桜は神様の依り代

Facebook斉藤 一治さん投稿記事「呼吸」とは、神佛様が出入りされる儀式です。

約60兆個といわれる細胞に、瞬時に、平等に命(氣)を与えてくださいます。

そして、命の燃えかすを体外に連れ出してくださいます。「食べ物(生命)」も氣です。

口から入り、唾液とごちゃ混ぜになって腸様のところに送られます。

そこで分解、組み立て、消化、吸収が行われて命となります。

氣は私たちの心となり、その思いは波動となって宇宙に飛び出していき、同じ波動が共振共鳴します。

氣が氣を呼ぶ。類は類を呼ぶ。これが宇宙の摂理です。

自分が幸せの「氣」を出しますと、幸せの「波動」が幸せを呼び込んでくださいます。

自分が不平、不満、恨みの「氣」を出しますと、同じ波動が返ってきます。

このように、心のハンドルは自分の意志次第で自由自在に、右にも左にも切ることができます。

私たちは「思い通りにならない」とよく口にしますが、自分の心だけは思い通りになります。

宇宙に存在するあらゆるものは、この心(氣)で繋がっています。

残念ながら、私たちは、完璧で荘厳な宇宙の仕組みの中で、自由な心を与えられているにも関らず、自分中心の我欲の世界に心を閉ざし、損得だけの小さな世界に生きています。

何と勿体ないことでしょう。

この「自縄自縛」から自分を解放して差し上げましょう。

生きとし生けるもの、皆で思いっ切り、幸せであり続けましょう!

Facebook矢加部 幸彦さん投稿記事

日本各地、春爛漫。。桜(さくら)のくらは神座(かみくら)であり、それは神霊の依代。桜の花が開き、そこに神霊が宿る故、花見はまた神人和楽の共食の直会(なおらえ)。。

何と美しき風習なのでしょう。。日本に恋せよ!

https://www.wakonn.jp/contents/2023/03/mro-2023-03.php 【田の神様の依り代のもと「さくら」チーズを楽しむ】より

みなさまこんにちわ。

冬の寒さがすっかりやわらぎ、いよいよ春。桜が開花し始め、来週はお花見が楽しみですね。

お花見の起源をさかのぼれば、田の神の信仰にたどり着きます。

サクラの「サ」は、サナエ(早苗)の「サ」、サナボリの「サ」と、いわれ、田の神を意味します。

サクラの「クラ」は、神が宿るところ、つまり「神の依り代(よりしろ)」を意味します。

冬の間、山に住んでいた山の神は、春になると里に降りてきて、桜の木に宿(やど)ります。

稲の種蒔き(たねまき)の準備をする頃になると、その合図に、桜の花を咲かせます。

人々は神様を歓迎して桜の下で酒宴を開き、料理とお酒でもてなし、その年の豊作と無病息災をお願いしました。

因みに、お酒の「さ」「け」も、「さ」は神様を表し、「け」は食事を表します。

お味噌汁のCMで「朝餉(あさげ)」「夕餉(ゆうげ)」と言いますが、「け」には、「食事」の意味があります。

田植が始まると、神様は田んぼに移り、田の神となり、農事を見守ります。

無事に田植えが終わるのを見届けると、また山に帰って行くのですが、人々は、今度は『さなぼり』という、田植え終了の祝宴(しゅくえん)を開き、山にのぼる神様を見送りました。

「お花見」は、最初は、素朴な農耕儀式でしたが、やがて集落の人々が集まり、みんなで豊作を祈るための、祝いの祭りへと変わっていきました。咲き乱れる幻想的な桜を見上げ、誰もが心を和ましたのでしょう。

桜の下で飲んだり食べたりすることには、「楽しい」以外にも、神様への感謝やおもてなしの気持ちも、込められていたのですね。

桜の木の下でお花見を楽しむきっかけの一つとなったのが、歴史上有名な「醍醐(だいご)の花見」です。

1598年の春に豊臣秀吉が京都の醍醐寺において催した宴です。

「花見がしたい!」と思い立った秀吉の号令で、700本の桜を畿内(きない)から醍醐寺(だいごじ)に集めて移植し、三宝院(さんぽういん)に庭園をつくり、盛大な宴を開きました。

招待したのは、北政所(きたのまんどころ)、淀君(よどぎみ)、三の丸(さんのまる)など女房衆約1300人。

女性には全員に3枚ずつ打掛(うちかけ)が贈られました。

打掛というと和風ドレスのようなものですが、普通は一生に一度のもの。

それをお色直しも考えて、全員に3枚ずつ用意したのですから、当時、西陣が全部なくなったといわれています。

醍醐の山々には茶屋が設けられ、たくさんの女房衆(にょうぼうしゅ)が仮装行列を行いました。

今日の世の中が少し落ち着き、桜を愛でて友人たちとお食事が楽しめるようになることを願っています。

さて、今日の旬のチーズは、北海道の共働学舎新得農場のチーズ『さくら』と、その『さくら』をさらに2週間以上熟成させた『さくらのアフィネ』をお持ちしました。

https://ameblo.jp/marnya41/entry-12734539735.html 【桜は神様の依り代✨田の神信仰と桜】より

世の中に絶えて桜のなかりせば  春の心はのどけからまし

在原業平が『古今和歌集』で歌っている有名な句ですね。

初めてこの句を知った時に桜を想う切なさは時代を超えて共通なんだなぁととてもとても感動して、忘れられない句になりました。

日本人にとって時別な「桜」  桜のない春なんて想像つかないですね。

🌸🌸🌸

花見の起源をさかのぼれば 田の神信仰にたどり着くのだそうです。

サクラのサやサナエ(早苗)のサ サナボイ(あるいはサナブリ)のサは田の神を意味し

サクラのクラは 神が宿るところつまり神の依り代を意味するそうです。

冬の期間山に住んでいた山の神は 春になると里に降りてきて 桜の木に宿ります。

稲の種蒔きの準備をする頃になるとその合図に桜の花を咲かせます。

人々は神を歓迎して桜の下で酒宴を開き 料理と酒でもてなし 今年の豊作と無病息災を

お願いしたのだそうです。  

田植が始まると 神は田んぼに移って田の神となり農事を見守ります。

無事田植えが終わるのを見届けるとまた山に帰って行くのですが人々は今度は『さなぼり』という田植え終了の祝宴を開いて山にのぼる神を見送ったのだそうです。

現代ではほとんど見ることの無くなった桜との関わりですね。

🌸🌸🌸

最初は素朴な農耕儀式でしたが、やがて集落の人々が集まりみんなで豊作を祈るための

祝いの祭りへと変わっていったそうです。

桜の下で飲んだり食べたりすることには「楽しい」以外にも神様への感謝やおもてなしの気持ちも込められていたのですね。

桜を依り代している神様そんな神様に思いを馳せて桜を見上げたら当たり前と思っていたことにも毎年咲く桜にも感謝の気持ちが湧きます🌸✨✨

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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