同行二人

https://ameblo.jp/jesusmylove/entry-12448683727.html 【お遍路さん同行二人と、砂の上の足跡】より

先週のNHKブラタモリ鳴門編に出てきた「お遍路さん」。鳴門は四国八十八ヶ所の霊場(札所)のスタート地点で実は前から私も気になっていた。って言っても巡礼するわけではないけれど。一昨年の夏に高松の屋島に行った際に寄った屋島寺は84か所目の霊場であんな山の上まで登るお遍路さんを見て私には到底できないと思った。

ただ人々のお遍路したい「想い」を想像してみた。完歩するなら何が起こると言うのだろうか。弘法大師の足取りをたどり 信仰のため、88の煩悩を絶ち 願いを叶わせるため。

でもなにも起こらないかもしれない。でもただひたすら無心で歩くことで 何かが生まれてくるのかもしれない…。

「同行二人」(どうぎょうふたり)という響きがいい。

いつも弘法大師が、お遍路さん自身と一緒に歩いているという意味で笠などに書きつける。

お遍路をもてなす「お接待」という風習がいい。遍路の道中、見知らぬお婆さんが「お茶でもどうぞ」と招いて下さるなんてことがあるらしい。

巡礼者に施しをくださる慣習「お接待」。食べ物や飲み物をはじめ[接待所]と呼ばれる休憩所を開放していたり。お接待自体がその方の功徳となる。

好意の裏には人知れぬ尽力があるはず、感謝と敬意があふれている地域なのだ。

聖書にもある。「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」旧約聖書、詩篇23篇

(王(イエス)は言う。)

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、

旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

そこで、王(イエス)は答える。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟(姉妹)であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』マタイによる福音書25章35節‐36節、40節

実は弘法大師については興味深い説がある。

803年、唐に留学した際に「景教徒」の景浄に教えを受け新約聖書を持ちかえったとされる。

景教とは原始キリスト教の一派であるネストリウス派でありローマでなくアジアへいった

東回りのキリスト教だった。

彼が行った唐の長安には、景教の教会が4つもあり景教の教会の直ぐ近くに住んでいたそうだ。ここでは一つひとつ取り上げないが日本仏教に景教と似た儀式が幾つもある。

高野山のお坊様方も、真言宗は景教からきていることを知っているという。

空海は真言密教を作るわけだが、彼の仏教は釈迦が説いた原始仏教とは似ても似つかぬ教えとなり 高野山では持ち帰った新約聖書が研究されて 教義に取り入れられていき 景教と混合した仏教になったという事なのだ。

でも考えるなら、お大師様という人は 他の宗教であっても真理を追い求め 人々の救いのために景教の良い点や教義を取り入れるなんと懐の深い人だったと言えるのではないか!

「同行二人」に似たこんな詩もある。

【砂の上の足跡】

ある晩、男が夢をみていた。 夢の中で彼は、神と並んで 浜辺を歩いているのだった。

そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が 映し出されては消えていった。

どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。

ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

人生のつい先ほどの場面が 目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。 すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか

残っていないではありませんか。私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

神は答えられた。「わが子よ。 私の大切な子供よ。私はあなたを愛している。私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時、わたしがあなたを背負って歩いていたのだ」(マーガレット・F・パワーズ)

死の谷の陰と言えなくても辛い時、孤独な試練に遭っている時は…お大師様、私にとってはイエスであるが隣にいて、または私を背負って前へと進んでくださっている。

それをいつも心に留めていよう!!

「わたしは決してあなたを捨てず、また、あなたを離れない。」新約聖書、へブル人への手紙13章5節

高野山、奥の院の霊廟では現在も弘法大師が禅を続けているとされており毎日、僧が衣服と二時の食事を給仕している。

死んでおらず弥勒菩薩が来るまで永遠に瞑想することを「入定」というそうだがお大師様は入定したあとも「諸国を行脚している!」説もあり、その証拠として、毎年3月21日に高野山での彼の衣裳を改める儀式の際、衣裳に土がついていることがあるそうだ!

あれ、ちょうど今日は3月21日!今日もお大師様はそんな風に帰って来られていただろうか!


https://ameblo.jp/skoro/entry-10872759740.html 【「同行二人」をどう読むか】より

「閑話休題」の意味を長い間取り違えていた。

閑話を休題にして本題に戻そうというのがどうやら正解で、今の話題を休題にしてちょっと息抜きの閑話だが・・・、というのは間違いだそうだ。

閑話休題。

もうひとつ意味を取り違えていた話だが、ある句会でこんな句が点数を取った。

あと三里傾ぐしるべの遍路道  生野菜

これに、「さあ後三里、同行二人の旅は続く。 鯨」と評された。さてこの「同行二人」である。読者は、これをどう読んで、どういう意味だかご存知だろうか?

私は、この意味を「同行者とふたり連れ」の意と思っていたのだ。ところが、お遍路さんの場合の笠などに書いている「同行二人」とは、いつも弘法大師さんがついて一緒に歩いてくれているということであったのだ。

しかも、「どうこうににん(ふたり)」でなく、「どうぎょうににん」と読むのだった。

何故そう思い込んでいたかというと、私には、芭蕉の「奥の細道」の山中温泉の下りが頭にあったからだ。その原文を引くと、

・・・・・・・・・

曾良は腹を病て、伊勢の国長嶋と云所にゆかりあれば、先立て行に、

行行てたふれ伏とも萩の原             曾良

と書置たり。行ものゝ悲しみ残ものゝうらみ隻鳧のわかれて雲にまよふがごとし。

予も又 今日よりや書付消さん笠の露

・・・・・・・・

この句の解釈をネットで見るとこんな具合だ。

「笠に書き付けた「同行二人」は、曾良を介添えとして修行の旅を続ける意。

その曾良が病を得て修行の旅から離脱するにあたり、これまでの曾良の心遣いに謝意を表するとともに、笠についた朝露で「同行二人」の書付を消し、一人行脚する覚悟を語った句。」

書付とは笠に書いた「同行二人」の文字のことなので、私は、芭蕉と曽良の二人連れとばかり思っていて、お遍路でも傘に同行二人という書付をすることを知らなかったのだ。

(もう少し触れておくと、芭蕉は「衆道」であったという嵐山光三郎著「悪党松尾芭蕉」を興味深く読んだことがあったので、同行二人とかこの句がそうだなどと俳句の中にそんなにおいを見つけようというような邪念があったことも禍している)

しかし、今になってよく考えて見ると、辞書には、同行(どうぎょう)とは、「心を同じくしてともに仏道を修める人々」とあるし、芭蕉と曽良の場合も単なる二人連れの意味で「同行二人」と書き付けたのではない。

やはり「どうぎょうににん」と読む修行の意味を強く持っていたのだと気づいた次第で、後の祭りだと判じた次第だ。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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