直だとしたら、横笛は横に流れるイメージです。でもこのままいくと宇宙の果てまで行ってしまいそうで少し不安になって、バランスをとるために法螺貝があることに気づきます。法螺貝は大地というか、たばねる、抱きとめ包み込むイメージなんですね。
こうやって垂直にぶった切って行く音の世界、そしてやわらげに水平に流れる音の世界と、それを両方を包み込む法螺貝でわが三種の神器が完成します。この三点セットで一つのコスモスになっています。
北枕とバク転の話
鎌田 そういえばあなたはどちらの方角を向いて寝ますか?
ーー ぼくは東ですね。
鎌田 わたしは北向きでないと眠れないんですよ。若い頃から、寝ていると寝相が悪いのかぐるぐると回って、起きると北を向いていることが多かったんですよね。これはもう、自分の体に磁石があって、北を向くんじゃないかと思うくらい。それだったら最初から北の方を向いて寝るのが安定するなと思ったんです。
ーー 北枕は縁起が悪いというイメージですが...。
鎌田 世間には、北枕は死がイメージされるのでよくないみたいな民間信仰ありますよね。でもそれはよく考えると、寝るというのは、一種仮死状態になるわけです。だから落ち着くんでしょうね。そしてまた再生する。そういうことを感じながら、20歳からいま、68歳までずっと北枕で寝ています。とくに、家の北東の方角に比叡山があるので、意識できるようになるんですね。比叡山と通信するということがわたしの1日のはじまりであり、夜も通信しながら眠るのが生活軸になっています。
ライフワークでしている「バク転」も、あるとき比叡山にも登って平らな箇所があることに気づいたときに、「ここでできる!」と思って始めました。山頂の付近でバク転をするのは気持ちいいんですよ。わたしは「天と地」の間に生きているんだという感覚がとてもリアルにわかります。
ーーちなみに初めてバク転をしたのはいつでしたか?
鎌田 小学校5年生の時ですね。田舎の学校だったので、先生もできないから教えてくれないし、コーチがいるわけでもありませんでした。だからある友達と学校の砂場やマットで深夜まで残って練習をしていたんです。そうしたらある時突然できるようになりました。できるようになったら嬉しくなって、体操の市の大会にも出たんですよ。見事優勝できました。それで、喜び勇んで県大会にでたら、みんなくるくるまわって次元が違って。 私たちはバク転するだけで精一杯。そこで上には上があることを知ったんですね。きわまりがない感覚というか、いま思えばそこで、宇宙にきわまりがないという感覚を味わっていたのかもしれません。
ーーすごいエピソードです。
鎌田 いまでもバク転はしていますが、いつもバク転をしている最中に羽が生えてきて、空も飛べるようになるんじゃないかって夢想しているんです。私は先祖が恐竜だと思っているんです。恐竜もあるとき始祖鳥になるでしょ。その痕跡が自分の身体のなかにあるはずなので、飛べる瞬間をいまかいまかと待ちわびながら、日々バク転しています。(終)
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