苺の句

https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20040509,20090724,20130705&tit=%E4%95&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%E4%95%82%CC 【季語が苺の句】より

 苺ジャム男子はこれを食ふ可らず

                           竹下しづの女

季語は「苺」。春の季語と思っている人も多いだろうが、また実際に春先から出回るが、本来の苺の旬は夏だ。冬苺を除いて、野生のものはすべて夏に熟成する。詠まれたのは、昭和十年代初期と思われる。日中戦争が拡大しつつあった時期であり、軍国日本が大いに称揚された世相下であった。すなわち、日本男子たるものは軟弱であってはならぬと戒められた時代の句だ。「苺ジャム」のように甘くてべとべとしたものを好むようでは、ロクな男にはならないぞ。そう作者は警告しているわけだが、夫が急逝したために、女手ひとつで二男三女を育て上げた作者の気概は、おそらく一般男子に向いていたのではなく、息子たちにこそ向けられていたのだろう。この姿勢を「軍国の母」の一典型と見るのはみやすいが、当時の世相の中で、息子たちが人並み以上の立派な日本男子になってほしいと鼓舞する気持ちには、打たれるものがある。何かにつけて、父親がいないせいだと後ろ指などさされたくはない。そのためには、日頃の立居振る舞いから衣食住生活にいたるまで、おさおさ怠りのないようにと、母は二人を叱咤するのである。愚かだと、誰がこの明治の母を嗤えるだろうか。それはそれとして、総じて男は辛党であり女は甘党であるという迷信が、いまだに生きつづけているというのも不思議な話だ。男がひとりで甘味屋に入ると怪訝な顔をされるし、女ひとりが居酒屋で一杯やるのには勇気がいりそうだ。私自身は辛党に分類されるはずだけれど、甘いものが嫌いなわけじゃない。大学に入ったころ保田與重郎の息子と友だちになり、かの日本浪漫派の主軸邸で汁粉食い大会をやらかしたことを思い出した。しかし、以後はだんだんと世間体をはばかりはじめて、いつしか諾々と迷信に従ってしまった結果の辛党であるようだ。この主体性無き姿勢をこそ、私の常識では軟弱と言うしかないのだが。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)

 投票の帰りの見切苺買ふ

                           岸田稚魚

見切苺は言葉の発見。この発見で一句の核は決まる。あとは演出だ。誰かが見切苺をどうするのか。あるいは見切苺自体がどうにかなるのか。主客を決め、場面を設定する。投票を用いたために、見切苺は社会的な寓意を持つに至る。熟し過ぎたかすでに腐敗も始まっているか。結局は食えずに無駄になるかもしれないけれど、それでも俺はあの候補に投票したぞという喩が生じるのである。寓意は最初から意図されると、実るほど頭を垂れる稲穂かなのように実際の稲穂の描写とは離れてまったくの箴言、標語のようになる。この句、庶民の生活の一コマを描写したあとで、じわっと寓意を感じる。その「間」が大切。『負け犬』(1957)所収。(今井 聖)

 本を買い苺の箱と重ねもつ

                           田川飛旅子

ああこれぞ「写生」だ。苺の必然性を問題にすると苺は苺らしくあらねばならず、この句の場合だと苺の箱の大きさが本の大きさとちょうど合っているというような議論になる。あるいは赤い色が鮮烈だとか。みんな後講釈に思える。箱の大きさが本と重ねもつことができる大きさでそれが即ち季語であれば御の字ということになる。たとえば苺の箱の代りに玩具の箱だと大きさもぴったり、韻律もぴったり、子供へ買ったという生活感も出るが、季語になりませんからな。俳句にはなりませんな。ということになる。どこかおかしいような気がする。季語が季節感のために必要ならそもそも冬でもスーパーで売っている苺は季節感を持つのか。苺は夏が旬だとしてもなぜそんなことが絶対的教条になるのか。写生というのは目の前のものをよくみて写すことだ。今を切り取ることだ。田川さんはそういうところを攻めた俳人。この句にもそんな主張がアイロニーのように込められている。『花文字』(1955)所収。(今井 聖)


http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/05/post-1848.html 【俳句鑑賞:「苺」「イチゴ」「いちご」】より  

手作りの庭の味覚や苺採る  

掲句は庭の初物の赤い苺をナメクジに食われた無念さや手作りのケーキなどに苺を愛でたこと詠んだ薫風士の俳句です。     

コロナ禍や苺の花に小さき夢      初物の赤き苺の裏は穴

大粒はナメクジ食みし庭苺       虫除けに小枝の支へ苺成る

手作りのケーキのトップ庭苺      今朝のパン狭庭の苺ジャムにして

「歳時記」(俳誌のサロン)や「575筆まか勢」から気の向くままに「苺」の俳句を抜粋掲載させて頂きます。

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「歳時記」(俳誌のサロン)

苺買ひ牛乳(ちち)忘れたる迂闊かな  (能村登四郎)

二坪の菜園孫とイチゴ狩り  (贄田俊之) 

誰もゐぬ母の故郷蛇苺   (湯浅夏以)

諦めの悪き男がいちご食ふ  (秋千晴) 

「575筆まか勢」 

団欒は紅き苺をつぶすとき (五十嵐播水)  

ただ苺つぶし食べあふそれでよし(中村汀女)

和解とは苺ミルクを潰すのみ(河野多希女)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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