俳句との出会い

https://wendy-net.com/mswendy/backnumber/ms200405/ 【俳句は世界一短い文学。ことばを通して、この世界の豊かさに出会えるんです】より

黛 まどかさん/俳人

神奈川県湯河原町出身。

都市銀行勤務時代、俳人杉田久女の生涯に触れはじめて俳句の世界に魅了される。

1994年、『B面の夏』にまとめた50句によって第40回の角川俳句奨励賞を受賞。

同年、女性だけの俳句結社『東京ヘップバーン』を結成、「月刊ヘップバーン」を創刊し現在まで85号を数えるまでになった。

1999年の夏には北スペインのサンチャゴ巡礼道900kmを48日間で歩きとおし、毎夜したためた作品が『星の旅人』として結実。

2001~2002年には韓国の釜山からソウルを踏破し、「吟行」という伝統の様式を現代的なスタイルで甦らせた。

同2年『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞を受賞。その表現世界を深める一方、本年2月には『心に残る手紙の書き方』(集英社)を上梓したのをはじめ、改めて日本語の美しさと楽しさを教えてくれる仕事も注目を集めている。

毎日のくり返しに疑問を持ったころ、俳句に出会った

私が俳句に興味を抱いたのは、ほんの小さな偶然がきっかけでした。確かお勤めの帰りに本屋さんに立ち寄って、平積みになっていたある本を手に取ったんです。田辺聖子さんが書かれた杉田久女という俳人の評伝小説です。

ふだんは本屋さんに通うタイプでもないし、『小公女』も読まずに大人になった映像世代です。なにせピンクレディーは今も全曲振り付けを憶えているぐらい(笑)。そんな私がはじめに関心を持ったのは彼女の波乱万丈の境涯でしたが、読み進んでいくうちに、こうして人ひとりの生き方まで変えてしまった俳句というものは、いったいどんなものなんだろう、と思うようになったんです。俳句というこの世界でいちばん短い文学のどこにそんな力があるんだろうと。

ときに一遍の小説にも匹敵するものを、俳句はたった17音で言い仰せてしまう。こんなにすごいものがごく身近にあったことに改めて気付いたんですね。学校でもやったはずなんですけど古典のお勉強という感じで終わってしまって、あれはお年寄りがやるもので自分とは縁のない遠い世界のことだと勝手に思い込んでいましたから。

当時私は銀行に勤めていて、同じ毎日の繰り返しに少し疑問を持ちはじめていたころでした。8時に入って5時に終る、同じことの繰り返し。いずれこの中の誰かと結婚して子どもができ、孫ができてこのまま一生が終ってしまうのかしら、なんて考え込んで…。

自分がそんなころでしたから、彼女の生き方にすごく引かれたんだと思います。明日が見え透いてしまう苛立ちというか、それなら明日の見えない不安のほうがいいやと思って、結局、会社も辞めることになりました。

俳句賞を受賞 俳句のステージが広がっていく

職業俳人というか、「表現」が仕事になったのは、94年に角川俳句奨励賞をいただいたのが大きなきっかけですね。何十年も俳句を続けてこられた方々に贈られるような賞をいただいて、句集『B面の夏』を出版できたのは本当に幸運でした。それまでは家事を手伝わない家事手伝いのような身分で俳句を詠んでいたんですが(笑)、そこから暮らしも突然変わりましたね。

今は「月刊ヘップバーン」という俳句誌を作っています。それを表現の基盤にしながらほかにもいろんなことばの仕事をいただくようになりました。たとえばお酒やお菓子のパッケージに俳句を入れたり、コマーシャルのキャッチコピーのように俳句が使われたりすることも多い。今まで俳句が存在しえなかったような場所に、俳句が入っていくのを実感しています。

表現したいのに表現の仕方がわからない時代

思いがけない仕事もあるんですよ。今年のお正月にはテレビ番組で箱根駅伝を観戦しながらライブで俳句を詠みました。

面白かったですよ。俳句でエールを贈ろうということで、一般の方からも募集したんです。そうしたら電話やファクスが予想できないほど殺到して、回線がパンク状態。3000句を数えたあたりで受けきれなくなったんです。俳句の裾野の広さを改めて感じましたね。

みなさん何かを表現したいという気持ちはあるんですね。こういう情報化社会に生きていて、情報を受け取ることは多いんだけれど、自分から表現する方法がわからない。そこに俳句という出し方を提示してあげると、そうそう、俳句っていうのがあったね、と思う。とても身近でしかも日本固有のものを忘れていたことに気付くんです。

俳句は大衆の文学なんです。子どもでもお年寄りでも、年齢に関係なく誰でも詠むことができる。たとえ病気であってもできるわけですから。

俳句を軽やかにするために「東京ヘップバーン」結成

お仕事で出会った人たちと、東京ヘップバーンという句会を作ったのは10年前です。日本には今1000以上の俳句結社があるんですけれど、私もそれまで「河」という俳句結社にいました。私より後輩は入ってこなかったんですよ。最初は私も出席するのが怖かったぐらい。

難しい漢字だらけで読めずにとなりの方に聞いたりしたこともありましたね。それでも俳句というのは句会に出ないとだめなんですね。表現が磨かれません。俳句は、句会の座談のなかで磨かれていく“座の文芸”ですから。文語の美しさや、季語の豊かさなどにここで出会いました。やはり自分ひとりでやっていても、表現は広くもならないし深まりもしないものなんです。

ただそうした経験があったので、私の会はもっと敷居の低いものにしようと思ったんです。「ヘップバーン」という名前は、もちろん彼女のスリムで軽やかなイメージからいただいたものです。

知るより感じ、思うために歩きはじめた

俳句は古典文学であり解釈の対象だと思われがちですよね。でも解釈ばかりを重んじるのは危険なことだと思いますね。大切なのは文献として解釈することではなく、実作者の感動に触れることだと思う。知っているということより、どう感じ、どう思うかということだと私は思うんです。たとえば松尾芭蕉のたどった道を自分の脚で歩いて、小石につまづいてみて初めてわかることもある。詩歌を詠みに歩くのが「吟行」ですが、それが、私が歩きはじめた理由です。

スペインの「サンチャゴ巡礼道」を歩いたのは99年です。約900kmの道のりを48日間かけて歩きました。パウロ・コエーリョの書いた『星の巡礼』という小説を読んだのがきっかけです。判断力は弱いかもしれないけど、私は決断力だけはある人間なんですね(笑)。

予定というものが立たない旅

実は旅の計画表を作ってもらって、ゴールの日付けまで決まっていたんです。ところがはじめから道をまちがえた。1200年前の道が、舗装もされずそのまま残っているんです。足にマメができて、ピレネー越えの1週間はとてもつらい思いをしました。こうした旅では予定というものが立たないんですね。

彼の小説に出てくるような羊飼いの少年が本当にいるんですよ。途中、日がな1日、見渡すかぎりの麦畑のなかを歩くこともありました。出発した5月にはまだ青かった麦畑が、終点に着くころには麦秋に変わっていました。

小説では奇跡が起るけれど、私の旅で奇跡やドラマティックなできごとは何も起らない。巡礼者たちは後からくる者のための目印に、黄色い矢印をつけていくんです。それは立て札だったり、オリーブの樹に黄色いリボンが結んであったり、道ばたの石に記してあることもあるんです。

それを目印にゴールを目指してみんなが一心に歩いていく。1歩また1歩とゴールに近づいて、終点のカテドラルに着くと、もう私たちを導いてきたその黄色い矢印が、もうその先にはひとつもないわけです。それはあまりに日常的な光景だけれど、それが自分のなかで受け止めきれない。

人が生まれ変わる巡礼の旅を48句に詠んだ

そこから西へ90kmほど先にフィニステーリャ(地の果て)という街が、大西洋に面した断崖絶壁の上にあるんですが、そこで身に付けてきた靴や杖、服を焼いて海へ投げ入れるんです。日常になった旅とそこで決別して、自分が再び生まれ変わる。再生を促すということなんですね。

そこで、旅の途中で知り合ったあるスペイン女性と再会しました。彼女がそれこそ歯ブラシまで焼く姿を見て、この巡礼の旅には何か深い理由があって、何かと決別したいんだなということが私にもわかりました。

それから先は、自分で黄色い矢印を見つけていかなくてはいけないということです。この旅を終えて何か人生観が変わったとか、そういうことはありませんでしたけど、後になって思うと、その何もない旅のなかに、実はすべてがあったような気がしますね。

この旅では48句を詠みました。それが自分で決めた締め切りでしたから。

「もののあはれ」を置き忘れてきた

日本語は自然や季節のうつろいにとても敏感なことばですよね。たとえば桜のころの雨を「花の雨」という。そのことばを通して雨を見る気持ち、景色そのものが変わってきます。若葉の時期の強い風を青嵐といいますが、ブローした髪が乱れる、とは思わない。ことばを通して豊かさに出会う、ということは、俳句をはじめたみなさんがよくおっしゃることです。

日本のことばの美しさ、ことに名詞の豊富さには特筆すべきものがあります。「わたくし雨」は部分的に降る雨のことですが、私が好きなことばのひとつですね。

俳句に限らず、日本固有のもの、「もののあはれ」の心が見直されていますよね。足もとにこんなにすばらしいものがあるんだと。国際化の一方で、私たちはちょっと自国のことを置き忘れてきたんですね。

文語を守りつつもこの時代を詠んでいきたい

新しい季語の提案もしますよ。第九、ホカロン、ボジョレー、冷し中華や補湿、UVカット、なんていうのも季語になりますね。第1歩目は自由に、第2歩目は慎重に。一時の流行とともに消えて残らないことばも多い時代ですからね。

芭蕉だって新しい季語を作ろうとしているんですよ。実はどの時代にも、新しい季語はあるものなんです。

私の句帳は横書きです。携帯電話を使って、全国でいっせいに「吟行」しようなんていうこともやりました。携帯電話用に短冊型の画面を作ろう、なんていうアイデアもあるんですよ。

私は有季(季語)、定形、文語を守りつつも、今この時代と向き合って、日々起る偶然を描いていきたいんです。古い器に新しいお酒を注ぐ、そんなスタイルの俳句を詠んでいきたいですね。


https://www.kyoto-np.co.jp/articles/biz/936036 【身体性の欠如 俳人・黛まどか氏】より

 前回のコラムに企業経営におけるルールとプリンシプル(行動規範)について書いた。社員に求められるのは、プリンシプルや企業理念をベースにした対応能力だ。

 プリンシプルを身に付ける方法の一つに、「型」の習得がある。武道、茶道、能などなべて日本文化は「型」の体得に始まる。「型」はひとたび身に付けると応用が利くが、そのためには反復練習が不可欠だ。

 今年創業120年を迎えた資生堂パーラーには、「銀のカトラリーを磨く」伝統がある。かつてはベテラン社員から新入社員までが、出社するとまずシルバー磨きをした。“お客様が直接触れる物だから”、丁寧に磨く。花椿のシンボルマークが刻まれた銀食器を日々磨いていると、愛社精神と誇り、お客様への思いが湧くという。そしてお客様基点でものを考えるようになり、行動につながる。

 同じお客様でもその日によって体調など状況は違う、それを瞬時に感じ取り行動に移す。状況が常に変わる対象に対して、マニュアルは対応しきれない。

 社員一人一人が瞬時に自分で考え最適な対応をするには、行動規範を“身体に浸み込ませる”しかない。資生堂パーラーにとって、その方法の一つが「シルバー磨き」なのだ。

 昨今多くの企業がDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進している。データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基にビジネスモデルを変革する。企業の業務や組織そのものも変革して、ビジネス環境の激しい変化に対応するというものだ。

 各企業のDX戦略はコロナ禍において加速している。さらに仮想通貨やメタバースなどが登場した。パソコンの前に居ながらにして通貨を動かしたり、知らない人たちとコミュニティーを作ったりとその可能性は未知だ。確かにうまく使えば時間の効率化や新たなビジネスチャンスになるだろう。しかしそこに生の「身体」はない。すべてがバーチャル(仮想)の世界なのだ。

 そこでキーワードになるのが「身体性」だ。現代生活では身体を使うことが極端に減っている。自分の体験を経て獲得した知見ではなく、ネットで手軽に得た情報を元に考え、言葉を発し、行動する。日常がバーチャルになりつつあるのだ。企業経営も例外ではない。

 ある企業の物流拠点で話を聞くと、最近の社員は物流センターに足を運ばないという。在庫状況を目の当たりにすれば、身体で危機感を感じたり、新たな商品企画に反映したりできる。

 稲盛和夫氏は「現場は宝の山」と言った。現場には課題解決のカギとなる生の情報が隠されている。それらを五感や肌感覚でつかむことができるのが現場だ。つまり「身体性」の重要性を指摘しているのだ。本社で数字だけ見て判断していては、実態から乖離(かいり)する一方だ。身体性が欠如した議論は、リアリティーの欠如を招く。

 IT化が加速する時代だからこそ、身体や五感の重要性を再認識すべきだろう。「身体性」の復活は、日常生活にも経営にも求められている。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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