花守や 白き頭を つき合せ

https://www.hitouta.com/post/%E3%81%95%E3%81%B3%EF%BC%88%E4%BF%B3%E8%AB%A7%EF%BC%89 【さび】より

花守や 白き頭を つき合せ −去来

奈良の吉野山は、言わずと知れた桜の名所です。かつて、この吉野桜は嵐山にも移されました。それは、吉野山は都から足を運ぶには遠く、帝の花見の御幸が叶わなかったためです。時の帝であった嵯峨天皇は、その後の嵐山の景色を知るために、ある春に勅使を遣わします。勅使が嵐山についてみると、目の前には美しく咲き誇る桜があり、そして木陰を清めては花に向かって祈念する老夫婦がいました。

尋ねると老夫婦は、神木たる吉野の桜を移したのだから、この嵐山の桜も神木であるためお祈りしていてるのだと答えます。「嵐」の名を持つこの山が、なぜ花を散らさないのかと言えば、それは「木守」と「勝手」と呼ばれる二神が時折現れては守護しているからだと言います。

二神の行いは、万人に対して分け隔てない恵みであり、たとえその名がふさわしくない場所だとしても見事に桜は花を咲かせるのです。やがて老夫婦は、自分達こそ その二神なのだと明かします。そして次のように告げたのち、再会を約して雲に乗って吉野の方へと飛び去りました。

「神仏の秩序たる春の風は空いっぱいに満ちた。だからたとえ心が乱れ、庭に植えていた木を切ってしまったとしても、それを神風によって吹き返せば、再び花が咲くかのごとく妄想の雲というのも吹き飛ばして晴れ渡ることだろう」

以上は、謡曲「嵐山」の一場面です。今回取り上げた芭蕉の弟子、去来の「花守や」の一句を、私はこの演目と重ねます。美しく咲く桜と、寂しさと孤独を感じる老いの対比が鮮やかな風景を描き出しています。

「花守」は、それまでの和歌や連歌の歴史においては、詠われることのなかった素材でした。詠み手の去来が、その慣習に捉われずに用いたということは、「嵐山」の台詞で示された「妄想の雲」を吹き飛ばしたことにもつながります。この一句以後、「花守」を詠み込む俳人が増えることからみても、俳諧の藝術性をはっきりと世に示した記念すべき作品といってもよいでしょう。

去来の師である芭蕉は、この句に対して「寂色よく顕はれ侍る」と述べました。「わび」については饒舌だった芭蕉が、「さび」についてその言葉を口にしたのは、意外にもこの一句の評が唯一のものでした。しかも単に「寂」ではなく「寂色」と述べています。それ以上の内容が芭蕉の口から語られることはありませんでしたが、それを受けて去来は、「さび」とは「句の色」であると捉え、静かな句だけでなく、にぎやかな句にも「さび」は現れるものだと後進に伝えました。

「色」といえば、まず仏教としての「色即是空」が思い浮かびます。実体のないことをいう「空」は、意識することで「色」として顕れる。去来は「さび」という閑寂たる境地、そこに行き着くための捉え方を「句の色」と言い換えたのでしょう。「色」という、生きていくうえで沸き起こる欲や主観。それは「うた」を詠う動機としては欠かせない要素です。しかし、それを超越したところにあるのが「さび」です。一見対照的とも思われる「寂」と「色」、それを結びつけた芭蕉の「寂色」とは、思い込みを捨て去った「さび」の境地へ向かうためのモノの見方だと私は考えます。去来の句にはそれがあった。

この句に詠まれた風景だけを捉えると、生き生きとした生を体現する桜に対し、老人はやがて来る死を象徴する存在でしかありません。しかし「白き頭をつき合わせ」て拝むその姿は神が形を変え、桜を守る姿かもしれません。また、もととなった謡曲では、神から分け隔てなく与えられた恵みによって、たとえ名がふさわしくない「嵐山」という地でも見事に花が咲くことが示されました。

芭蕉の「俳諧」が目指したのもまさにその境地であったと思います。それまで詠まれることがなかった素材に対しても、心の琴線に触れるかに従って素直に詠めば、その「うた」もまた見事に花が咲くのです。


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竹元 久了 · 2022年11月2日 ·

🌷日本人が培った心の文化・わびさびと幽玄の世界

♦わびさひの世界は日本社会の中に至るところで観られる。

日本の建築、芸術、文学、哲学、思想、日本食、陶芸、地方の街並み、里山など、全般に浸透している。自然の姿、物体、そして生き物との相互関係は、不完全さやはかなさといった、美に焦点を当てたこの世界観の重要な部分である。

引用

侘(わび、侘びとも)とは

動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。もっと端的にいえば「貧しい様子」「貧乏」ということになろうか。本来は良い概念ではなかったが、禅宗の影響などもあってこれが積極的に評価され美意識の中にとりこまれていった。

「わび」の真意は「貧困」、すなわち消極的にいえば「時流、はやりの社会にはいない」ということである。貧しいということ、すなわち世問的な事物―富・力・名に頼っていないこと、しかし、その人の心中には、なにか時代や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じること―これが「わび」を本質的に組成するものである。

「侘び」は現在では「質素な単純性、鮮度、慎ましさ」あるいは「渋い上品さ」という意味を持ち、自然のもの・人工的なもの両方に用いる。

わび・さび(侘・寂)は、日本の美意識の1つ。一般的に、質素で静かなものを指す。本来は、侘(わび)と寂(さび)は別の概念である。侘び・寂びというのは禅の影響で生まれた美意識であり、悟りを得るために理解すべき必要な要素である。禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。 仏性というのは「成仏するための基礎である神聖な性質」である。

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寂び

寂は動詞「さぶ」の名詞形で、本来は時間の経過によって劣化した様子(経年変化)を意味している。転じて「寂れる」というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。本来は良い概念ではなかったが、『徒然草』などには古くなった冊子を味わい深いと見る記述があり、この頃には古びた様子に美を見出す意識が生まれていたことが確認される。室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆく。さらに松尾芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、松尾本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされる。俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことで、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだという。

具体的な例で挙げられるのは、コケの生えた石がある。誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てた。このように古びた様子に美を見出す態度であるため、骨董趣味と関連が深い。たとえば、イギリスなどの骨董(アンティーク)とは、異なる点もあるものの、共通する面もあるといえる。寂はより自然そのものの作用に重点がある一方で、西洋の骨董では歴史面に重点があると考えられる。

寂びの意味には静寂も含まれる。日本ではあらゆるものを受け入れる為に静かで受身の心が必要だと考えられている。それは「無念」や「無想」として知られる精神状態である。これは単に何も考えや創造、感情などがない状態を言うものではない。思想、反省あるいは、すべての愛着を断った意識によって、生来の能力を働かせるという意味である。この心境をまた「無我」といい、利己的思想を抱かず、自分の所得を意識せぬ状態である。この心境になれれば、我々は悟りを開けると考えられている。上述のように日本の美意識にある寂びにとって静寂はとても重要な要素なのである。

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幽玄は「神秘的な深み」という風に通常翻訳される。幽玄とは言葉の意味には表れず、また、目には定かに見えなくても、その奥に人間が感じることが可能な美を意味する。「今、そこにある姿」の美しさだけを楽しむのではなく、そこに「隠された姿」の美しさを想像することで、感動に深みを与える美意識である。たとえば、花を見て「美しい」と思う。それは「今、そこにある美しい姿」である。美しい花にはいままで風や雨や雪などに耐えたという過去があり、そして、どんなに美しく咲こうともいつかは枯れていくという未来がある。美しい花はそれだけで感動を与えるが、そうした現在の姿の裏側にある過去と未来に見えるものに思いを馳せるとき、その美しさは「今、そこにある姿」を超えた感動を手にすることができる

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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