四国の文化を世界に発信する「四国遍路」

https://madoka575.co.jp/nhk_matsuyama-shikokuhenro.html 【】NHK松山放送局『四国羅針盤』出演

NHK総合(四国域内)『四国羅針盤』の10月6日(金)19:30~20:00放送「どうつなぐ?四国の遍路文化」に黛まどかが出演します。谷地健吾アナウンサー、愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センターの胡光教授と共に、遍路文化を次代につなぎ、持続可能なものにしていくために今何が必要かを考えていきます。


https://www.nhk.jp/p/s-rashinban/ts/211VG8ZQ7K/ 【四国らしんばん】より

お知らせ

【募集中】地震や防災に関する質問や意見をお寄せください。

最近放送したエピソード

スペシャル 「能登×四国 いま考えたい防災」

あなたの備えは大丈夫?能登半島を襲った大規模地震。皆さんの脳裏には何がよぎったでしょうか。耐震化は?孤立は?番組HPからコメントや質問を募集中。専門家が答えます

能登半島地震で多くが犠牲となった「家屋の倒壊」。耐震化の重要性が指摘されるが、四国ではどうなのか。耐震化に踏み出せない地域の本音。一方で津波被害が想定されるにも関わらず、耐震化を進めることができた高知の事例を紹介する。そして重大な課題となった「集落の孤立」。四国では2000を超える地域が孤立するとされる。どこに孤立リスクが潜み、住民はどう備えているのか。高知出身ディレクターが自らの故郷を検証する。


https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/ron/20210611-001.html 【四国の文化を世界に発信する「四国遍路」】より

愛媛大教授 胡光氏

えべす・ひかる氏=1966年、愛媛県生まれ。九州大大学院博士後期課程単位取得。専門は、日本近世史。四国遍路や四国の大名、四国の祭礼を研究。香川県庁学芸員、愛媛大法文学部准教授を経て、現在教授。2019年より、四国遍路・世界の巡礼研究センター長。

ニューヨーク・タイムズから

2015年1月、ニューヨーク・タイムズ紙ホームページで、その年訪れるべき世界の52カ所が発表され、日本で唯一「四国」が選ばれて、「四国遍路の場所」として紹介された。以来、外国人遍路の姿は確実に増えている。彼らは必ず、遍路の白装束を着て歩いて遍路をする。彼らが日本の中で四国を選ぶのは、「ロスト・ジャパン」すなわち、失われた日本の自然や文化を四国の中に求めることが多く、遍路をした後の感想では、四国の自然や人々(「お接待」)への称賛が加わる。私自身も彼らを案内した時には、同様の答えが返ってきた。

ニューヨーク・タイムズは、四国遍路に1200年の歴史があり、特に松山は札所が集中する重要な場所であるとともに、120年前に建てられた楼閣のような日本最古の温泉があると特筆している。この文章には四国遍路や道後温泉の特徴が凝縮されている。本館が完成したのは、明治時代の1894年、日清戦争の年であり、まさに司馬遼太郎が描く『坂の上の雲』の時代である。翌年、松山中学に赴任した英語教師・夏目漱石は、後に『坊っちゃん』を著し「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ」と完成直後の道後温泉の雄姿を記している。現在、道後温泉でお遍路さんの姿を見かけることはないが、本館完成以前には全てのお遍路さんが訪れた場所であり、四国遍路と道後温泉を合わせて紹介したニューヨーク・タイムズの記事は故なしとしない。

世界遺産がない四国では、四県と関係市町、経済界、霊場会、大学、ボランティア団体など産官学オール四国体制で世界遺産推進協議会を組織して、世界遺産化を進めており、愛媛大学でも四国遍路・世界の巡礼研究センターが協力協定を結び、学術面から支援している。小稿では、世界遺産化のために必要とされる「顕著な普遍的価値」を、四国遍路の歴史の中から探ってみたい。

四国遍路の成立と発展

四国遍路は、徳島・高知・愛媛・香川の四県からなる、四国一円に広がる弘法大師空海ゆかりの八十八箇所霊場を巡る全長1400㌔㍍に及ぶ壮大な回遊型巡礼である。四国遍路の原型は、1200年以上前に空海が行ったような、四国の自然と同化しようとする山林修行であった。讃岐出身の空海自身が記した出家宣言書『三教指帰』には、阿波大瀧嶽・土佐室戸崎・伊予石鎚山などでの厳しい修行の様子が詳しい。平安時代には、都から離れた山海の難所を回遊する「辺地修行」へと展開して、多くの僧が四国へ渡ってきた。石鎚山等の山岳信仰、浄土への入り口としての土佐室戸岬等、都から南西に位置する四国は聖なる島としての信仰が篤かった。平安時代末(12世紀)に著された『今昔物語』『梁塵秘抄』には、僧が衣を濡らして修行する「四国の辺地」の語が見える。「辺地修行」ならびに「四国」を記す最古の例が同時に現れることは、聖地四国を象徴するものである。

四国に生まれ、四国で悟りを開いた空海は、唐で密教を学び、大日如来や不動明王など新たな仏と、曼荼羅など難解な教義を可視化するシステムを伝え、仏教の世界観を日本に広めた。さらに、医学・土木・文学・教育など多方面での活躍が国民的な信仰を誕生させた。

没後86年に醍醐天皇から弘法大師の尊号を賜り、高野山奥之院で永遠の瞑想を続ける大師として尊崇を集めるようになると(入定信仰)、鎌倉時代には大師の遺跡を巡る修行が始まり、「四国辺路」と呼ばれる巡礼としての形を整えてくる。弘法大師が「四国辺路」開創に関わったことを記す最古の史料は、道後石手寺の由緒を記した室町時代・1567年の「刻板」である。これによれば、衛門三郎という富豪が私欲を肥やし仏神を信じないため、8人の男子が死に、自ら剃髪して四国辺路を行った。阿波焼山寺で病死する時、伊予国司になることを望み、空海(弘法大師)は八塚右衛門三郎と書いた石を握らせる。後に河野家でこの石を握った男子が誕生し、ゆかりの安養寺に奉納して、石手寺と改称したという。四国遍路開創を伝えるだけでなく、「死と再生」という四国遍路の重要なモチーフを示している。

さらに、在地の神々の信仰に加え、熊野や白山、観音信仰も伝わってきたが、弘法大師信仰は、「大師一尊化」によって、あらゆる宗教宗派を包含し、統合する「四国遍路」という巡礼を完成させた。弘法大師信仰がさらに高まると、江戸時代までに、神道を含む多様な宗教宗派の八十八の札所が固定されるとともに、後に全ての札所に大師堂が建立され巡拝されるという特殊な巡礼形態を持つようになった。このことは、特定の修行僧が行う「修行」から一般庶民が巡る「巡礼」へ移行することも意味する。庶民への「四国遍路」定着を担ったのは、案内本を著し、遍路道を整備した真念に代表される庶民であった。1687年、初めての案内本である真念『四国辺路道指南』が出版される。版を重ね、書名が「辺路」から「徧礼」「遍路」にかわっていくように、修行の辺路から巡礼の遍路への転換期となった。

遍路日記に見る接待と道後温泉

九州で発見した江戸時代・1845年の「四国日記」(福岡県立図書館保管/佐治洋一氏蔵)によると、筑前津屋崎(同県福津市)を出立した佐治家一行は、三津浜(松山市)に上陸後、四国遍路で毎日のように接待に出会う。接待者名・内容を詳しく記録していることから、接待が四国遍路の特徴であることを当時の人も認識していた。接待の内容は様々で、食料が最も多いが、月代髪結い、草鞋など、遍路に必要なものが全て含まれている。内容を集計してみると、最も多いのは、香物と赤飯である。続いて、月代、銭、唐豆類、煮しめ、餅、草鞋があり、さらに白飯・焼米・ひきわり飯・弁当・はったい粉・唐黍・薬・茶・豆腐・吸物が記される。身の丈に合った、できる範囲での接待を行っていることが分かる。

一行が再び松山に戻る、結願の最終日は、三坂峠を下って、最後の札所51番石手寺にて「此所打仕廻につき一切ぬき納メ又受」ことになる。そして、道後の湯につかり、「其夕御札仕廻の心祝いとて酒なと買祝ひ申也」とくつろぎ、泊まる。

讃岐国吉津村(香川県三豊市)庄屋新延家の1833年「四国順禮道中記録」(香川県立ミュージアム蔵)によると、遍路の途中で道後横町船屋に滞留し、湯八幡宮や諸所見物し、土産を買い、温泉に入る。当時の道後温泉は、壱之湯:武家の湯、弐之湯:婦人湯、三之湯:男湯、養生湯:男女混浴、馬之湯:牛馬湯の別があり、気さくな松山藩士によって、壱之湯を案内され、感嘆した様子が記されている。湯の区別があっても、全ての身分の人が温泉を利用しており、遍路も立ち寄っていたことが分かる。さらに、本書の土産記事では、最も多いのが「大師御影」「線香」、次が「道後艾」なのである。温泉と灸で遍路の疲れを癒やし、その艾を土産に遍路を続けた。

道後石手寺に伝わる四国遍路の発生譚には、大師のもとでの「死と再生の物語」が説かれる。巡礼者は大師の修行の道を辿ることで、大師に「救い」を求め、四国の人々は、彼らに「お接待」することで大師に救われると信じた。「お接待」によって、庶民の巡礼が可能となり、何度も「回遊」することが可能となる。記録や伝承には、不治の病や怪我が遍路の途中で治った話が伝わり、奉納物には大師への感謝が綴られる。富めぬ者や健康でない者も包み込む四国は、救済の場所であった。

四国の文化―四国の求心力

阿波・土佐・伊予・讃岐の四カ国は、仏教における「発心」「修行」「菩提」「涅槃」の道場に例えられるように、空海が伝えた曼荼羅の世界と各国の特徴も表している。後に、一人であっても弘法大師とともにある「同行二人」の精神も誕生し、幾多の困難を乗り越え、結願後には大いなる達成感を得る。その背景には、四国の自然や文化が深く関わっていて、古き良き日本の伝統的景観が生き続けている。

四国遍路は、巡礼の形態が最も発展し庶民化した我が国の典型的巡礼であり、巡礼の完成形と位置付けられる。この独創性ゆえに、巡礼の中で唯一「遍路」と呼ばれ「お四国」と尊称される。聖なる島、四国の自然が生み出した弘法大師信仰に基づく四国遍路は、多様な宗教・思想を受容し発展させるという日本固有の文化を体現し、往古の修行や巡礼形態を今に伝え、人々を救済し癒やし続けている巡礼であり、それを支えているのが「お接待」に代表される生きた四国の文化である。ここに、人々を四国へ誘う求心力と「顕著な普遍的価値」がある。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000