https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09617/ 【古庭(ふるにわ)に鶯(うぐいす)啼(な)きぬ日もすがら ― 蕪村】より
深沢 了子 【Profile】
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第17回の季題は「うぐいす」。
古庭(ふるにわ)に鶯(うぐいす)啼(な)きぬ日もすがら 蕪村
(1744年、『寛保四年歳旦帳』(かんぽうよねんさいたんちょう)所収)
蕪村のこの句は、一見とても単純です。「古びた庭でうぐいすが終日さえずっている」。「古庭」は古い屋敷の庭で、きっと梅の古木が今を盛りと花を付けているのでしょう。そこで日がな一日鶯が鳴いているという穏やかな春の日の情景です。
この句は蕪村が初めて編集した『寛保四年歳旦帳』という本に収められています。そして、初めて「蕪村」の俳号を使った句でもあります。それまでは「宰鳥(宰町)」(さいちょう)と名乗っていました。面白いことにこの本は宰鳥の鶏の句で始まり、蕪村の鶯の句で終わります。古い号と新しい号で鳥を詠み分け、遊び心いっぱいに蕪村号のお披露目をしたわけです。そうしたこだわりのある本に載せられた句ですから、単純な景色の句と読むだけでは不十分でしょう。
句の背景にあるのは、芭蕉の有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」句だと思われます。「古池の蛙」を「古庭の鶯」に変えたのです。蛙と鶯は、『古今集』の仮名序(かなじょ)に歌を詠む生き物として「花に鳴く鶯、水に住む蛙」とセットで記され、いわば対になる動物でした。新しい号での最初の句に、蕪村は芭蕉への敬意を込めたのです。終日鳴き続ける鶯は、句を唱え続けようという蕪村の俳諧に対する決意表明であったのかもしれません。
http://geo.d51498.com/urawa0328/haijin/buson/syoufukuji.html 【与謝蕪村ゆかりの地
古庭に鶯啼きぬ日もすがら】より
宇都宮仲町に生福寺という寺がある。宮應山生福寺関東八十八ヵ所霊場 第24番。真言宗智山派 の寺である。
生福寺に与謝蕪村の句碑があった。古庭に鶯啼きぬ日もすがら 蕪村号最初の句だそうだ。
蕪村句碑の記
俳聖 与謝蕪村 は享保元年(1716年)に摂津国毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれた。後年江戸へ出て、烏山出身の俳諧師早野巴人(夜半亭宋阿)の門人となる。巴人没後、同門の砂岡雁宕(いさおかがんとう)を頼って結城に下り、以後約10年に亙って結城を中心に関東・奥羽一円を遍歴した。
寛保3年(1743年)、雁宕の娘で当時宇都宮の寺町(現・仲町)に居を構えていたといわれる佐藤露鳩の許を訪れて滞在し、翌寛保4年に、ここで初めて『歳旦帖』を編集発行した。『歳旦帖』の発行ということは、俳諧師として自立したことを表し、蕪村はこれによって生涯俳諧師として生きて行くことを示したのである。
この『歳旦帖』は、正式には「寛保四甲子歳旦歳暮吟追加春興句野州宇都宮渓霜蕪村輯」と表題したもので、普通『宇都宮歳旦帖』と呼ばれている。
この中に蕪村は、この碑にあるように
古庭に鶯啼きぬ日もすがら 蕪村
と詠み、それまでの俳号「宰鳥」を捨てて、新たに「蕪村」と名乗った。つまりこの宇都宮は、蕪村号誕生の地となったのである。さらにこの「古庭に」の句は、芭蕉の「古池や」の句に対抗しての、蕪村独立を宣言するという意味もあり、当地は蕪村にとって極めて記念すべき所となった。
https://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ed5c22951450662e1193238fbab1f778 【古庭に鶯啼きぬ日もすがら の解釈】より
本日の『日経』文化欄で汲めども尽きぬ芭蕉の俳句に関する最近の論を紹介していた。私は、ここで、芭蕉を先達と仰いだ蕪村の上記句の藤田真一さんの解釈(岩波新書『蕪村』128~129頁)を一歩進めてみたい。「蕪村にとって、芭蕉のことも意識するべき対象であった。蕪村が「古庭」と言いかけたのは、芭蕉の「古池」に応じたからにほかならない。蛙だから「古池」、では鶯なら「古庭」になるだろう、というのだ。芭蕉のもじりといってもよい。つまり、「鶯」の本意性と「古池」のパロディをないまぜにしてなった句といえる。実は、これは、「蕪村」号のお披露目句であった。蕪村がこの句に、改号の意気をしめそうとしていたとしてもふしぎではない。・・」(藤田著)後注:芭蕉句は言うまでもなく「古池や蛙飛び込む水のをと」である。
私は、藤田氏の解説を前提として、更に踏み込んで考えてみたい。蕪村は、芭蕉の「古池」に対して「古庭」、同じく「蛙」に対して「鶯」を対置しただけでなく、一瞬の「水のをと」に対して長い「日もすがら」を対置している。句の風景は、古庭にある梅ノ木に鶯がとまって、一日中啼いている、というものである。私の視線は鶯に向かってやや上方を向いているが、ここで下方はどうなっているのかと目を向けると「ハッ」と気付くのである。古い庭だから古い池があってもおかしくないのではないか。ならばそこに蛙が飛び込んでいても良いのではないか。即ち、この「古庭」の中に「古池」が包含されているのではないか。「古庭」の方が「古池」より空間的に広く、「鶯」の方が「蛙」より視点が高く、また、「日もすがら」の方が「水のをと」より時間的に長いので、「古庭」句が「古池」句を包摂できるのである。また紀貫之の言う「蛙の声」に対して、芭蕉は新しい「飛び込む蛙」を見出したが、蕪村は貫之の言う「啼く鶯」にこだわっているとも言える。「蕪村」号スタートにあたり、ある意味で、「芭蕉」なにするものぞ、の気概を表わし、蕪村句が芭蕉句を言外に取り込んでいる二重風景句とみたいものである。(『地域居住研究』2004年3月号の拙稿による)
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/10682683/ 【古庭に鶯啼きぬ日もすがら の解釈】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/categories/3486667 【与謝蕪村】
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