この道や行く人なしに秋の暮

http://kaytaka.blog35.fc2.com/blog-entry-2151.html【この道や行く人なしに秋の暮】より

この道や行く人なしに秋の暮

---松尾芭蕉

季節は晩秋、ひょっとしたら冬はもうそこまで来ているのかも知れない。日が西に傾き始め、ひっそりとしたこの一本道をただ一人走る。木枯らしが吹き抜ける中、かさかさと乾いた枯葉が物悲しげな音を立てる。自分がたどってきた道も、これからたどっていくであろう道も、今は頭の中にはない。

今、この一瞬の自分を凝視し、この世界と向き合いながら、ひたすら前に進んでいくそこには「孤独」という言葉だけでは言い表せない寂寞感が漂う…。

元禄7年(1694年)、芭蕉51歳の作で、彼が亡くなる1ヶ月ほど前の句である。晩年の芭蕉の心境がすべてこの句に託されているのであろう。

事実上の辞世の句とも言われている。

芭蕉が生涯歩いてきた道、すなわち俳聖と呼ばれるに至るまでひたすら貫き通してきた彼の生き様が、まさに「この道」という言葉に凝縮されている。

道を究める…凡人にはなかなか成し得ることのない境地かも知れないが、命を懸けてただひたすらに突き進むことで、少しは近づくことができるものなのだろうか。

求めるものが遠くにあればあるほど、少しでもそこに近づくための努力は必要だ。だが、それは並大抵のものでは到底たどり着くことはできまい。

腹を括り、覚悟を決めて、いざという時には命さえも惜しまない…それくらいの思いで望まなければ何も得るものはない。

最後に勤めていた学校がたまたまここ伊賀の地にあった。

偶然なのかどうか分からないが、松尾芭蕉との関わりがいろんなところにある。

父はずっと俳句をやっていて、松尾芭蕉について調べるために芭蕉の通ってきた道をあちこち歩いて来たし、自分自身、二度の日本縦断で、松尾芭蕉ゆかりの地といわれる場所にも足を運んでいる。

さらには、今日、本棚を整理していて、偶然に岩波文庫の「芭蕉 おくのほそ道」を手にとってページをめくっていたら突然この句が目に入ってきた。

300年以上もの時を経て、かの俳聖から届けられたメッセージか何かだったのかも知れない。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

(つきひははくたいのかかくにして、ゆきこうとしもまたたびびとなり)

高校生の頃、暗唱した序文。

旅そのものが人生…芭蕉とは格が違うけれど、自分も同じような生涯を送ることになるのだろうか…。

過ぎ行く歳月そのものもまた旅人…旅の空を頭に思い描くたびに、漂泊の思いはますます募るばかり…。

道祖神(どうそじん)は声高らかに旅立ちの歌を歌い続け、そよ吹く風は優しく放浪のメロディを奏でる。さあ、次の旅に向けて、動き始めよう。芭蕉とは直接関係はないのだが…

https://www.youtube.com/watch?v=adQqTg9GUWY

「風ノ旅ビト」というゲームのプレイ動画(本編は編集:字幕なし)エンドロール。

自分自身、全くゲームをする人間ではないのだが、たまたま芭蕉の句をネット検索していたら出くわした動画。

この道や 行く人なしに この道や 秋の暮れ と確かに歌われている。


FacebookOSHO Japanese 投稿記事

独りであることは神聖ななにかだ。

あなたは誰のアローンネス、自由、個性も侵害すべきではない。

親しく交わり、愛し、ともにあり、祝うがいいーー。

だがいつも覚えていてほしい、あなたは独りなのだ。

あなたは独りで生まれ、独りで死んでゆく。あなたは独りで生きなければならない。

Osho


https://sorahirune.blog.fc2.com/blog-entry-198.html 【[198]この道や行く人なしに秋の暮れ】より

終局間近い芭蕉の句「この道や行く人なしに秋の暮れ」の、語句語意・品詞分解・現代語訳。「この道は、行く人ひとりいない。そのうえ、晩秋の薄暮だ。冥途の一人旅も、この秋の日暮れのように、暗く淋しい道を行くのであろうか」みたいな句である。

1.句 この道や行く人なしに秋の暮れ(芭蕉)

2.語句・語意・品詞分解

※この(此の):〔連語〕この。この=代名詞「こ」+格助詞「の」

※道(みち):〔名詞〕道。

※や:〔間投助詞〕テーマを示すために用いたもの。同時に、意を強めようとした。

→「道」は「俳諧の道」を特に意味しない。→むしろ、冥(暗い)途(道)が浮かぶ。

※行く(ゆく・いく):カ行四段活用動詞「ゆく(=行く・通り過ぎる)」の連体形。

※人(ひと):〔名詞〕人。

※なし(無し):形容詞(ク活用)「なし(=ない)」の終止形。

※に:〔接続助詞〕…のに。…のに、そのうえ。

→「行く人無しに」であるから、一人旅である。冥途の旅と同じ。

※秋(あき):〔名詞〕秋。

※の:〔格助詞〕…の。

※暮れ(くれ):〔名詞〕日暮れ。(季節や年の)終り。ここは「(秋の終りの)日暮れ」。

1週間もしない内に冬になる。

3.現代語訳

この道や行く人なしに秋の暮れ

=この(この)道(道)や(は)行く(行く)人(人も)なし(ない)に(そのうえ)秋(秋)の(の)暮れ(日暮れだ)=この道は、行く人もない。そのうえ、秋の日暮れだ。

4.付記

芭蕉に、こういう句がある。愚案ずるに冥途もかくや秋の暮れ(芭蕉)

※冥途(めいど):〔名詞〕冥途(めいど)。冥(暗い)途(道)。死者が行く道。

49日の旅の途(みち)。ここでは、7×7=49日の「冥途の旅」。

芭蕉は仏門に入ろうとした人である。冥途に詳しい。冥途の旅は一人旅である。

一人でしなければならないことになっている。

暗い道を、とぼとぼと、冥府(めいふ・閻魔のいる所)に向かうのである。

三途の川とかもあって。真っ暗じゃないのだろう。日暮れの薄暮というか。

そういうことになっているのだろう。もっと暗いのか。

※かくや(斯くや)=かくやあらん=こんなだろうか/こんな様子であろうか

愚案ずるに冥途もかくや秋の暮れ

=愚案ずる(私が考えるところによる)に(と)冥途(冥途)も(も)かくや(こんな様子であろうか)秋(秋)の(の)暮れ(日暮れ)

=あれこれ案じ考えてみると、冥途の一人旅も、この秋の夕暮れのように、暗く寂しい道を行くのであろうか。

5.「この道や行く人なしに秋の暮れ」の、もう1つの解釈

芭蕉は、秋の終りの9月26日(陰暦)「この道や行く人なしに秋の暮れ」の句を作って間もない、10月12日(陰暦)に亡くなった。

延宝8年(1680年)作の「愚案ずるに冥途もかくや秋の暮れ」と元禄7年(1694年)作の句を引っ付けるのではないです。

と↑言ったけれど、

「この道や行く人なしに秋の暮れ」は、「冥途もかくや秋の暮れ」をひっつけてもいいように、出来ているのであります。それゆえ、この道ナニに、冥途ナニが乗り移って、

「この道や行く人なしに秋の暮れ」の心になったのである。

コレ↓

この道や行く人なしに秋の暮れ

=この(この)道(道)や(は)行く(行く)人(人も)なし(ない)に(そのうえ)秋(秋)の(の)暮れ(日暮れだ)

=この道は、行く人もない。そのうえ、秋の日暮れだ。

=この道は、行く人もない。そのうえ、晩秋の日暮れだ。

冥途の一人旅も、この秋の夕暮れのように、暗く淋しい道を行くのであろうか。

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