Facebook田中 宏明さん投稿記事
この不安の原因はなんだろう この怖れの原因はなんだろう このイライラの原因はなんだろう 幼少期の両親の不仲か 昔仲間はずれにされた恐怖か 認めてほしい人に 認めてもらえなかったことか 多くの人がそうやって 原因を探そうとしますそんな必要はありません^ ^
今あるその感情は原因が分かったところで無くなるものではないからです
いつも同じことを言っていますがそれはただ感じられずに放置されていた未消化の感情の残滓に過ぎません
だからしっかり感じて受け入れると消えてしまうのです
感じてくれてありがとうと言って昇華して行きます 何度も何度もやって来るでしょうがその度に感じて受け入れる その繰り返しで必ず消えて行きます
不安や怖れと対峙しなければそれは永遠にあなたに気づいて欲しくていつまでもあなたの心をノックし続けて来ます
例えばもしあなたがその感情と対峙しないまま死んだとしたらその次の生がもしあれば
その感情は引き継がれるでしょう それくらい感情は強いエネルギーなんです
それを人はカルマなんて言ったりしますが要はただほったらかしに していただけです
本当は心の底から怒りたかったのに それをたくさんの理由をつけてもしあなたがしてこなかったとしたら その怒りのエネルギーは残り続けます
そして怒るための人や状況を引き寄せ続けるのですが あなたには怒りへの怖れがあるために
怒ることが出来ません
そんな時は怒る事への自分の怖れがあるんだと深く認め受け入れることです
そうすればもうそんな人や状況は必要なくなります
何にせよ抑圧され、無視されたものは必ずあなたに戻って来ます
あなたがそれを否定せずに受け入れるまで^ ^
なぜまだこんなことが起こるのだろう?そんな時ってありますよねそれはまだケリのついていない感情があるというサインです
その度に真摯に自分の感情と向き合うこと 実はそれだけで十分なんです
人は喜怒哀楽の全てを全体的に生きない限りそれを超えて行くことは出来ません
超えて行くとはもうそれをちゃんと味わったということです 悲しいだけの人も不完全です
怒るだけの人も不完全です 優しいだけの人は不完全です 楽しいだけの人も不完全です
全てがあって人間です それが人間を学ぶという事なのだと思います
学び終われば卒業です^ ^そう言えば僕の師匠はめっちゃ嬉しそうにわしはもうこの星へは来ん!と言ってましたな^ ^次はどこの星へ行くのやら(笑)
てなわけで皆さまもよい一日を🌈らぶ💓
Facebook相田 公弘さん投稿記事
「これだけは請け負います。人生のたそがれどきを迎えて死の床につくときあなたがいちばん後悔するのは負ってきたあらゆるリスクではありません。
あなたの心を満たす最大の後悔と悲しみは避けてきたすべてのリスク つかまなかったすべての機会 立ち向かおうとしなかったすべての恐怖でしょう。」
byアレクサンダー・ロックハート(自分を磨く方法より)
自分の人生の最後を想像することによって「今」が見えてきます
「今」悩んでいる問題はいつか死ぬ時になってもまだ問題か?その問題に背を向けたことを
死ぬ間際に後悔しないように「今」を生きて悔いのない人生を送れたら素晴らしいですね☆
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「勇気とは恐怖心を抱いていないことではなく恐怖心を抱いていても行動する度胸があることだ」byアレクサンダー・ロックハート
・・・━━━☆・
今日の1歩
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みんな恐怖心ってもっているんですねあの有名な人も偉人と言われる人も坂本竜馬師匠も
松下幸之助翁もみんな恐怖心を抱きながらも勇気をだして行動していたのですね☆
※100人の一歩より
Facebook山地 弘純さん投稿記事
他の方の翻訳を参考にさせていただきながら、Google翻訳さんや海外wikiにもお世話になりました。「有恐怖」にあたるサンスクリット語の「トラスト」は傷とか恐怖の意味で、トラウマの語源の可能性があることは大きな発見でした。
(ギリシャ語が語源の節が有力ですが、そもそもギリシャ語とサンスクリット語が大きく共通する)「安らぎ」にあたる「ビバラティ」も安息の施設の「ビハーラ」と同義にあたるのでしょうね。
「プラープティヒ」は「望むものを手に入れること」で、これは引き寄せと同じことで、完全なる法則性を思っていると落とし穴となることが述べられていると解釈しました。
「パーラ」の「向こう岸」は迷いの世界と並行にある涅槃の世界のことで、物の隔たりを超えた向こうにあるパラレルワールドです。
パーラとパラレルの発音的に語源が興味深いです。
また、調べる過程で、龍樹曰く「ニルヴァーナは、別の角度から見た共通の現実に他なりません」という言葉を見つけたことがなにより嬉しかったです。
結局マイナスと捉えている物事の裏側には必ずプラスと捉えることができて、サンカーラに貯蔵している「トラスト」をプラスマイナスゼロ(空)にすることで、軽やかに生きていけるということですね。
智慧とは、自分という壁の向こう側の洞察のこと。波羅蜜多とは極めていくこと。
つまり、世界には多種多様な価値観とそれに伴う選択肢が無限に広がっているということを知っておくこと(見抜き)。
そして自分が知らなかった価値観に触れ、それによって心が楽になったということを身をもって体験し、自らの世界が広がったという発見をすること(気付き)。
それが「般若波羅蜜多」です。
Facebook加藤隆行さん投稿記事【恐怖からの回復過程:酸素足りない病】
最近の自分の備忘録として書いたのだが、長いよ。
自分は幼少期からずっと強い対人緊張と多数の自律神経失調症状に悩まされてきた。さらに対人がいなくともカラダが突然、意味もなく強い恐怖に襲われ、過緊張となりカラダがガチガチになる時がある、というかまだしょっちゅう。特に首がガッチガチになり、その時は脳がフル回転、終わったあとは異常な脳疲労とともに、グッタリと全身倦怠の状態となりしばらく動けない。これが半日~丸一日続くこともある。カウンセラーとか言ってるけどまだこんな状態。
以前はこれが大かれ少なかれ四六時中常にあり、それでもサラリーマンしていたのだから(そして成果を残していたのだから)、とても信じられない。医者からは異常なしと見放され続けて来たから、働くしかない。ASDやADHDやLD、HSPやAPDなどの症状もここに含まれる。
で、それを心理療法以外にも、栄養を整えること、鍼・整体やボディワークなどの身体へのアプローチ、怪しいご祈祷や幽体離脱なども含め笑、いろいろやってきた成果でかなりマシになったのではあるが、ここ最近はとある方法でこれが激減したので、その方法を記しておきたいと思う。
いたって簡単で誰でもできる方法なのだが、いかんせん自分ごとなので、他者にどれほど適応できるかは不明。だがラクになる人は多いと思う。
経緯を記す。
今まではこの緊張と不調がなぜ起こるのか明確にはよくわからなかった。まだ解明できぬ身体のトラブルか、メンタル面とすれば昔の両親との関係性が根本原因なのではと思っていた。それを会社での人間関係や、頑張りすぎることで激しくこじらせてきた実感がある。それらも重大な要因なのだと思うし、実際そういうセッションを受けることで大きくラクにはなっていった。だがカラダの芯の部分ではあまり変わっていかなかった、と思う。
実は、自分は幼少期にプールで溺れたことがある。たぶん小1ぐらい。
その時の記憶はウソかホントか鮮明に残っている。最初は息ができずもがき苦しんだのだが、すぐにフッとラクになり、ゆらゆら揺れる水面から見える光をキレイと思いながら恐怖もなく暗い水の底へと沈んでいったのを覚えている。で、気がつけば仰向けで水をゲホゲホ吐きながら咳き込んでいる自分がいた。ライフセーバーが助けてくれたらしい。
この事故については普段はすっかり忘れて暮らしており、たまたま思い出しても笑い話のひとつにしていたぐらい。だがこの記憶が、自分の中の強い恐怖とつながっていると分かったのは、2、3年ほど前のゲシュタルト療法のワークによる。「人が怖い」「対人恐怖」の話から入って、身体感覚をたどっていったら、ここにたどり着いた。ゲシュタルトの恩師、ももちゃんのおかげ。
そのおかげさまで過緊張でガチガチになっている自分のカラダがだいぶ緩んだのだが、まだだいぶシンドいし、症状も残る。対人緊張もまだまだ強くて、いろいろ試す中、今年になってふと気がつく。
自分のカラダがガチガチになるのは、呼吸が浅くなり脳に酸素が少なくなった時にスイッチが入っている様子。必ずではないが、とにかく呼吸が浅くなった時に、突然脳がフル稼働しはじめカラダをロックしている。これはマインドフルネス瞑想をしていて気づいたこと。
なるほど、やっぱ溺れて死にそうになったときのことをカラダが覚えている。呼吸が浅くなるとカラダをギュッと固めて、扁桃体がフル稼働し、「危機への対処」「死への準備」をするらしい。交感神経、背側迷走神経がおもきし働いている。その「過剰な対処反応」=「誤作動」をカラダが手放せないのだ。わかりやすくトラウマだったね。
じゃあ、しっかり酸素を送ってあげよう。でもいっぱい”吸う”のは「吸いたい吸いたい(足りない足りない)」と思っているカラダの恐れの状態を助長している感じ。過呼吸になってしまうだけ。
であれば「ゆっくり長~くはいて、自然に吸い込む」というカタチにしてはどうか。まあこんなことは呼吸法など学ぶと出てくる一般的な方法だし、今までも何度でもやったことある。でも自分に理屈がついて必要と思ってやると、日常の中に当たり前のように組み込んで実践しはじめる。
ゆーっくり長ーく10秒ぐらいかけて吐いたあと、自然に深く吸い込む。勝手に腹式になり、同時に肺にもいっぱい空気が入る。すると脳がその都度、反応しているのがわかる。「酸素ないない!」とカラダが、脳が、悲鳴を上げている状態から、すーっと自然な状態で呼気が入ってくることで「酸素あった!」「助かった!」とホッと脳が安心し、やがて満足するのだ。その感覚をじんわり味わいながら日々を過ごす。
これを一ヶ月ほどやってみた。先週はその上、沖縄でのんびりしていた。キレイな空気で思う存分、日々やり続ける。
気がつくと、ガチガチ恐怖がかなり減った。大かれ少なかれ1日に一度は必ず起こるのに大丈夫な日がかなり出てきた。変な恐怖や不安が出てこないし、なにより首が柔らかい(これは鍼の効果もでかい)。まあ多少しんどく固まって恐れやあせりが出てくる時があるが、この方法で呼吸を15分ほども続けていると、やんわりと収まっていく。
昨日、セロトニン道場で有名な有田先生の本『朝5分の呼吸法』を読んだ。まったく同じ方法が書いてあった。本の副題は『やっかいな脳のクセをリセットする』。
なるほど、自分は「酸素足りない病」だったのだ、と思った。
酸素が脳に行き渡るようになると、酸素以外の「足りない足りない」という気持ちもどんどん薄れていった。ほしかったのは、お金でも名誉でもスゴイ成果でもなく、無限に眼の前にある空気だった。安心は「今ここ」にあった。あせりがスーッと消えていった。
とまあ、とはいえ身体症状はまだ残っているし、お金も名誉もほしいのだが(笑)、コツコツとこれ続けていくことで、確実にラクになっていけると確信したので、ここに書いてみた。
実際、やっと身体が整ってきて呼吸が適用できるようになってきたとも言えるのだけど、単回性トラウマでも発達性トラウマでも、呼吸が浅くなるのは一緒だろう。その呼吸の改善が、あなたの脳を安定させると思う。
誰かのお役に立てれば幸い。
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