Facebook相田 公弘さん投稿記事
悲しいかな、今の日本は便利になりすぎました。水道をひねれば いつも 水が出て、スイッチを押せば電気がつく。
コンビにに行けば 簡単に食べられるものがたくさん売っていて、都心部では 緑と公園が減り、子供たちは 携帯やゲームを与えられれば大満足
社会を便利にするために生まれたものが自然や目に見えないものへの敬い や創意工夫の精神を奪ってしまったーそんな皮肉な結果が、いまの日本の閉塞感をつくっているように思えてなりません。
人生に迷ったときに 大事なのは「原点に帰ること」。
自分にとって何が一番大切かを思い出すこと。
話題になった映画の中で「永遠のゼロ」「ゼログラビティ」がありますが
その共通点は、何か分かりますか?それは「ゼロ」です。「0」は「レイ(霊)」とも読め、
「目に見えないもの」、「原点」という意味もあります。
実は、ちょうど今の時代も日本人の原点、地球人の原点に 回帰する時期に思えてなりません。
他にも 話題になった作品に「風立ちぬ」「海賊と呼ばれた男」「はだしのゲン」「終戦のエンペラー」などがありましたが共通してるのは、どれも時代設定が 戦争前後の混乱期だということです。
時代は、繰り返すと言いますが今は、あの頃の混乱期と 同じ学びが周期的に巡ってきているように感じます。
今の時代を季節で言うなら、冬の時代です。これは古事記で言うところの「天照大御神が岩戸にお隠れになった」日本神話にあたります。
つまり、これからは 春の時代に向けて「岩戸開き」がはじまります。
私たちは今大きな時代の転換期にいて古い殻から脱皮する時期にいるのです。
天照大神がお隠れになった問題に対して八百万の神々は 会議をひらきました。その結論は みんなが団結しそれぞれが 自分の個性を 発揮し、「笑い」と「芸術」の力で 岩戸開けようというものでした。
これからは「原点」に立ちかえり自分の個性を精一杯に活かし自分の足元から明るくしていく必要があります。
もし 物事がこれまでのようにうまくいかなくなったら、今のままではいけない、古い自分から新しい自分に生まれ変わるときがきているというサインです。
2015年を境に 世の中のパラダイムが大きく転換していきます。
その後 どのような未来を創っていけるかは私達 一人一人の意識 次第です。( 大樹 )
Facebook竹元 久了さん投稿記事 🌷 心に響く日本語の言霊の力
堤 江実(詩人) (『致知』2012年2月号 より)
私が開催する詩の朗読ワークショップでよく目にする光景です。
体調が優れず、出席がためらわれたと辛そうにおっしゃっていた生徒さんが、終わる頃には「具合がすっかりよくなりました」とばら色の頬をして帰るのです。
肩こりが癒えた、不眠症が治った、リウマチの痛みが消えた、そんな言葉を何度聞いたことでしょう。心を解き放ち、呼吸を整え、正しい姿勢で美しい日本語を口にする時。体のすみずみまで共鳴するその声の波動は、癒やしの力に満ちています。
言霊という言葉に象徴されるように、一つひとつの言葉に、神が宿り、霊が宿ると信じたご先祖様の思いをのせて、いまに受け継がれてきた日本語。
このたぐい稀な美しい響きの言葉には、音そのものに不思議な力があるそのことは文化放送のアナウンサー、そして詩人として、日本語に深く携わり続けてきた私の、ゆるぎない実感となりました。
日本語は、ほとんどすべての音節が母音で終わります。語尾が伸びやかに広がって、やわらかく心地よい響きです。
西洋や中東ではどうでしょう。あまり口を開けず、唇や歯を複雑に操作してつくり出す子音の勝った言語が多く見受けられます。
おなかから出た息がそのまま声に乗る日本語のような開放感は、そこにはありません。
言葉は、人々が暮らしを営む風土から生まれます。長い時間をかけて、独特のたおやかなやさしい響きを育んできた日本語とは、どんな風土から、どんな人々から生まれた言葉なのでしょう。
日本語と同じように母音を主体とする言語は、ハワイ、サモア、タヒチなど、太平洋に広がるポリネシア諸島でかつて話されていた言葉だけといわれます。
ハワイ語の「アロハ(こんにちは)」「マハロ(ありがとう)」などがどこか懐かしく感じられるのも、この母音の響きの安らかさゆえでしょう。
温暖な気候風土の中、豊かな自然の恵みに守られた人々が話す言葉は、素直に開けた口から
然に無理なく吐く息に乗せて発音されます。
一方で寒さや砂嵐など、自然との厳しい闘いを余儀なくされる地域では、口をぽかんと開けてなどいられません。
過酷な環境の中に必死で社会を築いていった人々の生んだ言語は、口元を緩めずに複雑な子音を駆使する傾向にあります。
これらの言葉がどこか戦闘的できつく聞こえることが多いのも、そのためでしょう。
母音の美しい日本語。そのルーツは遙かに歴史を遡り、縄文時代に辿り着きます。
過去数十年に考古学は飛躍的な進歩を遂げ、日本中で縄文の遺跡の調査が相次ぎました。
能登半島の真脇や、青森の三内丸山では、数千年もの長きにわたり平和に暮らしを営んだ定住集落の跡が発掘されました。これらの遺跡から、縄文時代が一万数千年以上も続いた、見事な文明と文化を持った時代だったことが知られるようになったのです。
氷河期に次ぐ温暖化の時代の日本。そこで築かれたのは、自然と調和し、分かち合い、争うことのない、世界史上でも稀に見る長期安定社会でした。
やがて寒冷期となり、渡来人の訪れとともに縄文時代が終わりを告げても、日本人は自然を畏れ、敬い、慈しむ心とともに生き続けてきました。
そのことは、日本の国土の七割近くがいまなお緑に覆われ、世界有数の森林率を保っていることからも明らかです。
日本語の母音の美しさが穏やかな気候風土や平和な地域に特有のものであるとすれば、それは一つひとつの音に、縄文の記憶が宿っているからにほかなりません。
自然と共生し、他を思いやり、助け合って幸せに暮らしていたご先祖様の遺伝子を、今日に繋ぐもの それこそが日本の言葉なのだといえましょう。
いま世界がもっとも必要としている平和な社会、豊かな自然、人々の幸せ。これらを原点に持つ言葉を受け継いできたことに対する誇りとともに、その響きの美しさを慎重に守る姿勢を忘れないようにしなければいけません。
腹式呼吸そのままの発声を基本とする日本語は、体のどこにも無理を強いることのない、
天然自然の言葉です。自分の発する声を一番初めに受け止めるのは自分自身。
冷たい言葉をとげとげしい口調で表すのと、温かい言葉をやさしい声に託すのでは、
自分の体に対しても大きな違いが生まれます。
美しい言葉を口にして、その響きを体全体で受け止めることは、全身の気を整え、健康をもたらす効果もあるのです。
情報のデジタル化が進み、メールやインターネット上に無機質な言葉が氾濫する昨今、言葉は言霊を通り越した、単なる記号になりつつあります。
けれども本来の言葉とは、目に飛び込んでくる映像ではなく、耳から伝わってくる波動でした。だからこそ、音としての言葉にしっかり向き合うことを疎かにしてはならないのではないのでしょうか。
人は、言葉によって生かされ、心を伝え、幸せを求める生き物です。言葉によって社会を築き、文化を紡ぎ、歴史を繋いでゆくのです。
その言葉を一つひとつ丁寧に慈しむことの大切さを、詩を詠むことを通して、次の世代に伝えていきたいと思っています。
今は 縄文時代の言霊語のルーツを古代にさかのぼれば古代人のシューメル語、エジプト語、バビロニア語がシルクロードの流れの中で民族語が融合しながら日本に辿りつき、縄文回り歌、縄文語に観られます。
縄文歌と縄文言葉のチカラは平和な世界へ導くものであります。日本人のルーツも合わせ、1人の日本人によって紐解かれております。 堤 江実さん
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