https://tsukinami.exblog.jp/30382259/ 【俳句のレトリック(4)】より
四 構成のレトリック
⑪ 本歌取り(引喩、アリュージョンallusion)
先人の和歌を踏まえ、その一部を明らかな形で借用しながら、本歌を超えるような詩的世界を生みだす技法のこと。
鎌倉初期の勅撰和歌集「新古今集」の時代に流行し、いまだ根強く試され続けている。遊び心と知的好奇心とが刺激されるせいだろうか。
あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 作者不詳
ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影 藤原定家
前の歌は「万葉集」に詠み人知らずと記され、一説に柿本人麻呂作と伝えられる。後ろの定家は「新古今集」の撰者で、のちに歌聖と称えられた。こういう二首ならば誰だって本歌取りとわかる。
俳句にもこの技法を応用した例が少なくない。
凩の果はありけり海の音 池西言水
凩や目刺に残る海の色 芥川龍之介
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子
元禄期の言水は右の一句をもって「凩の言水」と呼ばれた。龍之介や誓子の句は、言水の句を本歌(本句)と意識しながら詠んだものだろう。
滝をのぞく背をはなれゐる命かな 原 石鼎
飛込の途中たましひ遅れけり 中原道夫
道夫の句が石鼎作を踏まえたものかどうか分からないけれども、似たモチーフではある。ちなみにこの心的現象を「遊離魂」と呼ぶそうだ。
水遊びする子に手紙来ることなく 波多野爽波
水遊びする子に先生から手紙 田中裕明
裕明は「青」主宰爽波の門下。先生から学びとりたいという率直な姿勢が伝わってくる。
蒼海へ鷹を放ちし神の島 山田弘子
神々の高さに鷹の光りをり 山田佳乃
宮古島での作。二人は母と娘で「円虹」の創刊主宰と継承主宰。親子のような関係性ほど、乗り越えなければならない壁は高いのかもしれない。
百代の過客しんがりに猫の子も 加藤楸邨
芭蕉の『おくのほそ道』を踏まえた句遊び。
本歌の一節が無意識に口をついて出るとき、それをしのぐ秀歌、秀句が生まれるのだろう。
⑫ 取合せ(列叙法、アキュミュレーションaccumulation)
列叙とはならべ書きのこと。俳句では、ふつうモノとコトあるいは主題と副題とに、似て非なるものを組み合せる技法を取合せ、配合と呼ぶ。
大試験今終りたる比叡かな 五十嵐播水
叱りし子抱きしめてをり星月夜 名村早智子
追憶はおとなの遊び小鳥来る 仁平 勝
悉く全集にあり衣被 田中裕明
実作において、どうやればうまく取り合わせられるのか。それは大きな問題である。以前別のところに書いた拙文「何をどう取り合わせるか」の中から、とりはやし(統合)の働きを紹介した次のくだりを転載しよう。とりはやしは、現代の国文学者堀切実が折にふれて論じているテーマでもある。
先にあげた『俳諧問答』によれば、芭蕉は「発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし。二ツ取合て、よくとりはやすを上手と云也といへり」と説いています。二ツをただぶつけ合っても、取合せの句になりにくい。そこで、二ツを結婚させる仲人役としてのとりはやし、すなわち、取り合わせるための措辞(詩的な言葉の選択)を上手くやりなさいとすすめています。
ごく古い時代の歌謡に問答形式があった。二つを取り合わせる俳句の技法は、そんな和歌の伝統を引き継ぐ叙法なのかもしれない。
取合せの類語である二物衝撃にも触れておく。
夏草に汽罐車の車輪来て止る 山口誓子
右は昭和八年の連作「大阪駅構内」五句中の初句で、映画技法モンタージュ(組立て)に関心を抱き始めた誓子による初期の代表作である。文芸界にモンタージュ論をいちはやく紹介したのは、物理学者寺田寅彦や詩人西脇順三郎ら。誓子が当時流行していたモンタージュ論からの応用として「写生構成」論の中で提唱したのが、俳句における二物衝撃の始まりともいわれている。
二物衝撃とは物と物との思いがけない結合とその衝撃から生まれる詩情―それも乾いた抒情―を重視した技法である。とりわけ戦後の前衛俳句がこの概念を多用し、より強く意外性や即物性を重視した新鮮な組合せを駆使し、俳句に拡がりと深みとをもたらそうと目論んだ。
俳句入門書の多くが、一物仕立てよりも取合せの形から俳句づくりを始めなさいと説く。写実的な描写を意識するあまり詩性を見失いがちな初中級者にとって、取合せは福音なのかもしれない。
紫苑咲く子を生むためのふくらはぎ 今井 豊
ひとたびは生を彼岸に冬ざくら 中岡毅雄
(俳誌「いぶき」2020年11月発行、季刊第10号掲載)
https://tsukinami.exblog.jp/30382264/ 【俳句のレトリック(5)】より
五 レトリックと作意
ここまでとりあげてきた、俳句のレトリック(修辞法)をまとめてみよう。
(a) 意味のレトリック
①直喩 ②メタファー(隠喩・暗喩) ③擬人法 ④共感覚法
(b) 形状のレトリック
⑤対句法(対比) ⑥リフレイン(反復法) ⑦倒置法 ⑧オノマトペ(擬態・擬音語) ⑨押韻(頭韻・脚韻) ⑩省略法(切れ)
(c) 構成のレトリック
⑪本歌取り ⑫取合せ
十二の区分は先人の識見に従った。瑣末的にやるならば、もっと多くの技法をとりあげることは可能だろう。喩えをとっても、換喩だの提喩だの細分化できる。和歌を参考にするならば、枕詞、掛詞、縁語といった修辞を活用する手法もある。誇張表現だの、近景から遠景への視点移動だの、あれこれ修辞法と呼べなくもない。
炬燵出て歩いてゆけば嵐山 波多野爽波
倒・裂・破・崩・礫の街寒雀 友岡子郷
猛ける日の猛ける心に桜満つ 今井 豊
島唄のとほざかりゆく天の川 中岡毅雄
本稿で、むやみにレトリック優先を推奨したかったわけではない。技法に執着して「作意」のあらわな句を詠んでしまっては本末転倒である。
芭蕉の門人であった土芳が『三冊子』の「赤さうし」の中で、「風雅の誠を勤むる」心得として、次のような文章を記している。大正・昭和期の歌人・俳人たちが「実相観入」による「物我一如の境地」などと呼んで、尊重した教えである。
松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へと、師の詞の有りしも、私意をはなれよといふ事也。この習へといふ所をおのがままにとりて、終に習はざる也。習へと云ふは、物に入りてその微の顕はれて情感ずるや、句となる所也。たとへ物あらはに云ひ出でても、そのものより自然に出づる情にあらざれば、物と我二ツになりて、その情誠にいたらず。私意のなす作意也。
芭蕉は「私意のなす作意」すなわち先入観や自分勝手な考えにとらわれた、たくらみを戒めている。
夏目漱石が英国留学前の三十歳ごろ熊本五高で英語教師をしていたとき、自宅に押しかけて来た教え子の寅彦から「俳句とはいったいどんなものですか」と問われて、こう答えている。
俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。
扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。
物理学者の寺田寅彦が昭和七年に発表した随想『夏目漱石先生の追憶』に、右のエピソードが出てくる。先駆的な映画論や俳諧論を展開した寅彦は、映画のモンタージュ(組立て)技法と俳諧との親和性を指摘し、山口誓子らの俳人に大きな影響を与えた。近代俳句におけるレトリック論の嚆矢といえようか。
子規の後継者、高濱虚子の言葉も紹介しておきたい。岸本尚毅著『生き方としての俳句』の中に、俳句の措辞(言葉の使い方)に関する、こんな指摘が出ている。
虚子は選句について「措辞の上からは最も厳密に検討する」と言いました(『玉藻』昭和二十七年十一月号)。虚子は思想や材料よりも措辞を重視しました。
この虚子の「玉藻」誌上談話は、選句に関する雑感として、岩波文庫版『俳句への道』に収録されている。対象物を的確に表現するためにどのような言葉遣い、すなわち措辞さらには修辞法を用いればよいかという点に、実作者でもある虚子がたえず腐心していた事実を示していよう。
同じ談話の中で、彼はこうも語っている。
より俳句らしいものを選ぶうえで、憎悪するべき思想を採らない、比較的単純な材料を採る。斬新であろうとして怪異なものを棄て、陳腐であっても一点の新し味があれば採る。
「単純な材料」で「一点の新し味」という言い回しは、客観写生の如き指導語を発信した虚子らしい。その上での措辞、修辞法なのである。
レトリックが、作者の意図、感動を正しく読者に伝え、共感を得るための説得術であることをいま一度意識してよいとおもう。秀句を真似ることも、己れの型を持つことも大切である。そのさい作句と鑑賞の両面で、レトリックは真に豊かな俳句を生み、育ててくれるはずである。
(了)
(俳誌「いぶき」2021年2月発行、季刊第11号掲載)
Facebook永田 満徳さん投稿記事
令和5年度 第1回 湧水講演
令和5年年10月14日
俳句のレトリックとは何か
~漱石俳句と『肥後の城』のレトリック~
「火神」主宰 俳句大学学長 永田満徳
【後半部分】抜粋
4.俳句のレトリックの可能性
「俳句のレトリック」に対する評価は必ずしも肯定意見ばかりではない。俳句に限らず、レトリックは一般的に評判が悪い。表現上の小技にすぎないと軽んじ、遠ざける傾向がある。特に俳句においては、古くは松尾芭蕉が高山伝右衛門宛ての書簡で作句五か条の一つとして「一句細工に仕立て候事、不用に候事(細工をしないこと)。」を記し、近年は高浜虚子の客観写生、すなわち写実的描写を重視してきたことの影響もあるのだろう。見たままをそのまま句にするのが写生であるから、当然と言えば当然である。確かに、オノマトペを含むレトリックは、例えば、擬人化の発想というのは、どうしても似たり寄ったりになりがちで、ありふれた発想、表現になることが多く、月並みに陥りやすいという欠点がある。擬人法を安易に使うと、気取った作意が透けて見え、陳腐で、薄っぺらな句になってしまうものである。
しかし、金子兜太は俳句という定型の音律形式がオノマトペを使いこなすのに格好のものであると述べている。また、漱石の「俳句はレトリックの煎じ詰めたもの」という言葉に触発されて俳句を始めた首藤基澄は句集『魄飛雨』(北溟社)の「あとがき」において、「片仮名語・擬音(態)語・方言・俗語・仮構・片言など、現在を生きる一人の人間の世界を少しでも浮かび上がらせるものであれば、それはそれでいいのではないか。」と言い、俳句表現の幅を広げるためには擬音(態)語・仮構も必要との考えをしている。
「俳句のレトリック」は言葉の力を最大限に引き出すための表現手法として重要な役割を果たす。レトリックは俳句という短詩型にとって有効な表現手段である。俳句は究極的には「レトリック」の固まりと言ってよい。作者の意図、感動を正しく読者に伝え、共感を得るために、もっと積極的に取り入れていいのではないか。
終わりに
正岡子規没後、高浜虚子を中心とする「ホトトギス派」と、河東碧梧桐を中心とする「新傾向俳句」に分かれる。「新傾向俳句」が五七五調や季題にとらわれない新しい句作を提唱したのに対し、「ホトトギス派」は五七五の定型調や季題といった伝統を守り、客観写生を深めることを主張した。その後、大正、昭和初期には客観写生派の「ホトトギス派」が俳壇の主流となり、今日に至っている。
しかし、その一方で、熊本にて運座(句会)を開き、正岡子規の新派俳句を熊本にもたらした漱石俳句の継承者は全国的にみてもいない。そこで、私は漱石の俳句を俳句の「技巧派」と名付けて、漱石派の後継者を自認することをここに公言したい。
[永田満徳blog】
〔追記〕本人の了解済み
昨日(15日・日曜日)に行なった「俳人協会熊本県支部交流句会」において、日永田渓葉氏は、私の講演を聞いて、早速、オノマトペを使った句を提出された。
すつとんと釣瓶落としの深眠り 渓葉
永田満徳評:午後から眠りで、意外と深く眠ってしまい、寝覚めた時はもう夕暮れになってしまったという状況をオノマトペを使って、面白い句としている。
また、その句会の、加藤いろはさんの高点句、
濠の水てらりと鵙の来る頃か いろは
は「てらり」というオノマトペが起点となった面白い句である。
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