ひょうたん島

https://www.oricon.co.jp/article/1210147/ 【岩手・大槌町「蓬莱島」ひょっこりひょうたん島は本当にあった!?】より

東日本大震災で甚大な被害を受けた、岩手県三陸の大槌町。ここに「ひょっこりひょうたん島」のモデルといわれる蓬莱島があることをご存知でしょうか?島をモチーフとした駅舎もできるなど、町の震災復興のシンボルとしても活躍する蓬莱島を訪ねてみませんか?

大槌湾に浮かぶその島・・・?

岩手県大槌町は三陸沿岸部に位置する小さな町。3・11東日本大震災では甚大な被害を受けたことは記憶に新しいことかと思います。今も着々と復興作業が続く大槌町に、そのシンボル的な存在の島があります。

写真:岩手県観光協会

それは大槌湾の入口にある「蓬莱島」です。この島、よく見ると何かに似ているとは思いませんか?そう、NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」にそっくり!この蓬莱島はひょっこりひょうたん島のモデルのひとつと言われています。

二つの丘があり、小さな丘の方には灯台があってディテールまで酷似!そんな蓬莱島があるため、大槌町では毎日正午に防災無線からひょっこりひょうたん島のテーマソングが流れるのです。

歩いて渡れる蓬莱島!

蓬莱島は大槌湾に浮かぶ小さな島ですが、実はそこまでは防波堤が伸びています。画像ではわかりにくいかもしれませんが意外に距離があり、その長さ約340m。せっかく近くまで来たのなら、歩いて渡ってみましょう。何かがきっと待っている?

ちなみにこの島を蓬莱島と名付けたのは江戸時代の盛岡藩主・南部利視。船に乗り海の上からこの島を見てその美しさに見とれ、それまでは「珊瑚島」と言われていたのを「蓬莱島」と呼ぶようにと告げたのです。

そんな蓬莱島に渡ってみると、大きな丘の方には弁天神社があります。ここに祀られる弁財天像は鎌倉時代に大津波が起こり、その際に近くの浜に流れついた像で、それ以来地元漁師たちの守り神としてここに祀られたのだとか。そんなことから地元では弁天島とも呼ばれているそうです。

津波は蓬莱島も襲った

3・11で大槌町を襲った津波はこの蓬莱島も襲い、灯台は津波に飲み込まれて根元から折れて無くなってしまいました。現在ある灯台は震災後に再建されたもので、地元大槌町民の公募で選ばれたデザインとなっています。モチーフは太陽と砂時計だそうで、真っ赤な灯台が海に映えています。

津波は灯台や鳥居を流してしまいましたが、なんと奇跡的に神社に祀られた弁財天像は津波に耐えてここに留まりました。地元の漁師さんたちにとっても大事な心のよりどころは流されずに済んだのです。

そして蓬莱島を復興のシンボルとして元の姿へ戻すべく、「ひょうたん島復興プロジェクト」が設立され、全国から支援金を募って弁財天像や参道の修復が行われたのです。

こうして蓬莱島は大槌湾の入口で海の安全を守りつつ、復興のシンボル、また大槌町のシンボルとして今に至っています。震災を機にひょっこりひょうたん島のモデルとして広く知られるようになり、トヨタ自動車のCMにも登場するなど町にとっては重要な観光資源のひとつにもなっています。

三陸鉄道「大槌駅」も開業

そして震災後不通となっていたJR山田線「大槌駅」が、三陸鉄道へ移管され2019年に待望の営業再開となりました。駅舎も海から離れた位置へと移され、同時に駅舎もリニューアル!その駅舎は大槌町の蓬莱島=ひょっこりひょうたん島を形どった実にユニークなもの。

駅舎にはひょうたん島の仲間たちもたくさんいますので、一見の価値あり!大槌町を訪れたならぜひ立ち寄ってみてください!


https://www.min-iren.gr.jp/?p=35887 【まちのチカラ ひょうたん島と吉里吉里人 岩手県大槌町】より

文・写真 野田雅也(フォトジャーナリスト)

リアス式海岸が続く吉里吉里半島

作家の井上ひさしが愛した岩手県南部の大槌町。

代表作のテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」や、小説「吉里吉里人」の舞台になりました。

2011年の東日本大震災で壊滅的被害を受けましたが、新しい町には暮らしの明かりが灯り始めています。

大槌湾に浮かぶ蓬莱島

岩手県 大槌町 大槌町の正午、町内放送のスピーカーから軽快なメロディーが流れます。NHKのテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」の主題歌。曲が流れると、町民は条件反射でお弁当を開けてしまうとか…。

 大槌湾に浮かぶ「蓬莱島」は、大小ふたつの大岩が連なる周囲200mの小さな島で、「ひょうたん島」の愛称で知られます。海の守り神である弁財天が祀られていることから、地元の人は親しみを込めて「弁天様」と呼びます。島へは防潮堤を歩いて渡り、弁天様の祠に参拝することができます。

 リアス式海岸の三陸沖は寒流と暖流が出会う潮目で、魚種が豊富。ノルウェーやカナダに並ぶ“世界三大漁場”の1つです。なかでも大槌町は新巻鮭の発祥の地として知られ、古くからサケ漁が盛んです。

 取材当日は夏に海から冷たい風が吹く「やませ」の影響で、濃霧に包まれました。

 港ではウニやホヤの水揚げが最盛期に。地元で「くろかぜ」と呼ばれるキタムラサキウニは、資源保護のために漁の期間や回数、水揚げ量が制限されています。片手で磯舟を操る漁師は、箱めがねで海中をのぞきタモ網で海底からウニをすくい上げます。牛乳瓶に詰めて売られる新鮮な生うには上品な甘みと香りが格別。

 水揚げされたホヤは、4年かけて大槌湾で養殖されました。最近は全国各地に新鮮なホヤの刺身が流通していますが、時間がたつほどクセが増す珍味。とれたてのホヤを加工するのが、大槌市場に隣接する小豆嶋漁業㈱で、燻製にして販売しています。

 東日本大震災で被災した加工場は、2013年に再建されたもの。小豆嶋漁業の小豆嶋映子さん(54)は、「全国から届いた支援のおかげで再起できました」と、お礼の気持ちを込めて大槌の味を全国へ届けています。

蓬莱島(ひょうたん島)と復旧工事が続く町並み

蓬莱島(ひょうたん島)と復旧工事が続く町並み

大槌湾で育てた養殖のホヤの水揚げは最盛期

大槌湾で育てた養殖のホヤの水揚げは最盛期

森を育てる吉里吉里人

 東北の小さな村がある日、独立宣言したことから始まる井上ひさしの小説「吉里吉里人」。大槌町東部地区の吉里吉里をモデルに、高度経済成長に浮かれる日本から独立する物語が、巧妙かつユーモアたっぷりに描かれます。

 吉里吉里の地名は、アイヌ語で「白い砂浜」の意味。ここの砂浜を歩くと「キリキリ」と音がする鳴き砂に由来するそう。「大槌」という地名も一説にはアイヌ語で「川尻にいつも鮭止め掛ける川」の意味で、当時の暮らしぶりがうかがえます。アイヌの悲しい歴史に想いを馳せた井上ひさしだからこそ、作品の舞台に大槌町を選んだのでしょう。

 架空の吉里吉里国をヒントに、震災後にNPO法人「吉里吉里国」が設立されました。もちろん独立国家ではなく、津波被害で壊滅した町、変わり果てた海、そして荒廃した森を再生することが目的です。

 法人理事長の芳賀正彦さん(70)は自宅を流され、避難所で眠れない夜を過ごしました。がれきの廃材や薪を燃やして暖をとりながら、「変わらず残ったのは山だけ。海の再生には荒廃した森の復活が必要だ」と気づきます。「生かされた命を、今度は森のために活かそう」と、きこりになる決意をし、がれき撤去をしながら手つかずの森の整備を始めました。

 寒い夜に燃やした杉の薪は、50年前に吉里吉里の漁師が植林したもの。芳賀さんは、「恩を先人に返すことはできないが、豊かな森を育て後世に贈ることはできる」と、現在は「100年の杉の森」を育てるために、担い手育成や子どもたちの環境学習に力を入れています。「独立国でなくても、心の独立と揺るぎない誇りを持つのが吉里吉里人。森と海の再生は、『未来への恩送り』なのです」。

 「眼は静かで、鼻筋と心はまっすぐ、顎と志は堅くて、唇と礼儀は厚い」と、小説に描かれた吉里吉里人に出会えたような気がしました。

「100年の杉の森」を育てる芳賀正彦さん

「100年の杉の森」を育てる芳賀正彦さん

前川善兵衛と「虎舞」

 吉里吉里から国道45号線を海岸沿いに北上すると、砂浜と松林の美しさで有名だった「浪板海岸」があります。海水浴客やサーファーで賑わっていましたが、震災で50㎝以上も地盤沈下し、白いビーチは消えてしまいました。

 浪板海岸の切り立つ崖の上に、三陸の魅力がたっぷり詰まった磯ラーメン発祥の「海辺の茶屋 きりきり善兵衛」があります。目の前の漁場でとれた魚介と香り高いワカメやメカブ、マツモなどの海藻類がたっぷりとのった和風だしのラーメンです。

 高台にある店舗は無事で、オーナーの前川隆太郎さん(61)は震災翌日から、山で水を汲み厨房の在庫でラーメンの炊き出しに尽力しました。寒風吹きすさぶ中での湯気立つラーメンは、被災者の身も心も温めたに違いありません。

 店名の「きりきり善兵衛」は、江戸時代の豪商・前川(吉里吉里)善兵衛に由来します。三陸の海産物を運ぶ海運業で成功し、「虎舞」を大槌に伝え、飢饉に苦しむ3万人を救った吉里吉里の伝説のヒーロー。前川さんは、歴代善兵衛を名乗る前川家とは遠縁の親戚。飢饉の時に蔵を開けて雑穀粥を配った善兵衛と、ラーメンの炊き出しを行った隆太郎さん、どこか似ているところもあるようです。

 大槌町の郷土芸能「虎舞」は、獅子舞のように笛や太鼓の囃子に合わせて虎が舞います。前川善兵衛が江戸で大人気だった近松門左衛門の浄瑠璃を観て感動し、虎退治の場面を吉里吉里で再現したのが始まりだそうです。

 「大槌虎舞協議会」の石井恒さん(53)は、「虎舞があるから、大槌がある」と力を込めます。代々受け継いだ12体の虎の頭は津波に流されましたが、ひとつが残りました。被災した町民から「もう一度、観たい」と期待が高まり、虎舞を伝承する町内4団体が合同で再開。復興への力が湧き上がりました。善兵衛が伝えた虎舞は世代を超えて町と人をつなぐ大衆文化として根付いています。

大槌虎舞協議会の石井恒さん

大槌虎舞協議会の石井恒さん

灯り始めた明かり

 震災から7年半、高台移転やかさ上げ工事が進み、新しい町の形が見えてきました。小豆嶋漁業の小豆嶋映子さんは、山を切り開いた高台の宅地に自宅を新築。「窓から海を眺め、船の汽笛の音で目を覚ます。海とともにある毎日が、大槌の暮らしなんです」と喜びを語ります。

 蓬莱島には「鎌倉時代の大津波で流れ着いた木彫りの像を漁師が島に祀った」という言い伝えがあります。震災の津波で弁天像も波に沈みましたが、奇跡的にその姿を残しました。

 弁天像の修復時に、顔の内部に言い伝え通りの木像が存在することが判明。弁天像の背には「大正6年修復」と刻まれていたことから、明治三陸地震の津波(1896年)の後に修復されたと推測されます。

 修復作業を終えた〝町の宝〟を蓬莱島にお迎えするために、岸辺には祭り囃子が響き、虎が舞い獅子が踊りました。海の民は弁天様のお帰りを心から喜び合いました。弁天様はこれからも人びとを見守り、津波の記憶を未来に伝える存在であり続けることでしょう。

 今年も虎が舞う「大槌まつり」が、9月21日から23日まで開催されます。ぜひお出かけください。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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