日本人はなぜ「桜」をこんなにも愛するのか

https://toyokeizai.net/articles/-/164538 【日本人はなぜ「桜」をこんなにも愛するのか

「散り際」に美を感じるのは本来ではない?】より

岩本 麻奈 : 皮膚科専門医

”僕たちが「cerisier(サクラ)」と聞いて、真っ先に連想するのはサクランボウさ。パリ郊外のソー公園でもサクラの季節には花見があるよ。まぁピクニックだな”
 ~アラン 不動産経営

心躍る春がやってきました。これまでたくさんの国を見てきましたが、日本ほど豊かな四季に恵まれたところはないと思います。雪月花に花鳥風月。天然の気候に動植物までが四季を装って心を華やがせます。

それを感じ取る日本人の心も実に豊か。風物を愛(め)でるだけの遊覧であっても、「桜狩り」「蛍狩り」「紅葉狩り」などと称する言葉づかいに、自然への感受性の高さを感じます。

春を告げる花といえば何でしょう? パリに春を知らせる花はミモザ(mimosa)です。春とはいえまだ冷たい2月から3月ごろ、黄色の小さな花の群れがマルシェや花屋さんに現れ、季節の変わり目を感じる心を湧きたてます。冬を越え躍動する春への胸騒ぎでしょうか。

3月8日は「国際女性デー」でした。国連は1975年以降この日を国際女性デーと定め、女性の完全で平等な社会参加の環境整備を世界各国に呼びかけています。国際女性デーは“ミモザの日”とも呼ばれます。男性から女性へ、あるいは女性どうしでミモザを贈る習慣が南欧ではあり、街中がミモザであふれます。春こそ女性の季節であることを体が知らせ、人々は胸騒ぎの春の訪れを大喜びしているのです。ほとんどの動物がもつ発情期の熾火(おきび)が、人間の女性に残っているのを感じる生命の季節です。

「花」といえば「桜」

日本で春を知らせる花は梅でしょうか、それとも桜? フランスのミモザのように季節に先駆ける花となれば梅です。「花の姉」とも呼ばれて時を駆けるだけでなく、寒さを切り裂きにおい立つ香は凛然たるもの。唐代の人が牡丹に夢中となるまで、もっとも中国で人気があった花でもありました。

奈良時代に編まれた『万葉集』の中で詠まれた梅は110首であるのに対して、桜は43首です。しかし、平安時代になると日本人の人気は桜一辺倒となって、勅撰八代集の初めである『古今和歌集』では春の部133首のうち桜が74首で梅は26首、最後の『新古今和歌集』となると春174首のうち桜が135首で梅は17首という結果となります。こうして、花と桜は意味を同じくするようになりました。

奈良時代から平安時代になって日本人の好みが変わったのではおそらくなく、桜が好きであることは変わらないのです。ただ、飛鳥時代に海の向こうから渡来した文明の摂取に懸命となっていたので、海の向こうのものはなんでも尊いと思うしかなかったのでしょう。あたかも明治の御一新で西洋崇拝に陥り、金髪碧眼ワンダフルとなったのと同じですね。

桜のどこに美しさを感じますか? 「花は桜木、人は武士」という言葉があります。武士の潔さは死に際にあり、桜もまた散り際が見事であるから美しいとされるのが通説です。ただ、これが本当だとは思えません。

桜の美しさをうたった歌の白眉は本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」だと思います。戦前戦中の人でこの歌を知らない人はいません。この歌は国のために強いられた死で散った、多くの若者を悼むものとして記憶されています。まさに「歌書よりも軍書に悲し吉野山」だったのです。

散華(さんげ)という語は、辞書で引いてみると「仏を供養するために花を散布すること、またその花」とありますが、末尾に「誤って、華と散ると解し、戦死を指していう」という語義が載っています(『広辞苑』)。人々は若くして散った命を哀惜して、誤用を自覚しつつ死を美しく飾るために使ったのでしょう。けれど、散華が陶酔を呼び覚まし、戦意高揚につながったことも否定できません。

ただ、宣長の込めた意味は違います。『玉勝間』の中で「花はさくら。桜は山桜の葉赤くてりてほそきが、まばらにまじりて、花しげく咲きたるは、またたぐふべき物もなく、うき世のものとも思はれず」と書き、花の散り際には触れずに、満開こそ美しく、敷島の歌も「ただうるはしい」と述べています。

朝日に照り映えて咲きほこる山桜の美しさこそ、日本人の心なのです。花は咲いてこそ花であり、花の美しさを表現することができます。人間も生きて生き抜いてこそ、他者と協働して自らのレゾンデートルを発揮できると思われるのです。散るのが美しいとすれば、生き抜いてこそなのです。

そして、美しさは力となります。梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書きました。桜が狂気なのではない、桜の美しさが度を超しているのです。ナイーブな感受性は、美しさにおののき狼狽します。

ここにおいて美は力に転じ、暴力性をも有することとなります。なんとセンシュアルなことでしょうか。美しいがゆえに強い、これが大和心すなわち日本人の心なのです。


Facebook武田 洋一さん投稿記事  【日本人弱体化の真実】

日本人は歩き方を奪われた。

なぜ現代人はすぐ悩んだり自分のことが分からなくなったり精神的に病む人が多いのか?すばり歩き方を奪われたからだ。

日本人の本来の歩き方って・・・?

右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出す歩き方。

江戸時代には上半身や手を振らずに歩いていたこれを【ナンバ歩き】という。

西洋との違い。

○ 田植えのとき右手右足が出る、クワを振り下ろすとき右手右足が出る➡️ナンバ歩き

○ 西洋の野球、左足踏ん張ってねじって投げる➡️逆の手振って歩く

ナンバ歩きのすごさはずばりエネルギーを無駄に使わない、日本全国を歩いて測量した伊能忠敬。当時一日100km以上移動飛脚とんでもない距離を歩けた飛脚、理由がここに!

かかとからつくのは体に悪い。実は昔はつま先からついていた。靴に変わるまではつま先からだったのだ

草履を履いていた時代は親指と人差し指でつまんでるからかかとから下ろせない。

お尻の下の筋肉で押し出して歩いていた 現代は全然筋肉を使っていない。

着物と草履には意味があった。

着物と草履は日本人の正しい呼吸歩き方をするためのもの。

草履は日本人の正しい歩き方をするもの、着物は日本人の正しい呼吸をするもの。

女性の帯の位置は高い🟰腹式呼吸できるように。

男性の帯の位置🟰丹田をギュっと持ち上げるため。

正しい歩き方=自分の軸をもつ

足は棒立ちでなくゆるませ、すり足で歩いていた頭のてっぺん百会とお股の会陰を一直線で繋ぐように。

筋が通って地面と繋がり天と直感で繋がる感覚に。

日本人本来の歩き方が奪われる🟰踏ん張る力がなくなり軸がしっかりしない。

心・精神がグラグラ

現代人は体が整わないまま頭重心で考える

ようになり、すぐ悩む自分が分からなくなる生き方が分からなくなる、病む。

日本人の歩き方は団結を生む。

【和を以て貴しとなす】この世界は天と地から始まりそれを繋ぐのが天地人=人間

同じところで繋がっているから

バラバラに生きているような人間も調和がとれ、団結できるのだ。

つまり体を整えることが力の根源であり

見えない力こそが団結を生む。

真の歴史を学び日本人の精神大和魂をいまこそ取り戻そう!

https://twitter.com/todaraba_/status/1772220880787300480

https://www.youtube.com/watch?v=MPR_Y7mztAU

https://www.youtube.com/watch?v=Lr3VplSWgcg

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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