歩く

https://kangaeruhito.jp/article/758418 【第1回 歩かざるを得ない生】より

著者: 黛まどか

俳人・黛まどかは、とてつもなく「歩く人」だ。これまでも国内外の巡礼の道をいくつも歩いてきた。これという定かな理由はない。ただ、仕事と暮らしに追われる日常の中、ときに無性に歩きだしたくなる。旅に出たくなるのだ。今回は二度目の四国八十八ヶ所霊場に加えて別格二十霊場、併せて百八か寺・1600キロを二か月かけて歩く。ときに躓き、道に迷いながらも、歩いて詠む、歩いて書く「同行どうぎょう二人ににん」の日々――。

芭蕉、山頭火、寅さん

 逍遥する、散歩をすることを英語でsaunterという。

 19世紀半ばに『森の生活』を著したヘンリー・ソローによれば、この言葉は「中世に国中を放浪し、聖地へ(à la Sainte Terre)行くという口実で施しを求める怠惰な人々」が語源らしい。子供たちはそういった人を見てはサン・テーレ(聖地へ行く人)と囃し立てた。また、サン・テーレの由来をsans terre(土地なし・家なし)とする説もある(※)。

 日本で言えば、西行や松尾芭蕉は「歌枕」という一種の聖地を巡って歩いた人々だ。歌枕とは、歌によって鎮められ清められ続けてきた土地である。歌枕もまた“口実”であったかもしれない。

 彼らは何かから逃れるように旅に出て、何かを追い求めるように歩いた。西行も芭蕉も定住することや家族を持つことを否定したという点で通じ、サン・テーレの語源の前者にも後者にも属する。

「歩く人は生まれるものにして、つくられるものではない」

 とソローは言う。“歩く人”にとって歩くことは水を飲むことと等しく死活にかかわる。空を飛ぶことが鳥の“生”であるように、歩くために生まれる。歩かざるを得ない生を与えられたというべきかもしれない。

 種田山頭火のような俳人も同類と言っていいだろう。架空の人物ではあるが“寅さん”もその一人ではないか。

 彼らにとって定住は牢獄に等しく、苦痛に過ぎない。日常に身を置くとたちまち目詰まりを起こし、摩擦が生じる。他者とも、自分自身とも。自家中毒を起こしてしまうのだ。彼らはそれを吹っ切るように旅に出る。行先はいつも決まっていない。

 旅そのもの、歩くことそのものが人生なのだ。

 スワヒリ語で「歩く」を意味する言葉は二つある。「サファリ」と「テンベア」。サファリは特定の所用のための遠出を指し、テンベアは所用を伴わないときに使う。歩く人にとっての“歩く”はテンベアだ。

 仮に聖地へ行くという“口実”があったとしても。彼らにとって聖地という点は実は重要な目的ではない。聖地に行きつくまでの“間”こそがすべてであり、歩くことそのものが目的だ。

 私はこれまでスペインのサンティアゴ巡礼道800キロ、韓国のプサン―ソウル500キロ、熊野古道、四国遍路1400キロと幾つかの道を歩いてきた。

 いずれも目的はあった(つもりだった)が、今にして思えば単に“口実”だったのかもしれない。旅をするようになって気づいたのだが、もともと私は日常のルーティンには弱いが、予想外の出来事には強いらしい。見知らぬ土地を歩いていると、自分でも驚くほど生きる力を発揮する。思いもかけない出来事に遭遇したときや、道に迷ったときほど命がいきいきと躍動するのを実感する。

 こういう自分を発見したのは歩く旅をするようになってからだ。しばらく旅をしないと、そわそわとして身体の芯が定まらなくなり、何をやっても空回りするようになる。寅さんが家族や隣の工場の社長とちょっとした口喧嘩から揉め事を起こすように。そして上着一枚とトランクを持って家を出ていくように、私もリュックを背負って旅路へと発つ。再びサン・テーレ、しばしのあいだ「歩く人」になるために。

 書くことと歩くことは似ている。歩いているといつもと違う思考を辿り、ひらめきが訪れる。躓くことも道に迷うことも発想の源泉だ。歩くように書き、書くように歩く。それがこの遍路行を巡る連載だ。

六年ぶりのそぞろ神

 2017年に最初の遍路をした時から、生涯で三回は遍路をしようと決めていた。 「一度は父のため、一度は母のため、一度は自身のため、三たび巡礼せよ」(『四国遍路を考える』真鍋俊照)。

 この一節に出会ったことが、私が遍路を始めるきっかけだったからだ。結願けちがん後は八十八番霊場大窪寺おおくぼじに金剛杖こんごうづえを納める人も多いが、私は家に持ち帰った。あとの二回も同じ杖で巡拝するつもりだった。

 が、遍路から三年後の2020年10月21日、父が他界した。突然の癌の告知からたった三週間で逝ってしまった。奇しくも弘法大師の縁日である“21日”に旅立った父の棺に、持ち帰った金剛杖を納めた。「父のため」に歩いた一度目の遍路であった。

 2023年の秋、二度目の遍路をすることにしたのだが、決断までに六年の歳月が流れたのには幾つか理由がある。まず、父を送った直後から母が要介護の身となった。重い心臓の病を抱えている上に癌も発症した。その母を置いて長期間家を空けることは到底無理だと思われた。

 そしてもう一つの理由は、最初の遍路があまりにも素晴らしかったことにある。ことに遍路後半に出会ったドイツ人青年は、私にはない視点を持っていて、多くの気づきを与えてくれた。この時のことは『奇跡の四国遍路』に書いているので詳しくは触れないが、あれ以上の遍路はできないのではないか……失望することを私は怖れた。

「私なら一人で大丈夫だから、行ってきたら?」。ウクライナ人の句集を出版するという大きな仕事に区切りがついたその年の夏、母が不意に切り出した。

 歩くことがとにかく好きな私が六年も歩いていないのだ。仕事、看取りと看護の日々……娘にそぞろ神がつきはじめているのを察知したのだろう。訪問医療のスタッフはもとより、ご近所、友人、親戚にもお願いし、見守りセキュリティも設置して、二度目の遍路に出ることになった。

  秋の声遍路を思ひ立ちてより  まどか

 前回は4月から6月にかけて、先々で花が咲き乱れる春遍路だったので、今回は紅葉の下を行く9月からの秋遍路にしようと決めていた。

 そして八十八霊場に加えて、別格二十霊場も併せて巡拝することに決めた。選択肢があるルートは前回と違う道を歩くことにした。彼岸の頃に出立すれば少しは涼しくなっているだろう。百八か寺、1600キロ、約二か月の予定だ。

 ところが8月の半ば過ぎ、これから準備にとりかかろうとした時にコロナに罹患した。こともあろうに病身の母にも感染させてしまった。

 遍路の出立予定日まで三週間を切っていたが、まだ登山靴さえ買っていない。のどの痛みとひどい吐き気にお粥を啜りながら気持ちは焦るばかりだ。出立の数日前に足元さえおぼつかない状態で上京し、リュックや登山靴などを購入。真新しい靴は家の中でたった一日履いただけだ。

「延期しては?」と心配する声もあったが、やりくりした遍路後の予定が詰まっているため、今さら変更は難しい。六年前は不安の中にも期待感が溢れていた。しかし今回は不安しかなかった。その不安を払拭するように自分を鼓舞した。きっと自然の中を歩けば回復するだろう、と。

 9月17日寅の日に遍路を開始すべく、その前日に家を出た。寅の日は旅立ちに適した日であり、また弘法大師空海が実践した求聞持法ぐもんじほうの本尊虚空蔵こくうぞう菩薩ぼさつ(寅年生まれの守護本尊)にも因む。

 地元の路線バスに乗ると、次の停留所で知人の高齢の女性が乗ってきた。父が創刊主宰した俳句誌の会員さんだ。女性は私の顔を見るなり興奮気味に言った。「不思議だねぇ!ちょうど今あなたのお父さんのことを考えていたんだよ」。そして手提げから拙著(『奇跡の四国遍路』中公新書ラクレ)を取り出した。「どこへでもこの本を持ち歩いて読んでいるの。もう四国へは行けないから、本でお遍路をしてるんだよ」。

 滅多に会うことのない彼女とばったり会い、しかも彼女の方から遍路の話が出たことに驚いた。そして遍路へと私を導く何かの力を感じずにはいられなかった。二度目の遍路に出かけるところなのだと告げると、目を瞠みはった。「えっ、今から?! 気を付けて。また本に書いとくれよね!」。


https://www.amazon.co.jp/dp/4591135845/ref=nosim?tag=kangaeruhito0-22 【歩く (一般書)ヘンリー・ソロー (著), 山口 晃 (翻訳)】より

『森の生活』のソロー、曙光のごとき思想はひとり歩くなかに生まれた。

人間と社会の根本基盤を問う晩年の講演エッセイ「歩く」の新訳に加え、歩かれた世界」を読み解く生前のエピソードを収録。

「今、この瞬間を見失わない人こそ、本当に幸せな人です」―― ヘンリー・ソロー

ソローの文章には、「この世界」へ分け入る抑えがたい喜びが溢れている。

それは足を踏み出せば誰もが歩ける世界、にもかかわらず誰も歩こうとしない世界だ。

『森の生活』で知られるソローの最も根源的なメッセージがこめられた晩年のエッセイ「歩く」は、自然から孤絶し、制度に取り込まれていく人間社会の未来をみすえた、現代人のための「生きる哲学」である。


https://yossan0328.hatenablog.com/entry/2016/09/10/060444 【ヘンリー・ソローの歩くを読んで。 読書感想】より

かわいい表紙につられて手に取ったヘンリー・ソローの歩くwalkingという本。

中を開くと、モノクロの写真に、詩のような味わいのある言葉がぽつりぽつりと載っています。

その序章に引き込まれて読んでいくと、ソローという人のハードウォーカーぶりに驚きます!

森の生活を読んでいれば、普通の感じですがそれでも、ソローの不器用にも思えるストイックさがストレートに伝わってきます。

ソローにとって歩くことは<冒険>だったようで、普通の道を歩いていません。

道なき道を歩くのがソロー流。。。それも何十キロも。。。!たまにケモノ道はあったみたいですが…150年ほど前の人とはいえ、想像を越えてます!

日本では明治維新の頃か?まだ、飛脚がいた頃だっけ?東海道五十三次とか中仙道なんかを歩いて旅してた頃ですよね?

奥の細道の松尾芭蕉も、一日の移動距離がかなりだったとは、なにかで読んだことがありますが(うるおぼえですみません)。

人生の探求者といわれるような人たちは、自分自身と向き合うために、自然の中で一人になれる場所をなにより大切にしているんですね。

確かに、日常に埋没して日々は過ぎていきます。わざわざ一人になってでも、果敢に自分と向き合わない限りは、自分の人生を深く考える時間のないのが現実ですね。

ソローは、誰よりも真摯に自分の人生と向き合った人だったんでしょう。

訳者の山口さんという方のあとがきを読むと、ソローの人柄や魅力がよりわかるように感じました。言い得て妙‥というあとがきだと思います。

ソローのようにはいきませんが、ソロー気分をちょっとでと味わってみようと、ちょびっと歩いてみました。

舗装した道じゃ、全然だめかな。。。秋の名月の時期なので…月という集落を。

今夜、月という集落ではミニコンサートがあるそうです。地元バンドの人達が演奏するって!

以前はムーンライトコンサートをやってましたが、やめちゃったので、それとは違うミニコンサートみたい。無料で、早くいけば花桃まんじゅうがもらえるとか…近くの方は、夜だから秋風にふかれながら聞いてみるのも一興では!

あっ、ミニコンサートでなくてミニライブでした。間違えました、すみません。。

私なら、ホットコーヒー飲みながら、おまんじゅうをいただければそれを食べながら、聞きたいですね。


https://www.bepal.net/archives/257787 【シンプルライフの名著、ソロー『森の生活』を読みなおそう!】より

シンプルライフの名著、ソロー『森の生活』を読みなおそう!

生きているうちに一度は読んでおきたい古典的名著『森の生活』。昔、挫折したんだよな~というみなさん、いまこそ読み直すチャンスですよ! 1817年7月12日生まれのソローが37歳のとき(1854年8月)に刊行された200年以上も昔の本ですが、ソローの自然に対するやさしいまなざしや、大量生産大量消費社会への鋭い洞察、そして生き方の提案は、今なおみずみずしくまったく古びていません。自然やアウトドアが好きな人だったら、きっと心を打たれる名言に出会えるはず。ソローの魅力と『ウォールデン 森の生活』の読みどころをご紹介します!

ヘンリー・デイヴィッド・ソローとは

ソロー

 アメリカ北東部、ボストン近郊にあるウォールデン湖(Walden pond)のほとりに自作の小屋を建て、自給自足的な生活を送ったヘンリー・デイヴィッド・ソロー。アメリカを代表する思想家、詩人、ナチュラリスト(博物学者)で、数々の名言を残している。

 主著『ウォールデン 森の生活』は、世界中で翻訳されており、日本でも最新の訳で読みやすい小学館文庫版(今泉吉晴訳)のほか、定評のある岩波文庫版(飯田 実訳)、講談社学術文庫版(佐渡谷重信訳)と、大手出版社3社の文庫に収録されて、いずれもロングセラーだ。

〝森暮らしの隠遁者〟というイメージがあるソローだが、その思想はきわめてラディカル(根源的かつ過激)。湖畔で独居していた29歳の夏には、コンコード村の牢屋にぶち込まれてもいる。奴隷制とメキシコとの戦争に反対する意図で、州税を収めなかったためだった。

 このあたりの経緯については、『ウォールデン 森の生活』と並ぶソローの代表作『市民の反抗』(岩波文庫)に詳しい。ちなみに、近年は「市民的不服従」(Civil Disobedience)と訳されるこのエッセイは、トルストイ、ガンジー、マーティン・ルーサー・キング牧師に多大なる影響を及ぼし、思想的支えとなった。大げさにいうならば、ソローは世界を変えた思想家だ、といえるかもしれない。

日本の漱石、アメリカのソロー

 日本ソロー学会の顧問であり、NHKカルチャーラジオ講座『はじめてのソロー』の講師を務めた伊藤詔子・広島大学名誉教授に、150年以上読みつがれるソローの魅力を訊いた。

「『ウォールデン 森の生活』のなかで、ソローは“小屋”(cottage、hut) ではなく、“家”(house)という言葉を使っています。“小屋”というのは、本来の家のほかに遊びの時間をすごす山小屋のようなニュアンスですが、ソローが建てたのは千個の古レンガで基礎を作り、レンガ造りの暖炉に漆喰塗りの壁からなる本格的な“家”でした」

ソローの小屋

1845年、ソローは、ウォールデン湖畔に自らの手で家を建てた。古レンガで基礎を作り、内壁は漆喰塗り。縦長の8畳ほどの室内には暖炉とテーブルとベッドがあった。

 田舎暮らしの元祖であるかのように語られがちなソローだが、『森の生活』は、趣味や遊びではなく、生活の実践だった。

「資本主義経済が拡大し、自然が失われていく転換期に、“個”(自我)の確立をめざした書が『森の生活』でした。そして個の確立は、家を建てることと並行しています。

 ソローはアメリカ文学の礎(いしずえ)を築いた作家であり、日本における夏目漱石に相当します」

 個の確立とは、「いかに生きるか」という問いの答えだ。日本では夏目漱石などの作家・思想家たちが「個」(個人)について考え、数多の作品を残したが、おもしろいのはソローがアメリカ的な「個」を確立するために、「自然」をテコにしたということである。

 独立してまもない当時のアメリカにあって、旧世界ヨーロッパにないものは、原初の息吹を残す「自然」だった。当時のヨーロッパでは森の多くが切り払われ、残っているのは人工的に管理された森林だけだった。

 一方、ソローが生きた19世紀アメリカには、大自然そのままのウィルダネス(原生自然)が、残っていた。そうした自然の中に、絶対的な「自由」と「野生」を見いだし、〝自然の一部〟として「個」を考えたソローの作品は、ヨーロッパからの思想的独立宣言でもあったのだ。

ウォールデン

ソローはハイカーでカヌーイストだった

 ソローは、1日に最低でも4時間は歩いた。

 また、自らカヌーを組んで川を旅するカヌーイストでもあった。(当時は道路が整備されていないので、河のある地域ではカヌーが主たる移動手段だった)

 河や湖で魚を釣り、ときにメイン州の山に登り、森の中で野鳥の声に合わせてフルートを奏でた。

 優秀な測量技師であり、大工であり、家業の鉛筆会社の営業マンであり、村で人気の講演者でもあった。

《私は、自分の生活に絶えず楽しみを見つけていましたから、社交や劇場などの外の世界に楽しみを見つける人に比べて楽でした。生活そのものが楽しみで、いつも新鮮でした。生活は、次々に場面が変わる、終わりなきドラマです。私たちが自力で暮らしを立て、それぞれに自ら学んだ最高のやり方で暮らしを操縦するなら、私たちは退屈に悩みはしないはずです》(今泉吉晴訳『ウォールデン 森の生活』小学館文庫より)

 ソローが残した言葉は、「自然とともに日々をわくわくしながら生きていくためのヒント」ともいえる。

 生誕200年を超え、いまなお読み継がれる世界的名著を、読みやすい新訳で読みなおしてみてはいかがだろうか?

ウォールデン森の生活

『ウォールデン 森の生活』(上・下) ヘンリー・D・ソロー・著 今泉吉晴・訳 小学館文庫 ¥935

ウォールデン湖畔での2年2か月の自給自足生活を記録した代表作。日本語訳の本はいくつかあるが、1854年の初版本を底本に自然への造詣が深い動物学者が現代の言葉で読みやすく訳した最新訳のこちらがおすすめ(注釈も充実)。この本は詳細な自然観察を通して「いかに生きるべきか」を思索した哲学の書でもある。冒頭章の「経済」(Economy)や「孤独」(Solitude)の章が有名だが、日本ソロー学会顧問・伊藤詔子先生のおすすめは、町と森が交錯する「音」(Sounds)の章。人間の文化的な営みと、自然の季節が奏で営みは、どちらも大きな音楽の1パートなのかもしれないと思わせられる一篇だ。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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