「いのちをいただく」

Facebook相田 公弘さん投稿記事【王さまと仏教】

ひろさちや氏の心に響く言葉より…

こんな仏教説話がある…。狩猟を趣味とする王さまがいた。政務のあいだをぬって、よく狩猟に出かける。一方、この王さまは仏教の信心に厚い。日ごろから仏教教団に布施し、しばしば聖地への巡礼もする。この王さまを家臣たちは笑う。仏教の禁じる殺生(せっしょう)をさんざんやっておいて、聖地巡拝(じゅんぱい)はおかしいではないか…というわけだ。

その家臣たちの声が王さまの耳に入った。王さまは家臣を集めて話す。

「ここに大きな鍋があって、湯がぐらぐら沸きたっている。中に金塊が入っているが、おまえたちはその金塊を取り出せるか」「できません。火傷(やけど)します」

「しかし、わしにはできる。どうするかといえば、冷水をそそいでやるといいのだ。そうすると、熱湯もさめて、手を入れても火傷をしない」さらに王さまはつづける。

「わしは国王であって、武人である。狩猟は武人にとって大事な鍛錬だからやめるわけにはいかん。そこでわしは、罪をつくった熱湯をさますために、聖地への巡拝をするのだ」

わたしたちの職業も同じである。

われわれが職業に専念すればするほど、悪行をつくり、他人に迷惑をかけることが多い。

大事なことは、そのとき、生きていくためにはやむをえないと開き直らずに、素直に「すまない」と詫(わ)びる気持ちを持ち、反面において少しでも宗教心を持つことだ。

ほんの少しでも熱湯の温度を下げるようにすればいいのである。そうすれば、「ほとけ心」という金塊が得られるであろう。

『捨てちゃえ、捨てちゃえ』PHP研究所

人は殺生はいけないと思いつつ、生きているものを殺(あや)め、それを食べる。

それは、植物であろうが動物であろうが、たくさんの命の犠牲の上に自分がいるということ。

それゆえ、生きていくことは矛盾の積み重ねだ。その意味では、潔癖すぎる人は、生きずらい。黒か白か、右か左かと極端に走りやすいからだ。本当は、黒も白も、右も左も、という選択もある。それは、殺生した食物を食べるとき、「ありがとう」「いただきます」と、自然の恵みに感謝する選択。

そしてさらに、そこで必要なのが、祓(はら)えだ。

神道においては、6月末に「夏越の祓え」という祭祀(さいし)があり、12月末には師走の大祓式がある。

半年の間に身についた罪や穢(けが)れを祓う。祈りではなく、祓えなのだ。

すると、熱湯の温度が下がる。

稲盛和夫氏は、「相反する矛盾することを、平然とやってのけることができる人を名経営者という」と言った。

そして心の奥底に、『素直に「すまない」と詫びる気持ちを持つ』こと。

人は、年齢を重ねれば重ねるほど、あの世に近づいていく。言い変えれば、神さまに近づいていく。だからこそ…

ある程度の年齢からは、宗教心を持ったほうがいい。

■【人の心に灯をともす】のブログより


Facebook思わず涙する感動秘話投稿記事「いのちをいただく」

その絵本の帯に、一人の名も無い主婦のメッセージが書かれていた。 

「朗読を聴いて、うちのムスメが 食事を残さなくなりました」絵本に食肉加工センターの「坂本さん」という人が登場する。実在の人物である。坂本さんの職場では毎日毎日たくさんの牛が殺され、その肉が市場に卸されている。

牛を殺すとき、牛と目が合う。そのたびに坂本さんは、「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。

ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。「明日の牛か…」と坂本さんは思った。しかし、いつまで経っても荷台から牛が降りてこない。

不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、牛のお腹をさすりながら何か話し掛けている。

その声が聞こえてきた。「みいちゃん、ごめんねぇ。 みいちゃん、ごめんねぇ……」

坂本さんは思った、(見なきゃよかった)女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。

「みいちゃんはこの子と一緒に育てました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。

 ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。明日はよろしくお願いします…」 

(もうできん。もうこの仕事はやめよう)と思った坂本さん、

明日の仕事を休むことにした。

家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。

しのぶ君はじっと聞いていた。一緒にお風呂に入ったとき、しのぶ君は父親に言った。

「やっぱりお父さんがしてやってよ。心の無か人がしたら牛が苦しむけん」しかし、坂本さんは休むと決めていた。

翌日、学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。「お父さん、今日は行かなんよ!

  (行かないといけないよ)」坂本さんの心が揺れた。

そしてしぶしぶ仕事場へと車を走らせた。牛舎に入った。坂本さんを見ると、他の牛と同じようにみいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。

「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと みんなが困るけん。ごめんよう」

と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。殺すとき、動いて急所をはずすと牛は苦しむ。坂本さんが、「じっとしとけよ、じっとしとけよ」と言うと、みいちゃんは

動かなくなった。次の瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちた。

牛の涙を坂本さんは初めて見た。


https://note.com/mirei1978/n/ncb45442c8bbc 【絵本レビュー「いのちをいただく」】より

読みながら泣いてしまいました。タイトルそのままですが「いのちをいただく」ことについて考えさせれらる絵本です。涙なしで読み切れるか自信がないので、小学校の読み聞かせに選んだことはまだないのですが、いつか高学年のクラスで読んでみたい絵本です。

大人も子どもも一度は、動物園や牧場で牛や豚や鶏を見る機会はあると思います。そうするとやっぱり「牧場で働く人たちは、大事に育てている動物を出荷してしまうとき、辛くないのかな」、「人間が食べるために育てられる動物はかわいそうだな」など考えますよね。

観光牧場とかに行くと、お土産屋さんにソーセージとか地鶏の加工品とか売ってたりするので、「え、さっき見てた豚さんがこの骨付きフランクフルトになっちゃうの??」と、考えざるを得ない状況だったりもして。

ただ、食肉加工の仕事ついてはあまり知る機会はありません。牧場でも豚からソーセージに変わる途中経過の説明はないので、かろうじて牧場で売っているソーセージを美味しく食べられますが、もし牧場内に食肉加工センターがあったら、とてもそこでお肉を食べる気にはならない気がします。

坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。牛を殺して、お肉にする仕事です。

坂本さんはこの仕事がずっといやでした。

「いのちをいただく」内田美智子

この絵本の主人公は食肉加工センターで働いている坂本さん。感情が入ったらできる仕事ではないだろうから、淡々と機械的に仕事をしているのかな、と思いきや『殺される牛と目が合うたびに仕事がいやになり、いつかやめよう、と考えながら仕事をしている』そうなんです。それは辛い。

そんなある日、坂本さんの仕事場に、牛を出荷するためおじいちゃんと女の子がやってきます。女の子は牛の”みいちゃん”のことが大好きで、本当は出荷したくないのです。でもどうしても、生活のために出荷しなければならず、女の子は『みいちゃん、ごめんねぇ、ごめんねぇ』と”みいちゃん”に話しかけています。それを聞いて、坂本さんは『この仕事はやめよう、もうできん』と思い、明日の仕事は休もうと考えていました。

帰宅後、このことを息子のしのぶくんに話したのですが、『ふーん』と言っただけ。

坂本さんはどうするのでしょうか…。そしてみいちゃんはどうなるのか…。

正直、この絵本を読んだ後、こんなにみんなが辛い思いをするなら肉は食べるべきじゃないのかもという気にもなりました。

肉を食べること(特に牛肉)は、環境負荷がかかるといわれていることもあり、今後は少しずつ肉の消費量は減る流れに向かっているのかな、と思いますが、やっぱりお肉は好きなので、食べるときは、動物にはもちろん、牧場の人、食肉加工をしている方にも感謝しなければ、と改めて思いました。

幼稚園児~大人までおすすめです。方言(熊本弁?)で書かれているので、小さいお子さんが自分で読むのは少し難しいかもしれません。ただ、方言で書かれていることで、よりリアルな感じが伝わってきます。(実際、実話なのですが)

ちなみにこのお話、単行本と絵本の2種類あります。私が読んだのは単行本の方で、分類としては絵本ではないみたいですが、絵もたくさんあってルビもふられているのでお子さんも読めます。巻末には、九州大学の佐藤剛史助教が農漁業や保育に携わる人たちを取材し、執筆した現場ルポ「いただきますということ」を収録されています。ただ、絵本版の方が本のサイズも大きく、絵も子ども向けな雰囲気なので、小さなお子さんには絵本版がいいかもしれません。


https://www.youtube.com/watch?v=AV0B_d9NGxM

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000