https://midori-hp.or.jp/visitingnurse-midori-blog/web20230320/ 【桜が咲かせてくれる満開の笑顔〜患者さんも職員も、気持ち華やぐ春がやって来ました〜】より
そろそろお花見シーズンを迎える頃になりましたね!
皆さんはお花見が好きですか?
私は毎年桜の開花を心待ちにしています。桜を見ているとなんだか幸せな気持ちになります。花にあまり興味がない方も桜を見て心が癒される方はいらっしゃるのではないでしょうか?
みどり病院の周辺にもお花見スポットが沢山あり、みどり訪問看護ステーションでは桜の咲く季節になると毎年利用者さんと散歩がてらお花見に行っています。
歩ける方ばかりではなく車椅子の方や、普段外出する事がない寝たきりの方にもお声かけをしています。私一人で介助できないような時には、ご家族さんだけではなくケアマネジャーさん、看護師さんが同行してくださるのでとても心強いですし、わいわいとにぎやかになります。利用者さんも「綺麗だね」と笑顔を見せてくださるので、私はこの時間がとても好きです。
お花見は楽しいだけではなく、満開の桜が心と体に様々な効果をもたらしてくれるそうです。今回はその効果についていくつか紹介させて頂きます。
~桜の香りがもたらすリラックス効果~
桜の木の匂いには殺菌作用のある「フィトンチッド」と呼ばれる物質が含まれています。フィトンチッドを分泌することで病原菌から自分自身を守っています。この物質を私たちが吸い込むことで、興奮が抑制され精神が安定しリラックス効果が期待できると言われています。
桜の上品な香りはクマリンという成分をはじめとする数種の芳香成分です。これらには心をほぐし、幸せな気分にしてくれる作用があるのだとか。残念ながらこの物質は通常の花や葉からはあまり嗅ぐことはできません。私たちが桜の香りとして思い浮かべるのは、桜餅を包む塩漬けの桜の葉や、アンパンに使われる塩漬けの桜の香りですよね。あの香りにホッとする感じがしませんか?
~免疫力アップ~
お花見は行く前から「楽しみだな」「綺麗な桜がたくさん見られるといいな」とか思ってワクワクしますよね。このような前向きな感情は「ナチュナルキラー細胞」という細胞を増やし、免疫機能を高めてくれます。免疫力が高まると病気にかかりづらい体質になります。
たくさん笑うこともナチュラルキラー細胞が増え免疫力が高まると言われています。お花見に行って、家族や友人とおしゃべりしながら笑うことでいっそう免疫機能の向上につながりそうですね。
~桜の花のピンク色がもたらす効果~
桜といえば淡いピンク色が思い浮かぶと思います。淡いピンク色には人の気持ちを優しくする効果があると言われています。私達が職場のポロシャツを選ぶ時も一番人気はピンクで、利用者さんに褒めていただくのもピンク色が多いです。
色は私たちの心理や行動に大きな影響を与えています。色のパワーを身近に取り入れてみてはいかがでしょうか?部屋にピンク色の花を飾るのも良いですね。桜を見る時のように穏やかな気持ちで過ごせるかもしれません。
桜を見て癒されると感じていたのは、このような効果があったからなのかも知れませんね。
皆さんも桜の木の下をゆっくり散歩し、気分を和らげてみてはいかがでしょうか。
桜を楽しみながらなら疲れも忘れてたくさん歩けそうですよね。
~さいごに~
これまで一緒にお花見にいった利用者さん達をみていると、桜のおかげで笑顔が増えて皆さん元気になっているように思えます。普段なかなか予定を覚えられない方がお花見に行くことは覚えていたり、お花見の後に数年ぶりに家族で淡路までお花を見に出かけたことを嬉しそうに話したり、長期療養されていた方がお花見の外出をきっかけに再び一人で近所を散歩するようになったり、色々な「お花見効果」を聞くと、とても嬉しくなります。
お花見に行くまでの準備も楽しい時間です。お花見に行くことを目標に少しずつ屋外歩行に慣れる練習をしたり、安全に外出できる方法を考え練習しているため、お花見が終わった後は安堵感と達成感でいっぱいになります。
そして、私たちスタッフにとっても、利用者さんとのお花見は色褪せない大切な思い出です。何年たっても病院近くの桜並木を見るたびに一緒にお花見をした利用者さんの顔が浮かび、自然と笑みがこぼれます。
今年も感染対策を怠らず、皆でたっぷり桜も楽しんで、利用者さんも自分たちも明日の活力を充電したいと思います。
Facebook相田 公弘さん投稿記事
「副作用のない注射」というお話です。
政財界の有力者をはじめ数多くの人々の精神的支柱となった“中村天風”さんのお話です。
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【心を明朗に、一切の苦しみをも微笑みにかえていくようにしてごらん。そうすると、悲しいこと、つらいことのほうから逃げていくから】朝、気分よく目覚めると、その日はよいことが起こりやすく、一日を楽しく過ごせます。反対に、イヤな気分でいると、ろくなことがありません。出発点は「心のもち方」です。楽しいことを浮かべることです。
すると、実際に楽しい出来事が起こります。不快なことを考えると、敬遠したい出来事までが押し寄せます。このように、心には同質のものを引き寄せたり、創造したりするという法則性があるのかもしれません。
心がマイナスの状態にあるとき、引き寄せなくてもいいマイナスが集まってきます。
プラスの材料ですら、わざわざマイナスの意味に置き換えて受けとめてしまいます。
そんなとき、プラス言葉の注射をすることです。たとえば、「心がどんどん明るくなっていく」と唱え続けます。これが、微笑みに変えていく言葉です。
やがてこの言葉が効き始めて、マイナスのほうから逃げ出します。
心が前向きになるような言葉を唱え、自己暗示することが、プラス言葉の注射です。
副作用はありませんから、いつでも、どこでも注射してかまいません。
(「中村天風 折れないこころをつくる言葉」池田光 解説 / イースト・プレスより)
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天風さんは、こんな言葉も残しています。
「怒ることがあるから怒るんだ、悲しむことがあるから悲しむんだ、ということじゃ、
人生に幸福なんてきやしないぜ」プラスの心がプラスの結果を引き寄せ、マイナスの出来事も微笑みにかえることによりプラスに転じる。日本の格言に「笑い栄ゆ」というものもあります。「笑いあるところに栄えがある。笑顔や笑いは、夫婦円満・家庭円満をもたらし、また商売繁盛をもたらす」という意味です。
あのダイアナ妃は笑顔を作る練習を日々行っていたそうです。
アンジェリーナ・ジョリーも、なんとなくやる気が出ない日は、早起きして近所の公園をニコニコと笑いながら散歩することがあると。
オードリー・ヘプバーンも「この世で一番すてきなことは、笑うこと」と言い、特に「誰かと一緒に笑うことは、魔法の力を持っている」と語っています。
笑顔は、人間にしか出来ない神様から与えられたプレゼント。
そして笑顔には、「私はあなたを受け入れます」という積極的な「受容」のメッセージを発信する効果もあるのです。
逆に言うと、しかめっ面で機嫌が悪そうな人は、「あなたを受け入れません、認めません」という「拒否」のメッセージを知ってか知らずかのうちに送っていることになります。
自分が「拒否」のメッセージを送っているのに、相手から笑顔(受容)のメッセージが送られることは、よほど相手がマザー・テレサのような聖人でない限りまずありません。
もちろん、仕事を頼まれることもないでしょうし、パーティーに誘われることも、相談されることも、もちろん好かれることも、可能性としてはかなり低いでしょう。
だから、「笑顔」は福の神を呼び込み、「不機嫌」は貧乏神を呼び込むのです。
いろいろあるけど、笑顔はお金も掛からず、今すぐ出来て、誰にだって出来ることだから、下を向きたいときほど笑顔でいた方がいい。
「笑顔」や「プラスの言葉」という“副作用のない注射”で乗り越えていきましょうね♪
※魂が震える話より
https://sunagoya.com/tanka/?p=12823 【身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂】より
吉田松陰『留魂録』(1859年)
高杉晋作(5月13日)、久坂玄瑞(11月4日)、松下村塾の双璧といわれた二人の歌を紹介したからには、師吉田松陰を除くわけにはいかないだろう。太平洋戦争期には忠君愛国のヒーローであった吉田松陰だが、敗戦とともに公職追放のような扱いを受け、その後また復活がはかられる。
日本近代の歴史の変転にもてあそばれるかのように毀誉褒貶、いずれにもさらされた吉田松陰だが、幕末維新期に果たした役割は大きい。没年わずか29歳、短い生涯ながら激しい行動者であり、過激な政治思想家、そしてなにより重要であったのは教育者としての松陰であろう。本州西端の小さな私塾に教えを受けた者の内の数人が時代の変革を促し、新しい社会をつくりだしたのだった。高杉、久坂、入江九一(禁門の変に自刃)、吉田稔麿(池田屋事件で新撰組に殺害される)らは倒幕、古き時代の破壊者として、木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文、山形有朋らは新時代の建設者として、いずれも松下村塾や松陰にかかわる者たちであった。
松陰の評価の毀誉褒貶については、古川薫が興味深いエピソードを紹介している。古川は、山口県、つまり松陰の地元出身の作家である。地の利を生かした長州にかかわる歴史小説が得意分野である。その古川の『吉田松陰』(河出文庫2014年)の「あとがき」が面白い。この小説はもともとは1983年に子ども向けに出版されたものが、今年再び文庫化された。「あとがき」に、次のようなことが書かれている。
山口県下のある小学校の校長室で、吉田松陰の座像を見た。高さ70センチほど、石膏製の黒塗りの像。長く倉庫の隅に埃をかぶっていたものを、最近運んできたと言った。よく見ると、腰の短刀は柄が折れてなくなっている。所々欠けたり、塗料がはげて石膏の地がのぞき、満身創痍だった。
古川はそれこそ「歴史を語る傷跡」であり、松陰の「人物像の栄光と受難と復活の推移」が同時に現れた貴重な証言だと解説する。戦前の山口県では、このような松陰座像がいたるところで見られた。校長室には例外なく安置されていた。多くはブロンズ、陶器や石膏製もあった。大小、おびただしい松陰像が存在していたが、敗戦とともに姿を消した。
ブロンズの場合は戦争中の金属供出で、日本軍のとぼしい弾丸になった可能性もあるが、陶器や石膏像は残っていたはずなのにそれがないのは、やはり破壊されたのだろう。傷だらけになっても、小学校の倉庫の隅に眠っていたのは稀有なことだった。
軍国主義の高まりに同調するように松陰が修身の教科書に取り上げられて、その「忠君愛国の精神」が称揚され、やがて戦争末期には特攻を松陰精神の実践と、松陰にむすびつけて戦争を賛美するかのように捉えられるようになる。それが、戦争が終わると同時に吉田松陰は追放される。松陰の彫像が、一斉に姿を消したのもそのときだった。
そして戦後の復活が訪れるのだが、その復活が、どうやら戦前の復活につながりそうな気配が、このところのこの国の時代の動きの中にはあやぶまれるところがある。古川薫の吉田松陰の評伝が復刊されるのは、来年のNHK大河ドラマの前宣伝だろうと思われるが、「忠君愛国の精神」の復活ではないことを祈る。ぜひとも新たな松陰像が期待される。
松陰の言動には、ひたすらではあるが、どこか危険性を感ずる。純粋に過ぎる印象が強い。しかしその純粋が「草莽崛起」の思想を生み、「一君万民」の平等思想を育んだ。また松陰には多くの書簡が残されている。それは松陰の思想の表現でもあり、また情報の確認でもあった。出した書簡には返信があり、それは松陰のネットワークの証しでもあった。松陰は「飛耳長目」を松下村塾の塾生に教えた。耳を飛ばし、目を長くせよとは、広く情報を集めよと言うことだ。その情報が時を過たず行動へ繋がる。これまた松陰の思想であった。松陰の旅人書簡は、幕末版インターネットに他ならない。
松陰は、安政の大獄の余波を浴びて、幕府方では脇役のつもりだったものが、いつのまにかその中心に断罪されることになる。当初は梅田雲浜との関係を問われて、それで返される予定だった。ところが、松陰みずから老中暗殺計画を告白、それが死罪を呼び込んだ。
『留魂録』は、処刑前日に書かれた松陰の門下生への遺書である。幕府役人の取調べの様子や獄中の志士の消息、松陰の心境、さらに同志への遺託が自筆でしたためられている。二通作られ、一通は刑死後間もなく萩の高杉、久坂らに送られ、もう一通は松陰と同囚だった者に托され、明治になって松陰門下生の手に渡ったという。
この一首は冒頭に「十月念五日 二十一回猛士」の署名とともに記されている。「念五日」は、二十五日。「二十(廿)」の合音ネムが「念」の音に通じるところから年月日の二〇の意に用いる。二一を念一日と表わす。「二十一回猛士」は、吉田松陰の号の一つ。夢に与えられた号だというが、「杉」(松陰生誕時の名)も「吉田」も、字を分解すると二十一になるところから名づけられた。杉=十+八+三、吉田=十+一+口+口+十、口は0としていずれも足算をすれば21になる。つまり21回の猛をなすということだ。
歌意は、まさに留魂であろう。大和魂が問題だが、松陰の激しさが死に際しても衰えをみせていないことを読みとればよいか。この留め置かれた魂を、彼の門下がひきつぎ倒幕、維新へつながった。
とはいえこの歌がもてはやされる時代が二度と来ないことを私は祈る。
『留魂録』には、死の覚悟を述べるところがある。「今日死ヲ決スルノ安心ハ四時ノ循環ニ於テ得ル所アリ。」今の平安な心は、四季の循環を考えることによって到達した。春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬に収穫を貯蔵する。秋冬が来れば、働いた成果をよろこび、酒をつくり、甘酒をこしらえ、村中に歓声が満ち溢れる。自分は三十歳で、これでは穀物がまだ花を着けず実らないのに似て、口惜しいようにみえるが、私についていうならば、そうではない。今が花咲き、結実のときなのだ。何を悲しむことがあろうか。人の寿命は決まっていない。「十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ、二十ハ自ラ二十ノ四時アリ三十ハ三十ノ四時アリ、五十百ハ自ラ五十百ノ四時アリ、十歳ヲ以テ短トスルハ蟪蛄ヲシテ霊椿タラシメント欲スルナリ、百歳ヲ以テ長シトスルハ霊椿ヲシテ蟪蛄タラシメント欲スルナリ」、数日しか生きない夏の蟬を、何千年もの樹齢を持つ霊木にするようなものであり、霊木を夏蟬にするようなものだ。いずれも天命に達しない。
この美しい死生観は、記憶されてよい。この歌も、こうした死生観にもとずいているのだ。
呼びだしの声まつ外に今の世に待つべきことのなかりけるかな
七たびも生きかへりつつ夷をば攘はむこころ吾忘れめや
これらも『留魂録』に記され松陰の歌である。
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