五島空海ゆかりの地

https://goto.nagasaki-tabinet.com/model/62417 【五島空海ゆかりの地を「ちょい旅」より

明星院(日本遺産)みょうじょういん

日本遺産認定、五島八十八カ所霊場第一番札所

明星院は、五島家代々の祈願所で、現在の本堂は第28代五島藩主盛運公が安永七年(1778年)に建立したものです。五島においては真言宗の本山であり、五島最古の木造建築物です。

五島の真言宗の本山であり、寺として五島最古の歴史を持つ明星院は、遣唐使として中国へ渡った弘法大師空海が帰国時に立ち寄ったという寺伝をもち、江戸時代は五島藩主家代々の祈願寺として崇敬を集めました。

本堂は、最古級の木造建築物で、2015年に日本遺産に認定されました。その本堂は、1778年(安永7年)に第28代盛運(もりゆき)公が火災で焼失したのを再建したもので、ひのきの芯柱20本が使用されています。また、本堂格天井には121枚の花鳥画が極彩色に描かれており、狩野派の絵師坪玄能筆と伝えられています。

本堂・天井絵・主要な仏具仏器は長崎県の有形文化財に指定されており、数々の秘宝が眠る伝統ある寺院です。

遣唐使船寄泊地の碑

遣唐使船日本最後の寄泊地

遣唐使船寄泊地の碑-1

魚津ヶ崎公園の岬には、「遣唐使船寄泊地」の碑が建てられています。

長く険しかった当時の船旅に思いをはせながら、遣唐使ゆかりの地をしのぶ観光客が多く訪れています。

白石のともづな石(日本遺産)

しらいしのとのづないし

遣唐使たちの想いを今に伝える

岐宿町白石は遣唐使船最後の寄泊地。第16次遣唐使船(804年)には、空海や最澄も乗っていました。

この小さなともづな石は、遣唐使たちが船の修理や食料補給、風待ちをするために港に入った際、船からの綱をつないでいたといわれています。遣唐使たちの命をかけた偉業を讃え、地元では小さな祠を建てて漁業、海上安全の神としてこの石を祀っています。

ともづな石が祀られている小さなお堂には、お線香や花などが供えられてあり、現在も地元の人々の手によって大切に守られています。そっと手を合わせると、心が温かくなるスポットです。

また、五島市の史跡であり、日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島」の構成遺産でもあります。

白良ヶ浜万葉公園 しららがはままんようこうえん

旧三井楽町の地域づくりのキャッチフレーズである「西のはて万葉の里づくり」の拠点施設として整備されました

かつて万葉の時代に遣唐使船の日本最後の寄港地としてにぎわいをみせていた三井楽の地。当時の哀歓は万葉集や蜻蛉日記に切々と綴られています。その歴史の面影を今に伝えようと、整備されたのが万葉公園です。

南国ムードが漂う園内は、イベント広場、多目的広場、冒険広場、万葉広場の4つのゾーンから構成され、ハギやヤマブキなど万葉ゆかりの草花が植栽されています。そして、公園のほぼ中央部の高台には、遣唐使船を模した展望台もあり、朱色の船艇が公園のシンボルとなっています。また、万葉集の歌碑も建てられており、海を眺めながら万葉の世界を堪能できます。

ターザンロープ、アスレチック施設などの遊具もあり、家族みんなで楽しめる憩いの場となっています。

万葉公園の地面をよく見ると、白い砂で覆われているのが分かります。実は、この万葉公園は白良ヶ浜の砂が強い北風で飛ばされ降り積もってできた砂丘です。

遣唐使ふるさと館

現在まで受け継がれた文化の伝承とともに、特産品の開発・観光土産品の販売促進、コミュニティ機能を兼ね備えた産業文化施設

遣唐使ふるさと館-1

【展示コーナー】遣唐使や万葉に関連した資料の展示。

【インフォメーション】9面マルチ映像による五島三井楽町の紹介。

【物産販売コーナー】五島市の特産品や万葉グッズの販売。

【研修室】地域の会議や、生け花講習、ステンドグラス教室などに利用。また、団体様用のお食事会場としても利用可能です。

【和室】収容可能人員80名。歓送迎会や、忘年会など各種宴会対応可能。

【レストラン】収容人員80名(団体客利用も可能)ランチ・ディナーもお楽しみいただけます。焼肉コーナーでは、五島牛を存分に堪能できますよ。

人気は、金・土・日・祝日のランチタイムに実施される「ふるさとバイキング」。

五島市三井楽町の婦人会の方と共同で地元の食材、地元の調理法にこだわった、郷土料理バイキングを楽しめます。五島うどん、ひじきの煮物、山菜の天ぷらなど、季節の料理約40種類を提供しています。郷土料理だけでなく、カレー、グラタン、パスタなど、ふるさと館のシェフが作る洋食もバランスよく用意されており、オススメです。

12月第2日曜日には『三井楽産品まつり』、2月には『五島つばきマラソン』、その他万葉まつりなど多彩なイベントも開催されます。

辞本涯の碑じほんがいのひ

空海記念碑。空海の偉徳を顕彰するため柏崎公園に建立。

辞本涯の碑は、三井楽半島の先端、柏崎公園内にあります。遣唐使ゆかりの柏崎と第16次遣唐使船(804年)で唐に渡った空海の深い関わりを知った有志の方々が建立したものです。

姫島を背に立つ記念碑には、「日本の最果ての地を去る」という意味の「辞本涯」という文字が刻まれています。これは空海が書物に残した言葉だとか。

東シナ海を見つめていると、命をかけて唐に渡った遣唐使たちの勇気と偉業を偲び、胸を打たれます。すぐ近くには柏崎灯台もあり、三井楽半島からの海を眺めることもできます。

高崎鼻(高崎草原)たかさきばな(たかさきそうげん)

北風で変化した樹木

三井楽の北側に広がる高崎鼻周辺の草地。この草原の先は、東シナ海を経て中国大陸です。冬の北風や荒波を物語るように変形した樹形も点在し、島ならではの姿を見ることができます。

真っ青な東シナ海を一望しながら爽やかな緑のなかで散策を楽しめ、目の前に広がる絶景、また、波の音を聞きながら眺める夕陽は忘れられない思い出になります。

高崎鼻~柏崎~長崎鼻までの海岸域及び海域は、国の名勝に指定されています。


https://heiseibasho.com/heiseibasho-comment-kukai/ 【平成芭蕉の旅語録~五島福江島の名所「大瀬崎」の夕陽と空海ゆかりの地】より

長崎県五島の名所「夕陽の大瀬崎灯台」と日本最西端の地

遣唐使船の日本最後の寄港地

空海と「辞本涯」の碑

長崎県の五島は今話題の世界遺産だけでなく、「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋」というストーリーで日本遺産にも認定されています。

これらの島に残る史跡や文化財で構成される物語は、朝鮮半島や中国大陸との交流や交易によって作られた「国境の島」特有の文化が伝わり、特に五島では奈良・平安時代に大海原へ漕ぎだした遣唐使たちに想いを馳せることができます。

すなわち、五島市の「三井楽」は日本最西端にあり、遣唐使船の日本最後の寄港地として弘法大師、空海も804年に立ち寄り、命を賭して日本を去るという意味の「辞本涯」という三文字を残しています。

「本涯」とは日本の最果ての地という意味ですが、かつては福江島の三井楽は「亡き人に会える島」、「此岸と彼岸の交わる場所」と考えられていたのです。

五島に残る弘法大師、空海の足跡

また、空海は唐より帰国の際にもこの福江島の寺に立ち寄り、明星の奇光を拝して、自分が修めた密教が国家や民衆のために役立つものと、仏より示されたと歓び、寺の名前を「明星院」と命名しました。

現在、この明星院は高野山真言宗に属し、「五島88か所島へんろ」の第一番札所になっており、五島家の祈願寺でもあります。

空海の唐での偉業と密教の教え

空海は五島を出港した後、苦難の末、赤岸鎮に漂着、福州を経由して長安に赴きました。

そして長安に着いた空海は、金剛頂経、大日経という2系統の密教を統合した第一人者のインド僧の恵果に師事し、胎蔵界・金剛界・伝法など密教のすべてを教わり、灌頂(かんじょう)を受け、正式な継承者となったのです。

密教という難しい教義も空海の次の名言で私たちにもわかりやすく理解できます。

 片手だけでは拍手できない 片足だけでは歩けない 右手と左手が感応して拍手になり、

 右足と左足が感応して歩く だから相手が感応するまで祈り続けなさい

 修行して悟りを得ようとする人は 心の本源を悟ることが必要である

 心の本源とは清らかできれいな明るい心である 周りの環境は心の状態によって変わる

 心が暗いと何を見ても楽しくない 静かで落ち着いた環境にいれば、

 心も自然と穏やかになる

五島での空海の軌跡を訪ねる五島88か所島遍路を巡ると、四国のお遍路とはまた異なる体験が得られます。

私はこの自然豊かな島の大瀬崎断崖にたたずみ、大瀬崎灯台のかなたに日本で最後に沈む黄金色の夕日を眺めていると、弘法大師の教えの通り、心も穏やかに、また素直な気持ちになれたような気がします。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

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https://heiseibasho.com/japan-heritage-kokkyo-goto/ 【平成芭蕉の日本遺産~古代からの架け橋「国境の島」遣唐使船最後の寄港地 五島列島】より

遣唐使船最後の寄港地であり「亡き人に逢える島」五島の三井楽

仏教における極楽浄土は太陽の沈む西方かなたにあるとされ、日本の最西端に位置する長崎県五島列島福江島の「三井楽(耳楽)」の地は、「あの世」に最も近い場所として道綱母が『蜻蛉(かげろふ)日記』で詠んだ歌枕の地でもあります。

みみらくの島

その平安時代の『蜻蛉(かげろふ)日記』には

「ありとだに よそにても見む 名にし負わば われに聞かせよ みみらくの島」

(耳楽の島よ、耳を楽しませてくれる島なら 何処にあるのか聞かせておくれ。早速行って亡き母がいるならせめて遠くからでもお会いしたいものよ)

という歌が詠まれており、福江島の三井楽は、西方浄土との境で「亡き人に逢える島」「此岸と彼岸の交わる場所」とされていました。

そしてこの三井楽の柏崎は、また遣唐使船の最終寄港地として利用されていた港でもあります。唐に渡った空海(弘法大師)も命を賭してこの日本最後の地を去ったことから「辞本涯」(本涯とは日本の果ての意)という碑が建っています。

三井楽の「辞本涯」の碑

630年から838年にかけて派遣された遣唐使船は当初、壱岐・対馬を通り、朝鮮半島を経て中国大陸に渡っていましたが、新羅との外交関係が悪化すると、五島から東シナ海を横断し中国大陸に入るようになったのです。

そのため遣唐使たちは遣唐使船の最後の寄港地であった五島で航海の安全を祈り、決死の覚悟で旅立ちました。岐宿町白石に残る「ともづな石」は、遣唐船が食料補給や風待ちをするために立ち寄った際、とも綱を結わえた石といわれています。現在では地元の人が唐使たちの命をかけた偉業を讃え、小さな祠を建てて豊漁、海上安全の神としてこの石を祀っています。

白石の「ともづな石」

804年の第16次遣唐使船に乗っていた空海・最澄も五島から大陸に渡りましたが、その遣唐使や空海・最澄ゆかりの地は五島列島各地にあり、壱岐・対馬とともに古代からの架け橋「国境の島」としてその物語は日本遺産に認定されています。

遣唐使船

これらの「国境の島」に残る史跡や文化財で構成される物語は、朝鮮半島や中国大陸との交流や交易によって作られた特有の文化が伝わり、特に五島では奈良・平安時代に大海原へ漕ぎだした遣唐使たちに想いを馳せることができます。

そこで私は遣唐使たちが最後に見た五島の風景を体感し、日本遺産「国境の島」のストーリーに想いを馳せるべく、五島家第35代の五島典昭当主に福江島を案内していただきました。徒然草第52段「仁和寺にある法師」の「すこしのことにも先達はあらまほしき事なり」と書かれているように、日本遺産のようなストーリーを理解するには適切な指南書またはガイドが必要なのです。

五島家35代五島典昭当主

五島家35代五島典昭当主

三井楽(みいらく)にある道の駅「ふるさと物産館」では、名物の五島うどん、椿油や芋・むぎ焼酎など、五島の島々の逸品をそろえているだけでなく、「万葉シアター」と呼ばれる「遣唐使」と「万葉」をテーマにした展示施設があり、三井楽オリジナルの人形アニメーション映像も見ることができます。

五島に残る弘法大師、空海の足跡

「辞本涯」の言葉を残した空海は、五島を出港した後、苦難の末、赤岸鎮に漂着、福州を経由して長安に赴きました。そして長安に着いた空海は、金剛頂経、大日経という2系統の密教を統合した第一人者のインド僧の恵果に師事し、胎蔵界・金剛界・伝法など密教のすべてを教わり、灌頂(かんじょう)を受け、正式な継承者となったのです。

明星院

そして唐より帰国した際にもこの福江島の寺に立ち寄り、明星の奇光を拝して、「自分が修めた密教が国家や民衆のために役立つ」と仏より示されたと歓び、その寺の名前を「明星院」と命名しました。

現在、この明星院は高野山真言宗に属し、「五島88か所島へんろ」の第一番札所になっており、五島家の祈願寺でもあります。密教という難しい教義も空海の次の名言で私たちにもわかりやすく理解できます。

 修行して悟りを得ようとする人は 心の本源を悟ることが必要である

 心の本源とは清らかできれいな明るい心である

 周りの環境は心の状態によって変わる 心が暗いと何を見ても楽しくない

 静かで落ち着いた環境にいれば、 心も自然と穏やかになる

五島での空海の軌跡を訪ねる「五島88か所島遍路」を巡ると、四国のお遍路とはまた異なる体験が得られるようです。

私は五島当主に夕陽の名所大瀬崎灯台にも案内していただきましたが、自然豊かな島の大瀬崎断崖にたたずみ、海のかなたに日本で最後に沈む黄金色の夕日を眺めていると、弘法大師の教えの通り、心も穏やかに、また素直な気持ちになれたような気がしました。

夕陽の沈む大瀬崎灯台

最澄ゆかりの上五島「山王山」と遣唐使船の「ともじり石」

五島市の福江島から高速艇で上五島町の若松島に渡って、最初に訪れたのは日島曲古墓群(ひのしままがりこぼぐん)でした。これは中世から近世にかけての古墓群で多くの石塔が並ぶ風景は圧巻で、関西方面の御影石や福井県の若狭方面の日引石など島外から持ち込まれた石材が多く使われており、これは船のバラスト(重し)であったと言われています。

日島曲古墓群

上五島には最澄ゆかりの山王山があり、最澄はこの山王山に遣唐使の航海安全を祈願し、帰国後は入唐成就のお礼詣で訪れ、比叡山延暦寺の守護神・山王権現を祭祀したと言われています。

山麓の荒川集落に一之宮、八合目付近に二ノ宮、山頂に三之宮が祀られており、三之宮後方には展望所があって360度のパノラマを楽しむことができますが、新上五島町青方郷に鎮座する青方神社は古名を山王宮と称し、山王山の遥拝所でした。

上五島の青方神社

また、相河は、中世期には鮎河(あゆかわ)と呼ばれる遣唐使船の風待ち港で、福江島の白石の「ともづな石」同様、遣唐使船が係留した時の綱をとった「ともじり石」が大切に保存され、石祠が祀られています。 

ともじり石と祠

宝亀7年(776)、大使佐伯今毛人率いる第14次遣唐使船が相河に寄港し1ヶ月以上風待ちしましたが、一向に追い風が吹かず、大津(博多)に引き返すとの記録があり、その折、船を係留した石とされています。

五島、上五島はこれらの日本遺産ストーリーだけでなく、世界遺産の「潜伏キリシタン教会群」でも知られていますが、この世界遺産でも教会堂という建物ではなく、集落や集落跡が登録対象となっている点に注意すべきです。

世界遺産の旧五輪教会

教会堂は長い潜伏期間を乗り越え、どんなに過酷な迫害に遭っても、決してその信仰を捨てなかった信者たちが渇望した「神の家」であり、本当の世界遺産の価値は、厳しい生活の中から少しづつ資金を捻出し、自分たちの生活よりも神の家を建てることを優先した信徒たちの魂にあることを知っていただきたいと思います。

そして世界遺産登録で観光地化が進んでも、紺碧の雄大な東シナ海の平穏と共に、この五島列島の美しい景観が未来永劫損なわれないことと「国境の島」としての歴史が語り継がれることを祈念します。

国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~

日本遺産ストーリー 〔長崎県:壱岐市、対馬市、五島市、上五島町〕

日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。

特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。

その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺える。

国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域である。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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