https://www.amazon.co.jp/dp/4042750028/ref=cm_cr_lh_d_bdcrb_top?ie=UTF8 【星の巡礼 (角川文庫) 文庫 – 1998/4/23】より
パウロ・コエーリョ (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳)
本書はプラジルの作家、パウロ・コエーリョの処女作である『魔法使いの日記』(原題DiariodeumMago")の日本語訳です。彼の作品は『アルケミスト』『ブリーダ』『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』『第五の山』の四冊の創作的作品と、この「星の巡礼』『ヴァルキリーズ』の二作に見られる自伝的要素の強い作品に分かれています。いずれの場合にも、人間のスピリチュアリティ、つまり、霊性の広がりを追求している作品です。物質的な発展の究極まで行きつき、魂の再発見に向かっている今、多くの人々の心を打つのも当然と言えましょう。(訳者あとがきより)
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真理が綴られています
キリスト教のおしえに基づいて綴られているため、宗教色の強い物語だと感じる方が多いと思います。 ですが、私がここから学び取れる、感じ取れる真理は、宗教とは関係のない真理でした。 私もこの一冊で、巡礼の道を辿ることができ、読み終え、辿り終えたとき、あたたかい涙が止まりませんでした。 日常を生きながら思っていたことを確信させてもらいました。 魔法のような本です。驚きました。 手に取るべきと直感した方に、強くオススメします。
なかなか難しい
この本の霊性な部分に入り込めず、難しいという印象を受けた。巡礼の道と同じくとても長く険しい読書の旅だった。でも、最後の著者紹介の部分を読み、いい意味で少し違う印象を受けた。読み終わってみると巡礼の旅が終わって少しもの寂しく感じている自分がいるのが不思議だ。
冒険旅行記
NHKBSでサンセバスチャン巡礼のドキュメンタリーの中でブラジル人の巡礼者がこの本を読んだのが巡礼のきっかけだったと語っていました。気になり早速購入しました。カトリックに全く知識の無い私でもスピリチュアル的な展開とロードノベルとしての冒険旅行記は楽しめました。
非現実的現実
これ、本当に体験したの?と言うような本当のお話です。びっくりですし、感動します。 内容は著者の巡礼を通して精神的、肉体的体験を目に見えるように描写されているので、かなりリアル感がありました。 著者の他の本「アルケミスト」にとても感動したので、これにも手を出しました。他の本も読んでみたくなりました。
タンポポ
読んだら必ず巡礼したくなりますね✨知っているのと知らないのとでは物の見方も変わると思います。
星の巡礼 (角川文庫)
「アルケミスト」を読んで、作者に興味がでたので 続いてこの本を読みました。 前著に比べて非常に難解な言葉の言い回し、表現が 多く、私のように「精神修行」が足りない凡人には この本を最後まで読むことが、まさに「巡礼」だったのかと 読みオワッて思いました。 我が人生、折り返しにさしかかり 後半の人生の道しるべ になるかも?な、一冊の本だと思います。
スペイン旅行に行ったすぐ後に読んだためか、共感できました
黛まどかさんが、この小説を読んで共感し実際に巡礼の道を歩く旅をした、というのを聞いて読んでみました。 特に共感した一節は、旅に出た自分たちは(特に海外旅行)生まれてきたばかりの赤子のようだ、というところです。 旅先では今まで体験したことのない状況に直面し、土地の人々がしゃべる言葉を理解することができないというのです。...続きを読む
家内に勧められ…
これから読もうと思った時に旅行をキャンセルしたので、ちょっと見ただけだが、巡礼を通して信者たちの気持ちが理解できるかどうか…心配である。いずれまた、コンポステーラへの旅行は絶対に行きたいので、熟読するようにしたい。
入っていけなかった
こうまで宗教色が強いというか、あまりに世間離れした世界観に入っていけず、読み進むのが辛かった。
私は自転車でパウロ・コエーリョと同じ道を巡礼中である(サンジャンピエドポーからブルゴスまで終了)。
来年、ブルゴスから再スタートの予定で、サンチャゴ巡礼をするのなら読んでおこうと手にとった。
しかし、あまりに違和感が強く最後までやっと読み終わったというのがホンネで、自分の中で何かを感じるようなことは出来なかった。
アルケミストで感じた違和感がより深まったといっては言い過ぎかもしれないが、この本で心救われる人もいるというのがよくわからない。
お読みいただいて不快感を持たれた方、不信心な私をお許し下さい。
巡礼の道
...非常にスピリチュアルな世界ではあるけれど、作家にとってノンフィクションなんですね。 サンチャゴの巡礼の道を歩く姿がその体験と共に描かれています。 これが中世くらいを舞台にしていたら小説として楽しく読めたのかもしれないけど、あくまで数十年前とはいえまぎれもなく現代においての話だということに違和感があった。 作家の所属する宗教団体がどういうものかはっきりわからないけど、キリスト教には属するけど魔術や精霊もまた存在する世界です。...続きを読む
読了したばかりで消化しきれていませんが・・・
アルケミスト、ピエドラ川のほとりで私は泣いた、そしてこの星の巡礼の三冊が目に留り、同時に入手しました。アルケミストを一番に、そして一息に読んでしまい、パウロコエーリョの語りに魅せられた勢いで星の巡礼を読み終えたところです。ご本人の体験を元に書かれた話だそうで、キリスト教徒でもヨーロッパの歴史にも地理もあまり得意ではないのですが、日本の世界史ではまず乗っていないような小さな村や廃墟となった田舎の橋の由縁などは主人公が辿る自己発見のヒントが込められていたり、過去、現在、未来は繋がっているという示唆も垣間みられたり、それに気づき、読み取るための自分の五感(六感)を高める体験をひとつひとつ体得していく過程など、事象も全てがバラバラのようなのにどんどん繋がって自分の剣に再会するまでの自己の壮大な成長記です。人生の一番大事なこと、自分であることの大切さ、自分を取り巻く人、社会、環境、世界に対する自分のあり方に、こんな風に自分を開放できたら素晴らしいです。
パウロ・コエーリョの3冊の本について
たった今「星の巡礼」を読み終えて、サンチャゴの巡礼を私自身も歩き終えたようなそんな充実感に陶酔しています。
この新世紀にも脈々として古代からの秘密が人から人へと受け継がれているということは、人の本質は何も変わっていないということなのかもしれませんね。
私が最初に出会った本は「アルケミスト」でした。私は、この物語に、人生のすべてがあると思いました。それ以上何も言えないほど強く感動したのです。それから「第五の山」を読み。「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」を読みました。
これらの本のすべてに共通するのは、日常の中の奇跡と、すべての答えを自分自身の心だけが知っているということです。
そして、物語の主人公達は、はじめは私たちと変わらない身の丈です。「アルケミスト」の主人公サンチャゴは、羊飼いで旅を夢見る普通の少年であるし、「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」の主人公ピラールも田舎の片隅で、安定した生活を思い描いている普通の女性です。いまの日本でも、あちらこちらで見ることができる人々のようでもあります。しかし、彼、彼女らの変容は、実にすばらしいのです。ほんの小さな日常の出来事が、徐々に、別の世界の領域へと導いてくれます。そして一見到達できそうもないような複雑で難解なものが答えではなく、真実は至ってシンプルなものだということにも感動します。
人生の変化は、なんでもないようなところから始まります。羊飼いの少年は、本を読んでいるときに、隣に座ったおじいさんとの出会いでした、ピラールの場合は、幼なじみから受け取った一通の手紙から、それぞれの旅をはじめたのです。そして、自分自身の内なる声に耳を傾けるのです。というよりも、今までごまかしてきたけれども本当はこういう自分でありたいというもう一人の自分の自己主張を知らないふりをしてはいられなくなるのでしょうね。
星の巡礼では、たくさんの実習が出てきます。生きたまま葬られる実習では「何度もあとでいつでも出来るからと思って、自分のやりたいことをやりそこなった」ことをパウロは思い出します。その言葉に私の生活や、考えが次々と重なってゆきます。それはピラールの姿にも見られます。彼女は、「私は、毎日毎日ただ自分を縛り付けるものを得るために、超人的な努力をして」いると感じます。
人が未知のものを恐れるのは、正体のない自分を作り上げた不安の影におびえているからなのだと思いました。その不安を克服するために、今を犠牲にしたり、そのことについて、正当化するだけなのだということを感じました。
アルケミストの少年のように夢を見続け、それを実現し、ピラールのように、愛によって自分自身を発見し成長させ、星の巡礼の長い旅を続けた作者自身のように、人生に勝利をもたらせるよう、冒険しながら神秘を体験できるなんて素晴らしいことだと思います。私はこれらの本の宗教的な静けさが好きです。特定の宗教を持ってはいませんが、神を信じることが出来る人生というのは、私たちに自己実現や豊かさをもたらすものだと思います。また、宗教について、神への仕え方は多様であり、またどんな名前で呼ばれようとその存在が変わらいものであるということに私はそれが非常に自然なことだと思えました。
宗教による対立や、民族紛争は神の名がひとつであることに固執する人間の勝手な解釈なのではと思います。宗教教育が存在する国では、神はうちに存在するのではなく、外に存在しているから自分の心に平和を見出せないのではないでしょうか
ぼくも魔術師になりたい
主人公はあと少しのところで、魔術師になる試験に不合格となり、怒った師に与えられるはずであった剣を隠されてしまうのであった。
スペイン北部バスク地方を横断し、サンチャゴ・デ・コンポステラにいたる星の野原をガイドに導かれながら、その剣が再び見出されるまで修行の巡礼を続けることになる。
主人公は道すがらさまざまな儀式や実習を重ねて経験値をふやし、内なる声=メッセンジャーとの対話をつづけ、幾度となく襲ってくる犬の姿をした悪魔と戦いつづける。
そして最後にとうとう主人公は……。
と、こうやって書くと、ドラゴンクエストかファイナルファンジーと見まがうRPGのプロットそのものだけど、現代に生きる著者の実体験にもとづいたほとんどノンフィクションということである。
うーむ、八百万の神と同衾している日本人もびっくりのオカルトぶりである。
ウンベルト・エーコも「フーコーの振り子」でキリスト教世界の神秘主義と魔術オタクを描いたが、あれは特異な人々じゃなく、ヨーロッパの日常の姿だったのね。
RPGゲームのノベライゼーションを読まされている雰囲気にもなるが、小説としての内容も深く、メッセージもあり、主人公と同様なゴールの達成感もある。
ミステリーの体裁をとったエーコの記号論小説の上をいっているのかもしれない、新しいストーリーテリングの手法を発見した気がする。
第2作「アルケミスト」で何故魔術にああも拘泥する表現をするのか、首を捻ったが、実際にこの星の巡礼で魔術師になっていたのだ、作者は。
まさに書を捨てよ、巡礼に出よってね。
作者の所属する教団の実習メソッドも紹介されている。
次の休暇はこの本を片手にボクも魔術師になるっ、ていったら、お前がやったらゲームそのままじゃんって笑われてしまった。
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